日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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4481. 阿部 猛 漢音と呉音|やせっぽち|「ころしてやる」|馬のくつ|「防犯カメラ」と「監視カメラ」|幼稚園|ふみちゃん|菊枝ちゃん|メリーさん|騎兵隊の中尉さん|室戸台風|百軒店の映画館|二・二六事件|自転車の練習|ソリ遊び|行人坂|碑文谷公園の亀|少年野球|食パンの予約|油面の道場|銭湯|学芸会|修学旅行|夏休み|仮校舎|高橋正人先生|校庭のイチョウの木|ジェーン海軍年鑑|ニュース映画館|昭和十七年四月十八日|千々和實先生|厚木飛行場|初めての家庭教師|小川まつさん|八幡一郎先生|伊東多三郎先生|梅根 悟先生|
大和
資雄先生|豊田武先生|竹内理三先生|『日本社会史論集』|井出孫六さん|宇都宮徳馬さん|山下正子さん|ご進講|ダンフェル・ロシュローのライオン|パリでスリ|シクラメン|バイエル練習曲
刊行年:2005/06
データ:『歴史を彷徨う-歴史掌篇集(2)-』 日本社会史研究会 雑学 ことばの日本史
4482. 前田 晴人 ヤマト政権「成立時期」論争-奈良盆地に大王を中心とした政権が成立したのはいつか?|神武東征「伝説」論争-神武天皇の日向から
大和
への東征は史実か、虚構か?|「任那日本府」論争-「任那日本府」とはどのような政治機関だったのか?|「神功皇后」論争-神功皇后の諸伝説は史実の反映か否かの史実性を解明する|「七支刀」論争-百済から贈られたと伝わる七支刀の「下賜主体」は誰か?|好太王碑「改竄」論争-酒匂中尉と参謀本部による碑文の改竄は本当にあったのか?|「天皇陵の被葬者」論争-宮内庁によって比定されている天皇陵は本当は誰の墓か?|「ワカタケル」=雄略天皇論争-稲荷山古墳出土鉄剣銘に記された「ワカタケル」の正体は?|「欠史八代」論争-神武天皇以降の八人の天皇の系譜や事蹟は史実か虚構か?|継体天皇「出自」論争-応神天皇の孫皇とされる継体天皇の出自は史実か否か?|
刊行年:2001/01
データ:別冊歴史読本 26-2 新人物往来社 徹底検証 日本古代史「論争」総覧
4483. 瀧音 能之 磐井の乱「反乱・戦争」論争-筑紫君磐井の挙兵は
大和
政権への反抗か全面戦争か?|氏姓制度「実態」論争-氏・姓をめぐる種類・序列・役割は何によって区別されたか?|安閑・宣化朝と欽明朝の「二朝並立」論争-継体天皇の崩後、なぜ後継天皇の「紀年」が錯綜したのか?|古代女帝「即位理由」論争-推古天皇を最初とする「女帝」はどのような事情で誕生したのか?|国造・県主「形態」論争-「国」と「県」はどのような中央地方行政組織だったのか?|蘇我氏「出自」論争-古代最強の勢力を誇った豪族・蘇我氏の謎多き発祥地を検証する|法隆寺「再建・非再建」論争-現在の西院伽藍・法隆寺が「再建」された年代は確定できるか?|部民制「実態」論争-「謎の」職能集団はどのように制度化されたのか?|仏教「崇・排」論争-仏教の受容をめぐる蘇我氏と物部氏の対立は史実なのか?|大化の改新「史実・虚構」論争-「大化の改新はなかった」とする否定論は現在どこまで有効か?
