日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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221. 前沢 和之 文書による行政(役人の世界〈役所の一日《石碑と文書|墓と文字》〉)|郡家施設の名称-
武蔵国
都築郡家模型を通して
刊行年:2002/03
データ:『古代日本 文字のある風景-金印から正倉院文書まで-』 朝日新聞社 役所と村の中の文字
222. 宮瀧 交二
武蔵国
大里郡大字冑山小字雷発見の「田村」と記した祝部土器.-明治十一年発見の墨書土器について
刊行年:2006/05
データ:『埼玉の考古学』 Ⅱ 六一書房
223. 下坂 守 寺社絵図
刊行年:1997/05
データ:『中世荘園絵図大成』 第二部 河出書房新社
224. 平野 卓治 外つ国から東国へ(東国における渡来系文物〈金属工芸品《冠|耳飾り・指輪|飾履》|武器・武具《飾り大刀|馬具》|埴輪|渡来人の足跡・韓式系土器〉|古代王権・国家と東国の渡来人〈仏教の受容|渡来人と郡の成立《上野国と渡来人|下野国と渡来人|
武蔵国
高麗郡と渡来人|
武蔵国
新羅郡と渡来人|
武蔵国
男衾郡と渡来人》〉|横浜市域周辺の渡来系文物)|東国から北方へ(東北地域の渡来系文物と東国|東国からの人々の移住〈東国からの移民の足跡《郡山遺跡|名生館官衙遺跡|三輪田遺跡と「大住団」木簡|御駒堂遺跡|色麻古墳群》|海の道による移動《赤井遺跡》〉)
刊行年:2007/04
データ:『ヒトが移る、モノが動く-古代の東国に・その痕跡を探る』 横浜市歴史博物館
225. 伊藤 一美 武士団と名字の地∥武士団の地域拡散と名簿|武士団の移動∥武士団の所領経営と武士団の変化|茨城県真壁郡長岡村の小字(明治初年)|神奈川県逗子市沼間小字|
武蔵国
鶴見寺尾絵図|和泉国日根荘日根野村絵図|尾張国富田荘絵図|備中国新見荘地域図∥武士の居館跡にまつわる地名|中世平泉推定復元図
刊行年:1990/11
データ:『角川日本地名大辞典』 別巻Ⅰ 角川書店 武士団と中世村落(武士団と名字の地)
226. 黒済 和彦 資料検討篇-畿内求心東西地域における蕨手刀(信濃国(長野県)|下野国(栃木県)|陸奥国南部(福島県および宮城県南部)|甲斐国・駿河国(山梨県・静岡県)|
武蔵国
(東京都・埼玉県)|上総国(千葉県)|蕨手刀と俘囚-菊池山哉の「別所=俘囚移配地」説の考古学的検証|山国から峠を越え、もたらされた蕨手刀)
刊行年:2018/12
データ:『蕨手刀の考古学』 同成社 俘囚料
227. 堤 紫海 東方への志向(東国平定|陸奥への関門|越の柵|蝦夷征伐|東方への希求|壬申の乱|白鳳時代開く|炎と花)|国生の苦しみ(山河無情|苦患の国土|陸奥開発始まる|黄金出土|宮廷乱脈|家持擾乱|天平の嵐|天平の破局|陸奥の反乱|輪奐の美|平城京離脱)|謎深い異境の国(平安京遷都|田村麻呂征夷|鎮守府北進|波乱の平安京|征夷中断|多賀城碑の謎|幻の壺碑|辺境の異国情緒)|楽土建設の夢(「つはもの」時代|東西の異端児|戦雲渦巻く|一族の戦乱|
武蔵国
への志向|関八州を制圧|将門の最期|天慶の顛末)|悲劇の武将たち(栄華の陰に|幻の美女|源平の地盤交代|黄金の酋長|前九年の役|頼義の開運|安倍一族の最期|不遇の将軍|後三年の役|戦火出羽へ|清原氏滅ぶ|源氏武士の発祥)|黄金文化の跡(清衡の奥羽経略|中尊寺の謎|壮麗な伽藍建設|藤原三代の軌跡|奥州平定|終章 民族の悲願・東北開発)
刊行年:1979/04
データ:『陸奥への道-歴史散歩』 文化総合出版
