日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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81. 小林 昌二 「御田の阿櫻夫」九五一人.-北陸最北辺の
越後国
古代荘園木簡の出土
刊行年:1999/11
データ:日本歴史 618 吉川弘文館 史料散歩 榎井A遺跡
82. 藤巻 正信 【福井・石川・富山・新潟】若狭国・越前国・加賀国・能登国・越中国・
越後国
・佐渡国
刊行年:2004/05/15
データ:『シンポジウム 古代の祈り 人面墨書土器からみた東国の祭祀』 盤古堂 東国人面墨書土器集成(神奈川地域史研究会|盤古堂付属考古学研究所編)
83. 平川 南 古代
越後国
の磐船郡と沼垂郡.-新潟県中条町屋敷遺跡出土木簡から発して
刊行年:2004/10
データ:『越後佐渡の古代ロマン-行き交う人々の姿を求めて-』新潟県立歴史博物館平成一六年度秋季企画展 新潟県立歴史博物館 論説 古代の越後と佐渡(環日本海歴史民俗学叢書12,小林 昌二編,高志書院,2005/03)|律令国郡里制の実像 上
84. 森田 真一 尻高左京亮についての覚書.-関東管領上杉顕定と
越後国
上田荘との関わりをめぐって
刊行年:2004/03
データ:群馬県埋蔵文化財調査事業団研究紀要 22 群馬県埋蔵文化財調査事業団
85. 水澤 幸一 中世貿易陶磁の物量比較にみる地域性(予察).-
越後国
奥山荘政所条遺跡群の位置付けのための基礎作業
刊行年:2000/
データ:新潟考古学談話会会報 21 新潟考古学談話会 日本海流通の考古学-中世武士団の消費生活
86. 丸山 仁
越後国
における王家領庄園の形成.-金剛心院領小泉荘と金剛勝院領加地荘
刊行年:2000/10
データ:新潟史学 45 新潟史学会 院政期の王家と御願寺-造営事業と社会変動
87. 関根 章義 古代
越後国
における大戸窯産須恵器の分布.-リング状凸帯付長頸瓶を中心に
刊行年:2008/11
データ:『白門考古論叢』 Ⅱ 中央考古会|中央大学考古学研究会
88. 聖心女子大学文学部中世史ゼミ,かみくひむしの会
越後国
上田庄と上田衆.-第一次調査報告
刊行年:1970/12
データ:新潟史学 3 新潟史学会
89. 平川 南 新潟県村上市西部遺跡出土の漆紙文書
刊行年:2010/12
データ:『西部遺跡』新潟県埋蔵文化財調査報告書第206集 新潟県教育委員会|新潟県埋蔵文化財調査事業団 律令国郡里制の実像 上
90. 青山 宏夫 四至示と絵図(備中国足守荘絵図)|相論と絵図(
越後国
奥山荘波月条近傍絵図|
越後国
荒河保上土河・奥山荘桑柄堺相論和与絵図)|荘園絵図関係文献目録
刊行年:1997/05
データ:『中世荘園絵図大成』 第一部 河出書房新社
91. 大石 直正 平安時代荘園の労働力編成-
越後国
石井荘の兼算と得延|辺境の村の開発-陸奥国骨寺村と自在房蓮光
刊行年:1990/01
データ:『人物でたどる日本荘園史』 東京堂出版
92. 遠藤 廣昭 武蔵武士団と平子氏の系譜|源頼朝と平子有長|周防国仁保荘と平子氏|武蔵国平子郷と平子氏|
越後国
と平子氏
刊行年:2003/10
データ:『鎌倉御家人 平子氏の西遷・北遷』 横浜市歴史博物館
93. 竹内 理三編 陸奥国・出羽国荘園分布図|下野国荘園分布図|越前国荘園分布図|
越後国
・佐渡国荘園分布図
刊行年:1963/04
データ:九州史学 22・23 九州大学国史学研究会 荘園分布図 上巻
94. 八幡 義信 十一世紀中葉に於ける寺院政所の遠隔地荘園支配と労働力編制.-東大寺領
越後国
石井庄司兼算を事例として
刊行年:1967/03
