日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
検索式
検索
クリア
表示件数
10
20
30
50
100
ソート
執筆者 (昇順)
執筆者 (降順)
刊行年 (古い順)
刊行年 (新しい順)
検索結果
40件中[21-40]
0
20
21. 松浦 義則 寛正飢饉情況下における若狭
太良荘
の埋樋相論
刊行年:2000/02
データ:『日本中世後期・近世初期における飢饉と戦争の研究-史料所在調査と年表の作成から』 (佐々木 潤之介(早稲田大学))
22. 鈴木 由美 若狭国
太良荘
給主「竹向御方」小考
刊行年:2011/08
データ:ぶい&ぶい 21 日本史史料研究会
23. 並木 優記 荘園領主と中世村落.-東寺領若狭国
太良荘
刊行年:1984/01
データ:学習院史学 22 学習院大学史学会 大山荘
24. 渡辺 澄夫 東寺領若狭国
太良荘
の均等名について
刊行年:1969/06
データ:『荘園制と武家社会』 吉川弘文館 増補畿内荘園の基礎構造
25. 山本 隆志 荘園制の形成と土地台帳
刊行年:1990/03
データ:歴史人類 18 筑波大学歴史人類学系
太良荘
荘園制の展開と地域社会
26. 黒田 俊雄 中世用語の読解のための私論.-
太良荘
文書の理解のために
刊行年:1990/09
データ:福井県史しおり 資料編9中・近世七
27. 芝田 寿朗 大法師顗雲の持仏.-若狭国
太良荘
における天台系薬師像の伝来について
刊行年:2002/03
データ:福井県立若狭歴史民俗資料館館報 平成13年度 福井県立若狭歴史民俗資料館
28. 小林 吉光 山城国宝荘厳院敷地用水指図|東寺領若狭国
太良荘
樋指図
刊行年:1976/04
データ:『日本荘園絵図集成』 上 東京堂出版
29. 林 文理 中世名主身分の基本的性格について.-
太良荘
における名主職相論を中心にして
刊行年:1977/12
データ:ヒストリア 77 大阪歴史学会
30. 山本 隆志 荘園公領制下の村落と地域社会(
太良荘
の名主と村落)
刊行年:1994/02
データ:『荘園制の展開と地域社会』 刀水書房 一部は『一揆』4を利用
31. 萬井 良太 日本中世における相続と身分.-若狭国
太良荘
における一相論を事例に
刊行年:2006/10
データ:東北亜文化研究 11 東北アジア文化学会
32. 外岡 慎一郎 津と浦に生きる人びと|職人たちの伝承|荘園と市庭
刊行年:2003/01
データ:『街道の日本史』 31 吉川弘文館 惣の世界 得宗過所船旗|近江大音氏|
太良荘
|遠敷市庭
33. 山本 隆志 得宗領荘園の支配構造.-若狭国太良庄
刊行年:1988/12
データ:『日本社会の変革と再生-共同体と民衆』 弘文堂 荘園制の展開と地域社会
34. 山本 隆志 庄家一揆の社会的性格
刊行年:1992/12
データ:年報日本史叢 1992 筑波大学歴史・人類学系 荘園制の展開と地域社会
35. 黒田 俊雄 鎌倉時代の荘園の勧農と農民層の構成(上)(下).-若狭国
太良荘
のばあい
刊行年:1962/01|02
データ:歴史学研究 261|262 青木書店 日本中世封建制論|著作集5
36. 高橋 孝行 東寺百合文書「や一〇号 若狭国
太良荘
并尾張国大成荘文書案(中欠)」の成立について
刊行年:1998/05
データ:『中世史料採訪記-史料論の展開と史料調査の旅』 ぺりかん社
37. 山本 隆志 荘園の下地知行-検注と勧農(遠敷郡
太良荘
における検注と勧農の構造)
刊行年:1994/02
データ:『荘園制の展開と地域社会』 刀水書房 地方史研究170を一部利用
38. 工藤 敬一 はじめに|概観|生江臣東人-初期荘園と地方豪族|大法師兼算と古志得延-越後国石井荘の荘司と田堵|「南京一の悪僧」覚仁-伊賀国東大寺領の完成者|橘兼隆と太田光家-開発領主と寄進地系荘園の成立|
太良荘
の定宴と歓心-荘経営者と百姓|
太良荘
の公文・名主、禅勝と実円-転換期の中間層|菅浦の乙名清九郎-惣の救世主|悲劇の代官祐清-新見荘の直務代官|「家門御下向」-日根荘の九条政基|参考文献-さらにすすんで考えてみたい人々のために
刊行年:1978/11
データ:『荘園の人々』 教育社
39. 小山 靖憲 差図
刊行年:1997/05
データ:『中世荘園絵図大成』 第二部 河出書房新社
40. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|
太良荘
|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士