日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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7441. 百瀬 明治 治承四年~寿永元年(一一八〇~一一八二)蜂起する各地の源
氏
|寿永二年~文治元年(一一八三~一一八五)平
氏
、西海に滅ぶ|文治二年~建久元年(一一八六~一一九〇)奥州藤原
氏
の滅亡|建久二年~建久五年(一一九一~一一九四)鎌倉幕府の確立|建久六年~正治二年(一一九五~一二〇〇)建久七年の政変と頼朝の死|建仁元年~元久二年(一二〇一~一二〇五)将軍家をめぐる暗闘|建永元年~建暦二年(一二〇六~一二一二)広まる念仏宗|建保元年~承久二年(一二一三~一二二〇)源
氏
の正系断絶|承久三年~嘉禄元年(一二二二~一二二五)承久の乱とその余波|嘉禄二年~寛喜三年(一二二六~一二三一)闘う僧徒たち|貞永元年~仁治元年(一二三二~一二四〇)道元と禅の興隆|仁治二年~宝治二年(一二四一~一二四八)名執権の死と鎌倉の動揺|建長元年~文応元年(一二四九~一二六〇)摂家将軍から親王将軍へ|弘長元年~文永九年(一二六一~一二七二)日蓮の苦闘と他国侵逼難|文永十年~建治三年(一二七三~一二七七)蒙古軍大挙来襲す|弘安元年~弘安七年(一二七八~一二八四)国難ふたたび-弘安の役|弘安八年~永仁元年(一二八五~一二九三)霜月騒動と恐怖政治|永仁二年~正安二年(一二九四~一三〇〇)窮乏する御家人|正安三年~延慶三年(一三〇一~一三一〇)得宗専制体制のもとで|応長元年~元応二年(一三一一~一三二〇)文保の和談と後醍醐天皇|元亨元年~元徳元年(一三二一~一三二九)後醍醐親政と正中の変|元徳二年~正慶元年 元弘二年(一三三〇~一三三二)主上御謀反-元弘の乱|正慶二年 元弘三年~建武二年(一三三三~一三三五)公武一統-建武の新政|建武三年 延元元年~暦応二年 延元四年(一三三六~一三三九)南北朝時代の幕開け|暦応三年 興国元年~康永三年 興国五年(一三四〇~一三四四)豪壮・華麗-婆娑羅の時代|貞和四年 興国六年~貞和四年 正平三年(一三四五~一三四八)炎上する吉野行宮|貞和五年 正平四年~文和元年 正平七年(一三四九~一三五二)二つに割れた幕府|文和二年 正平八年~延文二年 正平一二年(一三五三~一三五七)京都をめぐる攻防|延文三年 正平一三年~貞治三年 正平一九年(一三五八~一三六四)尊
氏
の死と南朝の残映|貞治四年 正平二〇年~応安元年 正平二三年(一三六五~一三六八)幼将軍と名執事|応安二年 正平二四年~康暦元年 天授五年(一三六九~一三七九)康暦の政変-名執事去る|康暦二年 天授六年~至徳元年 元中元年(一三八〇~一三八四)花の御所と相国寺|至徳二年 元中二年~応永四年(一三八五~一三九七)南北朝合一への道|応永五年~応永一二年(一三九八~一四〇五)応永の乱と勘合貿易|応永一三年~応永一七年(一四〇六~一四一〇)野望目前〝日本国王〟の死|応永一八年~応永二四年(一四一一~一四一七)関東の争乱と鎌倉公方|応永二五年~応永三二年(一四一八~一四二五)泰平謳歌-芸能の興隆|応永三三年~永享三年(一四二六~一四三一)蜂起する土一揆の嵐|永享四年~永享一一年(一四三二~一四三九)足利
氏
