日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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901. 牛山 佳幸 善光寺の創建と善光寺信仰の発展
刊行年:1991/04
データ:『善光寺 心とかたち』 第一法規出版
信濃
国の考古学
902. 山田 武文 榎垣外官衙遺跡にみる諏訪郡衙の構造
刊行年:2010/11
データ:長野県考古学会誌 134 長野県考古学会 長野県考古学会設立50周年記念事業
903. 福島 正樹 古代における善光寺平の開発について.-旧長野市街地の条里遺構を中心に
刊行年:2002/03
データ:国立歴史民俗博物館研究報告 96 国立歴史民俗博物館
信濃
国の考古学
904. 原 明芳 筑摩郡の国府と官衙
刊行年:2010/11
データ:長野県考古学会誌 134 長野県考古学会 長野県考古学会設立50周年記念事業
905. 鳥羽 英継 更級郡衙と更級郡における地域支配の構造
刊行年:2010/11
データ:長野県考古学会誌 134 長野県考古学会 長野県考古学会設立50周年記念事業
906. 黒済 和彦 資料検討篇-畿内求心東西地域における蕨手刀(
信濃
国(長野県)|下野国(栃木県)|陸奥国南部(福島県および宮城県南部)|甲斐国・駿河国(山梨県・静岡県)|武蔵国(東京都・埼玉県)|上総国(千葉県)|蕨手刀と俘囚-菊池山哉の「別所=俘囚移配地」説の考古学的検証|山国から峠を越え、もたらされた蕨手刀)
刊行年:2018/12
データ:『蕨手刀の考古学』 同成社 俘囚料
907. 黒田 日出男 『一遍聖絵』と中世の旅|一遍聖らの遊行の旅|旅と風景-
信濃
・陸奥・京都|武士たちの旅姿|修業者たちの旅|旅と社会を物語る杖|一遍聖に従う「非人」たち|一遍聖の最後の旅∥牛の藁沓-荷や人を運ぶ牛や馬の足元|女の旅姿|阿弥衣-一遍聖と時衆たちの旅姿
刊行年:1993/11
データ:『朝日百科日本の歴史別冊』 2 朝日新聞社
908. 木下 良 一志茂樹『地方史の道』
信濃
史学会,1976|一志茂樹『古代東山道の研究』信毎書籍出版センター,1993|木下良『国府』教育社,1988|藤岡謙二郎『都市と交通路の歴史地理学的研究』大明堂,1960(増訂版,1967)|藤岡謙二郎『国府』吉川弘文館,1969|藤岡謙二郎編『地形図に歴史を読む』第1-5集,大明堂,1969-73|藤岡謙二郎編『日本歴史地理総説』全5巻,吉川弘文館,1975-77|藤岡謙二郎編『古代日本の交通路』Ⅰ-Ⅳ,大明堂,1978-79
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
909. 木下 良 山城国府|大和国府|河内国府|和泉国府|摂津国府|伊賀国府|伊勢国府|志摩国府|尾張国府|参河国府|遠江国府|駿河国府|伊豆国府|甲斐国府|相模国府|武蔵国府|安房国府|上総国府|下総国府|常陸国府|近江国府|美濃国府|飛騨国府|
信濃
国府|上野国府|下野国府|陸奥国府|出羽国府|若狭国府|越前国府|加賀国府|能登国府|越中国府|越後国府|佐渡国府|丹波国府|丹後国府|但馬国府|因幡国府|伯耆国府|出雲国府|石見国府|隠岐国府|播磨国府|美作国府|備前国府|備中国府|備後国府|安芸国府|周防国府|長門国府|紀伊国府|淡路国府|阿波国府|讃岐国府|伊予国府|土佐国府|筑前国府|筑後国府|豊前国府|豊後国府|肥前国府|肥後国府|日向国府|大隅国府|多国府|薩摩国府|壱岐国府|対馬国府∥(研究概況)
刊行年:1989/03
データ:国立歴史民俗博物館研究報告 20 国立歴史民俗博物館 国府研究の現状(その二)
910. 菱沼 右一 江戸以前の東京と関八州(アイヌ地名|湾の地名|関東平野|東、吾妻|吾妻湾から品川湾|鬼怒と吾妻は山人と海人|坂田の金時|筑波も「紀の国」であった|埼玉、上妻、中妻、下妻|多摩|埼玉、児玉、熊ヶ谷|荒川|利根川|武蔵、相模|愛宕、安高、足立、田子、多古|厚田、安土、安寺|湾頭の大都市とその名|富士、ニシパ、サパ|徳島、厳島|足柄、箱根、丹那|鎌倉、江島、小田原|神人化された大山嶽の名|神名と人種及部落民の名|民族名と部落名|
信濃
、上野、下野、東|二荒、宇都宮|毛野川|常陸、日高見|
信濃
