日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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1721. 栗村 知弘|中里 進 埋もれた八戸-縄文文化時代から古墳時代までの八戸(考古学の成果と人間の起源|縄文文化時代と八戸|弥生古墳文化時代と八戸)|糠部の建郡-大化の改新から藤原時代までの八戸(弘仁二年の戦いと俘囚宇漢迷公一族|建郡期の文化財|華夷雑居地帯としての建郡|平泉中尊寺供養願文の世界)|
東国
武士の大移動と八戸-鎌倉時代の八戸(四門九戸の牧場制と鎌倉の御家人たち|糠部の村落構造とその経済)|奥羽蕩平の根の城-建武改革と八戸(南部氏の得宗被官|惣領制と根城南部氏の台頭|根城南部氏武士団の展開|根城南部氏八戸に移住す)|根城城下町の誕生-室町時代の八戸(馬淵川デルタに築かれた城下町|郷村制の成立と農村の生活)
刊行年:1960/11
データ:『概説八戸の歴史』 上 北方春秋社
1722. 野呂 肖生 天皇号の成立|天皇の諡号と追号|日本の国号|更新世と旧石器文化|小国家と小国|さきたま古墳群|大仙陵古墳の名称|朝鮮の三つの国の呼称|任那と加羅|部曲と部民|二つの飛鳥|古代の宮と京|朝廷の意味|内裏と大内裏|年号の読み方|大宰府・太政官|和同開珎|田堵と名主|寺名のつけ方|毛越寺の読み方|蝦夷とは何か∥
東国
・坂東・関東|人物の名前|禅僧の名|親鸞の名|戒名について|承久の変か乱か|関東御分国と関東知行国|てつはうと小銃|勘合|土一揆の読み方|分国法と家訓|大仏様と禅宗様|枯山水|会合衆・納屋衆|門前町と寺内町
刊行年:2003/03
データ:歴史と地理 562 山川出版社 日本史名辞特集
1723. 関 幸彦 序 史実の義経・伝説の義経(義経論をめぐって)|伝説は語る(鞍馬山の遮那王|平泉での義経|武の系譜)|源九郎義経・頼朝・鎌倉(黄瀬川の対面|頼朝のけじめ|もう一人の義経、義仲・行家|義経の試金石|
東国
武士団)|判官義経・後白河院・京都(一ノ谷の合戦|戦さの作法|後白河法皇と義経|屋島の合戦|壇ノ浦の決戦|腰越の悲嘆|義経の謀叛)|義顕・秀衡・平泉(その後の義経・静|再び奥州へ|鎌倉と平泉|頼朝の夢|義経の最期)|再び伝説は語る(海を渡る義経|未完の英雄)
刊行年:1990/07
データ:『源義経-伝説に生きる英雄』 清水書院
1724. 和歌森 太郎 国民感情の中の義経(義経の人気|義経の人柄|判官びいき|判官びいきへの社会史的条件)|義経の登場(頼朝との生育のちがい|頼朝との貫禄ちがい|義経の容姿風貌|鞍馬時代の社会情勢|奥州下りまでの陸奥の情勢|物語に描かれた奥州下り|『日本史の人物』中の義経)|源氏再興の機会(後白河院と平家の抗争|源氏の旗あげ)|平家討滅と義経(平家の衰勢と
東国
|頼朝・義経の疎隔|平家を滅ぼす)|義経の失脚(平家滅亡後の頼朝|義経の謀反)|義経の没落(行くえ不明になる)
刊行年:1966/10
データ:『義経と日本人』 講談社
1725. 工藤 雅樹 はじめに∥大化の改新以前(「エミシ」「エゾ」の諸段階〈蝦夷の歴史〉|第一段階〈『古事記』『日本書紀』の物語|ヤマトタケルの物語|倭王武の上表文〉)|第二段階〈国造制の時代|国造制の成立|国造軍の外征|国造の「クニ」|上毛野氏の物語|阿倍氏・大伴氏・中臣氏|福島県の装飾横穴|蝦夷との交渉〉)∥大化の改新と陸奥国(大化の改新と「
東国
国司」〈大化の改新|
東国
