日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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501.
石野
博信
三世紀の都市・纒向|交通の要衝の地・纒向|纒向の祭祀|纒向から広がってゆく墳墓|纒向は邪馬台国か
刊行年:2008/12
データ:『邪馬台国の候補地-纒向遺跡』 新泉社
502.
石野
博信
|吉田 敦彦|片山 一道∥高橋 徹(司会) 「弥生の再発見 女王・卑弥呼の登場」をめぐって.-考古学・神話学・人類学から
刊行年:2010/04
データ:『弥生興亡 女王・卑弥呼の登場』 文英堂 鼎談
503. 大塚 初重|
石野
博信
(司会)∥石川 日出志|武末 純一|森岡 秀人 弥生時代の暦年代をどう考えるか(新しい弥生時代の年代観|弥生時代の終末)
刊行年:1998/09
データ:『シンポジウム 日本の考古学』 3 学生社
504. 大塚 初重|
石野
博信
(司会)∥石川 日出志|武末 純一|森岡 秀人 弥生時代のはじまりはいつか(田圃と稲作のはじまり|支石墓の人々)
刊行年:1998/09
データ:『シンポジウム 日本の考古学』 3 学生社
505. 森 浩一(司会)∥柳田 康雄|間壁 忠彦|田代 克己|
石野
博信
邪馬台国を掘りあてる.-発掘現場から見た三世紀
刊行年:1975/07
データ:別冊週刊読売 2-6 座談会
506. 小林 達雄 「研究への謙虚な姿勢こそ」
刊行年:2003/05
データ:季刊考古学 別冊11 雄山閣 旧石器時代・縄文時代
507. 泉森 皎 外部施設(埴輪・土器・木製品)
刊行年:1992/04
データ:『古墳時代の研究』 7 雄山閣出版 近畿の古墳文化
508. 天野 哲也 古墳の築かれなかった地域(北海道)
刊行年:1993/02
データ:『古墳時代の研究』 13 雄山閣出版 古代の海洋民 オホーツク人の世界-アイヌ文化をさかのぼる
509. 岩崎 卓也 総論
刊行年:1990/09
データ:『古墳時代の研究』 11 雄山閣出版 東日本の古墳築造のはじまり|古墳築造者をめぐって|古墳の画期をめぐって|東国と前方後円墳
510. 高橋 美久二 交通と運輸
刊行年:1991/09
データ:『古墳時代の研究』 5 雄山閣出版 古代交通の考古地理
511. 和田 萃 日本の神々.-宗教と思想
刊行年:1992/10
データ:『古墳時代の研究』 12 雄山閣出版 日本古代の儀礼と祭祀・信仰 下
512. 大塚 初重|
石野
博信
(司会)∥石川 日出志|武末 純一|森岡 秀人 どんな集落の構造だったか(吉野ケ里遺跡と大塚遺跡と地蔵田遺跡|環濠集落と高地性集落と戦争|首長の居宅はあったか)
刊行年:1998/09
データ:『シンポジウム 日本の考古学』 3 学生社
513. 大塚 初重|
石野
博信
(司会)∥石川 日出志|武末 純一|森岡 秀人 方形区画墓と集団墓・再葬墓とは何か(方形区画墓.-九州と近畿・関東 弥生墳丘墓|集団墓と再葬墓|副葬品をもたない集団墓)
刊行年:1998/09
データ:『シンポジウム 日本の考古学』 3 学生社
514. 大塚 初重|
石野
博信
(司会)∥石川 日出志|武末 純一|森岡 秀人 弥生の祭はどのように行われたか(荒神谷遺跡の語るもの|青銅製祭具の使い方|祭場の復原|加茂岩倉遺跡の発見)
刊行年:1998/09
データ:『シンポジウム 日本の考古学』 3 学生社
515. 大塚 初重|
石野
博信
(司会)∥石川 日出志|武末 純一|森岡 秀人 生産と流通はどう展開したか(水田と稲作|石器の生産と流通|木器の生産と流通|金属器の生産と流通|玉の生産と流通)
刊行年:1998/09
データ:『シンポジウム 日本の考古学』 3 学生社
516. 大塚 初重|
石野
博信
(司会)∥石川 日出志|武末 純一|森岡 秀人 列島内の国々はどのように交流したか(北海道と東国のコメづくり|沖縄のコメづくり|北と南の弥生文化の受け入れ方)
刊行年:1998/09
データ:『シンポジウム 日本の考古学』 3 学生社
517.
石野
博信
弥生誕生 そして邪馬台国(弥生以前-縄文の焼畑農耕|弥生誕生-水稲農耕の始まり|弥生のカミ祭り|弥生中期末(前一世紀~後一世紀)の画期|金印外交、そして文字と鉄|女王・卑弥呼の登場|三世紀の地域王権と交易|二・三世紀の極東アジア状勢と倭)
刊行年:2010/04
データ:『弥生興亡 女王・卑弥呼の登場』 文英堂
518. 大塚 初重|
石野
博信
(司会)∥石川 日出志|武末 純一|森岡 秀人 邪馬台国はどこまでわかったか(金印 外交と交易|邪馬台国の時代a土器の移動b建物の移動c鏡の思想的背景d三世紀の墓|邪馬台国の位置|弥生研究の今後の課題)
刊行年:1998/09
データ:『シンポジウム 日本の考古学』 3 学生社
519. 井上 和人 序説|最近の所説について(『大和国条里復原図 解説』の所説|岩本次郎氏の所説|木全敬蔵氏の所説|『平城京及び大内裏考』にみる大和条里)|条里地割平安時代施行説について(
石野
博信
氏の所説|中井一夫氏の所説|寺沢薫氏の所説|小結)|史料からみた大和統一条里(『興福寺大和国雑役免坪付帳』|『大和国弘福寺牒』|8世紀から10世紀の大和条里史料|『額田寺伽藍并条里図』|小結)|海竜王寺の地割-平城宮周辺地域における先行地割の検証(岩本次郎氏の所説|田村吉永氏の所説|検証-海竜王寺の地割)|斑鳩地域の偏向地割(田村吉永氏の所説|落合重信氏の所説|服部昌之氏の所説|千田稔氏の所説|岩本次郎氏の所説|小結)|代制地割について(岸俊男氏の代制地割説|代制地割説の実証上の問題点|代制地割説批判)|条里重層説について(第一層の検証-播磨国揖保川流域の条里地割|第二層の検証-小林昌二氏の「超一町坪」論をめぐって|摂津国河辺郡南条一・二条について|「超一町坪」の規模をめぐって|大和統一条里の規格|坪区画の規模について|小結)|京東条里の施行時期について|京北条里の施行時期について(平城京右京北辺坊について|修理司について|京北条里と北辺坊|京北条里の施行時期について|小結)|条里地割の施行年代について(岸俊男氏の『大和の古道』|中ツ道と条里地割|古道と条里地割)|結語
刊行年:1994/11
データ:『条里制研究の一視点-奈良盆地における条里地割の施行年代についての再検討-』 静邨詩社(私家版) 古代都城制条里制の実証的研究