日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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3421. 永原 慶二 荘園を見る目|荘園の発生(初期の荘園|律令体制の転換|藤原道長の時代と荘園|官物は国へ、雑役は領主へ|荘園整理の反復)|荘園制の成立(武士と開発領主|「寄進」の展開とその正体|公領の変貌|「家」と「家産」の成立|荘園公領を貫く「職」の秩序|荘務権の強化|荘園領主経済の構造)|荘園制の展開(
鎌倉
幕府と荘園制|荘園に住む人びと|荘園の農業と農民の負担|荘園に根をおろす地頭たち|荘園制の基本的性格と地域性|社会の転換と荘園支配の動揺)|荘園制の解体(「悪党」と「惣百姓」|南北朝内乱と荘園制|請負代官制の展開|荘園市場と港津都市|村落構造の転換と土一揆|大名領国制の展開と荘園制の解体)|私の荘園研究覚書|あとがき
刊行年:1998/08
データ:『荘園』 吉川弘文館
3422. 梅村 喬 「安堵」研究の前提|「安堵」研究の課題|「所領」成立の意義について|租帳勘会と国司検田-荘園整理令をめぐって|「所職」について-刀祢論から見る|「職」の拡散-郡司をめぐって|所職の形成-「所司」の広がりから|国衙公権と現地所司-別名の形成|郷司・保司・条司について|園司・庄司・杣司について|「領主」の成立と国衙|黒田庄の証判に見る現地所司|「安堵」をめぐる研究の進展と課題|「安堵」研究の現状と課題(承前)|「職」の成立について|使者の派遣と「職」|土地公証と「職」の形成|家司の官制について|家司の展開と「職」-前提的考察|改めて官制補任の構造について|補任史料の分析と分類-「免」について|補任史料の分析と分類(再論)|官と職、および「職」史料の検討|地方行政組織の変容と「職」|在地所司と「職」・安堵|「職」拡大の条件について|「職」成立における下司職について|所領寄進と「職の秩序」成立の契機|再度、官職補任の構造について|全体のまとめに代えて|【付論Ⅰ】土地公証制の変容-三浦家所蔵法隆寺文書を素材として|【付論Ⅱ】平安時代から
鎌倉
時代初期における国務運営-文書形態分析を中心として|《資料》調査文書一覧
刊行年:2009/03
データ:『平安時代における土地公証文書と所領安堵の前提的研究』 (梅村 喬(大阪大学大学院文学研究科))
3423. 小林 洋介 倭の五王論争 五王を結ぶ関係とは|大和国家論争 国家はいかにして形成されたか|任那日本府論争 日本府は実在したか|継体王朝論争 内乱は実在したのか|磐井の乱論争 磐井の乱異視点考察|仏教伝来論争 伝来の年次はいつか|大化の改新論争 改新は本当にあったのか|天皇論争 古代の王権と天皇|壬申の乱論争 乱の直接の原因とは|神仏習合論争 神宮寺と富豪層|古代の遷都論争 平安京までの遷都の理由は|律令国家体制論争 国家の性質とは|富豪層論争 律令国家の変革者|平安京論争 なぜ遷都したのか|遣唐使論争 なぜ派遣されたのか|幼帝論争 幼帝とはなにか|延喜・天暦の治論争 本当に「聖代」だったのか|将門の乱論争 将門の「新皇」宣言と独自国家|平安時代の民衆運動論争 志多羅神運動の示す諸様相|藤原氏他氏排斥論争 安和の変は何のために|国司苛政闘争論争 解任された国司と解文|摂関政治論争 摂関家は権力を独占していたのか|土地の私有と譲状論争 平安時代の私有と村落の様相|田楽と民衆論争 永長大田楽の主体諸階層|荘園公領制論争 成立はいつだろうか|院政論争 院政の実態と主体|平氏政権論争 平清盛はいかにして政権を握ったか|武士論争 その発生と「武」の意味|武士団の棟梁論争 後三年の役と義家の虚像|
鎌倉
幕府成立論争 どのように成立したのか
刊行年:1997/04
データ:別冊歴史読本 22-23 新人物往来社
3424. 網野 善彦|石井 進 通史を書く意味(政治史・社会史|書けなかった「近世・近代」)|なぜ「米」なのか(米の性格と機能を見直す|「稲作文化論」の見直し-「米と日本文化」をめぐって|主食は米か-『斐太後風土記』|班田制への疑問|江戸時代は封建社会か|東と西のちがい|近世社会の理解のしかた)|支配者はなぜ「米」に固執するのか(倭人と米|百万町歩開墾令への疑問|日本人は米食悲願民族か|米へのあこがれはどこから?-律令国家と水田|流通手段から食料へ|西による東の征服)|天皇と「米」(農本主義と天皇制|天皇の二つの顔)|「百姓=農民」は虚像か(どこまでが農業といえるか|女の顔が歴史から消える|壬申戸籍にあらわれる「農」|農産物とは何か|柿・栗・漆の重要性|「農」の概念|女性の力の再評価|今後の課題-「複合生業論」)|倭国から日本へ-国号の問題(「倭人」は朝鮮半島南部にもいた|国家を超えた世界認識|倭国から日本へ-国名の転換|律令国家の成立|倭人・毛人・日本人)|農本主義と重商主義(合議と専制|商業用語は在来語、経済用語は翻訳語|南北朝は貨幣の世界|
