日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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941. 鈴木 英夫 井上秀雄『古代朝鮮』日本放送出版会,1972|今西龍『
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史研究』近沢書店,1933(国書刊行会,1970)|今西龍『百済史研究』近沢書店,1934(国書刊行会,1970)|大石良材『日本王権の成立』塙書房,1975|木宮泰彦『日支交通史』上・下,金刺芳流堂,1926-27|末松保和『任那興亡史』大八洲出版,1949(吉川弘文館,1956)|末松保和『日本上代史管見』笠井出版印刷社,1963|鈴木英夫『古代の倭国と朝鮮諸国』青木書店,1996|鈴木靖民『古代国家史研究の歩み』
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人物往来社,1980(増補版,1983)|鈴木靖民『古代対外関係史の研究』吉川弘文館,1985|藤間生大『日本民族の形成』岩波書店,1951|藤間生大『東アジア世界の形成』春秋社,1966|藤間生大『倭の五王』岩波
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書,1968|増村宏『遣唐使の研究』同朋舎,1989|三品彰英『日本書紀朝鮮関係記事考証』上・下,吉川弘文館,1962-2002|三品彰英『三品彰英著作集』全6巻,平凡社,1970-74
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
942. 直木 孝次郎 天地のはじめと地底の国-イザナキ・イザナミの物語|天の岩屋-ウズメノ命の冒険|八俣の大蛇-スサノオノ命の冒険|因幡の白うさぎ-苦難と戦うオオクニヌシ|国ゆずり-三人めはタケイカズチノ神|高千穂の峰-天くだる神がみ|海の神の宮殿-海幸、山幸と釣り針|戦うイワレビコノ命-苦難の大和平定|高佐士野の妻どい-イスケヨリ姫の苦心|はじめて国を治めた天皇-三輪の大神とタケハニヤスヒコ|サホビコの反乱-サホ姫の涙|白鳥になった皇子-ヤマトタケルの歎き|オキナガタラシ姫の冒険-荒波をのり越えて|宇治川の戦い-天皇の位をめぐって|アメノヒボコと赤い玉の女-
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からきた王子|イズシオトメと藤の花-約束を破るとどうなるか|イワノ姫の愛と怒り-仁徳天皇と后たち|皇子たちの争い-不意打ちとだまし打ち|流された皇子-兄と妹の愛情|三輪川のおとめ-雄略天皇の約束
刊行年:1984/06
データ:『直木孝次郎が語る「古事記物語」』 平凡社
943. - 勅書銅板(銅板に刻まれた聖武天皇の願文)|続修正倉院古文書第一巻(国文銘文刻版稿、孝謙天皇詔勅草)|続々修正倉院古文書第二十四帙第五巻(皇后宮職移案ほか)|七条刺納樹皮色袈裟(袈裟)|鳥毛篆書屏風(鳥毛の文字屏風)|東大寺献物帳 国家珍宝帳(献物品の目録)|献物牌(献物者の名札)|漆葛胡禄(矢入れ)|正倉院古文書正集第四十巻(豊前国仲津郡丁里戸籍|続修正倉院古文書第十一巻(山背国愛宕郡計帳)|正倉院古文書正集第三十六巻(周防国正税帳、長門国正税帳)|続修正倉院古文書別集第十八巻(写経司解案、泉木屋所解ほか)|続修正倉院古文書第三十四巻(造仏所作物帳)|続修正倉院古文書第四十七巻(下道主状ほか)|瑜伽師地論巻四十五(光明皇后御願経)|大方広仏華厳経巻第七十二(称徳天皇勅願経)|大方広仏華厳経巻第七十二~八十(
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経)
刊行年:2005/10
データ:『「正倉院展」目録』 第五十八回 奈良国立博物館 図版 解説
944. 神田 民衞 東奥の酋長安部頼義の事并国司則任敗軍の事|源頼義鎮守府将軍の事并伊具十郎誅に伏する事|衣川合戦の事并赤松村之介敗軍の事|加美川合戦の事并髻観世音の事|安部頼時戦死の事并遺言の事|義家射術名誉の事并景季阿部貞任と組打の事|将軍勢敗走の事并義家射術名誉の事|
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将軍奥州下向の事并貞任流言を以