刊行年:2001/01
データ:別冊歴史読本 26-2 新人物往来社 徹底検証 日本古代史「論争」総覧
4484. 直木 孝次郎 歴史叙述の展開|にほんのあけぼの(輝く黒曜石-岩宿文化の発見|大発見の背景|日本文化の夜明け|人骨をもとめて)|縄文時代の生活(縄文土器の起源|山の幸・海の幸|集落と交易)|呪術の世界(呪術の支配する社会|祭りと共同体|縄文時代と農耕)|稲作のはじまり(弥生時代の発見|水稲農業の起源|稲の道)|弥生文化の特色(照葉樹林文化の流れ|コメ作りの技術|鉄器の出現|戦士と工人)|墓と祭りと青銅器(青銅の武器|墓と青銅器|銅鐸のなぞ)|大石の下の金印(倭人の登場|金印の発見|金印論争|倭国の連合)|邪馬台国論争(『魏志』倭人伝|近世以前の邪馬台国論|明治以後の邪馬台国論)|邪馬台国はどこか(九州説・畿内説の問題点|倭人伝の新しいよみかた|続出する新研究)|考古学からみた邪馬台国(鏡からみた邪馬台国|高地性集落と内乱|畿内と北九州の比較)|女王卑弥呼(畿内邪馬台国への道|邪馬台国の政治|階級と国家|東洋史上の邪馬台国)|
大和
政権への道(その後の邪馬台国|銅鐸のゆくえ|古墳の特色|古墳の成立過程)|日本人の起源(日本人種の系統|日本語の成立)
刊行年:1973/10
データ:『日本の歴史』 1 小学館
4485. 直木 孝次郎 天地のはじめと地底の国-イザナキ・イザナミの物語|天の岩屋-ウズメノ命の冒険|八俣の大蛇-スサノオノ命の冒険|因幡の白うさぎ-苦難と戦うオオクニヌシ|国ゆずり-三人めはタケイカズチノ神|高千穂の峰-天くだる神がみ|海の神の宮殿-海幸、山幸と釣り針|戦うイワレビコノ命-苦難の
大和
平定|高佐士野の妻どい-イスケヨリ姫の苦心|はじめて国を治めた天皇-三輪の大神とタケハニヤスヒコ|サホビコの反乱-サホ姫の涙|白鳥になった皇子-ヤマトタケルの歎き|オキナガタラシ姫の冒険-荒波をのり越えて|宇治川の戦い-天皇の位をめぐって|アメノヒボコと赤い玉の女-新羅からきた王子|イズシオトメと藤の花-約束を破るとどうなるか|イワノ姫の愛と怒り-仁徳天皇と后たち|皇子たちの争い-不意打ちとだまし打ち|流された皇子-兄と妹の愛情|三輪川のおとめ-雄略天皇の約束
刊行年:1984/06
データ:『直木孝次郎が語る「古事記物語」』 平凡社
4486. 井上 秀雄 初期の朝鮮(原始社会〈旧石器時代|新石器時代から鉄器時代へ|原始共同体〉|古朝鮮〈〝古朝鮮〟と〝朝鮮〟|檀君神話|箕氏朝鮮|朝鮮民族の起源|衛氏朝鮮〉|漢人支配と自立への道〈衛氏朝鮮の滅亡|漢の郡県支配|後漢の異民族支配と郡県支配の変質〉|高句麗の発展〈遼東太守公孫氏と初期高句麗|後漢王朝の廃滅と偽の進出〉)|原始国家の形成(小国家群-馬韓・弁韓・辰韓〈『魏志』倭人伝|いくつかの疑問|韓族地方の風土|韓族の社会〉|楽浪・帯方二郡の滅亡〈二郡滅亡の経過|二郡滅亡の影響〉|高句麗の南下と広開土王陵碑〈五胡十六国時代と高句麗|広開土王陵碑〉)|三国の興亡(1)(百済と倭〈伯済国と百済建国神話|中国王朝との冊封関係|『宋書』と百済の〝遼西支配〟|国際関係の中の邪馬台国|
大和
朝廷と南朝鮮|『百済本記』『百済記』と任那日本府〉|百済の盛衰〈国家的発展と王位継承|王城の陥落と政治・社会構造|百済再興と新たなる発展|東城王と南方への領土拡大|五世紀東アジアの国際秩序体系|官僚制への移行と東城王の殺害|『百済本記』『日本書紀』による百済と任那|
大和