、千曲、茶臼|信州の発補温泉、志賀高原|伊香保、渋、塩原|富津、布佐|総国、安国|千葉、木更津、犬吠、銚子|品川湾とその周囲|越国|茨城と蛇神|風土記の茨城の里|小原村附近|風土記の茨城解説|水戸の由来|波良伎は蛇か?|伊吹山もイパラキである|県主|国巣の言葉|台、塙、箕ノ輪|出雲|福島|猪苗代湖|長瀞|手代、手代木、田代|鳥海、猿羽根、羽黒|鶴見、鶴巻|北海道から樺太まで|那珂、那賀、奈加、那智)|江戸以前の東京(江戸往古之図|江戸|五大岬|忍ヶ岡、下谷、上野|不忍池|日暮里、根岸|台、高輪、下谷、上野|田端、駒込|神田、根津|妻恋、戸隠|牛込、小石川、小日向|牛込、牛ヶ淵、牛天神|牛天神|音羽|浅草とその周囲|浅草とは、どんな意味か|言問と牛頭、牛御前|品川湾とその周囲|牛頭天王、兜神社、紐神社|牛天神と忍ヶ森|本所、深川、牛島|寄木神社|大森の貝塚 大井|目黒、目白|愛宕、日比谷、宇田川|下田、三田、伊皿子|東閑森と池上|隅田川)|地名の新研究(駒込、丸山、小山、駒ヶ嶽|駒形|荒砥と左澤|倉、鞍、久良、久留|キンジヤマ|鬼倉、佐葉倉、羽黒、小掠、小倉、佐倉、佐羽根倉|早稲田と鶴巻、長谷と鶴ヶ崎|駒込、駒形、小牧、本郷の研究の経路|形と牧|花巻|後閑|生活と信仰と感謝に即した日本の国名|茨城の意義)|北海道樺太地名考(北海道地名|樺太名稱の由来|アニワ灣名稱の由来|樺太の地名)
刊行年:1939/11
データ:『アイヌ語よりみた日本地名新研究-江戸以前の東京』 中央情報社 復刻:第一書房(1982/04)
911. 佐々木 敏雄|川﨑 晃 越中万葉の地名(英遠の浦|伊久里の森|五幡の坂|射水河|射水郡|射水の郷|弥彦|石瀬野|坂河|宇奈比河|卯の花山|越前|越前国|越中|越中国|大野路|雄神河|乎布|乎布の浦|乎布の崎|香島|香島嶺|香島の津|片貝河|片貝の河|可敝流|熊来|熊来村|気太神宮|越|越路|越の海|越の国|越の中|越前|越中|辟田河|辟田の河|之乎路|叔羅河|
信濃
の浜|渋谿|渋谿の崎|須加の山|杉の野|珠洲|珠洲の海|珠洲の郡|多|多の浦|多の崎|多の島|立山|垂姫|垂姫の浦|垂姫の崎|机の島|礪波郡|礪波の関|礪波山|長浜の浦|奈呉|奈呉江|奈呉の海|奈呉の浦|奈呉の江|新川|新川郡|丹生の山|饒石川|婦負郡|能登国|能登郡|能登の島山|延槻河|延槻の河|羽咋の海|羽咋の郡|氷見の江|深見村|鳳至郡|布勢の海|布勢の浦|布勢の水海|二上|二上の峰|二上の山|二上山|旧江|旧江の村|古江村|麻都太要の長浜|麻都太要の浜|三島野|婦負河|婦負郡|婦負の野|夜夫奈美の里|雄神河)
刊行年:2007/09
データ:『越中万葉百科』 笠間書院
912. 奥野 中彦 京都油小路屋敷図|近江国木津荘寺領注進帳|越前国河口・坪江荘近傍図|山城国佐賀荘咋岡全図|
信濃
国原山古図|駿河国井川郷上田村絵図|備前国安国寺寺域絵図|筑前国宗像郡六十二村古図|紀伊国安楽河荘脇谷四至絵図|伊勢国鹿海村絵図|陸奥国平泉古図|陸奥国毛越寺古図|周防国山口町古地図|飛騨国中図|近江国小田村高畠屋舗図|平城京図(原題市図)|大和国葛木東所地肆坊図|大和国東喜殿荘坪付図|丹波国出雲神社社領示絵図|讃岐国善通曼荼羅両寺領絵図|京中焼亡図|出雲国出雲大社及近郷絵図|大和国東喜殿荘近傍図|京都東市町図|武蔵国鶴見寺尾荘図|山城国上久世荘図|山城国今宮社別当宗秀敷地指図|陸奥国骨寺古図(その二)|京都遍照心院敷地絵図|京都妙見寺地子法住寺押妨図|相模国円覚寺塔頭法珠院敷地図|京都神泉苑祈雨道場絵図|若狭国丹生浦浦山沽却注文|京都左京御所前・乾町下地指図|京都故土御門中将有通朝臣敷地指図|京都十楽院跡屋敷差図|京都東寺寺内敷地差図|大和国羽津里井荘図|京都左京八条在家田地差図|丹波国吉富荘絵図|山城国松尾大社及近郷絵図|山城国上野荘指図|京都某寺庵敷地指図|祇園社領川成注文指図|大和国西大寺辺四陵所在条里図|京都左京土御門敷地指図|大和国中山荘土帳|大和国古木本・新両荘土帳(断簡)(その二)|大和国郡名略地図|大和国岩井河南岸諸荘園図|大和国池田荘と并井殿荘境溝相論指図|大和国佐保新免土帳(その二)(その三)|山城国西谷藪地指図|大和国楊本荘条里図|山城国京上道之次第図 文明十七年十月古市・誉田等陣取図|四郎三郎作下地指図|伊勢国稲生村三社絵図|相模国善宝寺寺地絵図|京都今小路以北石井美作入道以南畠地図|山城国大副里三坪西縄本所在図|京都土御門正親町万里小路富小路四丁町指図|京都大工三郎右衛門抱分指図|摂津国広徳寺門前図|山城国五智院南地差図|山城国如意庵下地相博差図|大和国忌部荘図
刊行年:1977/05
データ:『日本荘園絵図集成』 下 東京堂出版
913. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈
信濃
国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士