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将軍追返す事|良照坊戦死の事并小松城陥落の事|義家明智九月五日合戦の事|石坂夜襲の事并義家計策の事|武則父子軍功の事并武則衣川を攻る事|衣川城寨陥いる事并義家貞任を赦す事|厨川城陥没の落の事并貞任戦死の事|金沢十郎戦死の事并頼義一言貞任の怨念を霽す事|千代童戦死の事并同人義勇の事|比与鳥鶴脛両城陥る事并荒川太郎卑怯の事|阿部宗任降参の事|将軍帰洛の事|宗任再び義家を討んと計る事并宗任三回義家を討んとする事|頼義卒去の事 以下後三年記|奥州清原武則死去家督相続の事|義家鎌倉八幡へ社参の事并権五郎景政臣下となる事|義家鎌倉八幡祠え社参の事并権五郎景政臣下となる事|将軍国中え検使を立らるゝ事并真衡再出羽へ出陣の事|家衡叛逆の事|権五郎景政先陣を願ふ事|権五郎景政勇猛の事|景政家時を討つ事|景政冑の矢を抜取勇気の事|
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三郎義光官を棄て奥州へ下向の事|将軍奇謀賊を追返す事|景政武勇家衡と勝負の事|官軍失火賊兵夜討の事|義家将軍病気全閖愈の事并金沢城へ発向の事|金沢城攻の事并勇怯座席の事|義家城将の乞を許さゝる事|義家将軍敵の間者に就て反間を放事|賊将藤原千任を生捕る事并権五郎景政勇猛の事|将軍計略陣営を焼払ハせ賜ふ事|武衡生捕られ糺明誅戮の事|鎌倉権五郎勇猛の事并家衡誅戮の事
刊行年:1887/07
データ:『前九年後三年日本外史衍義』 今古堂 或齋永阪校閲
945. 斎藤 忠 古墳時代・歴史時代の考古学の魅力|古墳時代|古墳とは何か|古墳築造の技術|装飾古墳はどのような意味をもつか|高松塚古墳|王塚古墳・珍敷塚古墳・竹原古墳|須恵器の製作地を語る地名|装身具にはどんなものがあり、どんな発達をみせたか|同笵鏡|朝鮮半島の文化の影響はどんなところにみられるか|伽耶式土器と
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式土器|中国文化の影響はどんなところに見られるか|東アジアにおいて、古墳文化はどのように位置づけられるか|東洋古代の王墓|歴史時代|神籠石とは、どんなものか|石城山神籠石|駅の遺跡はどのようなものか|古代の鋳銭司とは何か、遺跡はどんなところにあったか|寺院跡の調査が提起した問題は何か|若草伽藍跡|伽藍配置の変遷|火葬はいつごろから始まりどのように広まったか|墓誌は何を語るか|国分寺にはすべて七重塔がたっていたのか|国分僧寺と尼寺とはどんな違いがあったのか|金石文の研究はどのように進めなければならないか|大陸文化の影響を具体的に示すものに、どんなものがあるか|頭塔と土塔|埋蔵文化財と考古学
刊行年:1974/11
データ:『日本考古学の視点』 下 日本書籍
946. 池田 三枝子 山部赤人の「田子の浦ゆうち出て見れば」の歌は『百人一首』の歌とどう違うのか|「咲く花の薫ふがごとく」の歌は平城京讃歌か|「麻手刈り干し布さらす東女を忘れたまふな」と詠んだ常陸娘子は農民の娘か|大伴家持はなぜ女性からの恋歌に返事しなかったのか|貧窮問答歌は古代農民の姿の実写か|志貴皇子の懽びの歌には何か別の意味が隠されているのか|「夕されば小倉の山に」の歌の作者はだれか|高橋虫麻呂の浦島伝説を詠む歌にはなぜ亀が出てこないのか|万葉の相聞歌にはなぜ序詞が多いのか|万葉の相聞歌にうわたわれる恋のマジックにはどのようなものがあるか|『万葉集』にはなぜたくさんの七夕歌が残されているのか|万葉の相聞歌はなぜ「人自・人言」を歌うものが多いのか|日本は「言霊の助くる国」だったのか|巻十四の東歌は東国の民謡か|巻十五の遣
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使人たちは帰路になぜ寡黙になったのか|巻十五の中臣宅守と狭野弟上娘子との恋は虚構か|安積山の歌はほんとうに采女が作ったのか|穂積皇子の歌は恋の苦しさを歌うものか|複数の男性に求婚された伝説の処女たちはなぜ自殺しなければならなかったのか
刊行年:2000/10
データ:『万葉集101の謎』
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人物往来社 万葉の歌をめぐる謎
