日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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1340
1341. 天野 二郎|
池田
愛子|石母田 正|岡倉 士朗|木下 順二|坂部 裕郎|藤間 生大|林 基|広末 保|藤浪 光夫|松島 榮一|松本 新八郎|山本 安英|吉沢 和夫 民話劇『夕鶴』をめぐって
刊行年:1952/11
データ:文学 20-11 岩波書店 座談会
1342. 小田 寛貴|米延 仁志|
池田
晃子|中村 俊夫|古川 路明 加速器質量分析法による木曽ヒノキ年輪試料の14C年代測定.-試料調製法,ならびに,既存較正曲線との比較結果
刊行年:1997/03
データ:名古屋大学加速器質量分析計業績報告書 8 名古屋大学年代測定資料研究センター 第2世代タンデトロン加速器質量分析計(加速器年代測定システム)による高精度・高分解能14C年代測定の利用分野・方法の開拓(名古屋大学タンデトロン加速器分析計シンポジウム)
1343. 毛利 久 随身像(高野神社・津山市)|千手観音菩薩像(羽賀寺・小浜市)|阿弥陀如来像(湯川区・奈良県西吉野村)|毘沙門天像(羽賀寺・小浜市)|毘沙門天像(雲辺寺・徳島県阿波
池田
町)|狛犬(薬師寺・奈良市)
刊行年:1968/04
データ:『日本彫刻史基礎史料集成 平安時代造像銘記篇』 4 中央公論美術出版
1344. 毛利 久 弥勒仏及両脇侍像(弥勒寺・兵庫県夢前町)|金剛力士像(峯定寺・京都市)|千手観音菩薩像(雲辺寺・徳島県阿波
池田
町)|阿弥陀如来像(法隆寺・奈良県斑鳩町)
刊行年:1970/01
データ:『日本彫刻史基礎史料集成 平安時代造像銘記篇』 5 中央公論美術出版
1345. 三橋 正|小右記講読会(
池田
卓也|川合 奈美|関口 崇史|田井 秀|中丸 貴史|村上 史郎|山岸 健二) 摂関期の「着座」「着陣」関係記事.-『小右記』を中心とする古記録部類作成へ向けて(二)
刊行年:2013/03
データ:明星大学研究紀要(人文学部・日本文化学科) 21 明星大学日野校
1346. 竹内 理三|彌永 貞三|赤松 俊秀|岸 俊男|平野 邦雄|土田 直鎮|青木 和夫|井上 光貞|
池田
温 正倉院戸籍調査概報|同続(一)(二)
刊行年:1959/03|1960/02|03
データ:史学雑誌 68-3|69-2|3 山川出版社
1347. 中村 俊夫|太田 友子|伊庭 功|南 雅代|
池田
晃子 滋賀県粟津湖底遺跡第3貝塚の同一層から出土した木片,哺乳類骨片,セタシジミ貝殻化石の放射性炭素年代の比較
刊行年:1997/03
データ:名古屋大学加速器質量分析計業績報告書 8 名古屋大学年代測定資料研究センター タンデトロン加速器質量分析計業績報告
1348. 伊丹 徹(司会)∥比田井 克仁|西川 修一|
池田
治|立花 実|河合 英夫|及川 良彦|篠原 和大|鈴木 敏則|中山 誠二|安藤 広道|岡本 孝之|加藤 俊介|合田 芳正|柿沼 幹夫|鈴木 敏弘|禰宜田 佳男|諏訪間 順|曽根 博明 総合討議
刊行年:2002/12
データ:『弥生時代のヒトの移動~相模湾から考える~』 六一書房 シンポジウム当日編
1349. 中村 俊夫|南 雅代|小田 寛貴|
池田
晃子|宮田 佳樹|太田 友子|西田 真砂美|大森 貴之|西本 寛|本庄 浩司|松本 佳納|城森 由佳|近藤 宏樹|吉光 貴裕|坂田 健|森 健太|オヨンバザル・エンフツォルモン 名古屋大学タンデトロンAMS14Cシステムの現状と利用(2010)
刊行年:2011/03
データ:名古屋大学加速器質量分析計業績報告書 22 名古屋大学年代測定総合研究センター 名古屋大学年代測定総合研究センターシンポジウム報告
1350. 東北史学会(加藤 孝|佐々木 慶一|小林 清治|
池田
哲郎分担執筆∥伊東 信雄|小松 郁雄|西川 瑞國校閲) 大昔の生活(石器時代|農業と金属使用のはじまり|古墳時代の文化)|東北地方の開発(陸奥国府の設置|蝦夷地の経営)|封建制度のはじまり
刊行年:1953/04
データ:『宮城県の歴史』 東北出版
1351.
