日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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101. 大谷 光男 「親魏倭王」の印.-漢委奴国王(金印)との関連
刊行年:1979/11
データ:『ゼミナール日本古代史』 上 光文社
102. 江上 波夫 古墳の源流
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
103. 上田 宏範 前方後円墳.-企画と構築
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
104. 上田 正昭 倭人はどこから来たか|稲の道はどのルートか|〈倭〉とはなにか|倭人は呉の太伯の子孫か|国家への道はどのようであったか|「共立」の中味はなにか|どんな階級があったか|女王国の官とはなにか|鬼道とはなにか|卜占はどのようになされたか|殯はあったか
刊行年:1975/10
データ:『邪馬台国99の謎-どこに在り、なぜ消えたのか』 産報 部族同盟か国家的連合か-どんな人々が、どう支配したか
105. 上田 正昭 倭国の内乱と「共立」|倭国の身分-大人と下戸をめぐって
刊行年:1979/11
データ:『ゼミナール日本古代史』 上 光文社
106. 上田 正昭 三輪の王者|語部の形態と役割|三輪と葛城の神々|四~六世紀の文献と文化史研究今後の課題
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
107. 白石 太一郎 大和の古墳.-磯城・佐紀・馬見古墳群を中心に
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
108. 間壁 忠彦 吉備の古墳.-造山・作山の謎
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
109. 樋口 清之 倭(邪馬台)国の衣食住
刊行年:1979/11
データ:『ゼミナール日本古代史』 上 光文社
110. 樋口 清之 四~六世紀の衣食住
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
111. 原島 礼二 妻子・門戸・宗族
刊行年:1979/11
データ:『ゼミナール日本古代史』 上 光文社
112. 原島 礼二 伴・部(トモ・ベ)制|ミヤケ(ミタ)制
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
113. 山尾 幸久 邪馬台国の政治構造|邪馬台国の勢力範囲|邪馬台国の政治構造
刊行年:1979/11
データ:『ゼミナール日本古代史』 上 光文社
114. 山尾 幸久 任那日本府の実態|『隋書』東夷伝倭国の条の史料価値
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
115. 森 浩一 「銅鏡百枚」どこに消えたか|魏王はどんな鏡を、なぜ贈ったか|魏の年号鏡は確実か|三角縁神獣鏡はなぜ重要か|三角縁神獣鏡はどこで作られたか|工人は倭人か渡来人か|神獣鏡の文様はなにを物語るか|北部九州出土の漢鏡は邪馬台国の資料となるか|畿内出土の三国鏡は邪馬台国の資料となるか|鏡の用途はなにか|鏡はどう伝世して、埋葬されたか|鏡にはどんな種類があったか
刊行年:1975/10
データ:『邪馬台国99の謎-どこに在り、なぜ消えたのか』 産報 銅鏡に秘められた謎-魏王の贈った鏡の行方
116. 森 浩一 高地性集落と倭国の乱|卑弥呼の冢|倭の産物と交易|考古学からみた古代史研究の今後の課題
刊行年:1979/11
データ:『ゼミナール日本古代史』 上 光文社
117. 森 浩一 馬文化の発掘|四~六世紀の考古学研究今後の課題|天皇陵古墳-巨大古墳の世紀
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
118. 水野 祐 倭国と圏外地域との渉外関係
刊行年:1979/11
データ:『ゼミナール日本古代史』 上 光文社
119. 水野 祐 仁徳王朝と倭の五王|九州王朝と倭の五王
刊行年:1980/01
データ:『ゼミナール日本古代史』 下 光文社
120. 三木 文雄 銅鐸はいつ作られたか|銅鐸の記述が倭人伝になぜないのか|邪馬台国は銅鐸文化圏か、銅矛文化圏か|銅鐸はなぜ埋ずめられたのか
刊行年:1975/10
データ:『邪馬台国99の謎-どこに在り、なぜ消えたのか』 産報 銅鏡に秘められた謎-魏王の贈った鏡の行方