朝廷と百済|高句麗・百済との抗争〉)|三国の興亡(2)(新羅の台頭〈辰韓の斯盧国と新羅建国神話|斯盧から新羅へ|五世紀の新羅|倭について|智證麻立干の時代|法興王の時代|仏教の伝来|征服王朝の全盛期-真興王と国史の編纂|異斯夫と山城の築城|于老伝説|倭・高句麗との関係|真興王の四碑〉|新羅と百済の文化を訪ねて〈新羅の文化|百済の文化〉)|統一戦争(隋の統一と朝鮮三国〈隋への朝貢と抵抗|仏教の興隆と国史編纂|隋煬帝の高句麗出兵〉|唐と七世紀前半の三国対立〈唐太宗の対外強硬策|泉蓋蘇文のクーデターと高句麗の軍国化|唐の新羅救援と高句麗出兵|新羅の内乱と政治改革〉|新羅の統一戦争と律令体制の成立〈百済・高句麗討滅戦|対唐戦争|地方豪族・下級貴族と律令体制|〝倭〟から〝日本〟へ-国号改正記事について〉)|統一新羅(律令時代〈新羅の統一と兵制の変遷|律令制と官制|地方行政と九州・五京制|律令田制の沿革|恵恭王代の内乱〉|骨品制度の形成〈骨制の成立|元聖王時代|金憲昌の乱|頭品制の成立〉|後三国と新羅の滅亡〈王権の争奪|弓福の活躍と藤原政権の新羅政策|後三国の興亡|古代朝鮮〉)|古代朝鮮史年表|あとがき
刊行年:1972/11
データ:『古代朝鮮』 日本放送出版協会 現代のエスプリ107
4487. 伊藤 直純 綱要|緒言(所謂前九年の役|所謂後三年の役|往昔の奥羽|合戦絵並に絵詞|静賢法師は明実に合戦絵を描かしむ|土御門帝奥州十二年合戦絵叡覧|玄慧は惟久に合戦絵を描かしむ|後花園帝後三年絵巻叡覧 康富陪覧|静賢玄慧並に惟久|約言|史料を閲する覚悟)|戦争の発端(清原真衡|成衡の結婚|吉彦秀武|清衡家衡は秀武に応ず|藤原清衡と其母|清衡と家衡と胆沢城を襲ふ|清衡と家衡は再び胆沢城を襲ふ|真衡征戦の途に病死す|家衡は清衡の館を襲ひ出羽の沼柵に走る|義家獵に出でゝ要撃せられんとし遂に兵を起して家衡を討ちて克たず|金沢柵の地形並に沿革|家衡は武衡の勧誘に拠り金沢柵に拠る|要旨)|源軍の通路(古への畋獵|秋期に兵を起すは糧食徴収の関係|源軍の通路|吉彦秀武の居所並に通路)|攻防の推定(両軍の兵数|両軍の陣地|当時の武装|武器の種類|源義光の来援|義光吹笙の虚説|義家機略縦横並に攻防両軍の美談|義家京師に入らず二衡の首を棄てゝ
大和
の壺井に帰へる)|柵軍の敗因(二衡大勢を知らず|二衡の背反|戦の捷敗は危機一髪)|敗後の虚理(清衡は好運児なり|平泉藤原氏百年栄華の基を建つ|平師妙等の乱義親之を夷く)
刊行年:1917/07
データ:『我観後三年役』 保古会 筆名:伊藤 耕餘
4488. 池田 末則 総説(地名と風土-はじめに|地名を考える-研究の重要性|地名研究のあゆみ|地名表記の問題|古代地名語の構成|考古・民俗・言語学と地名研究|諸外国の研究事情と地名学の将来|地名研究・保存運動の現状-地名研究の推進と公立地名研究所の設立、改正住居表示法の成立について)|各説(説話地名|芋洗伝説-芋峠・妹山|金鵄伝説-鳥見・外山、付・犬飼伝説|白鳥伝説-琴弾伝説|小長谷山-姨捨山伝説|蟹守伝説-加守(掃守)|小子部伝説-子部|冠辞地名|国号地名|万葉地名|遺跡地名|部制(職業)地名|避諱地名|民俗地名|交通地名-古代・中世の関|仏跡地名|植物地名|田制地名|形状地名|「
大和
国府」考|「葛城長田」考|「丹生」「壬生」考|当麻路・岩屋坂道|追分・沓掛|「垣内」考|『倭名類聚鈔』郡・郷名考|姓氏と地名|「城」考-古代宮都名考|葛城高宮山寺|戒那山安位寺|「蛇穴」考|「菟田郡家」考|忍海-角刺宮跡考|「豊田」考)|起源論(はじめに|北和|東和|西和|南和)|あとがき
刊行年:1985/11
データ:『奈良県史』 14 名著出版 南都大安寺論叢
