日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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261. 綾村 宏 法隆寺五重塔組木落書|正倉院文書紙背落書 座右銘・漢詩|正倉院万葉仮名文書ⅠⅡ|仏足石歌碑|讃岐国司解有年申文|宇多天皇 周易抄|自家集切|藤原公任 稿本北山抄|
藤原道長
御堂関白記|御堂関白記(古写本)|天治本催馬楽抄
刊行年:1988/10
データ:『日本書学大系』 法書篇10 同朋舎出版 釈文・読み下し・現代語訳
262. 朧谷 寿 頼光の誕生|若き時代の頼光|頼光の邸宅|一条邸とそこでの道綱との生活|頼光と藤原長能|春宮大進時代|美濃守時代と大江匡衡|頼光の遠慮|
藤原道長
への接近|武士としての源頼光|初期の武士団と頼光|道長と頼光|晩年の頼光|源頼光の娘たち
刊行年:1968/06
データ:『源頼光』 吉川弘文館
263. 吉澤 悟 金峯山経塚出土品 一括│
藤原道長
経筒(金峯山経塚出土) 一口│粉河経塚出土品 一括│経塚遺物(伝大分県出土) 一括│経塚遺物(出土地不詳) 一括│銅板法華経(大分県長安寺経塚出土) 一枚│銅板法華経(大分県長安寺経塚出土) 一枚│瓦経(鳥取県大日寺経塚出土) 一括│瓦経(福岡県飯盛山経塚出土) 一枚
刊行年:2015/04
データ:『まぼろしの久能寺経に出会う 平安古経展』 奈良国立博物館 展示品解説 第三章 素材を選ぶ.-経塚遺品
264. 佐伯 有清 原始~古墳時代の牛(研究のあゆみ|日本牛の起源|牛と人間の生活文化)|律令制と牛(官牛牧の成立|官牛の使途|牛皮・牛角・牛黄その他)|牛の神話と伝説(ウケモチカミの神話とツヌガアラシトの伝承|ミトシノカミの怒り)|牛殺しの世界(農耕儀礼と牛の犠牲|雨乞いと牛の犠牲|病気と死と牛の犠牲|漢神の謎)|貴族と農民と牛(貴族と牛|
藤原道長
と牛|農民と牛)
刊行年:1967/03
データ:『牛と古代人の生活』 至文堂
265. 赤木 志津子 平安時代と貴族家(藤原氏の出現と摂関政治|政治の不振と対外事情|社会の二階層|貴族の諸流と勢力の消長|貴族と仏教)|平安時代の宴(宴とは|宴の内容)|平安時代の天皇(藤原時代の天皇|院政期の天皇)|平安時代の人々(賜姓源氏考|上東門院の生涯|小野宮家二代|
藤原道長
の子たち|信西入道|藤原邦綱考)|あとがき
刊行年:1988/01
データ:『摂関時代の諸相』 近藤出版社
266. 秋本 喜久子 菅原道真対藤原時平-火花を散らす老学者と気鋭の御曹子|藤原兼通対藤原兼家-兄弟の権力争いを可能にした他氏排斥|皇后安子対女御芳子-ぶりっ子皇后と美人の女御|
藤原道長
対藤原伊周-関白の座を争う叔父と甥の壮絶な戦い|藤原定子対藤原彰子-薄命の皇后と実子を帝位につけた中宮|紫式部対清少納言-家庭環境が二大才媛の分野を決めた!
刊行年:1997/08
データ:別冊歴史読本 22-39 新人物往来社
267. 森田 悌 浅香年木『日本古代手工業史の研究』法政大学出版局,1971|森田悌『平安時代政治史研究』吉川弘文館,1978|森田悌『日本古代律令法史の研究』文献出版,1986|森田悌『日本古代の政治と宗教』雄山閣出版,1997|森田悌『邪馬台国とヤマト政権』東京堂出版,1998|森田悌『日本古代の駅伝と交通』岩田書院,2000|山中裕『平安朝の年中行事』塙書房,1972|山中裕『
藤原道長
』教育社,1988
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
268. 林 幹彌 はじめに|飛鳥・奈良時代の太子観(太子は往生人|太子はボサツ)|平安時代の太子信仰(太子は救世観音|太子信仰のメッカ|
藤原道長
と藤原頼長|太子信仰の普及)|鎌倉時代の太子信仰(末法と太子|南都の太子信仰|法隆寺の太子信仰|平安仏教と太子|新仏教の太子信仰|鎌倉の武家の太子信仰|庶民の太子信仰)|南北朝・室町の太子信仰(南朝と未来記|東山の太子堂と京都のひとびと|禅宗と聖徳太子|知識人と太子伝|室町将軍の太子信仰|太子信仰の普及|乱世の太子信仰)
刊行年:1972/06
データ:『太子信仰-その発生と発展-』 評論社
269. 新谷 秀夫 『万葉集』はいつ成立したのか|『万葉集』という名前にはどのような意味がこめられているのか|『万葉集』はほんとうに日本人が書いたものなのか|『万葉集』は勅撰和歌集か|『万葉集』と『古今集』とはどう関わっているのか|なぜ平安時代に『万葉集』をよむことが始まったのか|
藤原道長
