北方史統合検索データベース
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131件中[121-131]
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121. 工藤 雅樹 胆沢鎮守府.-政治・軍事の中心に並ぶ
刊行年:2006/12/02
データ:岩手日報夕刊 岩手日報社 世界遺産へ向けて 平泉への道23 『
平泉藤原氏
』 岩手|宮城
122. 工藤 雅樹 前九年の合戦 発端.-地方と中央勢力の衝突
刊行年:2007/01/20
データ:岩手日報夕刊 岩手日報社 世界遺産へ向けて 平泉への道26∥初出時には鬼切部=鬼功部を宮城県大崎市鳴子温泉鬼首(おにこうべ)としていたが、再録にあたり「一関市鬼首(おにかべ)の可能性が高い」と改めている 『
平泉藤原氏
』 岩手|宮城
123. 工藤 雅樹 清原氏の参戦.-東北二分、安倍氏滅ぼす
刊行年:2007/04/07
データ:岩手日報夕刊 岩手日報社 世界遺産へ向けて 平泉への道31 『
平泉藤原氏
』 岩手|秋田
124. 新谷 行 原住民族収奪と天皇制国家(奴隷制としての古代天皇国家|古代における蝦夷とは何か|熊襲・隼人の抵抗とその消長)|阿倍臣比羅夫の北征とユーカラ(天皇族による東北侵略の実態|比羅夫の北略と出羽国|阿倍水軍とユーカラ)|桓武天皇の蝦夷侵略とアテルイの抵抗(天皇国家による北辺経営の本質|アザマロの叛乱とその意味|日本における民族戦争、アテルイの抵抗)|元慶の乱と蝦夷の独立宣言(秋田城をめぐる攻防|元慶の乱の意味と蝦夷独立の戦い)|俘囚長安倍氏と
平泉藤原氏
(「前九年の役」の経緯とその意味|後三年の役とその意味|
平泉藤原氏
の存立とその意味)|アイヌの自然観と生活(原始共産制としての共同社会|自然とのかかわり|優れた精神文化・ユーカラ)
刊行年:1977/12
データ:『アイヌ民族と天皇制国家』 三一書房 北海道|東北
125. 鈴木 啓 信夫郡家の跡-「郡」字土器を出土した五十辺遺跡|一木造の大作-大蔵寺千寿観音と仏像群|盆地の守護神信夫五社-延喜式の神々|
平泉藤原氏
の忠臣-信夫郡司・庄司の佐藤氏|忠死した義経の四天王-佐藤継信・忠信と妻たち|佐藤一族の奮戦-石那坂の戦い
刊行年:1999/06
データ:『図説福島市の歴史』 郷土出版社 古代 福島
126. 伊藤 博幸 大地に根づく人々(岩手の大地物語|花開く縄文文化|胆沢のクニの物語)|エミシの世界(終末期古墳をつくった人々|エミシの村落と生活|アテルイの世界)|鎮守府と奥六郡の世界(鎮守府胆沢城|王朝国家期の辺境|辺境の争乱-
平泉藤原氏
への道)
刊行年:1999/08
データ:『岩手県の歴史』 山川出版社 岩手
127. 板橋 源 中尊寺の魅力-序にかえて|平泉文化研究史の概要-参考文献の紹介をかねて(啓蒙的初期集大成、相原友奈緒の三部作|近代史学的研究|仏教美術、仏教考古学的研究|社会経済史的研究|自然科学的調査研究|発掘調査研究|ハンディな案内書|研究史料)|
平泉藤原氏
辺境在地勢力のなりたち(安倍氏在地勢力のなりたち|安倍氏勢力の構造|清原氏権力構造の変質|清原氏の没落|藤原清衡の出現)|平泉三代(奥御館の出自|初代清衡|二代基衡|三代秀衡|平泉三代の経済基盤)|平泉文化(平泉文化のひろがり|中尊寺|金色堂|経蔵|中尊寺の有形文化財)
刊行年:1959/11
データ:『中尊寺と藤原三代』 東北出版 岩手
