北方史統合検索データベース
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79件中[61-79]
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61. 斉藤 利男 金色堂の正方に宿館を構え、平泉館と号す.-金色堂の視線と基衡・
秀衡
刊行年:2012/01
データ:東北中世史研究会会報 21 東北中世史研究会 報告要旨 岩手
62. 金野 静一 高まる期待.-
秀衡
挙兵の風評次々と
刊行年:2004/02/26
データ:朝日新聞(岩手版) 朝日新聞社 奥州藤原氏の興亡97 『平泉物語-藤原氏四代の盛衰』 岩手
63. 工藤 雅樹 平泉の貴賓たち.-地方政権に身を寄せる
刊行年:2008/01/19
データ:岩手日報夕刊 岩手日報社 世界遺産へ向けて 平泉への道48 『平泉藤原氏』 岩手
64. 今 東光 東夷の遠酋|前九年の役|清衡の制覇|中尊寺建立|金色の御堂|基衡の抬頭|左大臣頼長|舎利塚由来|
秀衡
と義経|一字金輪仏
刊行年:1967/03
データ:『平泉中尊寺』 淡交新社 岩手
65. 板橋 源 平泉の世紀|平泉藤原氏のなりたち|奥の御館藤原氏の出自|初代清衡|二代基衡|「北方の王者」
秀衡
|悲劇の泰衡|文化遺産
刊行年:1970/12
データ:『北方の王者-平泉藤原氏三代栄耀夢の跡』歴史図書館 秀英出版 岩手
66. 入間田 宣夫 北・南の周縁部から見直す中世日本-はじめに|北の平泉(平泉以前|清衡の創業|基衡の事業拡大|
秀衡
の栄華|北方海域の覇権を目指して)
刊行年:2002/08
データ:『日本の中世』 5 中央公論新社 岩手
67. 石井 淳 頼朝に追われ西国へ向かうも再び奥州へ-義経と平泉を結ぶ人々|
秀衡
の慰留を振り切り鎌倉へ出立-黄瀬川での初対面
刊行年:2005/01
データ:別冊歴史読本 30-1 新人物往来社 義経の謎 岩手
68. 鈴木 尚 藤原四代の遺体∥藤原四代遺体|清衡遺体の全形|清衡の顔|清衡の上腕骨レントゲン写真|基衡遺体(前面と背面)|基衡の顔|基衡の胸部レントゲン写真|基衡遺体(左側面)|
秀衡
遺体(前面)(左側面)(背面)|
秀衡
の顔|
秀衡
腰部のレントゲン写真|伝忠衡の首級|伝忠衡首級のレントゲン写真
刊行年:1959/11
データ:『中尊寺』 朝日新聞社 -∥図版解説 岩手
69. 藤島 亥治郎 まぼろしの古建築|貴重な四天王寺|四天王寺の発掘|四天王寺の再建|平泉の文化と遺跡|三題
秀衡
の無量光院|二代基衡の毛越寺|基衡夫人の観自在王院|初代清衡の中尊寺|これからの古寺再現
刊行年:1967/07
データ:『古寺再現』 学生社 岩手
70. 関 幸彦 伝説は語る(平泉での義経)|義顕・
秀衡
・平泉(その後の義経・静|再び奥州へ|鎌倉と平泉|頼朝の夢|義経の最期)|再び伝説は語る(海を渡る義経)
刊行年:1990/07
データ:『源義経 伝説に生きる英雄』 清水書院 岩手