内訌-永享の乱|永享一二年~文安五年(一四四〇~一四四八)恐怖政治のツケ-将軍暗殺|宝徳元年~寛正二年(一四四九~一四六一)満城の紅緑誰がために肥ゆる|寛正三年~応仁元年(一四六二~一四六七)天下大乱の前夜
刊行年:1982/01
データ:『読める年表』 3 自由国民社
7442. 木村 茂光 問題の所在と時代の概観(なぜ「国風文化」なのか?|「国風文化」の時代とは)|中世的在地社会の形成(富豪層の台頭|王朝国家への転換|中世村落への移行|開発の進展と中世村落の形成)|都市平安京の形成(平安京の成立と構造|都市京都へ|都市住民の様相|触穢と怨霊|保刀禰から「町内名士」へ)|9・10世紀の外交と拝外意識の形成(伝統的対外意識の動揺|拝外意識の強化と神国思想|遣唐使の中止と10世紀の対外関係)|「日本」的儀式の形成と文人貴族(文章経国思想の衰退|「日本」的儀式の形成|藤原
氏
と文人貴族|藤原流儀式の成立)|「国風文化」の特質(文人の学問と本朝意識の形成|日本的知識の集成|仮名文学の特徴)|「国風文化」から院政期の文化へ
刊行年:1997/02
データ:『「国風文化」の時代』 青木書店
7443. 川﨑 晃 越中万葉の人名(県犬養宿禰三千代|安努君広島|粟田女王|阿倍朝臣老人|石川朝臣水通|恵行|大嬢|大伴坂上郎女|大伴坂上大嬢|大伴宿禰池主|大伴宿禰書持|大伴宿禰家持|大伴家持が妹|大原真人高安|憶良大夫の男|尾張連少咋|笠朝臣子君|蒲生娘子|河辺朝臣東人|清足姫天皇|久米朝臣継麻呂|久米朝臣広縄|内蔵忌寸縄麻呂|玄勝|元正天皇|河内女王|光明皇后|左夫流|清見|高安倉人種麻呂|高市連黒人|多治比真人土作|多治比部北里|橘宿禰諸兄|田辺史福麻呂|能登臣乙美|秦伊美吉石竹|秦忌寸八千島|土師|土師宿禰道良|藤原朝臣清河|藤原朝臣房前|藤原二郎|藤原皇后|藤原太后|藤原朝臣仲麻呂|平栄|平群
氏
女郎|三形沙弥|三国真人五百国|山上臣|山上臣憶良|山田史君麻呂|留女の女郎)
刊行年:2007/09
データ:『越中万葉百科』 笠間書院
7444. 福山 敏男 平安浄土教の美術(前史(八世紀まで)|恵心僧都の時代とその前後)|藤原摂関家の寺-法成寺と平等院(法成寺|平等院)|院政期京都の寺-白河・鳥羽と法住寺殿(白河・鳥羽の寺|法住寺殿の寺)|平泉の寺-地方への浸透 一(中尊寺|毛越寺|平泉文化圏)|山陰と九州-地方への浸透 二(山陰の寺|九州の寺)|解説(曼荼羅の世界|平安時代の阿弥陀来迎図|鎌倉時代の阿弥陀来迎図|木彫の阿弥陀来迎図|迎講とその面|九、十世紀の藤原
氏
の造寺|十一、十二世紀の定朝系統の仏師|頼通以後の平等院|六勝寺以外の白河の御願寺|京都法金剛院|十一、十二世紀の寺院建築の遺作|平泉の遺跡と建築と仏像|平泉文化圏の寺|国東半島の寺と仏)
刊行年:1964/07
データ:『日本の美術』 9 平凡社
7445. 柳 雄太郎|米田 雄介|吉岡 眞之|平林 盛得|宮崎 康充|今江 廣道|飯倉 晴武 延暦四年~延暦十二年(七八五~七九三)長岡京造営と征夷の挫折|延暦十三年~延暦二十四年(七九四~八〇五)造都と征夷の成功-平安遷都|大同元年~弘仁元年(八〇六~八一〇)大同の新政と薬子の変|弘仁二年~弘仁十三年(八一一~八二二)弘仁の治世-唐風文化の興隆|弘仁十四年~天長十年(八二三~八三三)淳和の治世-学芸・文化の時代|承和元年~承和十四年(八三四~八四七)最後の遣唐使と承和の変|嘉祥元年~貞観七年(八四八~八六五)人臣太政大臣の出現|貞観八年~貞観十八年(八六六~八七六)応