128. 高橋 暁樹 奥羽の山波を越えた人々(一)狄夷、和我君計安塁と清原一族、そして西行法師の跡をたどる (二)狩猟民・マタギたち、マタギ村の生いたち、そしてブナ林の深層文化を見る|奥羽の山波を越えた人々 三-颪江、柏峠越した切支丹伝導アンジュリス、寿庵らの布教を視る|同(四)鉱山を求めて移動した山の民(杣人)-そして金元、山元の経営を視る|同(五)縄文時代の産業、焼畑農耕文化、その伝播の跡をさぐる|同(六)明永・明保長者伝承と
平泉藤原氏
の跡を探る
刊行年:1989/06-1992/05
データ:北方風土 18~20||22|24 秋田文化出版社∥イズミ印刷出版 岩手
129. 伊藤 直純 綱要|緒言(所謂前九年の役|所謂後三年の役|往昔の奥羽|合戦絵並に絵詞|静賢法師は明実に合戦絵を描かしむ|土御門帝奥州十二年合戦絵叡覧|玄慧は惟久に合戦絵を描かしむ|後花園帝後三年絵巻叡覧 康富陪覧|静賢玄慧並に惟久|約言|史料を閲する覚悟)|戦争の発端(清原真衡|成衡の結婚|吉彦秀武|清衡家衡は秀武に応ず|藤原清衡と其母|清衡と家衡と胆沢城を襲ふ|清衡と家衡は再び胆沢城を襲ふ|真衡征戦の途に病死す|家衡は清衡の館を襲ひ出羽の沼柵に走る|義家獵に出でゝ要撃せられんとし遂に兵を起して家衡を討ちて克たず|金沢柵の地形並に沿革|家衡は武衡の勧誘に拠り金沢柵に拠る|要旨)|源軍の通路(古への畋獵|秋期に兵を起すは糧食徴収の関係|源軍の通路|吉彦秀武の居所並に通路)|攻防の推定(両軍の兵数|両軍の陣地|当時の武装|武器の種類|源義光の来援|義光吹笙の虚説|義家機略縦横並に攻防両軍の美談|義家京師に入らず二衡の首を棄てゝ大和の壺井に帰へる)|柵軍の敗因(二衡大勢を知らず|二衡の背反|戦の捷敗は危機一髪)|敗後の虚理(清衡は好運児なり|
平泉藤原氏
百年栄華の基を建つ|平師妙等の乱義親之を夷く)
刊行年:1917/07
データ:『我観後三年役』 保古会 筆名:伊藤 耕餘 岩手|秋田
130. 大石 直正
平泉藤原氏
と津軽安藤氏∥十三湊と安藤氏
刊行年:1995/03
データ:『津軽安藤氏と北方世界』 河出書房新社 講演∥コラム 『中世北方の政治と社会』
131. 新谷 行 原住民族収奪と天皇制国家(奴隷制としての古代天皇国家|古代における蝦夷とは何か|熊襲・隼人の抵抗とその消長)|阿倍臣比羅夫の北征とユーカラ(天皇族による東北侵略の実態|比羅夫の北略と出羽国|阿倍水軍とユーカラ)|桓武天皇の蝦夷侵略とアテルイの抵抗(天皇国家による北辺経営の本質|アザマロの叛乱とその意味|日本における民族戦争、アテルイの抵抗)|元慶の乱と蝦夷の独立宣言(秋田城をめぐる攻防|元慶の乱の意味と蝦夷独立の戦い)|俘囚長安倍氏と
平泉藤原氏
(「前九年の役」の経緯とその意味|後三年の役とその意味|
平泉藤原氏
の存立とその意味)|アイヌの自然観と生活(原始共産制としての共同社会|自然とのかかわり|優れた精神文化・ユーカラ)|和人の略奪植民主義とアイヌの抵抗(松前藩の成立とコシャマインの抵抗|シャクシャイン戦争とユーカラ|略奪植民地とクナシリ蜂起|幕府の北辺警衛とアイヌ政策|松浦武四郎のルポルタージュ)|明治天皇国家とアイヌ民族(天皇の絶対主義と蝦夷地の奪取|開拓史のアイヌ政策|旧土人保護法|皇民化教育の強制とアイヌ民族精神)|アイヌ民族の復権と天皇制国家(日本人のアイヌ民族観|北大・林教授の「北海道経済史」批判|アイヌ民族の復権と天皇制国家の滅亡)
刊行年:1977/12
データ:『アイヌ民族と天皇制国家』 三一書房