71. 土橋 治重 初代清衡-仏教文化の粋、中尊寺を建立|二代基衡-その抜群の洞察力|三代
秀衡
-その無限のような包容力|四代泰衡-悲劇に招かれた最後の王者
刊行年:1993/06
データ:『奥州藤原四代記』 PHP研究所 岩手
72. 緒形 隆司 陸奥・出羽の俘囚たち|清和源氏の系譜|前九年の役|後三年の役|奥州藤原氏初代・清衡|二代・基衡|源氏の凋落|三代・
秀衡
|四代・泰衡
刊行年:1993/06
データ:『源氏と奥州藤原四代の興亡』 光風社出版 東北
73. 工藤 雅樹 はじめに|国府多賀城|胆沢鎮守府|防御性集落の時代|前九年の合戦|延久の合戦|後三年の合戦|清衡・基衡の時代|
秀衡
の時代|文治五年奥州合戦|平泉藤原氏政権のなりたち|『義経記』と『奥の細道』
刊行年:2005/12
データ:『平泉への道-国府多賀城・胆沢鎮守府・平泉藤原氏-』 雄山閣 東北
74. 工藤 雅樹 北の世界の原風景と文化(東北地方の原風景と文化|北海道の原風景とアイヌ文化への道)|律令時代(越後国から出羽国へ|阿倍比羅夫の大航海(一)(二)|大伴益立と大伴家持|蝦夷の墳墓)|安倍氏・清原氏の時代(『陸奥話記』と『奥州後三年記』|鳥海柵と安倍宗任)|平泉藤原氏の時代(中尊寺金色堂|二子合戦|毛越寺の造営|信夫の庄司・佐藤氏|観自在王院|
秀衡
の時代|
秀衡
、白山に仏像を寄進)|辺境地方政権の王・平泉藤原氏(辺境地方政権|平泉辺境地方政権の系譜|平泉藤原氏の遺産)|あとがき
刊行年:2009/06
データ:『平泉藤原氏』 無明舎出版 北海道|東北
75. 藤島 亥治郎 藤原三代ものがたり(清衡の追懐|中尊寺の造営|基衡と毛越寺・観自在王院|
秀衡
と伽羅御所・無量光院|平泉の落日)|平泉春秋(出逢い|平泉を測る|無量光院跡を掘る|中尊寺讃衡蔵建立の由来|観自在王院跡を掘る|毛越寺を掘る|中尊寺を掘る|金色堂の修理|国衡・隆衡館跡を掘る|観自在王院の整備|東山園のこと|町の方々と|平泉文化史館のこと|史都平泉)
刊行年:1981/03
データ:『夢のあと-発掘された平泉』 川嶋印刷∥岩手日報社刊行 岩手
76. 藤原 相之助 柳の宿の一夜|奥州杉薬師|束稲山の桜|兄弟の恋争ひ|白拍子の牙鑿|前民部省輔の配所|流人父子の対面|鎮守府将軍|鬼一法眼が事|吉次の行商|吉次の鞍馬詣|四條堀川の討入|宇都宮の活劇|衣川の庵室|女の胸|信夫への使ひ|巣立ちの隼|夏草の香|浅い巧み|その移り香|七夕の夜|大望を前に|紅の涙|中秋の月|懐剣の錆|猫間の淵|青貝の彌藤治|沈み行く身|靺鞨の大酋長|異類との誓約|恋から弓矢|夷軍來る|援軍來る|靺鞨の老巫女|奥の院|田名部の舘|風雲動く|令旨下る|女の髪|懺悔の涙|栗駒の地仙|義経の出陣|平泉評定|宮廷の秘事|内宣下る|平泉の宝引|不慮の内乱|赤稚児の里|風雲益々急|義仲と
秀衡
|
秀衡
の意見|義経の静動|逆艪の争ひ|西海の血の浪|月影の明石の浦|腰越の嘆き|堀川夜討|義経の都落ち|吉野の雪|奥州下り|目に見えぬ暗闘|高舘入り|杜鵑の塚|銀の猫兒|二人の孤児|西行法師|院の下文|
秀衡
