日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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2621. 田中 史生 時の支配-暦の導入│和田山二三号墳出土刻書須恵器│元岡古墳群G六号墳出土庚寅銘大刀│飛鳥京跡苑池遺構〔第2次〕出土丙寅年木簡│陵山里寺出土「昌土」銘舎利龕│難波宮跡「戊申年」木簡│石神遺跡具注暦木簡(木簡)│発久遺跡月朝干支木簡│元原・桑原遺跡群「大宝元年辛丑」木簡│天平勝宝八歳具注暦(復元複製) 正倉院文書│印の権威│楽浪土
城
出土封泥│志賀島出土「漢委奴国王」金印(複製)│五湖里五号石室墓出土「伏義将軍之印」銅印│令集解巻三四 公式令40天子神璽条│法隆寺献物帳│正倉院古文書正集第二九巻(複製) 天平九年度但馬国正税帳│「山辺郡印」銅印│正倉院古文書正集第六巻(複製)生江臣息嶋解
刊行年:2014/10
データ:『文字がつなぐ-古代の日本列島と朝鮮半島』 国立歴史民俗博物館 解説文(Ⅰ 文字による支配)
2622. 井上 秀雄 古代東アジアの文化交流(歴史研究の目的の変化|文化史研究の新しい視点|古代の韓国・朝鮮文化と日本文化)|開国神話の多様性|祭祀儀礼の受容(高句麗の祭祀儀礼|新羅の律令制と祭祀制度)|仏教受容の諸相(仏教公伝|仏教受容と神観念)|律令体制の形成(新羅律令体制の成立|百済の律令体制への変遷)|文字文化の展開(文字文化での問題点|中国周辺の諸民族と漢字文化|高句麗の文字文化受容の特徴|百済における文字文化の受容|新羅金石文での変容|日本の文字文化の成立|ハングルの成立|漢字文化から民族文字文化へ)|古代東アジアの文字(中国での文字の変化|韓国・朝鮮での文字の変化)|古代日本の金石文|古代朝鮮の金石文(中国金石文の特徴|高句麗広開土王碑文の意義|五~六世紀の主要な金石文|統一新羅時代の金石文|高麗・朝鮮時代の金石文|日本金石文との比較)|都
城
の形成(古代中国の
城
郭史|古代朝鮮の
城
郭と都
城
)|
城
郭-村落の構造(古代朝鮮の
城
郭史|日本と朝鮮の
城
郭の比較研究|中世以降の日本の
城
と朝鮮の
城
郭)|日本の天皇像と古代朝鮮の王者像(文化受容と東アジア史|『古事記』・『日本書紀』の構成と史観|『三国史記』・『三国遺事』の構成と史観|祭祀を通じてみた古代朝鮮の王者像|祭祀を通じてみた日本古代の王者像)|本書に関連する主要な自著一覧
刊行年:1993/10
データ:『古代東アジアの文化交流』 溪水社
2623. 池田 末則 総説(地名と風土-はじめに|地名を考える-研究の重要性|地名研究のあゆみ|地名表記の問題|古代地名語の構成|考古・民俗・言語学と地名研究|諸外国の研究事情と地名学の将来|地名研究・保存運動の現状-地名研究の推進と公立地名研究所の設立、改正住居表示法の成立について)|各説(説話地名|芋洗伝説-芋峠・妹山|金鵄伝説-鳥見・外山、付・犬飼伝説|白鳥伝説-琴弾伝説|小長谷山-姨捨山伝説|蟹守伝説-加守(掃守)|小子部伝説-子部|冠辞地名|国号地名|万葉地名|遺跡地名|部制(職業)地名|避諱地名|民俗地名|交通地名-古代・中世の関|仏跡地名|植物地名|田制地名|形状地名|「大和国府」考|「葛
城
長田」考|「丹生」「壬生」考|当麻路・岩屋坂道|追分・沓掛|「垣内」考|『倭名類聚鈔』郡・郷名考|姓氏と地名|「
城