池田
温 〈ベルリン国立インド美術館出品〉且渠安周功徳碑(四四九年)|且渠安周功徳碑拓本|且渠安周功徳碑臨模|曹天度造塔銘拓本(四六六年)∥八龕坐仏八角柱形供養石塔∥正法華経世音普門品、附神璽三年(三九七)識語∥絹本写経三断片(五世紀頃)∥仏説法雨経巻二、附長壽二年(六九三)訳場列位∥文選(無注本)巻四~巻五残巻(八世紀頃)∥諸館人馬給粮帳(八、九世紀頃)∥乙丑年十一月諸人取大麦録(一三~一四世紀)∥石刻唐残碑(八世紀頃)
刊行年:1991/01
データ:『現代書道二十人展第35回記念「トゥルファン古写本展」図録』 朝日新聞社 列品解説
1352.
池田
三枝子 筑紫歌壇はどうして形成されたのか|大伴旅人はなぜ晩年まで歌を詠まなかったのか|山上憶良は渡来人だったのか|山上憶良はどこまで仏教を理解していたか|大伴坂上郎女は恋多き女だったのか|大伴坂上郎女は家持に何を教えたのか|山部赤人はどのような思いで聖武天皇の行幸従駕歌を詠んだのか|高橋虫麻呂は「伝説」をうたったか|高橋虫麻呂は常陸の風土をどのように見ていたのか|遊行女婦はいわゆる遊女か|長意吉麻呂はなぜ意味不明な歌を詠んだのか
刊行年:2000/10
データ:『万葉集101の謎』 新人物往来社 万葉歌人をめぐる謎
1353.
池田
末則 総説(地名と風土-はじめに|地名を考える-研究の重要性|地名研究のあゆみ|地名表記の問題|古代地名語の構成|考古・民俗・言語学と地名研究|諸外国の研究事情と地名学の将来|地名研究・保存運動の現状-地名研究の推進と公立地名研究所の設立、改正住居表示法の成立について)|各説(説話地名|芋洗伝説-芋峠・妹山|金鵄伝説-鳥見・外山、付・犬飼伝説|白鳥伝説-琴弾伝説|小長谷山-姨捨山伝説|蟹守伝説-加守(掃守)|小子部伝説-子部|冠辞地名|国号地名|万葉地名|遺跡地名|部制(職業)地名|避諱地名|民俗地名|交通地名-古代・中世の関|仏跡地名|植物地名|田制地名|形状地名|「大和国府」考|「葛城長田」考|「丹生」「壬生」考|当麻路・岩屋坂道|追分・沓掛|「垣内」考|『倭名類聚鈔』郡・郷名考|姓氏と地名|「城」考-古代宮都名考|葛城高宮山寺|戒那山安位寺|「蛇穴」考|「菟田郡家」考|忍海-角刺宮跡考|「豊田」考)|起源論(はじめに|北和|東和|西和|南和)|あとがき
刊行年:1985/11
データ:『奈良県史』 14 名著出版 南都大安寺論叢
1354.