228. 奥野 中彦 京都油小路屋敷図|近江国木津荘寺領注進帳|越前国河口・坪江荘近傍図|山城国佐賀荘咋岡全図|信濃国原山古図|駿河国井川郷上田村絵図|備前国安国寺寺域絵図|筑前国宗像郡六十二村古図|紀伊国安楽河荘脇谷四至絵図|伊勢国鹿海村絵図|陸奥国平泉古図|陸奥国毛越寺古図|周防国山口町古地図|飛騨国中図|近江国小田村高畠屋舗図|平城京図(原題市図)|大和国葛木東所地肆坊図|大和国東喜殿荘坪付図|丹波国出雲神社社領示絵図|讃岐国善通曼荼羅両寺領絵図|京中焼亡図|出雲国出雲大社及近郷絵図|大和国東喜殿荘近傍図|京都東市町図|
武蔵国
鶴見寺尾荘図|山城国上久世荘図|山城国今宮社別当宗秀敷地指図|陸奥国骨寺古図(その二)|京都遍照心院敷地絵図|京都妙見寺地子法住寺押妨図|相模国円覚寺塔頭法珠院敷地図|京都神泉苑祈雨道場絵図|若狭国丹生浦浦山沽却注文|京都左京御所前・乾町下地指図|京都故土御門中将有通朝臣敷地指図|京都十楽院跡屋敷差図|京都東寺寺内敷地差図|大和国羽津里井荘図|京都左京八条在家田地差図|丹波国吉富荘絵図|山城国松尾大社及近郷絵図|山城国上野荘指図|京都某寺庵敷地指図|祇園社領川成注文指図|大和国西大寺辺四陵所在条里図|京都左京土御門敷地指図|大和国中山荘土帳|大和国古木本・新両荘土帳(断簡)(その二)|大和国郡名略地図|大和国岩井河南岸諸荘園図|大和国池田荘と并井殿荘境溝相論指図|大和国佐保新免土帳(その二)(その三)|山城国西谷藪地指図|大和国楊本荘条里図|山城国京上道之次第図 文明十七年十月古市・誉田等陣取図|四郎三郎作下地指図|伊勢国稲生村三社絵図|相模国善宝寺寺地絵図|京都今小路以北石井美作入道以南畠地図|山城国大副里三坪西縄本所在図|京都土御門正親町万里小路富小路四丁町指図|京都大工三郎右衛門抱分指図|摂津国広徳寺門前図|山城国五智院南地差図|山城国如意庵下地相博差図|大和国忌部荘図
刊行年:1977/05
データ:『日本荘園絵図集成』 下 東京堂出版
229. 古川 元也 青岸渡寺御正体(松喰鶴文・線刻千手観音)|新宮寺一切経|新宮寺大般若波羅蜜多経 巻四七三|新宮社沙弥圓和沙汰状(文治五年十月十二日)・石橋棟義願文(永徳四年五月十九日)|吉良貞家寄進状(文和二年四月九日)|新宮社吉良貞経寄進状(文和二年七月十五日)・平泰経寄進状(暦応四年十二月十九日)|経筒|熊野本宮大社越後国諸郡檀那願文帳(建徳三年五月二十八日)|熊野神社牛玉宝印版木(応永二年四月開版・応永三年)|西光寺持蓮華|清浄光寺安食問答|鉦架支板|称名寺金沢貞顕自筆書状・氏名未詳書状・静恵書状(紙背)・氏名未詳書状(「横帳四」紙背)|称名寺熊野三所御正躰釈為除病・熊野三身・熊野十二所権現御正躰釈・熊野権現口決雑記私・熊野山参詣作法・熊野山祓殿阿弥陀寺勧進状|称名寺加賀国軽海郷年貢済物結解帳・上総国周東郡内称名寺領年貢請文(元徳三年三月十三日)・上総国周東郡波多沢村年貢注進状(応安四年九月十日)|称名寺
武蔵国
品河湊船帳(明徳三年八月)|天妙国寺鎌倉公方足利成氏判物(至徳二年十一月十四日)|熊野本宮大社諸国檀那願文帳(正平十八年□月十六日・貞治六年三月二日)・上野国沼田荘檀那願文(正平二年二月四日)・常陸国真壁郡檀那願文(応安四年十一月二十一日)・鎌倉六浦出羽房請文(明徳四年三月二日)|熊野本宮大社『能里帳』上(上野国高山荘檀那願文(建徳二年一月二十四日)・上野国長野常陸寺住人願文(明徳三年十一月二十六日))|『神道集』|覚園寺文書|大川戸熊野神社文書|神武寺千手観音菩薩像|師岡熊野神社縁起書(貞治三年五月)
刊行年:2005/10
データ:『聖地への憧れ-中世東国の熊野信仰』 神奈川県立歴史博物館 列品解説
230. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈
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〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士