日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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3541. 伊藤 武士 漆紙が語る秋田の昔.-平安時代の「城」跡から死亡帳など次々発掘
刊行年:1998/11/11
データ:日本経済新聞 日本経済新聞社 死亡人帳
3542. 伊藤 武士 政庁の変遷
刊行年:2002/03
データ:『秋田城跡』 秋田市教育委員会 考察
3543. 伊藤 武士 秋田城跡出土文字資料について
刊行年:2006/11
データ:『第4回東北文字資料研究会資料』 東北芸術工科大学文化財保存修復センター
3544. 伊藤 武士 秋田城跡の調査成果について
刊行年:2011/03
データ:条里制・古代都市研究 26 条里制・古代都市研究会
3545. 伊藤 種秋 本荘市簗採集の鏡について
刊行年:1967/07
データ:秋田考古学 26 秋田考古学協会 資料紹介
3546. 伊藤 徳保 阿仁川流域の中世城館と街道
刊行年:1981/12
データ:出羽路 74 秋田県文化財保護協会
3547. 伊藤 直純 綱要|緒言(所謂前九年の役|所謂後三年の役|往昔の奥羽|合戦絵並に絵詞|静賢法師は明実に合戦絵を描かしむ|土御門帝奥州十二年合戦絵叡覧|玄慧は惟久に合戦絵を描かしむ|後花園帝後三年絵巻叡覧 康富陪覧|静賢玄慧並に惟久|約言|史料を閲する覚悟)|戦争の発端(清原真衡|成衡の結婚|吉彦秀武|清衡家衡は秀武に応ず|藤原清衡と其母|清衡と家衡と胆沢城を襲ふ|清衡と家衡は再び胆沢城を襲ふ|真衡征戦の途に病死す|家衡は清衡の館を襲ひ出羽の沼柵に走る|義家獵に出でゝ要撃せられんとし遂に兵を起して家衡を討ちて克たず|金沢柵の地形並に沿革|家衡は武衡の勧誘に拠り金沢柵に拠る|要旨)|源軍の通路(古への畋獵|秋期に兵を起すは糧食徴収の関係|源軍の通路|吉彦秀武の居所並に通路)|攻防の推定(両軍の兵数|両軍の陣地|当時の武装|武器の種類|源義光の来援|義光吹笙の虚説|義家機略縦横並に攻防両軍の美談|義家京師に入らず二衡の首を棄てゝ大和の壺井に帰へる)|柵軍の敗因(二衡大勢を知らず|二衡の背反|戦の捷敗は危機一髪)|敗後の虚理(清衡は好運児なり|平泉藤原氏百年栄華の基を建つ|平師妙等の乱義親之を夷く)
刊行年:1917/07
データ:『我観後三年役』 保古会 筆名:伊藤 耕餘
3548. 伊東 信雄 樺太に於ける支那式土城
刊行年:1936/01
データ:文化 3-1 東北帝国大学文科会 白主土城
3549. 伊東 信雄 中尊寺大鏡
刊行年:1942/11
データ:仙台郷土研究 12-11 仙台郷土研究会
3550. 伊東 信雄 古代の東北地方
刊行年:1949/07
データ:群山 4-7 東北アララギ会群山発行所
3551. 伊東 信雄 考古学上より見た古代の岩手県
刊行年:1952/03
データ:岩手史学研究 10 新岩手社
3552. 伊東 信雄 岩手の米作起源
刊行年:1953/02/24|03/03
データ:岩手日報 新岩手社 古代東北発掘
3553. 伊東 信雄 各地域の弥生式土器(東北)
刊行年:1955/04
データ:『日本考古学講座』 4 河出書房
3554. 伊東 信雄 東北の奈良朝文化.-宮城県菜切谷廃寺を発掘して
刊行年:1955/05/31
データ:朝日新聞 朝日新聞社 古代東北発掘
3555. 伊東 信雄 東北地方における縄文式土器より弥生式土器への移行
刊行年:1957/04
データ:日本考古学協会彙報別篇 8 日本考古学協会
3556. 伊東 信雄 江上波夫・関野雄・桜井清彦共著『館址-東北地方における集落址の研究-』
刊行年:1958/10
データ:古代学 7-2 古代学協会 書評
3557. 伊東 信雄 緒言|小田郡の産金|黄金山神社境内の遺跡|出土遺物|黄金沢の砂金|考察
刊行年:1960/09
データ:『天平産金遺跡』 涌谷町
3558. 伊東 信雄 田舎館式土器|花山寺跡|樺太の遺跡遺物|喜田貞吉|経の塚古墳|高崎廃寺跡|角塚古墳|天王山遺跡|遠見塚古墳|菜切谷廃寺址|南小泉遺跡|陸奥国分寺址
刊行年:1962/12
データ:『日本考古学辞典』 東京堂出版
3559. 伊東 信雄 旧石器文化|縄文文化|弥生文化|古墳時代
刊行年:1967/10
データ:『会津若松史』 1 会津若松市 原始時代
3560. 伊東 信雄 古代蝦夷とその文化
刊行年:1969/07
データ:みやぎ 4-7 第20回日本図書館大会記念講演要旨