日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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20
21.
佐野
大和 磨製石剣(石製模造品考序説、
一
)
刊行年:1953/04
データ:国学院雑誌 54-1 国学院大学出版部 呪術世界と考古学
22.
佐野
正巳 「万葉集三七
一
の歌」私考
刊行年:1962/11
データ:上代文学 13 桜楓社出版 出雲風土記とその社会(雄山閣出版,1989/05)
23.
佐野
裕
一
郎 吉備津彦神社「御田植祭」についての
一
考察
刊行年:2010/03
データ:神道研究集録 24 国学院大学大学院文学研究科神道学専攻
24. 平沢 英二郎 宮城県(
一
本杉遺跡|
佐野
遺跡)
刊行年:1976/05
データ:日本考古学年報 27 日本考古学協会 発掘と調査-1974年度におこなわれた発掘調査
一
覧とその概要
25. 高橋
一
夫|館野 孝 栃木県
佐野
市出土の土師器(
一
)
刊行年:1968/06
データ:若木考古 88 国学院大学考古学会
26.
佐野
真人 山陵祭祀より見た天智・光仁・桓武三天皇への追慕意識
刊行年:2010/06
データ:ヒストリア 220 大阪歴史学会 古代・個人報告
27.
佐野
忠史 平安時代の祭祀を物語る斎串-石上神社遺跡|自然堤防上の集落-久米川遺跡・懸河遺跡・松枝遺跡
刊行年:2006/12
データ:『図説五所川原・西北津軽の歴史』 郷土出版社 古代
28.
佐野
精
一
浄瑠璃寺の周辺.-大和圏の寺の成立は 大きい京都文化の影響
刊行年:1977/12
データ:『史跡でつづる京都の歴史』 法律文化社
29.
佐野
好 アイヌ人体質の研究(其の五).-アイヌ人肋骨異常分岐の
一
例
刊行年:1930/09
データ:人類学雑誌 45-9 東京人類学会
30. 鈴木 尚|江原 昭善|
佐野
一
三浦半島に於ける中世積石墳墓について
刊行年:1956/10
データ:日本人類学会・日本民族学協会連合大会第10回紀事 日本人類学会・日本民族学会連合大会事務所
31.
佐野
大和 「稲の日本史」「第二稲の日本史」(稲作史研究叢書第
一
、二集).-日本人の起源と稲作文化について
刊行年:1957/08
データ:神道学 14 神道学会 紹介・書評
32. 平光 吾
一
|椎名 順二|中野 曄|新藤 省三|
佐野
好 アイヌ人体質の研究(其
一
)(研究の経過と其序|アイヌ人屍体肉眼的の観察|剖検所見殊に筋系統と内臓所見)
刊行年:1930/01
データ:人類学雑誌 45-1 東京人類学会
33. 森 浩
一
時間をどう記述したか(『常陸国風土記』の時間記述|天皇の名か、宮の名か?|「元号」の使用はいつからか|『日本書紀』における元号記述)|銅鏡の「年代」をめぐって(「年号」鏡は年代の定点にできるか|「景初三年」銘銅鏡は〝卑弥呼の鏡〟か|銅鏡の銘文に対する心がまえ|神原神社古墳の「景初三年」銘鏡|「景初四年」銘鏡-完全な銘文-の発見|「青龍三年」銘の方格規矩鏡ー舶載か製か|伊都国の方格規矩鏡|「方格規矩鏡」を考える|「青龍三年」の国際情勢)|諸所に刻まれた年号(刀剣に刻まれた年号〈東大寺山古墳の刀の「中平□年」銘/埼玉稲荷山古墳の剣の銘文/江田船山古墳の刀の銘文〉|関東の文字文化-上野三碑の年号と銘文〈那須国造碑の銘文/上野三碑の銘文〉|石上神宮の七支刀の銘文|隅田八幡宮の「癸未年」銘の人物画像鏡〈百済の斯麻王大墓をめぐって/河内での青銅器の製作/銘文は現物に即して読む〉)|「暦」はどのように使われたか(干支の使用|漆紙文書と暦|干支六角柱と菅江真澄〈秋田の埋没建物/記憶のメモ用の干支六角柱〉|「大化」は最初の元号か〈宇治橋建造と「大化二年」/舟橋と山崎橋/上毛野の
佐野
の舟橋/道登と高句麗の大同江の大橋/再び宇治橋と大化の元号〉)
刊行年:2007/10
データ:『古代史おさらい帖-考古学・古代学課題ノート』 筑摩書房 年代の見方
34. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|
一
楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|
佐野
荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士