日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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17件中[1-17]
0
1. 所 功 資
仲
抄
刊行年:1995/02
データ:『
新
訂増補国書逸文』 国書刊行会 雑 宮廷儀式書成立史の再検討
2.
仲
隆裕 夢窓疎石が作った禅宗庭園の最高峰|夢窓疎石 作庭の思想
刊行年:2007/12/16
データ:『週刊仏教
新
発見』 26 朝日
新
聞社 天龍寺
新
発見 山水に得失なし得失は人の心にあり
3. 山口
仲
美 北の方の実在感
刊行年:1989/05
データ:
新
日本古典文学大系月報 5 岩波書店 18落窪物語 住吉物語
4.
仲
隆裕 浄土庭園をもつ寺
刊行年:2007/09/23
データ:『週刊仏教
新
発見』 14 朝日
新
聞社 ゆかりの寺 浄土庭園の基準となった道長・頼通父子の作庭
5.
仲
新
大学の歴史.-日本編
刊行年:1969/03
データ:東洋学術研究 8-1 東洋哲学研究所
6. 王
仲
殊 試論唐長安城與日本平城京及平安京何故皆以東半城(左京)為更繁栄
刊行年:2003/05
データ:『
新
世紀の考古学』 纂修堂
7. 速水 大 許
仲
昇墓誌・解説
刊行年:2010/03
データ:古代学研究所紀要 13 明治大学古代学研究所
8. 酒寄 雅志
仲
麻呂政権の
新
羅征討計画の狙い
刊行年:1985/06
データ:歴史読本 30-11
新
人物往来社
9. 加藤 かな子 武蔵国
新
羅郡設置に関する一試論.-
仲
麻呂政権における渡来人政策を通して
刊行年:1989/02
データ:駒沢大学史学論集 19 駒沢大学大学院史学会
10. 小谷
仲
男|菅沼 愛語 『
新
唐書』西域伝訳注(一)(二)
刊行年:2010/03|2011/03
データ:京都女子大学大学院文学研究科研究紀要史学編 9|10 京都女子大学
11. 青木 洋志 篁日記|貞文日記|宇治宝蔵日記|隠蓑物語|橋姫物語|樹下集|古今金玉集|五葉集|明玉集|良玉集|
仲
実朝臣古今集目録|通俊卿後拾遺抄目録|本朝秀句|為憲集|登科記
刊行年:1995/02
データ:『
新
訂増補国書逸文』 国書刊行会 文学
12. 佐藤 宗諄 政治理念と現実の矛盾を越えて|聖武と光明-鎮護国家への道|転変する政局-
仲
麻呂と道鏡の時代
刊行年:1987/04/26
データ:『週刊朝日百科』 582 朝日
新
聞社 朝日百科日本の歴史〈
新
訂増補〉2古代
13. 林 陸朗 序説-『続日本紀』の薨卒伝について|道昭和尚-三蔵法師の弟子|道首名-地方政治家の模範|道慈法師-仏教の巨星|僧玄昉-怨霊に狙われた高僧|行基和尚-菩薩と崇められた高僧|多治比広足-橘奈良麻呂の変に連座した|光明皇后-天平のファーストレディ|巨勢関麻呂-伯父の家を継ぎ公卿になった|紀飯麻呂-参議で病没した
仲
麻呂派官人|石川年足-墓誌銘が違った高級官人|鑑真和上-苦難を超えて戒律の法を伝えた|藤原弟貞-実は長屋王の子|藤原
仲
麻呂(恵美押勝)-専制権力とその末路|坂上犬養-武人の家系を誇る|和気王-皇位をうかがったとされる|藤原豊成-藤原南家の総帥|藤原真楯-
仲
麻呂の乱に功績をあげた高官|百済敬福-百済国王の末裔|上道正道-密告で出世した元舎人|山村王-鈴印の争奪に功績があった|高丘比良麻呂-
仲
麻呂の陰謀を訴えた大外記|大和長岡-祠官出身の法律家|文屋浄三-二世王の賜姓、篤信の仏徒|藤原永手-光仁天皇を推戴した宰相|僧道鏡-果たして皇位を狙ったか|国中公麻呂-東大寺の大仏師|大津大浦-陰陽師の世渡り|藤原蔵下麻呂-
