日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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2261. 田中 史生 時の支配-暦の導入│和田山二三号墳出土刻書須恵器│元岡古墳群G六号墳出土庚寅銘大刀│飛鳥京跡苑池遺構〔第2次〕出土丙寅年木簡│陵山
里
寺出土「昌土」銘舎利龕│難波宮跡「戊申年」木簡│石神遺跡具注暦木簡(木簡)│発久遺跡月朝干支木簡│元原・桑原遺跡群「大宝元年辛丑」木簡│天平勝宝八歳具注暦(復元複製) 正倉院文書│印の権威│楽浪土城出土封泥│志賀島出土「漢委奴国王」金印(複製)│五湖
里
五号石室墓出土「伏義将軍之印」銅印│令集解巻三四 公式令40天子神璽条│法隆寺献物帳│正倉院古文書正集第二九巻(複製) 天平九年度但馬国正税帳│「山辺郡印」銅印│正倉院古文書正集第六巻(複製)生江臣息嶋解
刊行年:2014/10
データ:『文字がつなぐ-古代の日本列島と朝鮮半島』 国立歴史民俗博物館 解説文(Ⅰ 文字による支配)
2262. - 雑物出入帳|鼓打布衫(麻の下着)|布衫(麻の下着)|続修正倉院古文書第六巻(筑前国嶋郡川辺
里
戸籍)|正倉院古文書正集第十九巻(伊豆国正税帳、相模国封戸租交易帳、安房国義倉帳)|正倉院塵芥文書第三十五巻(鑑真奉請経巻状ほか)|続々修正倉院古文書第四十四帙第四巻(経師等被充帳・越前国江沼郡山背郷計帳)|東南院古文書第三櫃第四十一巻(山背国宇治郡家地売券等)|続修正倉院古文書後集第二十二巻(奉写一切経所食口案、一切経并千手経紙充帳)|山水図|魚骨笏|十地経論巻第八(隋経)|悲華経巻第四(光明皇后御願経)|阿闍貰王女経(称徳天皇勅願経)|雑物出入帳
刊行年:2004/10
データ:『正倉院展目録』 第五十六回 奈良国立博物館 図版 解説
2263. - 勅書銅板(銅板に刻まれた聖武天皇の願文)|続修正倉院古文書第一巻(国文銘文刻版稿、孝謙天皇詔勅草)|続々修正倉院古文書第二十四帙第五巻(皇后宮職移案ほか)|七条刺納樹皮色袈裟(袈裟)|鳥毛篆書屏風(鳥毛の文字屏風)|東大寺献物帳 国家珍宝帳(献物品の目録)|献物牌(献物者の名札)|漆葛胡禄(矢入れ)|正倉院古文書正集第四十巻(豊前国仲津郡丁
里
戸籍|続修正倉院古文書第十一巻(山背国愛宕郡計帳)|正倉院古文書正集第三十六巻(周防国正税帳、長門国正税帳)|続修正倉院古文書別集第十八巻(写経司解案、泉木屋所解ほか)|続修正倉院古文書第三十四巻(造仏所作物帳)|続修正倉院古文書第四十七巻(下道主状ほか)|瑜伽師地論巻四十五(光明皇后御願経)|大方広仏華厳経巻第七十二(称徳天皇勅願経)|大方広仏華厳経巻第七十二~八十(新羅経)
刊行年:2005/10
データ:『「正倉院展」目録』 第五十八回 奈良国立博物館 図版 解説