天門の変-人臣摂政の始まり|元慶元年~寛平二年(八七七~八九〇)陽成廃位と阿衡の紛議|寛平三年~昌泰三年(八九一~九〇〇)寛平の治-菅原道真の登用|延喜元年~延喜十三年(九〇一~九一三)延喜の治-律令制再建の夢|延喜十四年~延長八年(九一四~九三〇)菅公の怨霊-たび重なる不幸|承平元年~天慶八年(九三一~九四五)承平・天慶の大乱起こる|天慶九年~康保三年(九四六~九六六)天暦の治-精彩欠く〝新政〟|康保四年~寛和元年(九六七~九八五)安和の変-藤原一族の内訌|寛和二年~正暦五年(九八六~九九四)兼家の制覇-中関白家の春|長徳元年~寛弘六年(九九五~一〇〇九)道長浮上-皇后定子の悲運|寛弘七年~万寿二年(一〇一〇~一〇二五)望月の世-道長外孫帝の出現|万寿三年~長暦三年(一〇二六~一〇三九)巨星落つ-藤原道長の死|長久元年~天喜三年(一〇四〇~一〇五五)末法の世-相次ぐ騒乱火災|天喜四年~治暦三年(一〇五六~一〇六七)前九年の役-源
氏
の台頭|治暦四年~延久五年(一〇六八~一〇七三)後三条天皇-延久の善政|承保元年~応徳二年(一〇七四~一〇八五)天皇親政と後三年の役|応徳三年~寛治七年(一〇八六~一〇九三)院政-治天の君の登場|嘉保元年~嘉承二年(一〇九四~一一〇七)聖主堀河と賢臣師通|天仁元年~元永二年(一一〇八~一一一九)白河院政の本格化|保安元年~大治四年(一一二〇~一一二九)〝専制主〟白河法皇|大治五年~久安五年(一一三〇~一一四九)鳥羽院政-美福門院の登場|久安六年~久寿元年(一一五〇~一一五四)悪左府頼長-摂関家の分裂|久寿二年~保元三年(一一五五~一一五八)保元の乱-武者の世の始まり|平治元年~仁安元年(一一五九~一一六六)平治の乱-平
氏
政権への道|仁安二年~承安二年(一一六七~一一七二)平相国-平
氏
政権の確立|承安三年~治承二年(一一七三~一一七八)鹿ヶ谷事件-反平
氏
運動|治承三年~養和元年(一一七九~一一八一)治承のクーデター|寿永元年~文治元年(一一八二~一一八五)平家滅亡-源平の合戦
刊行年:1982/07
データ:『読める年表』 2 自由国民社
7446. 松尾 光 持統九年~文武四年(六九五~七〇〇)文武即位と藤原
氏
の台頭|大宝元年~慶雲元年(七〇一~七〇四)律令体制の完成|慶雲二年~和銅二年(七〇五~七〇九)新体制の試練-慶雲の改革|和銅三年~霊亀二年(七一〇~七一六)大都城への憬れ-平城遷都|養老元年~養老四年(七一七~七二〇)『日本書紀』の編修|養老五年~神亀二年(七二一~七二五)三世一身の法|神亀三年~神亀五年(七二六~七二八)行基の衆生教化と社会事業|天平元年~天平九年(七二九~七三七)長屋王の変-藤原兄弟の陰謀|天平一〇年~天平一二年(七三八~七四〇)藤原広嗣の乱|天平一三年~天平一七年(七四一~七四五)国分寺建立と聖武の彷徨
刊行年:1982/12
データ:『読める年表』 1 自由国民社
7447. 黛 弘道 古代史の争点(①稲荷山古墳出土の鉄剣銘|②獲加多支大王は欽明天皇か|③鉄剣銘に見える「斯鬼宮」について|④太安万侶の勲五等について|⑤太安万侶の没年月日について|⑥太安万侶の墓誌と続紀の日付|⑦官位と勲位について-林陸朗
氏