鎌倉
新仏教とのかかわり)|差別・被差別はどこからくるか(東と西の差異|被差別部落の起源はどこからか|被差別部落は都市から)|歴史のつくる虚像-まとめ(古代国家の虚像|「北」の重要性|これからの歴史学|明治という国家|選択は一つではなかった|再び国号問題|明治の人々|今に残る江戸の商業語)
刊行年:2000/06
データ:『米・百姓・天皇-日本史の虚像のゆくえ』 大和書房
3425. 藤原 相之助 柳の宿の一夜|奥州杉薬師|束稲山の桜|兄弟の恋争ひ|白拍子の牙鑿|前民部省輔の配所|流人父子の対面|鎮守府将軍|鬼一法眼が事|吉次の行商|吉次の鞍馬詣|四條堀川の討入|宇都宮の活劇|衣川の庵室|女の胸|信夫の使ひ|巣立ちの隼|夏草の香|浅い巧み|その移り香|七夕の夜|大望を前に|紅の涙|中秋の月|懐剣の錆|猫間が淵|青貝の彌藤治|沈み行く身|靺鞨の大酋長|異類との誓約|恋から弓矢|夷軍來る|援軍來る|靺鞨の老巫女|奥の院|田名部の舘|風雲動く|令旨下る|女の髪|懺悔の涙|栗駒の地仙|義経の出陣|平泉評定|宮廷の秘事|内宣下る|平泉の宝引|不慮の内乱|赤稚児の里|風雲益々急|義仲と秀衡|秀衡の意見|義経の静動|逆艪の争ひ|西海の血の浪|月影の明石の浦|腰越の嘆き|堀川の夜討|義経の都落ち|吉野の雪|奥州下り|目に見えぬ暗闘|高舘入り|杜鵑の塚|銀の猫兒|二人の孤児|西行法師|院の下文|秀衡入道卒去|
鎌倉
の使者|苦肉の経略|宣旨下る|毒計の犠牲|刺客入る|伽羅舘の大激論|頼朝の鬱憤|長部山の狩|田名部落ち|高館攻め|義経の首級|泉の城攻め|頼朝の腹|奥州両州の防禦|大木戸の戦ひ|海道口と出羽口|泰衡の敗退|出羽軍の敗北|平泉の兵火|最後の恋|泰衡の最期|河田と由利|秘密の姫宮|残党の蜂起|宇曾利の奥の院|八郎潟の戦|夢の跡
刊行年:1917/09
データ:『平泉情史 藤原秀衡』 仁友社 初出は新聞連載。新聞名未調査
3426. 菱沼 右一 江戸以前の東京と関八州(アイヌ地名|湾の地名|関東平野|東、吾妻|吾妻湾から品川湾|鬼怒と吾妻は山人と海人|坂田の金時|筑波も「紀の国」であった|埼玉、上妻、中妻、下妻|多摩|埼玉、児玉、熊ヶ谷|荒川|利根川|武蔵、相模|愛宕、安高、足立、田子、多古|厚田、安土、安寺|湾頭の大都市とその名|富士、ニシパ、サパ|徳島、厳島|足柄、箱根、丹那|
鎌倉
、江島、小田原|神人化された大山嶽の名|神名と人種及部落民の名|民族名と部落名|信濃、上野、下野、東|二荒、宇都宮|毛野川|常陸、日高見|信濃、千曲、茶臼|信州の発補温泉、志賀高原|伊香保、渋、塩原|富津、布佐|総国、安国|千葉、木更津、犬吠、銚子|品川湾とその周囲|越国|茨城と蛇神|風土記の茨城の里|小原村附近|風土記の茨城解説|水戸の由来|波良伎は蛇か?|伊吹山もイパラキである|県主|国巣の言葉|台、塙、箕ノ輪|出雲|福島|猪苗代湖|長瀞|手代、手代木、田代|鳥海、猿羽根、羽黒|鶴見、鶴巻|北海道から樺太まで|那珂、那賀、奈加、那智)|江戸以前の東京(江戸往古之図|江戸|五大岬|忍ヶ岡、下谷、上野|不忍池|日暮里、根岸|台、高輪、下谷、上野|田端、駒込|神田、根津|妻恋、戸隠|牛込、小石川、小日向|牛込、牛ヶ淵、牛天神|牛天神|音羽|浅草とその周囲|浅草とは、どんな意味か|言問と牛頭、牛御前|品川湾とその周囲|牛頭天王、兜神社、紐神社|牛天神と忍ヶ森|本所、深川、牛島|寄木神社|大森の貝塚 大井|目黒、目白|愛宕、日比谷、宇田川|下田、三田、伊皿子|東閑森と池上|隅田川)|地名の新研究(駒込、丸山、小山、駒ヶ嶽|駒形|荒砥と左澤|倉、鞍、久良、久留|キンジヤマ|鬼倉、佐葉倉、羽黒、小掠、小倉、佐倉、佐羽根倉|早稲田と鶴巻、長谷と鶴ヶ崎|駒込、駒形、小牧、本郷の研究の経路|形と牧|花巻|後閑|生活と信仰と感謝に即した日本の国名|茨城の意義)|北海道樺太地名考(北海道地名|樺太名稱の由来|アニワ灣名稱の由来|樺太の地名)
刊行年:1939/11
データ:『アイヌ語よりみた日本地名新研究-江戸以前の東京』 中央情報社 復刻:第一書房(1982/04)