が万葉の訓読に携わったのはほんとうか|人麻呂はなぜ「歌聖」として信仰の対象となったのか|広瀬本の発見はなぜセンセーショナルだったのか|現在伝わる『万葉集』の原本はどこまでさかのぼれるのか|『万葉集』はなぜ国民歌集といわれるようになったか
刊行年:2000/10
データ:『万葉集101の謎』 新人物往来社 万葉の成立・享受をめぐる謎
270. 阿部 猛 政務(官司請負制|笏紙|貴族の政治思想)|権力者と実務官人(藤原忠平|藤原実頼|藤原兼家|藤原師尹|源高明|藤原伊周|藤原隆家|
藤原道長
|藤原実資|藤原公任|藤原行成|藤原頼通|藤原朝成|藤原元方|藤原兼通|藤原頼忠|藤原道隆|藤原通兼|藤原公季|藤原顕光|源雅信|源経頼|藤原資房|上達部|日記の家|貞信公記|御堂関白記|小右記|権記|左経記|春記|水左記)|地方政治(国司交替の制|国司の赴任|目代|留守所|在庁官人|国例|三日厨|坂迎え|受領|任用国司|家司受領|国雑掌|任符|刀禰|諸国申請雑事|郡老|勘合|勘出|国充|国司苛政上訴|尾張国郡司百姓等解|馬の党|親王任国|大介|時範記|藤原元命|藤原陣忠|藤原保昌|中原師遠|小野五倫)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 摂関政治
271. 永原 慶二 荘園を見る目|荘園の発生(初期の荘園|律令体制の転換|
藤原道長
の時代と荘園|官物は国へ、雑役は領主へ|荘園整理の反復)|荘園制の成立(武士と開発領主|「寄進」の展開とその正体|公領の変貌|「家」と「家産」の成立|荘園公領を貫く「職」の秩序|荘務権の強化|荘園領主経済の構造)|荘園制の展開(鎌倉幕府と荘園制|荘園に住む人びと|荘園の農業と農民の負担|荘園に根をおろす地頭たち|荘園制の基本的性格と地域性|社会の転換と荘園支配の動揺)|荘園制の解体(「悪党」と「惣百姓」|南北朝内乱と荘園制|請負代官制の展開|荘園市場と港津都市|村落構造の転換と土一揆|大名領国制の展開と荘園制の解体)|私の荘園研究覚書|あとがき
刊行年:1998/08
データ:『荘園』 吉川弘文館
272. 柳 雄太郎|米田 雄介|吉岡 眞之|平林 盛得|宮崎 康充|今江 廣道|飯倉 晴武 延暦四年~延暦十二年(七八五~七九三)長岡京造営と征夷の挫折|延暦十三年~延暦二十四年(七九四~八〇五)造都と征夷の成功-平安遷都|大同元年~弘仁元年(八〇六~八一〇)大同の新政と薬子の変|弘仁二年~弘仁十三年(八一一~八二二)弘仁の治世-唐風文化の興隆|弘仁十四年~天長十年(八二三~八三三)淳和の治世-学芸・文化の時代|承和元年~承和十四年(八三四~八四七)最後の遣唐使と承和の変|嘉祥元年~貞観七年(八四八~八六五)人臣太政大臣の出現|貞観八年~貞観十八年(八六六~八七六)応天門の変-人臣摂政の始まり|元慶元年~寛平二年(八七七~八九〇)陽成廃位と阿衡の紛議|寛平三年~昌泰三年(八九一~九〇〇)寛平の治-菅原道真の登用|延喜元年~延喜十三年(九〇一~九一三)延喜の治-律令制再建の夢|延喜十四年~延長八年(九一四~九三〇)菅公の怨霊-たび重なる不幸|承平元年~天慶八年(九三一~九四五)承平・天慶の大乱起こる|天慶九年~康保三年(九四六~九六六)天暦の治-精彩欠く〝新政〟|康保四年~寛和元年(九六七~九八五)安和の変-藤原一族の内訌|寛和二年~正暦五年(九八六~九九四)兼家の制覇-中関白家の春|長徳元年~寛弘六年(九九五~一〇〇九)道長浮上-皇后定子の悲運|寛弘七年~万寿二年(一〇一〇~一〇二五)望月の世-道長外孫帝の出現|万寿三年~長暦三年(一〇二六~一〇三九)巨星落つ-
藤原道長
の死|長久元年~天喜三年(一〇四〇~一〇五五)末法の世-相次ぐ騒乱火災|天喜四年~治暦三年(一〇五六~一〇六七)前九年の役-源氏の台頭|治暦四年~延久五年(一〇六八~一〇七三)後三条天皇-延久の善政|承保元年~応徳二年(一〇七四~一〇八五)天皇親政と後三年の役|応徳三年~寛治七年(一〇八六~一〇九三)院政-治天の君の登場|嘉保元年~嘉承二年(一〇九四~一一〇七)聖主堀河と賢臣師通|天仁元年~元永二年(一一〇八~一一一九)白河院政の本格化|保安元年~大治四年(一一二〇~一一二九)〝専制主〟白河法皇|大治五年~久安五年(一一三〇~一一四九)鳥羽院政-美福門院の登場|久安六年~久寿元年(一一五〇~一一五四)悪左府頼長-摂関家の分裂|久寿二年~保元三年(一一五五~一一五八)保元の乱-武者の世の始まり|平治元年~仁安元年(一一五九~一一六六)平治の乱-平氏政権への道|仁安二年~承安二年(一一六七~一一七二)平相国-平氏政権の確立|承安三年~治承二年(一一七三~一一七八)鹿ヶ谷事件-反平氏運動|治承三年~養和元年(一一七九~一一八一)治承のクーデター|寿永元年~文治元年(一一八二~一一八五)平家滅亡-源平の合戦
刊行年:1982/07
データ:『読める年表』 2 自由国民社