北方史統合検索データベース
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105件中[81-100]
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81. 伊藤 直純 金沢の地位並に名称|鉄道下車駅並に金沢|後三年の戦役|大鳥山の墟|御所野|陣ヶ森|蛭藻沼並に陣所峰|二ツ石|永徳の碑|山神堂|鞍石|三光園|立馬郊並に西沼|古鴻園|紫明園|湯森並に朧の桜|犠牲塚|斥候山並に岩清水|耕余園|格知小学校|敵ヶ沢並に晴耕園|景政功名塚並に公園|妖怪石|陣館|厨川|腰掛石並に弓立岡|安本館|兜
八幡
社並に二の丸|
八幡
神社|北の丸|焦粮|本丸|洗金渓|祇園寺|盾石|本町|桂徳寺|殿小路並に何求園|下館|菊水橋|専光寺|七刈岡|長岡森|金沢家館址|老銀杏|墓堂並に金沢七騎|武南方館址|黒瀧山|唐櫃石|天下森
刊行年:1917/07
データ:『後三年戦蹟誌』 保古会 『日本戦史研究録』2附録(栗原 勇著) 秋田
82. 川崎 浩良 村山盆地の構成(村山盆地と湖沼時代|馬見崎川扇状地と山形聚落|村山盆地の地質並に土壌|先住民族の文化)|山形の起原(村山盆地の所属|交通路と土地の開拓|古墳と発掘遺物の検討|阿古耶松と阿古耶姫の伝説|龍山西麓のヤマト文化|山家と山寺の起源|最上郡と村山郡|山形の名の起源)|山形盆地の発達(最上郡の構成|延喜式の駅次|最上駅の位置|神社中心の聚落|鳥海山月山両所宮|源氏奉戴の
八幡
神社聚落)|精神文化の進展(天台宗と真言宗|馬見崎扇頭の文化|経塚の信仰|村山盆地聚落の発達|山寺文化の興隆|山形盆地民衆の信仰推移|勝因寺の創建)
刊行年:1948/12
データ:『山形の歴史』 前篇 出羽文化同交会 『川崎浩良全集』2山形の歴史(上) 山形
83. 神田 民衞 東奥の酋長安部頼義の事并国司則任敗軍の事|源頼義鎮守府将軍の事并伊具十郎誅に伏する事|衣川合戦の事并赤松村之介敗軍の事|加美川合戦の事并髻観世音の事|安部頼時戦死の事并遺言の事|義家射術名誉の事并景季阿部貞任と組打の事|将軍勢敗走の事并義家射術名誉の事|新将軍奥州下向の事并貞任流言を以新将軍追返す事|良照坊戦死の事并小松城陥落の事|義家明智九月五日合戦の事|石坂夜襲の事并義家計策の事|武則父子軍功の事并武則衣川を攻る事|衣川城寨陥いる事并義家貞任を赦す事|厨川城陥没の落の事并貞任戦死の事|金沢十郎戦死の事并頼義一言貞任の怨念を霽す事|千代童戦死の事并同人義勇の事|比与鳥鶴脛両城陥る事并荒川太郎卑怯の事|阿部宗任降参の事|将軍帰洛の事|宗任再び義家を討んと計る事并宗任三回義家を討んとする事|頼義卒去の事 以下後三年記|奥州清原武則死去家督相続の事|義家鎌倉
八幡
へ社参の事并権五郎景政臣下となる事|義家鎌倉
八幡
祠え社参の事并権五郎景政臣下となる事|将軍国中え検使を立らるゝ事并真衡再出羽へ出陣の事|家衡叛逆の事|権五郎景政先陣を願ふ事|権五郎景政勇猛の事|景政家時を討つ事|景政冑の矢を抜取勇気の事|新羅三郎義光官を棄て奥州へ下向の事|将軍奇謀賊を追返す事|景政武勇家衡と勝負の事|官軍失火賊兵夜討の事|義家将軍病気全閖愈の事并金沢城へ発向の事|金沢城攻の事并勇怯座席の事|義家城将の乞を許さゝる事|義家将軍敵の間者に就て反間を放事|賊将藤原千任を生捕る事并権五郎景政勇猛の事|将軍計略陣営を焼払ハせ賜ふ事|武衡生捕られ糺明誅戮の事|鎌倉権五郎勇猛の事并家衡誅戮の事
刊行年:1887/07
データ:『前九年後三年日本外史衍義』 今古堂 或齋永阪校閲 岩手|秋田
84. 辻 秀人 福島県(堂の森古墳|本屋敷1号墳|桜井古墳|玉山1号墳|二子塚古墳|正直35号墳|仲ノ平6号墳|早稲田7号墳|大仏前15号墳|塚畑古墳|笊内2号墳|麦塚古墳|原山1号墳|下総塚古墳|舟森山古墳|深沢古墳|十九壇3号墳|会津大塚山古墳|堂ヶ作山古墳|飯盛山古墳|喜多方
八幡
塚古墳|灰塚山古墳簿上虚空蔵森古墳|亀ヶ森古墳(大亀甲古墳)|鎮守森古墳(小亀甲古墳)|男壇2号墳(男壇2号前方後方形方形周溝墓)|男壇3号墳(男壇3号前方後方形方形周溝墓)|男壇4号墳(男壇4号前方後方形方形周溝墓)|宮東1号墳(宮東1号前方後円形方形周溝墓)|宮東2号墳(宮東2号前方後円形方形周溝墓)|鍛冶山4号墳|出崎山1号墳|出崎山2号墳|出崎山3号墳|出崎山7号墳|雷神山1号墳|森北1号墳|稲荷塚2号墳(稲荷塚2号前方後方形方形周溝墓)|稲荷塚3号墳(稲荷塚3号前方後方形方形周溝墓)|杵ガ森古墳|田村山古墳)