」考-古代宮都名考|葛
城
高宮山寺|戒那山安位寺|「蛇穴」考|「菟田郡家」考|忍海-角刺宮跡考|「豊田」考)|起源論(はじめに|北和|東和|西和|南和)|あとがき
刊行年:1985/11
データ:『奈良県史』 14 名著出版 南都大安寺論叢
2624. 新谷 行 原住民族収奪と天皇制国家(奴隷制としての古代天皇国家|古代における蝦夷とは何か|熊襲・隼人の抵抗とその消長)|阿倍臣比羅夫の北征とユーカラ(天皇族による東北侵略の実態|比羅夫の北略と出羽国|阿倍水軍とユーカラ)|桓武天皇の蝦夷侵略とアテルイの抵抗(天皇国家による北辺経営の本質|アザマロの叛乱とその意味|日本における民族戦争、アテルイの抵抗)|元慶の乱と蝦夷の独立宣言(秋田
城
をめぐる攻防|元慶の乱の意味と蝦夷独立の戦い)|俘囚長安倍氏と平泉藤原氏(「前九年の役」の経緯とその意味|後三年の役とその意味|平泉藤原氏の存立とその意味)|アイヌの自然観と生活(原始共産制としての共同社会|自然とのかかわり|優れた精神文化・ユーカラ)|和人の略奪植民主義とアイヌの抵抗(松前藩の成立とコシャマインの抵抗|シャクシャイン戦争とユーカラ|略奪植民地とクナシリ蜂起|幕府の北辺警衛とアイヌ政策|松浦武四郎のルポルタージュ)|明治天皇国家とアイヌ民族(天皇の絶対主義と蝦夷地の奪取|開拓史のアイヌ政策|旧土人保護法|皇民化教育の強制とアイヌ民族精神)|アイヌ民族の復権と天皇制国家(日本人のアイヌ民族観|北大・林教授の「北海道経済史」批判|アイヌ民族の復権と天皇制国家の滅亡)
刊行年:1977/12
データ:『アイヌ民族と天皇制国家』 三一書房
2625. 藤原 相之助 柳の宿の一夜|奥州杉薬師|束稲山の桜|兄弟の恋争ひ|白拍子の牙鑿|前民部省輔の配所|流人父子の対面|鎮守府将軍|鬼一法眼が事|吉次の行商|吉次の鞍馬詣|四條堀川の討入|宇都宮の活劇|衣川の庵室|女の胸|信夫の使ひ|巣立ちの隼|夏草の香|浅い巧み|その移り香|七夕の夜|大望を前に|紅の涙|中秋の月|懐剣の錆|猫間が淵|青貝の彌藤治|沈み行く身|靺鞨の大酋長|異類との誓約|恋から弓矢|夷軍來る|援軍來る|靺鞨の老巫女|奥の院|田名部の舘|風雲動く|令旨下る|女の髪|懺悔の涙|栗駒の地仙|義経の出陣|平泉評定|宮廷の秘事|内宣下る|平泉の宝引|不慮の内乱|赤稚児の里|風雲益々急|義仲と秀衡|秀衡の意見|義経の静動|逆艪の争ひ|西海の血の浪|月影の明石の浦|腰越の嘆き|堀川の夜討|義経の都落ち|吉野の雪|奥州下り|目に見えぬ暗闘|高舘入り|杜鵑の塚|銀の猫兒|二人の孤児|西行法師|院の下文|秀衡入道卒去|鎌倉の使者|苦肉の経略|宣旨下る|毒計の犠牲|刺客入る|伽羅舘の大激論|頼朝の鬱憤|長部山の狩|田名部落ち|高館攻め|義経の首級|泉の
城
攻め|頼朝の腹|奥州両州の防禦|大木戸の戦ひ|海道口と出羽口|泰衡の敗退|出羽軍の敗北|平泉の兵火|最後の恋|泰衡の最期|河田と由利|秘密の姫宮|残党の蜂起|宇曾利の奥の院|八郎潟の戦|夢の跡
刊行年:1917/09
データ:『平泉情史 藤原秀衡』 仁友社 初出は新聞連載。新聞名未調査