入道卒去|鎌倉の使者|苦肉の経略|宣旨下る|毒計の犠牲|刺客入る|伽羅舘の大激論|頼朝の鬱憤|長部山の狩|田名部落ち|高舘攻め|義経の首級|泉の城攻め|頼朝の腹|奥州両州の防禦|大木戸の戦ひ|海道口と出羽口|泰衡の敗退|出羽軍の敗北|平泉の兵火|最後の恋|泰衡の最期|河田と由利|秘密の姫宮|残党の蜂起|宇曾利の奥の院|八郎潟の戦|夢の跡
刊行年:1917/09
データ:『平泉情史 藤原
秀衡
』 仁友社 初出は新聞連載。新聞名未調査 岩手
77. 板橋 源 中尊寺の魅力-序にかえて|平泉文化研究史の概要-参考文献の紹介をかねて(啓蒙的初期集大成、相原友奈緒の三部作|近代史学的研究|仏教美術、仏教考古学的研究|社会経済史的研究|自然科学的調査研究|発掘調査研究|ハンディな案内書|研究史料)|平泉藤原氏辺境在地勢力のなりたち(安倍氏在地勢力のなりたち|安倍氏勢力の構造|清原氏権力構造の変質|清原氏の没落|藤原清衡の出現)|平泉三代(奥御館の出自|初代清衡|二代基衡|三代
秀衡
|平泉三代の経済基盤)|平泉文化(平泉文化のひろがり|中尊寺|金色堂|経蔵|中尊寺の有形文化財)
刊行年:1959/11
データ:『中尊寺と藤原三代』 東北出版 岩手
78. 藤島 亥治郎 序説(高館から|建築遺跡の史的再現)|平泉文化以前(城柵|社寺)|清衡の時代(総説|居館|中尊寺)|基衡の時代(総説|居館|毛越寺と観自在王院)|
秀衡
・泰衡の時代(総説|無量光院跡|その他の社寺|居館)|都市平泉と住宅(都市構成|二重構造境界都市|水路と奥の大道|保の内の構成|律令都市から武民都市へ|住宅)|平泉文化の波及(総説|白水阿弥陀堂とその寺域)|結説(平泉建築の文化史的位置|平泉文化の保存と活用)
刊行年:1995/10
データ:『平泉建築文化研究』 吉川弘文館 岩手
79. 小原 与三郎編 安倍氏統治対策|前九年役の発端|安倍氏の実力|衣川柵 九月六日|鳥海の柵 九月十一日|黒沢尻柵|厨川柵 九月十四日|前線基地鶴脛柵|比与島館|北上市、一夜舘|黒岩嬢、岩崎城|浮田車舘|倉沢舘(大しだ舘)|毒沢虫丸舘と尼寺|砂子舘と道目木尼寺|砂子の由来|花舘(塙舘)|花舘忘憂の里|まぼろし尼寺|迎え山と時森|コータの舘|田瀬の道地舘|野金山と安倍舘|弓折り舘|鹿込の城舘の山|鱒沢高舘|小友舘山と鷹鳥谷舘|長野舘|いろは滝|小友村の荒谷|綾織胡四王|谷地舘|上野舘|フン舘|上綾織、弓折|土淵三舘|青笹塙舘、臼舘|上郷の舘|土淵村の安倍氏|早池峯安倍ヶ城の伝説|松崎の史跡|達曾部高舘|水境不審場、岩脇舘|松原舘、源三舘|小空蔵舘|桂舘、八木巻舘、八木巻馬舘|旭の又舘|内川目の舘跡|亀ヶ森舘、八幡舘、杉舘、羽黒堂舘|今日明日森、上舘、中舘、下舘|舘山大巻舘機織舘|御堂という部落|下北半島と津軽半島の歴史|衣川古戦場、厨川柵の最後|前九年の役の経過|後三年の役|平泉藤原氏|平泉藤原三代|源頼朝、泰衡の戦畧|義経弁慶の伝説|
秀衡
の御用商人と牛若丸|達窟について再度調査に行く
刊行年:1977/12
データ:『陸奥の伝説-前九年の役、後三年の役、平泉藤原氏』 私家版 岩手|秋田