2264. 阿部 猛 律令官司(律と令|神祇官|太政官|太政大臣|太政官厨家|参議|辨官|中務省|中宮職|職御曹司|大舎人寮|図書寮|紙屋院|内蔵寮|縫殿寮|糸所|陰陽寮|画工司|内薬司|内礼司|式部省|大学寮|散位寮|治部省|雅楽寮|玄蕃寮|諸陵司|喪儀司|民部省|主計寮|主税寮|兵部省|兵馬司|造兵司|鼓吹司|主船司|主鷹司|刑部省|贓贖司|囚獄司|左獄・右獄|大蔵省|典鋳司|掃部司|漆部司|縫部司|織部司|宮内省|大膳職|木工寮|大炊寮|供御院|主殿寮|典薬寮|正親司|内膳司|造酒司|鍛冶司|官奴司|園池司|土工司|采女司|主水司|氷室|主油司|内掃部司|筥陶司|内染司|五衛府|衛門府|衛士府|兵衛府|隼人司|馬寮|兵庫|内兵庫|彈正台|京職|市司|摂津職|大宰府|警固所|国―郡―
里
制|諸国|国府|郡家|国司|
里
長|郷長|国師|講師|読師|斎宮寮|斎院司|後宮|後宮十二司|女蔵人|女房|傅|学士|春宮坊|舎人監|主膳監|主蔵監|主殿署|主書署|主漿署|主工署|主兵署|主馬署|蔵人所|帯刀舎人)|官人制(四等官制|位階|官位相当制|官人の出身方式|官人の給与|官人の任期|官人の休暇|官人の勤務評定|交替政|貴・通貴・非通貴|公家と公卿)|身分・刑罰(官人の刑法上の特権)|軍団(軍団|衛士|防人|部領使|三関)|田制と租税(班田収授法|戸籍|儀籍|計帳|手実|職写田|余戸|課戸|寄口|租|調|庸|雑徭|出挙|借貸|正税|正税帳|公廨稲|郡稲|義倉|中男作物|贄|仕丁|采女|雇役|九等戸|穎稲と籾穀|国斗|布||返抄|不三得七法|綱丁|公田|乗田|易田|荒廃田|山川藪沢|空閑地|輸租田と不輸租田|公田と私田|公水公有主義|功田|均田制と班田収授の比較|四度使|四度使公文・同枝文|運脚)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 律令制度
2265. 佐々木 敏雄|川﨑 晃 越中万葉の地名(英遠の浦|伊久
里
の森|五幡の坂|射水河|射水郡|射水の郷|弥彦|石瀬野|坂河|宇奈比河|卯の花山|越前|越前国|越中|越中国|大野路|雄神河|乎布|乎布の浦|乎布の崎|香島|香島嶺|香島の津|片貝河|片貝の河|可敝流|熊来|熊来村|気太神宮|越|越路|越の海|越の国|越の中|越前|越中|辟田河|辟田の河|之乎路|叔羅河|信濃の浜|渋谿|渋谿の崎|須加の山|杉の野|珠洲|珠洲の海|珠洲の郡|多|多の浦|多の崎|多の島|立山|垂姫|垂姫の浦|垂姫の崎|机の島|礪波郡|礪波の関|礪波山|長浜の浦|奈呉|奈呉江|奈呉の海|奈呉の浦|奈呉の江|新川|新川郡|丹生の山|饒石川|婦負郡|能登国|能登郡|能登の島山|延槻河|延槻の河|羽咋の海|羽咋の郡|氷見の江|深見村|鳳至郡|布勢の海|布勢の浦|布勢の水海|二上|二上の峰|二上の山|二上山|旧江|旧江の村|古江村|麻都太要の長浜|麻都太要の浜|三島野|婦負河|婦負郡|婦負の野|夜夫奈美の
里
|雄神河)
刊行年:2007/09
データ:『越中万葉百科』 笠間書院
2266. 小原 与三郎編 安倍氏統治対策|前九年役の発端|安倍氏の実力|衣川柵 九月六日|鳥海の柵 九月十一日|黒沢尻柵|厨川柵 九月十四日|前線基地鶴脛柵|比与島館|北上市、一夜舘|黒岩嬢、岩崎城|浮田車舘|倉沢舘(大しだ舘)|毒沢虫丸舘と尼寺|砂子舘と道目木尼寺|砂子の由来|花舘(塙舘)|花舘忘憂の