データ:政治経済史学 50 政治経済史学会
95. 奥野 中彦 市図|東大寺領阿波国名方郡新嶋荘田地図|金勝寺四至図|山城国神護寺領高雄山絵図|大隅やさ入道・同妻西面売田図|神尾一切経蔵領図|備前国上道郡荒野荘領地図|平安京図|
越後国
居多神社四至絵図|陸中骨寺古図(その一)|談山神社領大和国百済荘差図|鳥羽造道及朱雀川絵図|天龍寺図(応永鈞命図)|美濃国愚渓寺図|神泉薗指図|乙訓郡内条里図
刊行年:1976/04
データ:『日本荘園絵図集成』 上 東京堂出版
96. 工藤 敬一 はじめに|概観|生江臣東人-初期荘園と地方豪族|大法師兼算と古志得延-
越後国
石井荘の荘司と田堵|「南京一の悪僧」覚仁-伊賀国東大寺領の完成者|橘兼隆と太田光家-開発領主と寄進地系荘園の成立|太良荘の定宴と歓心-荘経営者と百姓|太良荘の公文・名主、禅勝と実円-転換期の中間層|菅浦の乙名清九郎-惣の救世主|悲劇の代官祐清-新見荘の直務代官|「家門御下向」-日根荘の九条政基|参考文献-さらにすすんで考えてみたい人々のために
刊行年:1978/11
データ:『荘園の人々』 教育社
97. 工藤 雅樹 北の世界の原風景と文化(東北地方の原風景と文化|北海道の原風景とアイヌ文化への道)|律令時代(
越後国
から出羽国へ|阿倍比羅夫の大航海(一)(二)|大伴益立と大伴家持|蝦夷の墳墓)|安倍氏・清原氏の時代(『陸奥話記』と『奥州後三年記』|鳥海柵と安倍宗任)|平泉藤原氏の時代(中尊寺金色堂|二子合戦|毛越寺の造営|信夫の庄司・佐藤氏|観自在王院|秀衡の時代|秀衡、白山に仏像を寄進)|辺境地方政権の王・平泉藤原氏(辺境地方政権|平泉辺境地方政権の系譜|平泉藤原氏の遺産)|あとがき
刊行年:2009/06
データ:『平泉藤原氏』 無明舎出版
98. 古川 元也 青岸渡寺御正体(松喰鶴文・線刻千手観音)|新宮寺一切経|新宮寺大般若波羅蜜多経 巻四七三|新宮社沙弥圓和沙汰状(文治五年十月十二日)・石橋棟義願文(永徳四年五月十九日)|吉良貞家寄進状(文和二年四月九日)|新宮社吉良貞経寄進状(文和二年七月十五日)・平泰経寄進状(暦応四年十二月十九日)|経筒|熊野本宮大社
越後国
諸郡檀那願文帳(建徳三年五月二十八日)|熊野神社牛玉宝印版木(応永二年四月開版・応永三年)|西光寺持蓮華|清浄光寺安食問答|鉦架支板|称名寺金沢貞顕自筆書状・氏名未詳書状・静恵書状(紙背)・氏名未詳書状(「横帳四」紙背)|称名寺熊野三所御正躰釈為除病・熊野三身・熊野十二所権現御正躰釈・熊野権現口決雑記私・熊野山参詣作法・熊野山祓殿阿弥陀寺勧進状|称名寺加賀国軽海郷年貢済物結解帳・上総国周東郡内称名寺領年貢請文(元徳三年三月十三日)・上総国周東郡波多沢村年貢注進状(応安四年九月十日)|称名寺武蔵国品河湊船帳(明徳三年八月)|天妙国寺鎌倉公方足利成氏判物(至徳二年十一月十四日)|熊野本宮大社諸国檀那願文帳(正平十八年□月十六日・貞治六年三月二日)・上野国沼田荘檀那願文(正平二年二月四日)・常陸国真壁郡檀那願文(応安四年十一月二十一日)・鎌倉六浦出羽房請文(明徳四年三月二日)|熊野本宮大社『能里帳』上(上野国高山荘檀那願文(建徳二年一月二十四日)・上野国長野常陸寺住人願文(明徳三年十一月二十六日))|『神道集』|覚園寺文書|大川戸熊野神社文書|神武寺千手観音菩薩像|師岡熊野神社縁起書(貞治三年五月)
刊行年:2005/10
データ:『聖地への憧れ-中世東国の熊野信仰』 神奈川県立歴史博物館 列品解説
99. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈
越後国
〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士