の批判に答えて|⑧高皇産霊尊と藤原不比等|⑨「マヘツキミ」について|⑩獲加多支大王は欽明天皇か|⑪鉄剣銘に見える「杖刀人」について|⑫武烈天皇は雄略天皇の子・孫か|⑬大津皇子の謀反について|⑭大田田根子の名義について|⑮「古事記序文」の署名について|⑯内臣の訓みについて|⑰大仏造立事業の主導者は誰か|⑱天武紀(下)の史料批判|⑲仏教公伝の年時について|⑳同(2)|21大内陵の位置について|22周防国の郷名について|23石門別神社について|24邪馬台国の位置について
刊行年:1979/01-1980/12
データ:歴史手帖 7-1~8-12 名著出版
7448. 堤 紫海 東方への志向(東国平定|陸奥への関門|越の柵|蝦夷征伐|東方への希求|壬申の乱|白鳳時代開く|炎と花)|国生の苦しみ(山河無情|苦患の国土|陸奥開発始まる|黄金出土|宮廷乱脈|家持擾乱|天平の嵐|天平の破局|陸奥の反乱|輪奐の美|平城京離脱)|謎深い異境の国(平安京遷都|田村麻呂征夷|鎮守府北進|波乱の平安京|征夷中断|多賀城碑の謎|幻の壺碑|辺境の異国情緒)|楽土建設の夢(「つはもの」時代|東西の異端児|戦雲渦巻く|一族の戦乱|武蔵国への志向|関八州を制圧|将門の最期|天慶の顛末)|悲劇の武将たち(栄華の陰に|幻の美女|源平の地盤交代|黄金の酋長|前九年の役|頼義の開運|安倍一族の最期|不遇の将軍|後三年の役|戦火出羽へ|清原
氏
滅ぶ|源
氏
武士の発祥)|黄金文化の跡(清衡の奥羽経略|中尊寺の謎|壮麗な伽藍建設|藤原三代の軌跡|奥州平定|終章 民族の悲願・東北開発)
刊行年:1979/04
データ:『陸奥への道-歴史散歩』 文化総合出版
7449. 林 陸朗 序説-『続日本紀』の薨卒伝について|道昭和尚-三蔵法師の弟子|道首名-地方政治家の模範|道慈法師-仏教の巨星|僧玄昉-怨霊に狙われた高僧|行基和尚-菩薩と崇められた高僧|多治比広足-橘奈良麻呂の変に連座した|光明皇后-天平のファーストレディ|巨勢関麻呂-伯父の家を継ぎ公卿になった|紀飯麻呂-参議で病没した仲麻呂派官人|石川年足-墓誌銘が違った高級官人|鑑真和上-苦難を超えて戒律の法を伝えた|藤原弟貞-実は長屋王の子|藤原仲麻呂(恵美押勝)-専制権力とその末路|坂上犬養-武人の家系を誇る|和気王-皇位をうかがったとされる|藤原豊成-藤原南家の総帥|藤原真楯-仲麻呂の乱に功績をあげた高官|百済敬福-百済国王の末裔|上道正道-密告で出世した元舎人|山村王-鈴印の争奪に功績があった|高丘比良麻呂-仲麻呂の陰謀を訴えた大外記|大和長岡-祠官出身の法律家|文屋浄三-二世王の賜姓、篤信の仏徒|藤原永手-光仁天皇を推戴した宰相|僧道鏡-果たして皇位を狙ったか|国中公麻呂-東大寺の大仏師|大津大浦-陰陽師の世渡り|藤原蔵下麻呂-仲麻呂追討に適時打を放つ|吉備真備-当代第一の学者・大臣|飯高諸高-清廉貞節な女官と評価される|大伴古慈斐-権力者に嫌われた大伴
氏
の長老|藤原良継-権力に反抗した人が権力を握った|藤原百川-奈良朝きっての策士という評判|藤原縄麻呂-高野天皇側近の顕官|文屋邑珍-僧形で身の安全をはかった皇孫|石上宅嗣-図書館を創始した文人政治家|大伴伯麻呂-宴飲して談論風発の人|藤原百能-後宮女官の頂点にたった|道嶋嶋足-蝦夷出身の政府高官|藤原田麻呂-恭謙の公卿と称された|藤原魚名-晩年に暗転、配流された大臣|淡海三船-僧俗兼ね備えた文人政治家|大伴家持-万葉の大歌人、後半生の足跡|藤原種継-長岡京造営の犠牲となった寵臣|坂上苅田麻呂-武門の誉れを輝かせた|藤原旅子-早逝した淳和天皇の生母|石川名足-剛直な官人として怖れられた|大中臣清麻呂-国の古老といわれた祠官出身で大臣|藤原是公-桓武の外舅として信任が篤かった|高倉福信-高句麗系渡来人の出世頭|高野新笠-桓武天皇の生母・百済系渡来人|藤原乙牟漏-藤原