国司|国造の「クニ」の解体〉|『常陸国風土記』を読む〈常陸国の成立と「コホリ」の設定|陸奥国の成立と福島県内に置かれた「コホリ」〉|国司制の成立と国府〈国司制|国府|陸奥国府|石城国・岩背国の建置と廃止〉|郡司と郡衙(「コホリ」|郡衙|神火|福島県内の郡|郡衙の遺跡|白河郡|磐瀬(石背)郡|安積郡と安積の采女|安達郡|信夫郡|伊達郡|菊多郡|磐(石)城郡|標葉郡|行方郡|宇多郡|宇多・行方の鉄|会津郡と会津国設置計画〉|里(郷)〈里(郷)|陸奥国戸籍|郷里制の時代|『倭名抄』の郡・郷〉|白河関・菊多関〈白河関|白河関・菊多関の遺跡|歌枕|関()|白河関・菊多関の起源〉)∥城柵・軍団(城柵の造営と移民の導入〈城柵|城柵の性格|城柵の構造|城柵の造営|移民〉|軍団制〈軍団制のあらまし|陸奥国の軍団|征討軍〉)∥あとがき
刊行年:2001/09
データ:『律令国家とふくしま』 歴史春秋出版
1726. - プロローグ(日継知らす可き王無し)|近淡海国自り、上り坐さ令メ-三尾別業(継体天皇の出自と出生地|三尾別業(南市東遺跡|下五反田遺跡)|鴨稲荷山古墳と三尾君)|振媛の桑梓-三國・坂中井・高向(継体大王と越|越前の首長墓(椀貸山古墳|神奈備山古墳)|加賀・若狭の首長墓と継体(二子塚狐山古墳|矢田野エジリ古墳|十善の森古墳))|息長君と近淡海安国造-継体大王と近江(継体大王と坂田(山津照神社古墳)|継体大王と野洲(円山古墳|甲山古墳))|筑紫君と火君-継体朝成立前夜の九州(継体朝成立前夜の九州(岩戸山古墳)|筑紫君磐井(木柑子高塚古墳|複室構造・石屋形・彩色壁画|チブサン古墳|対外交渉の領導|比恵遺跡|鹿部田淵遺跡|双六古墳|吉武S8・9号墳)|火君(国越古墳))|目子媛と尾張連草香-断夫山古墳の時代(継体大王の出現と尾張・
東国
|継体を支えた尾張の首長たち(味美二子山古墳|断夫山古墳|白鳥古墳|熱田神宮神宝 鉄地金銅張馬具|大須二子山古墳|池下古墳|下原古窯跡|宮ノ脇一一号墳)|継体大王と
東国
(鶴巻塚古墳|八幡観音塚古墳|埼玉稲荷山古墳|三千塚古墳群出土 人物埴輪 鈴鏡を下げた巫女))|孚弟王、意柴沙加宮に在す時-継体大王の登場(継体大王の大和への進出|南山城の首長たち(五ヶ庄二子塚古墳|物集女車塚古墳|井ノ内稲荷塚古墳)|石見型埴輪の世界(石見遺跡|四条古墳群|小立古墳))|エピローグ(三嶋之藍ノ御陵(太田茶臼山古墳|今城塚古墳|新池埴輪製作遺跡|昼神車塚古墳))∥コラム 石見型埴輪について
刊行年:2003/04
データ:『日継知らす可き王無し-継体天皇の出現』 滋賀県立安土城考古博物館
1727. 井上 光貞 古代国家の成立-東アジアの一員として|雄略天皇とその時代(氏と姓|東アジア諸国との交わり|東漢氏のなりたち)|六世紀の開幕(継体天皇の出現|百済武寧王と継体朝|筑紫国造の反乱)|欽明朝と国際関係(継体-欽明朝の謎|蘇我氏の台頭|任那滅亡)|国造と屯倉(古墳と屯倉|筑紫と
東国
|国造と県主)|飛鳥仏教の成立(仏教伝来|聖徳太子と蘇我馬子|三宝興隆)|日出ずる国の天子(旧外交の解体|官人の秩序と法|隋との国交)|改新の前夜(新世代の台頭|改新政権の樹立)|大化の政治改革(改新の発足|改新政治の展開|難波宮の完成|外交方針の破綻)|百済の役(有間皇子の変|阿倍比羅夫の東北経営|百済の滅亡|白村江の敗戦)|近江朝廷と律令(国土の防衛|初期律令国家の成立)|壬申の乱(乱の前後|両軍のたたかい|近江朝廷の敗退)
刊行年:1974/01
データ:『日本の歴史』 3 小学館 飛鳥の朝廷
1728. 堤 紫海 東方への志向(
東国
平定|陸奥への関門|越の柵|蝦夷征伐|東方への希求|壬申の乱|白鳳時代開く|炎と花)|国生の苦しみ(山河無情|苦患の国土|陸奥開発始まる|黄金出土|宮廷乱脈|家持擾乱|天平の嵐|天平の破局|陸奥の反乱|輪奐の美|平城京離脱)|謎深い異境の国(平安京遷都|田村麻呂征夷|鎮守府北進|波乱の平安京|征夷中断|多賀城碑の謎|幻の壺碑|辺境の異国情緒)|楽土建設の夢(「つはもの」時代|東西の異端児|戦雲渦巻く|一族の戦乱|武蔵国への志向|関八州を制圧|将門の最期|天慶の顛末)|悲劇の武将たち(栄華の陰に|幻の美女|源平の地盤交代|黄金の酋長|前九年の役|頼義の開運|安倍一族の最期|不遇の将軍|後三年の役|戦火出羽へ|清原氏滅ぶ|源氏武士の発祥)|黄金文化の跡(清衡の奥羽経略|中尊寺の謎|壮麗な伽藍建設|藤原三代の軌跡|奥州平定|終章 民族の悲願・東北開発)