947. 利光 三津夫 私の古銭集め|有難き顕宗通宝|商賈行布|銀銭九十二文古|耳をそろえて持ってこい|遣唐使と金|遣
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使と金|珍宝論争|蓄銭叙位令の疑問|蓄銭禁止令|押勝の三貨|神功銭と神功皇后|誕生記念銭(その一)~(その四)|西域の銀銭|中元二年銀の夢|検非違使のおとり捜査|仙台銀のたれ流し|仙台通宝、当銀一匁の怪|七両二分|忠臣蔵と金(その一)~(その三)|役人こそニセ金使い|薩摩藩渡唐銀一件|極印打洋銀|政宗の金銭|三葉葵の一両金貨|銀小判二枚|真偽鑑定と多数決|見本改西郷札|玉製擬似貨幣のなぞ|事物博大|台湾民主国銀貨|スケープゴート萩原重秀(その一)(その二)|盛岡藩と省銭|眠狂四郎と金銀|絵銭|闘化蝶|縄地金山調査記|劇的でない埋蔵金の話|私鋳銭の出世|江戸期の私鋳銭|銀座の不正事件|銀座役人の不正|ニセ金銀と縁坐|贋造貨幣をめぐって|維
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の偽造貨(その一)(その二)|板垣退助と偽造紙幣|後藤象二郎と偽造紙幣|藤田組贋札の話(その一)(その二)
刊行年:1983/10
データ:『古貨幣夜話』 慶應通信
948. 小林 洋介 倭の五王論争 五王を結ぶ関係とは|大和国家論争 国家はいかにして形成されたか|任那日本府論争 日本府は実在したか|継体王朝論争 内乱は実在したのか|磐井の乱論争 磐井の乱異視点考察|仏教伝来論争 伝来の年次はいつか|大化の改
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論争 改
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は本当にあったのか|天皇論争 古代の王権と天皇|壬申の乱論争 乱の直接の原因とは|神仏習合論争 神宮寺と富豪層|古代の遷都論争 平安京までの遷都の理由は|律令国家体制論争 国家の性質とは|富豪層論争 律令国家の変革者|平安京論争 なぜ遷都したのか|遣唐使論争 なぜ派遣されたのか|幼帝論争 幼帝とはなにか|延喜・天暦の治論争 本当に「聖代」だったのか|将門の乱論争 将門の「
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皇」宣言と独自国家|平安時代の民衆運動論争 志多
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神運動の示す諸様相|藤原氏他氏排斥論争 安和の変は何のために|国司苛政闘争論争 解任された国司と解文|摂関政治論争 摂関家は権力を独占していたのか|土地の私有と譲状論争 平安時代の私有と村落の様相|田楽と民衆論争 永長大田楽の主体諸階層|荘園公領制論争 成立はいつだろうか|院政論争 院政の実態と主体|平氏政権論争 平清盛はいかにして政権を握ったか|武士論争 その発生と「武」の意味|武士団の棟梁論争 後三年の役と義家の虚像|鎌倉幕府成立論争 どのように成立したのか
刊行年:1997/04
データ:別冊歴史読本 22-23
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人物往来社
949. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|
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江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|
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田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|
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島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|
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居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士