日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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61. 安田 元久 中世への序幕|武士階級の成りたち|兵の世界|俘囚の国-前九年・後三年の役|「治天の君」白河法皇|河内源氏と伊勢平氏|武家の棟梁|悪左府と少納言入道|六波羅のさかえ|奥州平泉の王国|白旗・赤旗の争い|
後白河法皇
と源頼朝|東大寺再建|武家政権の苦悩
刊行年:1968/06
データ:『カラー版国民の歴史』 7 文英堂
62. 義江 彰夫 聖徳太子|藤原鎌足|天武天皇 額田王|天武天皇|役行者|聖武天皇|多度大神|最澄|空海|藤原基経|菅原道真|三善清行|宇多天皇|醍醐天皇|紀貫之|平将門|九条師輔|村上天皇|清少納言|紫式部|平兼忠|源信|源頼信|清原武則|源頼義|大江匡房|白河法皇|平清盛|
後白河法皇
刊行年:2005/08
データ:『知っておきたい日本の名言・格言事典』 吉川弘文館 古代
63. 下山 忍 頼政と以仁王、平氏打倒を旗印に挙兵-清盛の強権政治に反発|配流の地「伊豆蛭ヶ小島」での頼朝-僧文覚と知り合う|頼朝挙兵に駆けつけた武士たち-山木兼隆館に夜討ち|海路安房へわたり、進撃を開始する-石橋山の合戦からの再起|鎌倉を拠点とした理由-下総・武蔵など在地武士の力を結集し、鎌倉を拠点とする|義仲、平氏を倶利加羅峠で敗れる-入京の方策|
後白河法皇
を幽閉しクーデターを起こす-統制力を欠いた義仲軍|義経の作戦が帰趨を決した一ノ谷合戦-奇襲「鵯越の坂落とし」
刊行年:2005/01
データ:別冊歴史読本 30-1 新人物往来社 源平合戦の謎
64. 髙橋 昌明 石母田正「鎌倉幕府一国地頭職の成立」『中世の法と国家』東京大学出版会,1960|大森金五郎『武家時代之研究』全3巻,冨山房,1923-37|黒田紘一郎『中世都市京都の研究』校倉書房,1996|黒田俊雄『日本中世の国家と宗教』岩波書店,1975|髙橋昌明『清盛以前』平凡社,1984|髙橋昌明『酒呑童子の誕生』中公新書,1992|髙橋昌明『中世史の理論と方法』校倉書房,1997|髙橋昌明『武士の成立 武士像の創出』|棚橋光男『中世成立期の法と国家』塙書房,1983|棚橋光男『
後白河法皇
』講談社,1995|棚橋光男『古代と中世のはざまで』北國新聞社,1997|戸田芳實「平安初期の国衙と富豪層」『史林』42-2,1959
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
65. 関 幸彦 序 史実の義経・伝説の義経(義経論をめぐって)|伝説は語る(鞍馬山の遮那王|平泉での義経|武の系譜)|源九郎義経・頼朝・鎌倉(黄瀬川の対面|頼朝のけじめ|もう一人の義経、義仲・行家|義経の試金石|東国武士団)|判官義経・後白河院・京都(一ノ谷の合戦|戦さの作法|
後白河法皇
と義経|屋島の合戦|壇ノ浦の決戦|腰越の悲嘆|義経の謀叛)|義顕・秀衡・平泉(その後の義経・静|再び奥州へ|鎌倉と平泉|頼朝の夢|義経の最期)|再び伝説は語る(海を渡る義経|未完の英雄)
刊行年:1990/07
データ:『源義経-伝説に生きる英雄』 清水書院
66. 槇 道雄 千体観音堂造営の成功で殿上人になった忠盛-白河・鳥羽院政期に活躍|清盛が白河法皇の御落胤というのは本当か-氏素性不明な母|「平家にあらざれば人にあらず」とは誰がいったのか-平氏のエリート時忠|清盛が日宋貿易に力を入れた理由-宋銭の輸入で地盤強化|平家繁栄の礎を築いた清盛-朝廷との姻戚関係を強力に推進|厳島神社と平家-平治の乱勝利で参詣|孤立を深めた平氏-短期で築いたもろい主従関係の基盤|鹿ヶ谷の山荘で平氏打倒を謀議-首謀者は斬首|清盛が
後白河法皇
を幽閉し院生一時停止-娘盛子の遺領没収など、朝廷との対立進行|清盛の福原遷都の理由-反平氏勢力の台頭で京に代わる都に|南都炎上はなぜ起きたか-焼き討ちした大将重衡の首は木津川河畔に
刊行年:2005/01
データ:別冊歴史読本 30-1 新人物往来社 清盛と平氏一族の謎