里
|まぼろし尼寺|迎え山と時森|コータの舘|田瀬の道地舘|野金山と安倍舘|弓折り舘|鹿込の城舘の山|鱒沢高舘|小友舘山と鷹鳥谷舘|長野舘|いろは滝|小友村の荒谷|綾織胡四王|谷地舘|上野舘|フン舘|上綾織、弓折|土淵三舘|青笹塙舘、臼舘|上郷の舘|土淵村の安倍氏|早池峯安倍ヶ城の伝説|松崎の史跡|達曾部高舘|水境不審場、岩脇舘|松原舘、源三舘|小空蔵舘|桂舘、八木巻舘、八木巻馬舘|旭の又舘|内川目の舘跡|亀ヶ森舘、八幡舘、杉舘、羽黒堂舘|今日明日森、上舘、中舘、下舘|舘山大巻舘機織舘|御堂という部落|下北半島と津軽半島の歴史|衣川古戦場、厨川柵の最後|前九年の役の経過|後三年の役|平泉藤原氏|平泉藤原三代|源頼朝、泰衡の戦畧|義経弁慶の伝説|秀衡の御用商人と牛若丸|達窟について再度調査に行く
刊行年:1977/12
データ:『陸奥の伝説-前九年の役、後三年の役、平泉藤原氏』 私家版
2267. 古川 元也 青岸渡寺御正体(松喰鶴文・線刻千手観音)|新宮寺一切経|新宮寺大般若波羅蜜多経 巻四七三|新宮社沙弥圓和沙汰状(文治五年十月十二日)・石橋棟義願文(永徳四年五月十九日)|吉良貞家寄進状(文和二年四月九日)|新宮社吉良貞経寄進状(文和二年七月十五日)・平泰経寄進状(暦応四年十二月十九日)|経筒|熊野本宮大社越後国諸郡檀那願文帳(建徳三年五月二十八日)|熊野神社牛玉宝印版木(応永二年四月開版・応永三年)|西光寺持蓮華|清浄光寺安食問答|鉦架支板|称名寺金沢貞顕自筆書状・氏名未詳書状・静恵書状(紙背)・氏名未詳書状(「横帳四」紙背)|称名寺熊野三所御正躰釈為除病・熊野三身・熊野十二所権現御正躰釈・熊野権現口決雑記私・熊野山参詣作法・熊野山祓殿阿弥陀寺勧進状|称名寺加賀国軽海郷年貢済物結解帳・上総国周東郡内称名寺領年貢請文(元徳三年三月十三日)・上総国周東郡波多沢村年貢注進状(応安四年九月十日)|称名寺武蔵国品河湊船帳(明徳三年八月)|天妙国寺鎌倉公方足利成氏判物(至徳二年十一月十四日)|熊野本宮大社諸国檀那願文帳(正平十八年□月十六日・貞治六年三月二日)・上野国沼田荘檀那願文(正平二年二月四日)・常陸国真壁郡檀那願文(応安四年十一月二十一日)・鎌倉六浦出羽房請文(明徳四年三月二日)|熊野本宮大社『能
里
帳』上(上野国高山荘檀那願文(建徳二年一月二十四日)・上野国長野常陸寺住人願文(明徳三年十一月二十六日))|『神道集』|覚園寺文書|大川戸熊野神社文書|神武寺千手観音菩薩像|師岡熊野神社縁起書(貞治三年五月)
刊行年:2005/10
データ:『聖地への憧れ-中世東国の熊野信仰』 神奈川県立歴史博物館 列品解説
2268. 藤原 相之助 柳の宿の一夜|奥州杉薬師|束稲山の桜|兄弟の恋争ひ|白拍子の牙鑿|前民部省輔の配所|流人父子の対面|鎮守府将軍|鬼一法眼が事|吉次の行商|吉次の鞍馬詣|四條堀川の討入|宇都宮の活劇|衣川の庵室|女の胸|信夫の使ひ|巣立ちの隼|夏草の香|浅い巧み|その移り香|七夕の夜|大望を前に|紅の涙|中秋の月|懐剣の錆|猫間が淵|青貝の彌藤治|沈み行く身|靺鞨の大酋長|異類との誓約|恋から弓矢|夷軍來る|援軍來る|靺鞨の老巫女|奥の院|田名部の舘|風雲動く|令旨下る|女の髪|懺悔の涙|栗駒の地仙|義経の出陣|平泉評定|宮廷の秘事|内宣下る|平泉の宝引|不慮の内乱|赤稚児の
