日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
検索式
検索
クリア
表示件数
10
20
30
50
100
ソート
執筆者 (昇順)
執筆者 (降順)
刊行年 (古い順)
刊行年 (新しい順)
検索結果
18件中[1-18]
0
1. 山中 裕 栄花物語・大鏡に現われた
安和の変
刊行年:1962/06
データ:日本歴史 168 吉川弘文館 平安朝文学の史的研究
2. 山田 宗睦 源義家
刊行年:1975/12
データ:『人物日本の歴史』 4 小学館
安和の変
3. 鮎沢 寿
安和の変
覚書き
刊行年:1966/12
データ:古代文化 17-5 古代学協会京都事務所
4. 山口 博
安和の変
補考
刊行年:1965/12
データ:日本歴史 211 吉川弘文館
5. 山中 裕 安和の偽計.-藤原実頼
刊行年:1982/09
データ:歴史読本 27-12 新人物往来社 平安時代の古記録と貴族文化
6. 松村 博司
安和の変
に関する大鏡・栄花物語の記述について
刊行年:1969/01
データ:『名古屋大学文学部二十周年記念論文集』
7. 山本 信吉 冷泉朝における小野宮家・九条家をめぐって.-
安和の変
の周辺
刊行年:1965/06
データ:『摂関時代史の研究』 吉川弘文館 政治史の諸相 摂関政治史論考
8. 黒板 伸夫 摂関制展開期における賜姓源氏.-特に
安和の変
を中心として
刊行年:1969/03
データ:古代学 15-4 古代学協会 摂関時代史論集
9. 神野藤 昭夫 〈源順伝〉断章.-
安和の変
前後までの官人としての順
刊行年:1984/03
データ:跡見学園女子大学国文学科報 12 跡見学園女子大学国文学科
10. 幾永 朋浩 為平親王排斥事件と「
安和の変
」.-特に『栄花物語』を中心として
刊行年:1998/01
データ:風俗史学 1 日本風俗史学会
11. 深澤 三千男
安和の変
における道綱母の役割について.-蜻蛉日記より見たる
刊行年:1981/11
データ:『平安時代の歴史と文学』 文学編 吉川弘文館
12. 黒板 伸夫
安和の変
-後期摂関政治体制への序曲|天暦の治-天皇親政への告別賦
刊行年:1970/04
データ:『日本と世界の歴史』 7 学習研究社
13. 元木 泰雄 武門源氏の祖-経基|満仲と
安和の変
|満仲と多田|頼光と摂関政治|武人頼光とその周辺|摂津源氏の動向|伝説の満仲・頼光像
刊行年:2004/02
データ:『源満仲・頼光-殺生放逸 朝家の守護』 ミネルヴァ書房
14. 土田 直鎮 朝所|県召除目|朝餉|朝餉壺|朝餉間|朝政|安倍晴明|安倍泰親|安倍吉平|
安和の変
|異位重行|伊伎是雄|威儀親王|威儀命婦|石山寺文書|一座宣旨|一条天皇|一人|一分召|入立|位禄定|員外官|引唱|院殿上人|院拝礼
刊行年:1979/03
データ:『国史大辞典』 1 吉川弘文館
15. 平郡 さやか 藤原北家の躍進(阿衡事件|菅原道真失脚|延喜の国政改革|意見十二箇条|延喜・天暦の治|
安和の変
|延喜の奴婢解放令|革命勘文|譲国・譲位|践祚・即位|立后|立太子|里内裏|摂政・関白|内覧|氏長者|朱器台盤|殿下渡寮|三代御記|菅家伝|寛平御遺誡|吏部王記|九暦|藤原時平|管原道真|藤原佐世|藤原師輔|藤原基経|冷泉天皇|宇多天皇|花山天皇|醍醐天皇|朱雀天皇|村上天皇|円融天皇|一条天皇|後一条天皇|後朱雀天皇|後冷泉天皇|菅原文時|斉世親王)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 摂関政治
16. 坂本 賞三 栄華と荒廃-はじめに|ゆきづまった律令制(「国司は法を守っていては政治ができない」|女性が多い戸籍|富豪の輩|国司と中央政府の対立)|寛平の治(阿衡の紛議|菅原道真の栄進と〝寛平の治〟|宇多天皇の譲位と菅原道真の左遷)|延喜の治(藤原時平の国政|宇多法皇と藤原忠平|菅原道真の怨霊|大陸情勢と外交政策)|人から「名」へ(王朝国家体制|固定された公田|「名」のしくみ|国内の徴税を請け負った国司|国風文化の興隆と王朝国家)|承平・天慶の乱(平将門の乱|藤原純友の乱承平・天慶の乱の歴史的背景|志多良神の入京と空也)|摂関常置の時代(
安和の変