仲
麻呂追討に適時打を放つ|吉備真備-当代第一の学者・大臣|飯高諸高-清廉貞節な女官と評価される|大伴古慈斐-権力者に嫌われた大伴氏の長老|藤原良継-権力に反抗した人が権力を握った|藤原百川-奈良朝きっての策士という評判|藤原縄麻呂-高野天皇側近の顕官|文屋邑珍-僧形で身の安全をはかった皇孫|石上宅嗣-図書館を創始した文人政治家|大伴伯麻呂-宴飲して談論風発の人|藤原百能-後宮女官の頂点にたった|道嶋嶋足-蝦夷出身の政府高官|藤原田麻呂-恭謙の公卿と称された|藤原魚名-晩年に暗転、配流された大臣|淡海三船-僧俗兼ね備えた文人政治家|大伴家持-万葉の大歌人、後半生の足跡|藤原種継-長岡京造営の犠牲となった寵臣|坂上苅田麻呂-武門の誉れを輝かせた|藤原旅子-早逝した淳和天皇の生母|石川名足-剛直な官人として怖れられた|大中臣清麻呂-国の古老といわれた祠官出身で大臣|藤原是公-桓武の外舅として信任が篤かった|高倉福信-高句麗系渡来人の出世頭|高野
新
笠-桓武天皇の生母・百済系渡来人|藤原乙牟漏-藤原氏からでた二人めの皇后|佐伯今毛人-東大寺建立の功労者
刊行年:2010/05
データ:『奈良朝人物列伝-『続日本紀』薨卒伝の検討』 思文閣出版
14. 坂本 太郎 聖徳太子と飛鳥時代の文化(五・六世紀の政治情勢|推古天皇の即位と聖徳太子の摂政|聖徳太子の事業|推古天皇の晩年と舒明朝|飛鳥時代の文化)|大化改
新
と壬申の乱(大化改
新
の原因|大化改
新
の経過|
新
政の停滞と百済救援の役|天智天皇の立場|壬申の乱)|律令制定と白鳳文化(天武天皇と飛鳥浄御原律令|持統・文武両天皇の政治|大宝律令の制定|白鳳文化)|律令政治の発展(平城遷都|貨幣鋳造|地方制度の改定|農民の動揺と政府の対策|学問奨励と歴史地誌の編集)|天平の政治と文化(政治勢力の推移|仏教政治の発展|遷都の迷い|仏教政治の完成|財政と民政|外交の
新
事態|学問の隆昌|芸術の盛況)|仏教政治と儒教政治(
仲
麻呂政権と儒教政治|道鏡政権の推移|仏教政治の爛熱|律令政治の復活)
刊行年:1960/02
データ:『日本全史』 2 東京大学出版会 坂本太郎著作集1古代の日本
15. 浅井 和春 はじめに|奈良時代美術の底流(三つの品|天武系皇統の「呪縛」)|奈良時代前期(七一〇-七三五)(平城京の造営と大寺の移転|法隆寺五重塔と中門の塑像|元明天皇から元正天皇へ|薬師寺金堂薬師三尊像と東院堂聖観音像|興福寺の造営|聖武天皇の即位と光明子の立后|興福寺西金堂の造像|十大弟子・八部衆像)|奈良時代中期Ⅰ(七三五-七五三)(三千代・光明子と法隆寺|藤原四子政権から橘諸兄政権へ|藤原広嗣の乱、行幸、そして大仏造立宣言|大養徳国金光明寺と法華堂本尊不空羂索観音像)|奈良時代中期Ⅱ(七五四-七六四)(鑑真和上の来日と
仲
麻呂の唐風政治|唐招提寺の成立とその造像|法華寺阿弥陀浄土院の造像その他)|奈良時代後期(七六五-七八四)(称徳天皇と道鏡|称徳・道鏡と西大寺|光仁・桓武朝の
新
政策と造像)∥仏像と近代 仏像、博物館にならぶ
刊行年:2004/05
データ:『日本の美術』 456 至文堂 -∥付論
16. 岩橋 小彌太 内裏式|
新
