日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
検索式
検索
クリア
表示件数
10
20
30
50
100
ソート
執筆者 (昇順)
執筆者 (降順)
刊行年 (古い順)
刊行年 (新しい順)
検索結果
472件中[421-440]
320
340
360
380
400
420
440
460
421.
喜田
貞吉
神仏の調和に関する余が持論を敷衍して無々庵の異議に答ふ
刊行年:1897/06
データ:仏教 127 仏教学会
422.
喜田
貞吉
遠国浜名湖口の沿革(口絵参照)|浜名湖口の沿革の記事に就て
刊行年:1899/10|12
データ:歴史地理 1-1|3 日本歴史地理研究会
423.
喜田
貞吉
聖徳太子は南岳大師恵思禅師の後身と云ふ事に就て
刊行年:1903/02
データ:歴史地理 5-2 日本歴史地理研究会
424.
喜田
貞吉
所謂推古式とは何ぞや(敢て塚本博士の評言に答ふ)
刊行年:1905/07
データ:歴史地理 7-7 日本歴史地理研究会 法隆寺再建論を強調
425.
喜田
貞吉
所謂法隆寺建築論とは何ぞや(敢て世評に対して辨ず)
刊行年:1905/07
データ:歴史地理 7-7 日本歴史地理研究会 記録を捨てた研究方法を非難
426.
喜田
貞吉
上代帝都の所在に就て(本号挿入歴朝帝都沿革図説明)
刊行年:1907/07
データ:歴史地理 10-1 日本歴史地理学会(編輯)|三省堂書店(発行)
427.
喜田
貞吉
諸国廃置一覧表(巻頭挿入の大宝年間五十八国二島図説明)
刊行年:1907/11
データ:歴史地理 10-5 日本歴史地理学会(編輯)|三省堂書店(発行)
428.
喜田
貞吉
石城石背両国の建置沿革に就きて高橋萬次郎君に答ふ
刊行年:1913/02
データ:史学雑誌 24-2 史学会
429.
喜田
貞吉
坂上田村麻呂は夷人なりとの説.-古系図上の一疑問
刊行年:1913/04
データ:歴史地理 21-4 日本歴史地理学会
430.
喜田
貞吉
神籠石は山城にあらざるべし|神籠石非山城址論補説
刊行年:1913/10
データ:考古学雑誌 4-2 聚精堂
431.
喜田
貞吉
「安倍氏は夷人なり」との事につき斎藤美澄翁の高論に答ふ
刊行年:1913/11
データ:国学院雑誌 19-11 国学院大学
432.
喜田
貞吉
佐伯部は夷人なりとの事に就きて斎藤翁に答ふ
刊行年:1914/04
データ:国学院雑誌 20-4 国学院大学
433.
喜田
貞吉
倭奴国と倭面土国及び倭国とに就いて稲葉君に質す
刊行年:1915/07
データ:考古学雑誌 5-11 聚精堂
434.
喜田
貞吉
梵釈寺と其の寺址参考地(上)|梵釈寺と其寺址参考地(下)
刊行年:1916/04|05
データ:歴史地理 27-4|5 日本歴史地理学会 緒言|草創|沿革|寺址参考地
435.
喜田
貞吉
山海経「南倭・北倭」の読みちがひに就きて
刊行年:1917/11
データ:芸文 8-11
436.
喜田
貞吉
蝦夷名義考(蝦夷考の一)|蝦夷名義考の補考(蝦夷考の二)
刊行年:1918/02|04
データ:歴史地理 31-2|4 日本歴史地理学会 緒言|「蝦夷」はもと「カイ」の名称に充用せし仮字なること|越人及び吉志部とカイ|「えびす」の語義如何|緒言|蝦夷自ら「カイ」と称したりとのこと|カイの意義と其後の転訛|エビスとエゾ|蝦夷とアイヌとの異同について
437.
喜田
貞吉
北陸地方古代民族の消長について(越中氷見郡宇波の洞窟に関聯して)
刊行年:1918/11
データ:歴史地理 32-5 日本歴史地理学会 緒言|出雲民族と高志人|越蝦夷に対する経営|北陸方面における弥生式民族|結論
438.
喜田
貞吉
「日本民族」とは何ぞや.-日本民族の概念を論ず
刊行年:1919/01
データ:民族と歴史 1-1 日本学術普及会
439.
喜田
貞吉
男と子供の少ない戸籍.-其の代り女と老人とが多い
刊行年:1923/03
データ:社会史研究 9-3 日本学術普及会
440.
喜田
貞吉
天坊文学士の摂津三島の条里と藍野陵の研究を紹介す
刊行年:1926/05
データ:歴史地理 47-5 日本歴史地理学会