日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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121. 早川 庄八 戸籍Ⅰ(大宝二年御野国)・Ⅱ(大宝二年豊前国)・Ⅲ(養老五年下総国)|正税帳Ⅰ(天平四年隠岐国)・Ⅱ(天平六年
尾張国
)|出雲国計会帳(天平六年)
刊行年:1975/07
データ:『書の日本史』 1 平凡社
122. 永田 英明 序章 研究の視角と本書の構成|天平期正税帳にみえる「駅使」と「伝使」-但馬国正税帳を中心に|平安前期における駅家の変質と地域支配-「
尾張国
解文」にみる駅伝馬制|終章 古代国家と駅伝馬制
刊行年:2004/01
データ:『古代駅伝馬制度の研究』 吉川弘文館
123. 坂本 賞三 「延喜・天暦の聖代」とは何か|三善清行の意見封事|摂関政治は律令制とどうちがうか|諸国申請雑事|地方政治はどのようなしくみで行われていたか|富豪層と「名」|
尾張国
解文の事件はどのような意義があったか
刊行年:1973/06
データ:『日本歴史の視点』 1 日本書籍 道長の荘園|荒廃公田
124. 伊藤 一美 武士団と名字の地∥武士団の地域拡散と名簿|武士団の移動∥武士団の所領経営と武士団の変化|茨城県真壁郡長岡村の小字(明治初年)|神奈川県逗子市沼間小字|武蔵国鶴見寺尾絵図|和泉国日根荘日根野村絵図|
尾張国
富田荘絵図|備中国新見荘地域図∥武士の居館跡にまつわる地名|中世平泉推定復元図
刊行年:1990/11
データ:『角川日本地名大辞典』 別巻Ⅰ 角川書店 武士団と中世村落(武士団と名字の地)
125. - 華厳経論帙|天平勝宝八歳七月二十六日献物帳(献物目録)|東大寺開田地図(越前国足羽郡糞置村田図)|白布|豊前国戸籍(豊前国の戸籍)|右京計帳(右京の徴税簿)|
尾張国
正税帳(
尾張国
の財政報告書など)|大津大浦啓(大津大浦の手紙など)|経師等請暇解(写経生の休暇届など)|皇后宮職移(皇后宮職の報告書など)|越前国桑原庄券(荘園関係文書)
刊行年:1979/10
データ:『正倉院展目録』 (第三十二回) 奈良国立博物館 裏は新羅民政文書|屏風花氈帳
126. 阿部 猛 摂関時代の評価|道長政権への道程[藤原氏の台頭|意見十二箇条|反乱と政変|花山朝|道長登場]|道長政権の全盛[望月の歌|土御門邸と法成寺|道長の死と頼通の時代]|摂関政治-政務の実態[公卿による政治|諸国申請雑事|摂関政権の経済的基盤|摂関期の荘園整理]|受領[就職運動|任命と赴任|国司交替|因幡守平時範の場合|清胤王書状]|
尾張国
解文-地方政治の実情[解文の内容|国司苛政上訴事件範の場合]|おわりに-時代の転換[平安京の変貌|武士の台頭]|研究の手引[王朝国家論|収取体系|名の研究|転換期としての10世紀]|参考文献
刊行年:1977/10
データ:『摂関政治』 教育社
127. 梅村 喬 百姓愁訴の関係史料から|百姓愁訴と国司告発事件 史料一覧|
尾張国
解文の一考察∥明法勘文と関係史料の分析∥在地公証について|公証制の検討-刀祢をめぐって|主な在地成語と初出年一覧|郡司と公証制度|領主立券申請文書について|使者派遣と在地弁定|公験文書の移動|在地の語彙について∥免除領田と公証|領主文書と文書集積|公証制と地方領主の立場|「依式立券文」について|在地と地頭|「在地裁判」論について∥地主・田主と領主|「領主」の意義について|領主認定と所領体制|「所領」と領主
刊行年:2005/03
データ:『平安時代における訴訟文書および関係史料の研究』 (梅村 喬(大阪大学)) 論述編
128. 阿部 猛 政務(官司請負制|笏紙|貴族の政治思想)|権力者と実務官人(藤原忠平|藤原実頼|藤原兼家|藤原師尹|源高明|藤原伊周|藤原隆家|藤原道長|藤原実資|藤原公任|藤原行成|藤原頼通|藤原朝成|藤原元方|藤原兼通|藤原頼忠|藤原道隆|藤原通兼|藤原公季|藤原顕光|源雅信|源経頼|藤原資房|上達部|日記の家|貞信公記|御堂関白記|小右記|権記|左経記|春記|水左記)|地方政治(国司交替の制|国司の赴任|目代|留守所|在庁官人|国例|三日厨|坂迎え|受領|任用国司|家司受領|国雑掌|任符|刀禰|諸国申請雑事|郡老|勘合|勘出|国充|国司苛政上訴|
尾張国
郡司百姓等解|馬の党|親王任国|大介|時範記|藤原元命|藤原陣忠|藤原保昌|中原師遠|小野五倫)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 摂関政治
129. 坂本 賞三 栄華と荒廃-はじめに|ゆきづまった律令制(「国司は法を守っていては政治ができない」|女性が多い戸籍|富豪の輩|国司と中央政府の対立)|寛平の治(阿衡の紛議|菅原道真の栄進と〝寛平の治〟|宇多天皇の譲位と菅原道真の左遷)|延喜の治(藤原時平の国政|宇多法皇と藤原忠平|菅原道真の怨霊|大陸情勢と外交政策)|人から「名」へ(王朝国家体制|固定された公田|「名」のしくみ|国内の徴税を請け負った国司|国風文化の興隆と王朝国家)|承平・天慶の乱(平将門の乱|藤原純友の乱承平・天慶の乱の歴史的背景|志多良神の入京と空也)|摂関常置の時代(安和の変|摂関を争う暗闘|〝摂関政治〟ということ|入宋関係と入宋僧)|道長の極盛とその背景(この世はわが世|刀伊の来襲|道長の造営工事と国司|道長と荘園|道長と浄土教|平忠常の乱)|富める受領と、郡司百姓の上訴(
尾張国
解文|国司が財を成した理由|郡司百姓の上訴|公卿の国政観)|寛徳荘園整理令(地方行政制度の改変|寛徳荘園整理令|徴税体系の改変|中世所領のはじまりと武士|尊仁親王の立太子)|末法の世がくる(絶望と懐古|平等院鳳凰堂|前九年・後三年の役)
刊行年:1974/04
データ:『日本の歴史』 6 小学館
130. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈
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刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士