池田
三枝子 山部赤人の「田子の浦ゆうち出て見れば」の歌は『百人一首』の歌とどう違うのか|「咲く花の薫ふがごとく」の歌は平城京讃歌か|「麻手刈り干し布さらす東女を忘れたまふな」と詠んだ常陸娘子は農民の娘か|大伴家持はなぜ女性からの恋歌に返事しなかったのか|貧窮問答歌は古代農民の姿の実写か|志貴皇子の懽びの歌には何か別の意味が隠されているのか|「夕されば小倉の山に」の歌の作者はだれか|高橋虫麻呂の浦島伝説を詠む歌にはなぜ亀が出てこないのか|万葉の相聞歌にはなぜ序詞が多いのか|万葉の相聞歌にうわたわれる恋のマジックにはどのようなものがあるか|『万葉集』にはなぜたくさんの七夕歌が残されているのか|万葉の相聞歌はなぜ「人自・人言」を歌うものが多いのか|日本は「言霊の助くる国」だったのか|巻十四の東歌は東国の民謡か|巻十五の遣新羅使人たちは帰路になぜ寡黙になったのか|巻十五の中臣宅守と狭野弟上娘子との恋は虚構か|安積山の歌はほんとうに采女が作ったのか|穂積皇子の歌は恋の苦しさを歌うものか|複数の男性に求婚された伝説の処女たちはなぜ自殺しなければならなかったのか
刊行年:2000/10
データ:『万葉集101の謎』 新人物往来社 万葉の歌をめぐる謎
1355. 奥野 中彦 京都油小路屋敷図|近江国木津荘寺領注進帳|越前国河口・坪江荘近傍図|山城国佐賀荘咋岡全図|信濃国原山古図|駿河国井川郷上田村絵図|備前国安国寺寺域絵図|筑前国宗像郡六十二村古図|紀伊国安楽河荘脇谷四至絵図|伊勢国鹿海村絵図|陸奥国平泉古図|陸奥国毛越寺古図|周防国山口町古地図|飛騨国中図|近江国小田村高畠屋舗図|平城京図(原題市図)|大和国葛木東所地肆坊図|大和国東喜殿荘坪付図|丹波国出雲神社社領示絵図|讃岐国善通曼荼羅両寺領絵図|京中焼亡図|出雲国出雲大社及近郷絵図|大和国東喜殿荘近傍図|京都東市町図|武蔵国鶴見寺尾荘図|山城国上久世荘図|山城国今宮社別当宗秀敷地指図|陸奥国骨寺古図(その二)|京都遍照心院敷地絵図|京都妙見寺地子法住寺押妨図|相模国円覚寺塔頭法珠院敷地図|京都神泉苑祈雨道場絵図|若狭国丹生浦浦山沽却注文|京都左京御所前・乾町下地指図|京都故土御門中将有通朝臣敷地指図|京都十楽院跡屋敷差図|京都東寺寺内敷地差図|大和国羽津里井荘図|京都左京八条在家田地差図|丹波国吉富荘絵図|山城国松尾大社及近郷絵図|山城国上野荘指図|京都某寺庵敷地指図|祇園社領川成注文指図|大和国西大寺辺四陵所在条里図|京都左京土御門敷地指図|大和国中山荘土帳|大和国古木本・新両荘土帳(断簡)(その二)|大和国郡名略地図|大和国岩井河南岸諸荘園図|大和国
池田
荘と并井殿荘境溝相論指図|大和国佐保新免土帳(その二)(その三)|山城国西谷藪地指図|大和国楊本荘条里図|山城国京上道之次第図 文明十七年十月古市・誉田等陣取図|四郎三郎作下地指図|伊勢国稲生村三社絵図|相模国善宝寺寺地絵図|京都今小路以北石井美作入道以南畠地図|山城国大副里三坪西縄本所在図|京都土御門正親町万里小路富小路四丁町指図|京都大工三郎右衛門抱分指図|摂津国広徳寺門前図|山城国五智院南地差図|山城国如意庵下地相博差図|大和国忌部荘図
刊行年:1977/05
データ:『日本荘園絵図集成』 下 東京堂出版
1356. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|
池田
荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉
池田
荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士