氏
からでた二人めの皇后|佐伯今毛人-東大寺建立の功労者
刊行年:2010/05
データ:『奈良朝人物列伝-『続日本紀』薨卒伝の検討』 思文閣出版
7450. 伊藤 直純 綱要|緒言(所謂前九年の役|所謂後三年の役|往昔の奥羽|合戦絵並に絵詞|静賢法師は明実に合戦絵を描かしむ|土御門帝奥州十二年合戦絵叡覧|玄慧は惟久に合戦絵を描かしむ|後花園帝後三年絵巻叡覧 康富陪覧|静賢玄慧並に惟久|約言|史料を閲する覚悟)|戦争の発端(清原真衡|成衡の結婚|吉彦秀武|清衡家衡は秀武に応ず|藤原清衡と其母|清衡と家衡と胆沢城を襲ふ|清衡と家衡は再び胆沢城を襲ふ|真衡征戦の途に病死す|家衡は清衡の館を襲ひ出羽の沼柵に走る|義家獵に出でゝ要撃せられんとし遂に兵を起して家衡を討ちて克たず|金沢柵の地形並に沿革|家衡は武衡の勧誘に拠り金沢柵に拠る|要旨)|源軍の通路(古への畋獵|秋期に兵を起すは糧食徴収の関係|源軍の通路|吉彦秀武の居所並に通路)|攻防の推定(両軍の兵数|両軍の陣地|当時の武装|武器の種類|源義光の来援|義光吹笙の虚説|義家機略縦横並に攻防両軍の美談|義家京師に入らず二衡の首を棄てゝ大和の壺井に帰へる)|柵軍の敗因(二衡大勢を知らず|二衡の背反|戦の捷敗は危機一髪)|敗後の虚理(清衡は好運児なり|平泉藤原
氏
百年栄華の基を建つ|平師妙等の乱義親之を夷く)
刊行年:1917/07
データ:『我観後三年役』 保古会 筆名:伊藤 耕餘
7451. 市 大樹 ヒトの支配-戸籍の導入│『日本書紀』第一九 欽明天皇三〇年条│石神遺跡「乙丑年」木簡(複製)│船
氏
王後墓誌(複製)│国分松本遺跡戸口変動木簡│国分松本遺跡「竺志前剋嶋評」目録板木簡(複製)│正倉院古文書正集第三八巻(複製) 大宝二年筑前国嶋郡川辺里戸籍│続修正倉院古文書第四巻(複製) 大宝二年御野国味蜂間部春部里戸籍│正倉院古文書正集第二六巻(複製) 陸奥国戸口損益帳│秋田城跡出土出羽国死亡帳漆紙文書│藤原京右京七条一坊西北坪「百済手人」木簡│生産と貢納│飛鳥池遺跡南地区「官大夫前白」木簡│飛鳥池遺跡南地区「佐備」木簡│飛鳥池遺跡南地区「詔」木簡(複製)│飛鳥池遺跡南地区「大伯皇子宮」木簡(複製)│飛鳥池遺跡南地区「穂積皇子」木簡│飛鳥池遺跡南地区「舎人皇子」木簡(複製)│「様」とそれを手本にして作られた鉄製品│飛鳥池遺跡南地区「石川宮鉄」木簡│飛鳥池遺跡南地区「賀賜評塞課部」木簡│飛鳥池遺跡南地区「湯評伊皮田人葛木部鳥」木簡│平城宮跡「勅旨紙」木簡│続々修正倉院古文書第五帙第九 裏(複製)│石神遺跡出土「三野国加」刻書須恵器│石神遺跡出土「三野国加々牟評」刻書須恵器│藤原京出土「大島評」刻書須恵器│平城宮跡出土「斯野伎」刻書須恵器│平城宮跡出土「□野伎五十戸」刻書須恵器
刊行年:2014/10
データ:『文字がつなぐ-古代の日本列島と朝鮮半島』 国立歴史民俗博物館 解説文(Ⅰ 文字による支配)
7452. 古川 元也 青岸渡寺御正体(松喰鶴文・線刻千手観音)|新宮寺一切経|新宮寺大般若波羅蜜多経 巻四七三|新宮社沙弥圓和沙汰状(文治五年十月十二日)・石橋棟義願文(永徳四年五月十九日)|吉良貞家寄進状(文和二年四月九日)|新宮社吉良貞経寄進状(文和二年七月十五日)・平泰経寄進状(暦応四年十二月十九日)|経筒|熊野本宮大社越後国諸郡檀那願文帳(建徳三年五月二十八日)|熊野神社牛玉宝印版木(応永二年四月開版・応永三年)|西光寺持蓮華|清浄光寺安食問答|鉦架支板|称名寺金沢貞顕自筆書状・
