日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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541. 飯島 春敬 上古より白鳳までの概観|法隆寺金堂釈迦像光背銘|法隆寺金堂薬師像光背銘|聖徳太子筆 法華経義疏|長屋王発願大般若経(和銅五年)(神亀経)|瑜伽師地論・僧賢證願経(天平二年)|石川年足発願・仏説弥勒上生経|玄昉発願千手千眼陀羅尼経(天平十二年)|阿達磨倶舎論(天平勝宝四年)|増一阿含経科野虫麿写(天平宝字二年)|註妙法蓮華経|過去現在因果経|聖武天皇 封戸勅旨|装手実紙背 韓藍花の短歌|千字文断簡|王羲之書模写|仮名専用文|座右銘及び詩|
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豊足解紙背漢文|食口帳紙背詩文|七夕詩二韻及び詩|古文尚書及び草字彙|孝謙天皇 砂金奉請文|僧正美状(天平宝字六年閏十二月二日)|孝謙天皇詔(天平宝字二年八月一日)|写経生試字|日本国学生護勝書|秦家主啓|市原王書状|校生手実紙面文字弁嫌(天平十八年三月二十三日)|弓削道鏡書状|王勃詩序|鳥毛書屏風銘|玉集
刊行年:1956/02
データ:『定本書道全集』 8 河出書房
542. 莵田 俊彦 上代原史序説(二)(祭政二王|伊勢両宮の主神|大倭国の宗主権)|伊勢斎王(斎王空位時代|斎王代と斎院代|斎王歴朝更立制|物忌の皇女|大斎院選子内親王)|神
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大神主(神国と神
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|大神主歴代系譜|『神記』職制史料|大神主継承次第|上代皇位継承次第)|神二郡司(神国建郡|神郡制史料十箇条|評制史料批判|神
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から神郡司|神二郡成立)|内宮政印(内宮政印銘文|政印の始置|令制上の神宮三印|政印禁制|政印名義説|内宮称号起源|律令制上の神宮)|式年遷宮(式年遷宮立制史料|立制記事史料性)|大同本記(大同解状伝来|偽撰説批判|大同本記と大同式|御気殿本記|多気太神宮寺|神三郡本記|大同本記逸文)
刊行年:1972/11
データ:『日本古代史研究』 2 以学堂 明文社。ただし巻末にはその上に紙が貼られて「以学堂」となっている。背表紙その他は明文社のまま
543. 瀧音 能之 磐井の乱「反乱・戦争」論争-筑紫君磐井の挙兵は大和政権への反抗か全面戦争か?|氏姓制度「実態」論争-氏・姓をめぐる種類・序列・役割は何によって区別されたか?|安閑・宣化朝と欽明朝の「二朝並立」論争-継体天皇の崩後、なぜ後継天皇の「紀年」が錯綜したのか?|古代女帝「即位理由」論争-推古天皇を最初とする「女帝」はどのような事情で誕生したのか?|
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・県主「形態」論争-「国」と「県」はどのような中央地方行政組織だったのか?|蘇我氏「出自」論争-古代最強の勢力を誇った豪族・蘇我氏の謎多き発祥地を検証する|法隆寺「再建・非再建」論争-現在の西院伽藍・法隆寺が「再建」された年代は確定できるか?|部民制「実態」論争-「謎の」職能集団はどのように制度化されたのか?|仏教「崇・排」論争-仏教の受容をめぐる蘇我氏と物部氏の対立は史実なのか?|大化の改新「史実・虚構」論争-「大化の改新はなかった」とする否定論は現在どこまで有効か?
刊行年:2001/01
データ:別冊歴史読本 26-2 新人物往来社 徹底検証 日本古代史「論争」総覧
544. 森 浩一 時間をどう記述したか(『常陸国風土記』の時間記述|天皇の名か、宮の名か?|「元号」の使用はいつからか|『日本書紀』における元号記述)|銅鏡の「年代」をめぐって(「年号」鏡は年代の定点にできるか|「景初三年」銘銅鏡は〝卑弥呼の鏡〟か|銅鏡の銘文に対する心がまえ|神原神社古墳の「景初三年」銘鏡|「景初四年」銘鏡-完全な銘文-の発見|「青龍三年」銘の方格規矩鏡ー舶載か製か|伊都国の方格規矩鏡|「方格規矩鏡」を考える|「青龍三年」の国際情勢)|諸所に刻まれた年号(刀剣に刻まれた年号〈東大寺山古墳の刀の「中平□年」銘/埼玉稲荷山古墳の剣の銘文/江田船山古墳の刀の銘文〉|関東の文字文化-上野三碑の年号と銘文〈那須
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碑の銘文/上野三碑の銘文〉|石上神宮の七支刀の銘文|隅田八幡宮の「癸未年」銘の人物画像鏡〈百済の斯麻王大墓をめぐって/河内での青銅器の製作/銘文は現物に即して読む〉)|「暦」はどのように使われたか(干支の使用|漆紙文書と暦|干支六角柱と菅江真澄〈秋田の埋没建物/記憶のメモ用の干支六角柱〉|「大化」は最初の元号か〈宇治橋建造と「大化二年」/舟橋と山崎橋/上毛野の佐野の舟橋/道登と高句麗の大同江の大橋/再び宇治橋と大化の元号〉)
刊行年:2007/10
データ:『古代史おさらい帖-考古学・古代学課題ノート』 筑摩書房 年代の見方
545. - プロローグ(日継知らす可き王無し)|近淡海国自り、上り坐さ令メ-三尾別業(継体天皇の出自と出生地|三尾別業(南市東遺跡|下五反田遺跡)|鴨稲荷山古墳と三尾君)|振媛の桑梓-三國・坂中井・高向(継体大王と越|越前の首長墓(椀貸山古墳|神奈備山古墳)|加賀・若狭の首長墓と継体(二子塚狐山古墳|矢田野エジリ古墳|十善の森古墳))|息長君と近淡海安
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-継体大王と近江(継体大王と坂田(山津照神社古墳)|継体大王と野洲(円山古墳|甲山古墳))|筑紫君と火君-継体朝成立前夜の九州(継体朝成立前夜の九州(岩戸山古墳)|筑紫君磐井(木柑子高塚古墳|複室構造・石屋形・彩色壁画|チブサン古墳|対外交渉の領導|比恵遺跡|鹿部田淵遺跡|双六古墳|吉武S8・9号墳)|火君(国越古墳))|目子媛と尾張連草香-断夫山古墳の時代(継体大王の出現と尾張・東国|継体を支えた尾張の首長たち(味美二子山古墳|断夫山古墳|白鳥古墳|熱田神宮神宝 鉄地金銅張馬具|大須二子山古墳|池下古墳|下原古窯跡|宮ノ脇一一号墳)|継体大王と東国(鶴巻塚古墳|八幡観音塚古墳|埼玉稲荷山古墳|三千塚古墳群出土 人物埴輪 鈴鏡を下げた巫女))|孚弟王、意柴沙加宮に在す時-継体大王の登場(継体大王の大和への進出|南山城の首長たち(五ヶ庄二子塚古墳|物集女車塚古墳|井ノ内稲荷塚古墳)|石見型埴輪の世界(石見遺跡|四条古墳群|小立古墳))|エピローグ(三嶋之藍ノ御陵(太田茶臼山古墳|今城塚古墳|新池埴輪製作遺跡|昼神車塚古墳))∥コラム 石見型埴輪について
刊行年:2003/04
データ:『日継知らす可き王無し-継体天皇の出現』 滋賀県立安土城考古博物館