2626. 百瀬 明治 治承四年~寿永元年(一一八〇~一一八二)蜂起する各地の源氏|寿永二年~文治元年(一一八三~一一八五)平氏、西海に滅ぶ|文治二年~建久元年(一一八六~一一九〇)奥州藤原氏の滅亡|建久二年~建久五年(一一九一~一一九四)鎌倉幕府の確立|建久六年~正治二年(一一九五~一二〇〇)建久七年の政変と頼朝の死|建仁元年~元久二年(一二〇一~一二〇五)将軍家をめぐる暗闘|建永元年~建暦二年(一二〇六~一二一二)広まる念仏宗|建保元年~承久二年(一二一三~一二二〇)源氏の正系断絶|承久三年~嘉禄元年(一二二二~一二二五)承久の乱とその余波|嘉禄二年~寛喜三年(一二二六~一二三一)闘う僧徒たち|貞永元年~仁治元年(一二三二~一二四〇)道元と禅の興隆|仁治二年~宝治二年(一二四一~一二四八)名執権の死と鎌倉の動揺|建長元年~文応元年(一二四九~一二六〇)摂家将軍から親王将軍へ|弘長元年~文永九年(一二六一~一二七二)日蓮の苦闘と他国侵逼難|文永十年~建治三年(一二七三~一二七七)蒙古軍大挙来襲す|弘安元年~弘安七年(一二七八~一二八四)国難ふたたび-弘安の役|弘安八年~永仁元年(一二八五~一二九三)霜月騒動と恐怖政治|永仁二年~正安二年(一二九四~一三〇〇)窮乏する御家人|正安三年~延慶三年(一三〇一~一三一〇)得宗専制体制のもとで|応長元年~元応二年(一三一一~一三二〇)文保の和談と後醍醐天皇|元亨元年~元徳元年(一三二一~一三二九)後醍醐親政と正中の変|元徳二年~正慶元年 元弘二年(一三三〇~一三三二)主上御謀反-元弘の乱|正慶二年 元弘三年~建武二年(一三三三~一三三五)公武一統-建武の新政|建武三年 延元元年~暦応二年 延元四年(一三三六~一三三九)南北朝時代の幕開け|暦応三年 興国元年~康永三年 興国五年(一三四〇~一三四四)豪壮・華麗-婆娑羅の時代|貞和四年 興国六年~貞和四年 正平三年(一三四五~一三四八)炎上する吉野行宮|貞和五年 正平四年~文和元年 正平七年(一三四九~一三五二)二つに割れた幕府|文和二年 正平八年~延文二年 正平一二年(一三五三~一三五七)京都をめぐる攻防|延文三年 正平一三年~貞治三年 正平一九年(一三五八~一三六四)尊氏の死と南朝の残映|貞治四年 正平二〇年~応安元年 正平二三年(一三六五~一三六八)幼将軍と名執事|応安二年 正平二四年~康暦元年 天授五年(一三六九~一三七九)康暦の政変-名執事去る|康暦二年 天授六年~至徳元年 元中元年(一三八〇~一三八四)花の御所と相国寺|至徳二年 元中二年~応永四年(一三八五~一三九七)南北朝合一への道|応永五年~応永一二年(一三九八~一四〇五)応永の乱と勘合貿易|応永一三年~応永一七年(一四〇六~一四一〇)野望目前〝日本国王〟の死|応永一八年~応永二四年(一四一一~一四一七)関東の争乱と鎌倉公方|応永二五年~応永三二年(一四一八~一四二五)泰平謳歌-芸能の興隆|応永三三年~永享三年(一四二六~一四三一)蜂起する土一揆の嵐|永享四年~永享一一年(一四三二~一四三九)足利氏内訌-永享の乱|永享一二年~文安五年(一四四〇~一四四八)恐怖政治のツケ-将軍暗殺|宝徳元年~寛正二年(一四四九~一四六一)満
城
の紅緑誰がために肥ゆる|寛正三年~応仁元年(一四六二~一四六七)天下大乱の前夜
刊行年:1982/01
データ:『読める年表』 3 自由国民社
2627. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山
城
国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩
城
荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士