刊行年:1994/02
データ:『前方後円墳集成』 東北・関東編 山川出版社 前方後円墳集成 福島
85. 小原 与三郎編 安倍氏統治対策|前九年役の発端|安倍氏の実力|衣川柵 九月六日|鳥海の柵 九月十一日|黒沢尻柵|厨川柵 九月十四日|前線基地鶴脛柵|比与島館|北上市、一夜舘|黒岩嬢、岩崎城|浮田車舘|倉沢舘(大しだ舘)|毒沢虫丸舘と尼寺|砂子舘と道目木尼寺|砂子の由来|花舘(塙舘)|花舘忘憂の里|まぼろし尼寺|迎え山と時森|コータの舘|田瀬の道地舘|野金山と安倍舘|弓折り舘|鹿込の城舘の山|鱒沢高舘|小友舘山と鷹鳥谷舘|長野舘|いろは滝|小友村の荒谷|綾織胡四王|谷地舘|上野舘|フン舘|上綾織、弓折|土淵三舘|青笹塙舘、臼舘|上郷の舘|土淵村の安倍氏|早池峯安倍ヶ城の伝説|松崎の史跡|達曾部高舘|水境不審場、岩脇舘|松原舘、源三舘|小空蔵舘|桂舘、八木巻舘、八木巻馬舘|旭の又舘|内川目の舘跡|亀ヶ森舘、
八幡
舘、杉舘、羽黒堂舘|今日明日森、上舘、中舘、下舘|舘山大巻舘機織舘|御堂という部落|下北半島と津軽半島の歴史|衣川古戦場、厨川柵の最後|前九年の役の経過|後三年の役|平泉藤原氏|平泉藤原三代|源頼朝、泰衡の戦畧|義経弁慶の伝説|秀衡の御用商人と牛若丸|達窟について再度調査に行く
刊行年:1977/12
データ:『陸奥の伝説-前九年の役、後三年の役、平泉藤原氏』 私家版 岩手|秋田
86. 大矢 邦宣 プロローグ~東北・みちのく|霊木のみほとけ-神と仏とのあいだ(天台寺-北の果ての鉈彫り観音|天台寺周辺|恵隆寺-会津の巨木立木観音|白山神社-株付きの立木女神像|水神社と小沼神社-水神と観音|赤神神社五社堂-エミシの神の本地仏|産金と十一面観音|成島
八幡
神社と万蔵寺-みちのくの神の造形)|みちのく開拓のみほとけ-薬師如来と毘沙門天(勝常寺-みちのくの重鎮|勝常寺薬師の分身|黒石寺-エミシと向き合った薬師如来|双林寺-美男の境界鎮護|成島毘沙門堂と藤里毘沙門堂-田村麻呂の化身|その他の毘沙門天|大蔵寺-田村麻呂伝説の巨大観音|陸奥国分寺と松島五大堂-国府多賀城鎮護の仏|出羽の明王像|赤沢の四大明王)|みちのく霊山のみほとけ-流転の神仏(出羽三山-霊山の神仏分離|鳥海山-天変地異の霊山|蔵王と山寺周辺-温泉と奇岩の霊山|若松寺と昌林寺の懸仏|南部と津軽の霊山)|平泉文化のみほとけ-みちのくの浄土(中尊寺-清衡の夢|毛越寺-みちのく貴賓館|松川の二十五菩薩|海のみほとけ|田束山と横山不動-北上山地の平泉文化|大円寺-津軽路の平泉文化|高蔵寺-阿武隈口の平泉文化|白水阿弥陀堂-海道口の平泉文化|慈恩寺-古代から中世へ)
刊行年:1999/02
データ:『図説みちのく古仏紀行』 河出書房新社 東北
87.
八幡
一郎 バチェラー
刊行年:1962/12
データ:日本考古学辞典 東京堂
88.
八幡
一郎 マキリ
刊行年:1962/12
データ:日本考古学辞典 東京堂
89.
八幡
一郎 アイヌ
刊行年:1969/02
データ:新版郷土史辞典 朝倉書店
90.
八幡
一郎 アイヌ
刊行年:1975/06
データ:『新版郷土史辞典』 朝倉書店 7版
91.
八幡
一郎 アイヌ工芸
刊行年:1955/10
データ:MUSEUM 55 美術出版社
92.
八幡
一郎 アイヌの原始的農具
刊行年:1927/11
データ:人類学雑誌 42-12 日本人類学会
93.
八幡
一郎 礼文島発見の土石器
刊行年:1925/03
データ:人類学雑誌 40-3 日本人類学会
94.
八幡
一郎 日本古代の栓状鏃
刊行年:1947/10
データ:考古学雑誌 34-10 考古学会→日本考古学会
95.
八幡
一郎 故鳥居博士の足跡(下)
刊行年:1953/12
データ:人類学雑誌 63-2 日本人類学会
96.
八幡
一郎 アイヌ文化と日本古代文化
刊行年:1955/10
データ:日本人類学会日本民族学会大会抄録 10
97.
八幡
一郎 アイヌ文化における日本的要素
刊行年:1956/05
データ:『蝦夷』 古代史談話会
98.
八幡
一郎 アイヌ文化と日本古代文化
刊行年:1956/10
データ:日本人類学会・日本民族学協会連合大会紀事 第10回 連合大会事務所
99.
八幡
一郎 日本古代文化とアイヌ文化.-古代文化をめぐって
刊行年:1951/10
データ:MUSEUM 7 美術出版社
100.
八幡
一郎 故鳥居龍蔵博士と民族学-(追悼と評伝)-
刊行年:1953/10
データ:民族学研究 17-3|4 民族学協会→誠文堂新光社