日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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61. 元木 泰雄
秀衡
が実践したパワーバランスの政治学.-源平両氏を翻弄した不動の「中立外交」策
刊行年:1993/07
データ:『歴史群像シリーズ』 34 学習研究社
62. 高橋 富雄 序 北方の王者|藤原氏のおいたち|初代清衡|二代基衡|三代
秀衡
|奥州征伐|平泉文化
刊行年:1958/12
データ:『奥州藤原氏四代』 吉川弘文館
63. 中津 文彦 奥州王国存続の可能性.-
秀衡
がもし死ななかったら藤原政権は延命したか
刊行年:1993/07
データ:『歴史群像シリーズ』 34 学習研究社
64. 工藤 雅樹 平泉の貴賓たち.-地方政権に身を寄せる
刊行年:2008/01/19
データ:岩手日報夕刊 岩手日報社 世界遺産へ向けて 平泉への道48 平泉藤原氏
65. 金野 静一 高まる期待.-
秀衡
挙兵の風評次々と
刊行年:2004/02/26
データ:朝日新聞(岩手版) 朝日新聞社 奥州藤原氏の興亡97 平泉物語-藤原氏四代の盛衰
66. 今 東光 東夷の遠酋|前九年の役|清衡の制覇|中尊寺建立|金色の御堂|基衡の抬頭|左大臣頼長|舎利塚由来|
秀衡
と義経|一字金輪仏
刊行年:1967/03
データ:『平泉中尊寺』 淡交新社
67. 板橋 源 平泉の世紀|平泉藤原氏のなりたち|奥の御館藤原氏の出自|初代清衡|二代基衡|「北方の王者」
秀衡
|悲劇の泰衡|文化遺産
刊行年:1970/12
データ:『北方の王者-平泉藤原氏三代栄耀夢の跡』 秀英出版
68. 入間田 宣夫 北・南の周縁部から見直す中世日本-はじめに|北の平泉(平泉以前|清衡の創業|基衡の事業拡大|
秀衡
の栄華|北方海域の覇権を目指して)
刊行年:2002/08
データ:『日本の中世』 5 中央公論新社
69. 明田 鉄男 清盛をめぐる女人群像|義経をめぐる女性たち|源平合戦と水軍|義経に賭けた
秀衡
と泰衡|弁慶 その虚実
刊行年:1974/10
データ:『人物探訪・日本の歴史』 3 暁教育図書
70. 渡辺 保 黄瀬川宿の対面まで|義仲追討まで|一ノ谷合戦|京都の義経|屋島から壇ノ浦へ|凱旋の後|西国落ち、難船、流離|叡山から奥羽へ|
秀衡
の死と義経の最期
刊行年:1966/05
データ:『源義経』 吉川弘文館
71. 鈴木 尚 藤原四代の遺体∥藤原四代遺体|清衡遺体の全形|清衡の顔|清衡の上腕骨レントゲン写真|基衡遺体(前面と背面)|基衡の顔|基衡の胸部レントゲン写真|基衡遺体(左側面)|
秀衡
遺体(前面)(左側面)(背面)|
秀衡
の顔|
秀衡
腰部のレントゲン写真|伝忠衡の首級|伝忠衡首級のレントゲン写真
刊行年:1959/11
データ:『中尊寺』 朝日新聞社 -∥図版解説
72. 工藤 雅樹 はじめに|国府多賀城|胆沢鎮守府|防御性集落の時代|前九年の合戦|延久の合戦|後三年の合戦|清衡・基衡の時代|
秀衡
の時代|文治五年奥州合戦|平泉藤原氏政権のなりたち|『義経記』と『奥の細道』
刊行年:2005/12
データ:『平泉への道-国府多賀城・胆沢鎮守府・平泉藤原氏-』 雄山閣
73. 緒形 隆司 陸奥・出羽の俘囚たち|清和源氏の系譜|前九年の役|後三年の役|奥州藤原氏初代・清衡|二代・基衡|源氏の凋落|三代・
秀衡
|四代・泰衡
刊行年:1993/06
データ:『源氏と奥州藤原四代の興亡』 光風社出版
74. 藤島 亥治郎 まぼろしの古建築|貴重な四天王寺|四天王寺の発掘|四天王寺の再建|平泉の文化と遺跡|三題
秀衡
の無量光院|二代基衡の毛越寺|基衡夫人の観自在王院|初代清衡の中尊寺|これからの古寺再現
刊行年:1967/07
データ:『古寺再現』 学生社