|摂関を争う暗闘|〝摂関政治〟ということ|入宋関係と入宋僧)|道長の極盛とその背景(この世はわが世|刀伊の来襲|道長の造営工事と国司|道長と荘園|道長と浄土教|平忠常の乱)|富める受領と、郡司百姓の上訴(尾張国解文|国司が財を成した理由|郡司百姓の上訴|公卿の国政観)|寛徳荘園整理令(地方行政制度の改変|寛徳荘園整理令|徴税体系の改変|中世所領のはじまりと武士|尊仁親王の立太子)|末法の世がくる(絶望と懐古|平等院鳳凰堂|前九年・後三年の役)
刊行年:1974/04
データ:『日本の歴史』 6 小学館
17. 小林 洋介 倭の五王論争 五王を結ぶ関係とは|大和国家論争 国家はいかにして形成されたか|任那日本府論争 日本府は実在したか|継体王朝論争 内乱は実在したのか|磐井の乱論争 磐井の乱異視点考察|仏教伝来論争 伝来の年次はいつか|大化の改新論争 改新は本当にあったのか|天皇論争 古代の王権と天皇|壬申の乱論争 乱の直接の原因とは|神仏習合論争 神宮寺と富豪層|古代の遷都論争 平安京までの遷都の理由は|律令国家体制論争 国家の性質とは|富豪層論争 律令国家の変革者|平安京論争 なぜ遷都したのか|遣唐使論争 なぜ派遣されたのか|幼帝論争 幼帝とはなにか|延喜・天暦の治論争 本当に「聖代」だったのか|将門の乱論争 将門の「新皇」宣言と独自国家|平安時代の民衆運動論争 志多羅神運動の示す諸様相|藤原氏他氏排斥論争
安和の変
は何のために|国司苛政闘争論争 解任された国司と解文|摂関政治論争 摂関家は権力を独占していたのか|土地の私有と譲状論争 平安時代の私有と村落の様相|田楽と民衆論争 永長大田楽の主体諸階層|荘園公領制論争 成立はいつだろうか|院政論争 院政の実態と主体|平氏政権論争 平清盛はいかにして政権を握ったか|武士論争 その発生と「武」の意味|武士団の棟梁論争 後三年の役と義家の虚像|鎌倉幕府成立論争 どのように成立したのか
刊行年:1997/04
データ:別冊歴史読本 22-23 新人物往来社
18. 柳 雄太郎|米田 雄介|吉岡 眞之|平林 盛得|宮崎 康充|今江 廣道|飯倉 晴武 延暦四年~延暦十二年(七八五~七九三)長岡京造営と征夷の挫折|延暦十三年~延暦二十四年(七九四~八〇五)造都と征夷の成功-平安遷都|大同元年~弘仁元年(八〇六~八一〇)大同の新政と薬子の変|弘仁二年~弘仁十三年(八一一~八二二)弘仁の治世-唐風文化の興隆|弘仁十四年~天長十年(八二三~八三三)淳和の治世-学芸・文化の時代|承和元年~承和十四年(八三四~八四七)最後の遣唐使と承和の変|嘉祥元年~貞観七年(八四八~八六五)人臣太政大臣の出現|貞観八年~貞観十八年(八六六~八七六)応天門の変-人臣摂政の始まり|元慶元年~寛平二年(八七七~八九〇)陽成廃位と阿衡の紛議|寛平三年~昌泰三年(八九一~九〇〇)寛平の治-菅原道真の登用|延喜元年~延喜十三年(九〇一~九一三)延喜の治-律令制再建の夢|延喜十四年~延長八年(九一四~九三〇)菅公の怨霊-たび重なる不幸|承平元年~天慶八年(九三一~九四五)承平・天慶の大乱起こる|天慶九年~康保三年(九四六~九六六)天暦の治-精彩欠く〝新政〟|康保四年~寛和元年(九六七~九八五)
安和の変
-藤原一族の内訌|寛和二年~正暦五年(九八六~九九四)兼家の制覇-中関白家の春|長徳元年~寛弘六年(九九五~一〇〇九)道長浮上-皇后定子の悲運|寛弘七年~万寿二年(一〇一〇~一〇二五)望月の世-道長外孫帝の出現|万寿三年~長暦三年(一〇二六~一〇三九)巨星落つ-藤原道長の死|長久元年~天喜三年(一〇四〇~一〇五五)末法の世-相次ぐ騒乱火災|天喜四年~治暦三年(一〇五六~一〇六七)前九年の役-源氏の台頭|治暦四年~延久五年(一〇六八~一〇七三)後三条天皇-延久の善政|承保元年~応徳二年(一〇七四~一〇八五)天皇親政と後三年の役|応徳三年~寛治七年(一〇八六~一〇九三)院政-治天の君の登場|嘉保元年~嘉承二年(一〇九四~一一〇七)聖主堀河と賢臣師通|天仁元年~元永二年(一一〇八~一一一九)白河院政の本格化|保安元年~大治四年(一一二〇~一一二九)〝専制主〟白河法皇|大治五年~久安五年(一一三〇~一一四九)鳥羽院政-美福門院の登場|久安六年~久寿元年(一一五〇~一一五四)悪左府頼長-摂関家の分裂|久寿二年~保元三年(一一五五~一一五八)保元の乱-武者の世の始まり|平治元年~仁安元年(一一五九~一一六六)平治の乱-平氏政権への道|仁安二年~承安二年(一一六七~一一七二)平相国-平氏政権の確立|承安三年~治承二年(一一七三~一一七八)鹿ヶ谷事件-反平氏運動|治承三年~養和元年(一一七九~一一八一)治承のクーデター|寿永元年~文治元年(一一八二~一一八五)平家滅亡-源平の合戦
刊行年:1982/07
データ:『読める年表』 2 自由国民社