4489. 仁木 聡 『宋書』倭国伝・版本(松江藩官版『南史』)│画文帯四仏四獣鏡│津堂城山古墳出土品│水鳥形埴輪│蓋形埴輪・朝顔形埴輪│円筒埴輪片│日本武尊白鳥陵古墳出土円筒埴輪│(参考)明治5年仁徳天皇陵前方部石棺図│仁徳天皇陵古墳出土品│囲形埴輪と家形埴輪│丹花庵古墳出土品│古曽志大塚1号墳出土品│廟所古墳出土品│観音山1号墳出土品│『村松山内善禅寺墓縁記』(観音山1号墳発掘の様子)│荒神畑古墳出土品│井ノ奥1号墳出土品│清水山1号墳出土品│北光寺古墳出土品│岩屋古墳出土品│打出小槌古墳出土靫形埴輪│塚山古墳出土品│島田1号墳出土人物埴輪│蕃上山古墳出土人物埴輪(男覡)│石見遺跡出土人物埴輪(椅子に座る男)│応神天皇陵古墳と陪冢│墓山古墳と陪冢│中期古墳の階層構成と出雲│国宝 金銅製龍文透彫2号鞍金具(前輪と後輪)│栗塚古墳出土品│西墓山古墳出土品石製模造品斧・鎌│野中古墳出土品│野中古墳出土滑石製臼玉│仁徳天皇陵古墳と陪冢│塚廻古墳出土品│
大和
6号墳出土品│五條猫塚古墳出土品│時塚1号墳出土品│仁徳天皇大仙陵石室出土甲冑図│四方白鉄地金銅張蒙古鉢形眉庇付冑(修理後)│百舌鳥大塚山古墳出土品│三角板革綴衝角付冑│蛇行剣(複製品・現代)│野中古墳出土甲冑類│重要文化財 横矧板鋲留衝角付冑
刊行年:2014/07
データ:『倭の五王と出雲の豪族-ヤマト王権を支えた出雲』 島根県立古代出雲歴史博物館 図版解説(第二章 倭の五王と出雲の豪族)
4490. 小山 靖憲 差図
刊行年:1997/05
データ:『中世荘園絵図大成』 第二部 河出書房新社
4491. 小林 洋介 倭の五王論争 五王を結ぶ関係とは|
大和
国家論争 国家はいかにして形成されたか|任那日本府論争 日本府は実在したか|継体王朝論争 内乱は実在したのか|磐井の乱論争 磐井の乱異視点考察|仏教伝来論争 伝来の年次はいつか|大化の改新論争 改新は本当にあったのか|天皇論争 古代の王権と天皇|壬申の乱論争 乱の直接の原因とは|神仏習合論争 神宮寺と富豪層|古代の遷都論争 平安京までの遷都の理由は|律令国家体制論争 国家の性質とは|富豪層論争 律令国家の変革者|平安京論争 なぜ遷都したのか|遣唐使論争 なぜ派遣されたのか|幼帝論争 幼帝とはなにか|延喜・天暦の治論争 本当に「聖代」だったのか|将門の乱論争 将門の「新皇」宣言と独自国家|平安時代の民衆運動論争 志多羅神運動の示す諸様相|藤原氏他氏排斥論争 安和の変は何のために|国司苛政闘争論争 解任された国司と解文|摂関政治論争 摂関家は権力を独占していたのか|土地の私有と譲状論争 平安時代の私有と村落の様相|田楽と民衆論争 永長大田楽の主体諸階層|荘園公領制論争 成立はいつだろうか|院政論争 院政の実態と主体|平氏政権論争 平清盛はいかにして政権を握ったか|武士論争 その発生と「武」の意味|武士団の棟梁論争 後三年の役と義家の虚像|鎌倉幕府成立論争 どのように成立したのか
刊行年:1997/04
データ:別冊歴史読本 22-23 新人物往来社
4492. - プロローグ(日継知らす可き王無し)|近淡海国自り、上り坐さ令メ-三尾別業(継体天皇の出自と出生地|三尾別業(南市東遺跡|下五反田遺跡)|鴨稲荷山古墳と三尾君)|振媛の桑梓-三國・坂中井・高向(継体大王と越|越前の首長墓(椀貸山古墳|神奈備山古墳)|加賀・若狭の首長墓と継体(二子塚狐山古墳|矢田野エジリ古墳|十善の森古墳))|息長君と近淡海安国造-継体大王と近江(継体大王と坂田(山津照神社古墳)|継体大王と野洲(円山古墳|甲山古墳))|筑紫君と火君-継体朝成立前夜の九州(継体朝成立前夜の九州(岩戸山古墳)|筑紫君磐井(木柑子高塚古墳|複室構造・石屋形・彩色壁画|チブサン古墳|対外交渉の領導|比恵遺跡|鹿部田淵遺跡|双六古墳|吉武S8・9号墳)|火君(国越古墳))|目子媛と尾張連草香-断夫山古墳の時代(継体大王の出現と尾張・東国|継体を支えた尾張の首長たち(味美二子山古墳|断夫山古墳|白鳥古墳|熱田神宮神宝 