75. 土橋 治重 初代清衡-仏教文化の粋、中尊寺を建立|二代基衡-その抜群の洞察力|三代
秀衡
-その無限のような包容力|四代泰衡-悲劇に招かれた最後の王者
刊行年:1993/06
データ:『奥州藤原四代記』 PHP研究所
76. 遠山 崇 初代・清衡|金色堂|ミイラ|経蔵|二代・基衡|三代・
秀衡
|四代・泰衡|北条政権|南北朝期|秀吉・家康|伊達統治|明治期|昭和期
刊行年:1993/04
データ:『奥州藤原四代甦る秘宝』 岩手日報社
77. 工藤 雅樹 北の世界の原風景と文化(東北地方の原風景と文化|北海道の原風景とアイヌ文化への道)|律令時代(越後国から出羽国へ|阿倍比羅夫の大航海(一)(二)|大伴益立と大伴家持|蝦夷の墳墓)|安倍氏・清原氏の時代(『陸奥話記』と『奥州後三年記』|鳥海柵と安倍宗任)|平泉藤原氏の時代(中尊寺金色堂|二子合戦|毛越寺の造営|信夫の庄司・佐藤氏|観自在王院|
秀衡
の時代|
秀衡
、白山に仏像を寄進)|辺境地方政権の王・平泉藤原氏(辺境地方政権|平泉辺境地方政権の系譜|平泉藤原氏の遺産)|あとがき
刊行年:2009/06
データ:『平泉藤原氏』 無明舎出版
78. 藤島 亥治郎 藤原三代ものがたり(清衡の追懐|中尊寺の造営|基衡と毛越寺・観自在王院|
秀衡
と伽羅御所・無量光院|平泉の落日)|平泉春秋(出逢い|平泉を測る|無量光院跡を掘る|中尊寺讃衡蔵建立の由来|観自在王院跡を掘る|毛越寺を掘る|中尊寺を掘る|金色堂の修理|国衡・隆衡館跡を掘る|観自在王院の整備|東山園のこと|町の方々と|平泉文化史館のこと|史都平泉)
刊行年:1981/03
データ:『夢のあと-発掘された平泉』 川嶋印刷∥岩手日報社刊行
79. 藤原 相之助 柳の宿の一夜|奥州杉薬師|束稲山の桜|兄弟の恋争ひ|白拍子の牙鑿|前民部省輔の配所|流人父子の対面|鎮守府将軍|鬼一法眼が事|吉次の行商|吉次の鞍馬詣|四條堀川の討入|宇都宮の活劇|衣川の庵室|女の胸|信夫の使ひ|巣立ちの隼|夏草の香|浅い巧み|その移り香|七夕の夜|大望を前に|紅の涙|中秋の月|懐剣の錆|猫間が淵|青貝の彌藤治|沈み行く身|靺鞨の大酋長|異類との誓約|恋から弓矢|夷軍來る|援軍來る|靺鞨の老巫女|奥の院|田名部の舘|風雲動く|令旨下る|女の髪|懺悔の涙|栗駒の地仙|義経の出陣|平泉評定|宮廷の秘事|内宣下る|平泉の宝引|不慮の内乱|赤稚児の里|風雲益々急|義仲と
秀衡
|
秀衡
の意見|義経の静動|逆艪の争ひ|西海の血の浪|月影の明石の浦|腰越の嘆き|堀川の夜討|義経の都落ち|吉野の雪|奥州下り|目に見えぬ暗闘|高舘入り|杜鵑の塚|銀の猫兒|二人の孤児|西行法師|院の下文|
秀衡
入道卒去|鎌倉の使者|苦肉の経略|宣旨下る|毒計の犠牲|刺客入る|伽羅舘の大激論|頼朝の鬱憤|長部山の狩|田名部落ち|高館攻め|義経の首級|泉の城攻め|頼朝の腹|奥州両州の防禦|大木戸の戦ひ|海道口と出羽口|泰衡の敗退|出羽軍の敗北|平泉の兵火|最後の恋|泰衡の最期|河田と由利|秘密の姫宮|残党の蜂起|宇曾利の奥の院|八郎潟の戦|夢の跡
刊行年:1917/09
データ:『平泉情史 藤原
秀衡
』 仁友社 初出は新聞連載。新聞名未調査
80. 板橋 源 中尊寺の魅力-序にかえて|平泉文化研究史の概要-参考文献の紹介をかねて(啓蒙的初期集大成、相原友奈緒の三部作|近代史学的研究|仏教美術、仏教考古学的研究|社会経済史的研究|自然科学的調査研究|発掘調査研究|ハンディな案内書|研究史料)|平泉藤原氏辺境在地勢力のなりたち(安倍氏在地勢力のなりたち|安倍氏勢力の構造|清原氏権力構造の変質|清原氏の没落|藤原清衡の出現)|平泉三代(奥御館の出自|初代清衡|二代基衡|三代
秀衡
|平泉三代の経済基盤)|平泉文化(平泉文化のひろがり|中尊寺|金色堂|経蔵|中尊寺の有形文化財)
刊行年:1959/11
データ:『中尊寺と藤原三代』 東北出版