儀式|本朝月令|雲図抄|九条年中行事|小野宮年中行事|建武年中行事|年中行事秘抄|年中行事歌合|神祇官年中行事|東宮年中行事|三節会次第|釈奠次第|建久九年五節記|綾小路俊量卿記|朔旦冬至部類記|後鳥羽院御践祚次第|後光厳院御践祚記|後三条院御即位記|正親町院御即位略次第|永仁御即位用途記|文安御即位調度図|大嘗会御禊節下次第|延慶二年大嘗会御禊記|大嘗会御禊日例|大嘗会御禊事|康治元年大嘗会記|正安三年大嘗会記|永和大嘗会記|永享大嘗会記|大嘗会延引勘例|長元大嘗会御屏風本文|御譲位部類記|寛元御譲位記|永徳御譲位記|天皇冠礼部類記|天子冠礼部類記惣録|天皇元服部類|主上御元服上寿作法抄|立坊部類記|東宮御書始部類記|上卿故実|作法故実|四節八座抄|参議要抄|羽林要秘抄|
新
任弁官抄|結政初参記|貫首秘抄|蓬莱抄|夕拝備急至要抄|柱史抄|内局柱礎抄|清眼抄|大夫尉義経畏申記|除目抄|蝉冕翼抄|大間書|伝宣草|年中行事御障子文|年中行事|口言部類|師遠年中行事|師元年中行事|年中行事抄|師光年中行事|元寇四年歳次甲子年中行事|年中行事大概|樗嚢抄|執政所抄|中山内府元日節会次第|元日宴会次第|元日節会次第|小朝拝部類記|殿上燕酔部類|大永二年殿上淵酔記|妙音院相国白馬節会次第|慈眼院関白白馬節会次第|公宣卿白馬節会次第|寛正六年白馬節会次第|公宣卿踏歌節会次第|寛正六年踏歌節会次第|陽照院儀同踏歌踏歌御次第|県召除目次第|後陽成院県召除目次第|秋玉秘抄|妙槐記除目部類|除目申文抄|長徳二年大間書|享徳二年大間|天文廿年大間|文明七年闕官寄物|長寛二年朔旦冬至記|永仁五年朔旦冬至記|内侍所御神楽部類|御即位次第|御即位由奉幣部類記|淳和天皇御即位記|二条院御即位記|保元三年番記録|六条院御即位記|高倉院御即位記|安徳天皇御即位記|後鳥羽院御即位記|順徳院御即位記|四条院御即位記|花園院御即位記|光厳院御即位記|光明院御即位記|称光院御即位記|延慶大嘗会記|応永大嘗会記|土御門院御譲位部類|後嵯峨院御譲位部類|後嵯峨院御譲位記|後光厳院御譲位記|後円融院御譲位記|後花園院御譲位下書注文|元号字抄|元秘抄|改元烏兎記|改元宸記|改元部類|同|同|同|同|同|同|大治改元定記|久寿改元定記|顕時卿改元定記|安元改元定記|寿永改元定記|元暦改元定記|兼光卿改元定記|建久改元定記|師重改元定記|経光卿改元定記|弘安改元定記|実任卿改元定記|延文改元定記|貞治改元定記|応安改元定記|資定卿改元定記|弘治改元定記|応和四年革令勘文|文応二年革命定|永享十三年革命勘文|高倉院御元服記|東宮冠礼部類記|承元二年東宮御元服記|正元元年東宮御元服部類記|元徳二年東宮御元服記|永正九年若宮御元服記|東宮元服祝文|親王御元服部類記|相国拝賀部類記|大納言拝賀部類記|中納言拝賀部類記|実躬卿中納言拝賀記|参議拝賀部類記|逍遥院内府蔵人頭拝賀次第|称名院右府蔵人頭奏慶従事次第|康親卿貫首拝賀次第|夕郎五代拝賀次第|諸
仲
卿蔵人奏慶記|次将拝賀部類|少将申慶次第|水黄記抄|公卿宣下抄|臨時簡要抄|宣旨類|雑筆要集|参軍要略抄|中外抄|吉口伝
刊行年:1960/05
データ:『群書解題』 6 続群書類従完成会
17. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|
新
羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|
新
田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉
仲
荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|
新
島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|
新
居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士