里
|風雲益々急|義仲と秀衡|秀衡の意見|義経の静動|逆艪の争ひ|西海の血の浪|月影の明石の浦|腰越の嘆き|堀川の夜討|義経の都落ち|吉野の雪|奥州下り|目に見えぬ暗闘|高舘入り|杜鵑の塚|銀の猫兒|二人の孤児|西行法師|院の下文|秀衡入道卒去|鎌倉の使者|苦肉の経略|宣旨下る|毒計の犠牲|刺客入る|伽羅舘の大激論|頼朝の鬱憤|長部山の狩|田名部落ち|高館攻め|義経の首級|泉の城攻め|頼朝の腹|奥州両州の防禦|大木戸の戦ひ|海道口と出羽口|泰衡の敗退|出羽軍の敗北|平泉の兵火|最後の恋|泰衡の最期|河田と由利|秘密の姫宮|残党の蜂起|宇曾利の奥の院|八郎潟の戦|夢の跡
刊行年:1917/09
データ:『平泉情史 藤原秀衡』 仁友社 初出は新聞連載。新聞名未調査
2269. 菱沼 右一 江戸以前の東京と関八州(アイヌ地名|湾の地名|関東平野|東、吾妻|吾妻湾から品川湾|鬼怒と吾妻は山人と海人|坂田の金時|筑波も「紀の国」であった|埼玉、上妻、中妻、下妻|多摩|埼玉、児玉、熊ヶ谷|荒川|利根川|武蔵、相模|愛宕、安高、足立、田子、多古|厚田、安土、安寺|湾頭の大都市とその名|富士、ニシパ、サパ|徳島、厳島|足柄、箱根、丹那|鎌倉、江島、小田原|神人化された大山嶽の名|神名と人種及部落民の名|民族名と部落名|信濃、上野、下野、東|二荒、宇都宮|毛野川|常陸、日高見|信濃、千曲、茶臼|信州の発補温泉、志賀高原|伊香保、渋、塩原|富津、布佐|総国、安国|千葉、木更津、犬吠、銚子|品川湾とその周囲|越国|茨城と蛇神|風土記の茨城の
里
|小原村附近|風土記の茨城解説|水戸の由来|波良伎は蛇か?|伊吹山もイパラキである|県主|国巣の言葉|台、塙、箕ノ輪|出雲|福島|猪苗代湖|長瀞|手代、手代木、田代|鳥海、猿羽根、羽黒|鶴見、鶴巻|北海道から樺太まで|那珂、那賀、奈加、那智)|江戸以前の東京(江戸往古之図|江戸|五大岬|忍ヶ岡、下谷、上野|不忍池|日暮
里
、根岸|台、高輪、下谷、上野|田端、駒込|神田、根津|妻恋、戸隠|牛込、小石川、小日向|牛込、牛ヶ淵、牛天神|牛天神|音羽|浅草とその周囲|浅草とは、どんな意味か|言問と牛頭、牛御前|品川湾とその周囲|牛頭天王、兜神社、紐神社|牛天神と忍ヶ森|本所、深川、牛島|寄木神社|大森の貝塚 大井|目黒、目白|愛宕、日比谷、宇田川|下田、三田、伊皿子|東閑森と池上|隅田川)|地名の新研究(駒込、丸山、小山、駒ヶ嶽|駒形|荒砥と左澤|倉、鞍、久良、久留|キンジヤマ|鬼倉、佐葉倉、羽黒、小掠、小倉、佐倉、佐羽根倉|早稲田と鶴巻、長谷と鶴ヶ崎|駒込、駒形、小牧、本郷の研究の経路|形と牧|花巻|後閑|生活と信仰と感謝に即した日本の国名|茨城の意義)|北海道樺太地名考(北海道地名|樺太名稱の由来|アニワ灣名稱の由来|樺太の地名)
刊行年:1939/11
データ:『アイヌ語よりみた日本地名新研究-江戸以前の東京』 中央情報社 復刻:第一書房(1982/04)