鉄地金銅張馬具|大須二子山古墳|池下古墳|下原古窯跡|宮ノ脇一一号墳)|継体大王と東国(鶴巻塚古墳|八幡観音塚古墳|埼玉稲荷山古墳|三千塚古墳群出土 人物埴輪 鈴鏡を下げた巫女))|孚弟王、意柴沙加宮に在す時-継体大王の登場(継体大王の
大和
への進出|南山城の首長たち(五ヶ庄二子塚古墳|物集女車塚古墳|井ノ内稲荷塚古墳)|石見型埴輪の世界(石見遺跡|四条古墳群|小立古墳))|エピローグ(三嶋之藍ノ御陵(太田茶臼山古墳|今城塚古墳|新池埴輪製作遺跡|昼神車塚古墳))∥コラム 石見型埴輪について
刊行年:2003/04
データ:『日継知らす可き王無し-継体天皇の出現』 滋賀県立安土城考古博物館
4493. 林 陸朗 序説-『続日本紀』の薨卒伝について|道昭和尚-三蔵法師の弟子|道首名-地方政治家の模範|道慈法師-仏教の巨星|僧玄昉-怨霊に狙われた高僧|行基和尚-菩薩と崇められた高僧|多治比広足-橘奈良麻呂の変に連座した|光明皇后-天平のファーストレディ|巨勢関麻呂-伯父の家を継ぎ公卿になった|紀飯麻呂-参議で病没した仲麻呂派官人|石川年足-墓誌銘が違った高級官人|鑑真和上-苦難を超えて戒律の法を伝えた|藤原弟貞-実は長屋王の子|藤原仲麻呂(恵美押勝)-専制権力とその末路|坂上犬養-武人の家系を誇る|和気王-皇位をうかがったとされる|藤原豊成-藤原南家の総帥|藤原真楯-仲麻呂の乱に功績をあげた高官|百済敬福-百済国王の末裔|上道正道-密告で出世した元舎人|山村王-鈴印の争奪に功績があった|高丘比良麻呂-仲麻呂の陰謀を訴えた大外記|
大和
長岡-祠官出身の法律家|文屋浄三-二世王の賜姓、篤信の仏徒|藤原永手-光仁天皇を推戴した宰相|僧道鏡-果たして皇位を狙ったか|国中公麻呂-東大寺の大仏師|大津大浦-陰陽師の世渡り|藤原蔵下麻呂-仲麻呂追討に適時打を放つ|吉備真備-当代第一の学者・大臣|飯高諸高-清廉貞節な女官と評価される|大伴古慈斐-権力者に嫌われた大伴氏の長老|藤原良継-権力に反抗した人が権力を握った|藤原百川-奈良朝きっての策士という評判|藤原縄麻呂-高野天皇側近の顕官|文屋邑珍-僧形で身の安全をはかった皇孫|石上宅嗣-図書館を創始した文人政治家|大伴伯麻呂-宴飲して談論風発の人|藤原百能-後宮女官の頂点にたった|道嶋嶋足-蝦夷出身の政府高官|藤原田麻呂-恭謙の公卿と称された|藤原魚名-晩年に暗転、配流された大臣|淡海三船-僧俗兼ね備えた文人政治家|大伴家持-万葉の大歌人、後半生の足跡|藤原種継-長岡京造営の犠牲となった寵臣|坂上苅田麻呂-武門の誉れを輝かせた|藤原旅子-早逝した淳和天皇の生母|石川名足-剛直な官人として怖れられた|大中臣清麻呂-国の古老といわれた祠官出身で大臣|藤原是公-桓武の外舅として信任が篤かった|高倉福信-高句麗系渡来人の出世頭|高野新笠-桓武天皇の生母・百済系渡来人|藤原乙牟漏-藤原氏からでた二人めの皇后|佐伯今毛人-東大寺建立の功労者
刊行年:2010/05
データ:『奈良朝人物列伝-『続日本紀』薨卒伝の検討』 思文閣出版
4494. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈
大和
国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士