刊行年:1979/04
データ:『陸奥への道-歴史散歩』 文化総合出版
1729. 澤田 吾一 人口 全国人口の概勢(天平十九年官奏の課口|出雲国大税賑給歴名帳|平城京と金沢市との比較|弘仁主税式の出挙稲)|人口と出挙稲の関係|陸奥国(課丁|課丁数の変遷)|諸国の課丁及び人口(計算|批評〈弘仁稲と延喜稲|奥羽の人口|諸国人口表の作成に於て陸奥の地位、其一・其二|究極の辨證〉)|駿河国(正税帳の租穀|田租減免の程度|人口の計算|封戸の郷別人口計算の一法|収穫と田租)|遠江国|坂東八国(人口計算|宝亀五年の勅|押勝の征韓軍(
東国
))|山陽道、南海道(押勝の征韓軍(中国)|阿波国の戸数)|九州|畿内(課丁及び人口の計算|二種人口の優劣〈前節高年者表の(1)(2)(3)(4)に付て|畿内の調と外国の調|攝津の調|郷別人口〉)|対馬、多、志摩、左右京|人口結論|人口余論、其一(諸国の郷別人口|諸国人口表、郷数表、田積表|批評)|人口余論、其二(菅公の讃岐国人口|太子伝の人口及び所謂聖武天皇時代の人口)
刊行年:1927/09
データ:『奈良朝時代民政経済の数的研究 附・諸国人口・斗量・衣食住』 冨山房 復刻版:柏書房,1972/08
1730. 池田 三枝子 山部赤人の「田子の浦ゆうち出て見れば」の歌は『百人一首』の歌とどう違うのか|「咲く花の薫ふがごとく」の歌は平城京讃歌か|「麻手刈り干し布さらす東女を忘れたまふな」と詠んだ常陸娘子は農民の娘か|大伴家持はなぜ女性からの恋歌に返事しなかったのか|貧窮問答歌は古代農民の姿の実写か|志貴皇子の懽びの歌には何か別の意味が隠されているのか|「夕されば小倉の山に」の歌の作者はだれか|高橋虫麻呂の浦島伝説を詠む歌にはなぜ亀が出てこないのか|万葉の相聞歌にはなぜ序詞が多いのか|万葉の相聞歌にうわたわれる恋のマジックにはどのようなものがあるか|『万葉集』にはなぜたくさんの七夕歌が残されているのか|万葉の相聞歌はなぜ「人自・人言」を歌うものが多いのか|日本は「言霊の助くる国」だったのか|巻十四の東歌は
東国
の民謡か|巻十五の遣新羅使人たちは帰路になぜ寡黙になったのか|巻十五の中臣宅守と狭野弟上娘子との恋は虚構か|安積山の歌はほんとうに采女が作ったのか|穂積皇子の歌は恋の苦しさを歌うものか|複数の男性に求婚された伝説の処女たちはなぜ自殺しなければならなかったのか
刊行年:2000/10
データ:『万葉集101の謎』 新人物往来社 万葉の歌をめぐる謎
1731. 角田 文衞 北山の准后(貞子の回想|源氏と平家)|嵐の後(女院の還御|関東護送|平家の生虜たち|宗盛父子の最後|三位中将重衡の場合)|さまざまな運命(平家の侍大将|平貞能の
東国
落ち|頼盛の軌跡|流人発遣|生虜の侍たち|阿波民部大夫)|平家の残党(平孫狩り|宗親と時実兄弟|盛久と盛嗣の場合|丹後侍従|宗家の開祖|平家谷)|女人の行方(清盛の娘たち|女院の大原入り|大原御幸|時忠の一族|治部卿局|頼盛の遺族)|北陸の空(時忠と能登国|時忠の末裔|長兵衛尉信連|越後平氏|平永茂|建仁の乱|坂額の奮戦)|鎮魂の歌(冷泉大納言隆房|平家公達草紙|栄耀の日々|草紙と絵巻|女院の動静)|時の流れ(伊賀大夫|悪七兵衛景清|三日平氏の乱|乱の余波|流人召|忠快僧都|幻の旅路)|おどろの路(院の近臣|維盛の遺族|勢観房源智|信範の一家|従三位教子)|暗雲(順徳院の周辺|鎌倉家の末路|鎌倉家の御家人|貞子の結婚|頼盛の子孫)|源平の黄昏(四條局の隆昌|『平家物語』の作者たち|堂上平氏の存栄|六波羅家の後裔)|諸家系譜抄|あとがき
刊行年:1978/09
データ:『平家後抄-落日後の平家』 朝日新聞社