氏
名未詳書状・静恵書状(紙背)・
氏
名未詳書状(「横帳四」紙背)|称名寺熊野三所御正躰釈為除病・熊野三身・熊野十二所権現御正躰釈・熊野権現口決雑記私・熊野山参詣作法・熊野山祓殿阿弥陀寺勧進状|称名寺加賀国軽海郷年貢済物結解帳・上総国周東郡内称名寺領年貢請文(元徳三年三月十三日)・上総国周東郡波多沢村年貢注進状(応安四年九月十日)|称名寺武蔵国品河湊船帳(明徳三年八月)|天妙国寺鎌倉公方足利成
氏
判物(至徳二年十一月十四日)|熊野本宮大社諸国檀那願文帳(正平十八年□月十六日・貞治六年三月二日)・上野国沼田荘檀那願文(正平二年二月四日)・常陸国真壁郡檀那願文(応安四年十一月二十一日)・鎌倉六浦出羽房請文(明徳四年三月二日)|熊野本宮大社『能里帳』上(上野国高山荘檀那願文(建徳二年一月二十四日)・上野国長野常陸寺住人願文(明徳三年十一月二十六日))|『神道集』|覚園寺文書|大川戸熊野神社文書|神武寺千手観音菩薩像|師岡熊野神社縁起書(貞治三年五月)
刊行年:2005/10
データ:『聖地への憧れ-中世東国の熊野信仰』 神奈川県立歴史博物館 列品解説
7453. 大和 岩雄 天武天皇の年齢はなぜ不明なのか-天武の年齢を記さない理由に秘められたいくつかの謎|天武紀の真人賜姓は天智の弟を否定する-天武の父の血統がまったく「真人」賜姓に載っていなのはなぜか|中大兄の「中」は同母兄弟の二男を示す-中大兄の同母兄の漢皇子と大海人皇子は同一人物である|天武は天智の娘を四人もなぜ妃にしたか-「弟」が「兄」の皇女を四人も妃にしている事実が示す真相|中大兄はなぜ異例の長期間皇太子か-中大兄の巨大化は大海人像の矮小化が生んだ創作|天智紀以前の大海人の行動はなぜ不記載か-「虎」と呼ばれた大海人の活動を消す必要があった理由|乙巳の変の一因としての対外関係-対新羅・百済関係によって起きた乙巳の変の真相|『日本書記』の成立と「聖徳太子」と不比等-大山誠一の聖徳太子否定説に立つ『記』『紀』成立論批判|たった四年間の天皇の天智の虚像-四年間を十年間の統治に仕立てた意図と虚像化の真相|天武が漢皇子である事を示す国際関係-天武天皇の親新羅政策に秘められた出自|『日本書紀』藤原不比等関与説をめぐって-『紀』最終成立時の工作記事と『紀』各巻の成立時期の検証|『日本書紀』二段階成立論の根拠-『日本書紀』の反新羅記事と百済系史官関与の問題|『日本書紀』二段階成立の具体的事例-なぜ二段階成立なのか、その理由を具体例で示す|『日本書紀』の「日本」国号と『古事記』-「日本」国号の成立時期と『古事記』に『日本』表記がない理由|古代の皇位継承と持統・文武・元明朝-「大海人」と「漢」の二皇子に分けられた理由の検証|大海人皇子の長槍騒動と「鎌足伝」-『藤
氏
家伝』の「鎌足伝」から見えてくる『日本書紀』の成立|天武・天智の兄弟関係を疑う諸説-天武・天智異父説・異父兄弟説・異母兄弟説について|私説批判の論者たちへの-「正史」という美名に隠された私的意図を知るべきある|「正史」と称する書に潜む主観的意図-『続日本紀』の『日本紀』成立記事から読みとる成立事情
刊行年:2010/12
データ:『日本書紀成立考-天武・天智異父兄弟考』 大和書房