日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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181. 森田 悌
上野国
佐位郡の古代-廃寺と駅道|秋田城と出羽国府|「遠江国浜名郡輸租帳」の史料性
刊行年:2000/02
データ:『日本古代の駅伝と交通』 岩田書院 秋田城国府説
182. 竹内 理三編 近江国荘園分布図(二)|美濃国荘園分布図|信濃国荘園分布図|
上野国
荘園分布図
刊行年:1961/12
データ:九州史学 19 九州大学国史学研究会 荘園分布図 上巻
183. 関口 功一 『群馬県史』資料編4所載「
上野国
交替実録帳」件名索引(稿)
刊行年:2000/05
データ:東国史論 15 群馬考古学研究会
184. 中村 光一 辺境の開拓(東北経営と蝦夷の支配)|地方政治の展開・東日本編(
上野国
)
刊行年:1999/06
データ:『続日本紀の世界-奈良時代への招待』 思文閣出版
185. 津金澤 吉茂 古代
上野国
における石造技術についての一試論.-山王廃寺の塔心柱根巻石を中心に
刊行年:1983/03
データ:群馬県立歴史博物館紀要 4 群馬県立歴史博物館
186. 吉永 博彰 長良信仰に関する研究序説.-
上野国
邑楽郡江黒村「長良神社勧請由来記」の紹介に寄せて
刊行年:2011/03
データ:神道研究集録 25 国学院大学大学院文学研究科神道学専攻
187. 矢田 俊文 中世考古学のための文献資料解説(城と城下〈山小屋
上野国
長楽寺永禄日記〉|土器・陶磁器ほか〈建盞・天目
上野国
長楽寺永禄日記|首都物資流通圏 御伽草子「猿の草子」〉)
刊行年:2005/08
データ:『中世城館と集散地-中世考古学と文献研究』 高志書院 文献資料と中世考古学
188. 小池 浩平 上毛野氏及び上毛野―
上野国
地域と蝦夷政策との関連(1).-上毛野氏と吉弥侯部との関係を中心に
刊行年:1998/03
データ:群馬県立歴史博物館紀要 19 群馬県立歴史博物館
189. 小池 浩平 上毛野氏及び上毛野―
上野国
地域と蝦夷政策との関連(2).-8世紀前半の柵戸移配記事を中心に
刊行年:1999/03
データ:群馬県立歴史博物館紀要 20 群馬県立歴史博物館
190. 高島 英之 墨書・刻書土器の動向から見た律令制下の郡間関係の一側面.-
上野国
新田郡と山田郡との事例から
刊行年:2011/03
データ:群馬県埋蔵文化財調査事業団研究紀要 29 群馬県埋蔵文化財調査事業団 出土文字資料と古代の東国
191. 平野 卓治 外つ国から東国へ(東国における渡来系文物〈金属工芸品《冠|耳飾り・指輪|飾履》|武器・武具《飾り大刀|馬具》|埴輪|渡来人の足跡・韓式系土器〉|古代王権・国家と東国の渡来人〈仏教の受容|渡来人と郡の成立《
上野国
と渡来人|下野国と渡来人|武蔵国高麗郡と渡来人|武蔵国新羅郡と渡来人|武蔵国男衾郡と渡来人》〉|横浜市域周辺の渡来系文物)|東国から北方へ(東北地域の渡来系文物と東国|東国からの人々の移住〈東国からの移民の足跡《郡山遺跡|名生館官衙遺跡|三輪田遺跡と「大住団」木簡|御駒堂遺跡|色麻古墳群》|海の道による移動《赤井遺跡》〉)
刊行年:2007/04
データ:『ヒトが移る、モノが動く-古代の東国に・その痕跡を探る』 横浜市歴史博物館
192. 古川 元也 青岸渡寺御正体(松喰鶴文・線刻千手観音)|新宮寺一切経|新宮寺大般若波羅蜜多経 巻四七三|新宮社沙弥圓和沙汰状(文治五年十月十二日)・石橋棟義願文(永徳四年五月十九日)|吉良貞家寄進状(文和二年四月九日)|新宮社吉良貞経寄進状(文和二年七月十五日)・平泰経寄進状(暦応四年十二月十九日)|経筒|熊野本宮大社越後国諸郡檀那願文帳(建徳三年五月二十八日)|熊野神社牛玉宝印版木(応永二年四月開版・応永三年)|西光寺持蓮華|清浄光寺安食問答|鉦架支板|称名寺金沢貞顕自筆書状・氏名未詳書状・静恵書状(紙背)・氏名未詳書状(「横帳四」紙背)|称名寺熊野三所御正躰釈為除病・熊野三身・熊野十二所権現御正躰釈・熊野権現口決雑記私・熊野山参詣作法・熊野山祓殿阿弥陀寺勧進状|称名寺加賀国軽海郷年貢済物結解帳・上総国周東郡内称名寺領年貢請文(元徳三年三月十三日)・上総国周東郡波多沢村年貢注進状(応安四年九月十日)|称名寺武蔵国品河湊船帳(明徳三年八月)|天妙国寺鎌倉公方足利成氏判物(至徳二年十一月十四日)|熊野本宮大社諸国檀那願文帳(正平十八年□月十六日・貞治六年三月二日)・
上野国
沼田荘檀那願文(正平二年二月四日)・常陸国真壁郡檀那願文(応安四年十一月二十一日)・鎌倉六浦出羽房請文(明徳四年三月二日)|熊野本宮大社『能里帳』上(
上野国
高山荘檀那願文(建徳二年一月二十四日)・
上野国
長野常陸寺住人願文(明徳三年十一月二十六日))|『神道集』|覚園寺文書|大川戸熊野神社文書|神武寺千手観音菩薩像|師岡熊野神社縁起書(貞治三年五月)
刊行年:2005/10
データ:『聖地への憧れ-中世東国の熊野信仰』 神奈川県立歴史博物館 列品解説
193. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈
上野国
〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士