北方史統合検索データベース
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1250件中[1221-1240]
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1221. 石渡 信一郎 エミシ(蝦夷)は和人(日本人)かアイヌ系先住民族か|朝鮮系倭国王朝の東北侵略|日高見国の防衛戦争と英雄アテルイ|律令国家の差別政策とエミシの抵抗|
平泉
藤原氏は「北の王者」ではない
刊行年:1994/02
データ:『古代蝦夷と天皇家』 三一書房 岩手
1222. 関 幸彦 奇妙な呼称-合戦名の由来にみる|美談の深層-義家と義光の場合|中世都市
平泉
の一〇〇年|奥州佐藤一族の栄光と挫折|ミイラは語る-藤原氏四代の学術調査
刊行年:2007/07
データ:別冊歴史読本 32-22 新人物往来社 戦争の諸相-コラム 東北
1223. 大矢 邦宣 プロローグ~東北・みちのく|霊木のみほとけ-神と仏とのあいだ(天台寺-北の果ての鉈彫り観音|天台寺周辺|恵隆寺-会津の巨木立木観音|白山神社-株付きの立木女神像|水神社と小沼神社-水神と観音|赤神神社五社堂-エミシの神の本地仏|産金と十一面観音|成島八幡神社と万蔵寺-みちのくの神の造形)|みちのく開拓のみほとけ-薬師如来と毘沙門天(勝常寺-みちのくの重鎮|勝常寺薬師の分身|黒石寺-エミシと向き合った薬師如来|双林寺-美男の境界鎮護|成島毘沙門堂と藤里毘沙門堂-田村麻呂の化身|その他の毘沙門天|大蔵寺-田村麻呂伝説の巨大観音|陸奥国分寺と松島五大堂-国府多賀城鎮護の仏|出羽の明王像|赤沢の四大明王)|みちのく霊山のみほとけ-流転の神仏(出羽三山-霊山の神仏分離|鳥海山-天変地異の霊山|蔵王と山寺周辺-温泉と奇岩の霊山|若松寺と昌林寺の懸仏|南部と津軽の霊山)|
平泉
文化のみほとけ-みちのくの浄土(中尊寺-清衡の夢|毛越寺-みちのく貴賓館|松川の二十五菩薩|海のみほとけ|田束山と横山不動-北上山地の
平泉
文化|大円寺-津軽路の
平泉
文化|高蔵寺-阿武隈口の
平泉
文化|白水阿弥陀堂-海道口の
平泉
文化|慈恩寺-古代から中世へ)
刊行年:1999/02
データ:『図説みちのく古仏紀行』 河出書房新社 東北
1224. 金野 静一 頼朝の恐れ.-義仲・秀衡 呼応のデマ
刊行年:2004/03/18
データ:朝日新聞(岩手版) 朝日新聞社 奥州藤原氏の興亡100 『
平泉
物語-藤原氏四代の盛衰』 岩手
1225. 新谷 行 原住民族収奪と天皇制国家(奴隷制としての古代天皇国家|古代における蝦夷とは何か|熊襲・隼人の抵抗とその消長)|阿倍臣比羅夫の北征とユーカラ(天皇族による東北侵略の実態|比羅夫の北略と出羽国|阿倍水軍とユーカラ)|桓武天皇の蝦夷侵略とアテルイの抵抗(天皇国家による北辺経営の本質|アザマロの叛乱とその意味|日本における民族戦争、アテルイの抵抗)|元慶の乱と蝦夷の独立宣言(秋田城をめぐる攻防|元慶の乱の意味と蝦夷独立の戦い)|俘囚長安倍氏と
平泉
藤原氏(「前九年の役」の経緯とその意味|後三年の役とその意味|
平泉
藤原氏の存立とその意味)|アイヌの自然観と生活(原始共産制としての共同社会|自然とのかかわり|優れた精神文化・ユーカラ)
刊行年:1977/12
データ:『アイヌ民族と天皇制国家』 三一書房 北海道|東北
1226. 藤原 相之助 先住民族とは何ぞ|日本の異人種|異人種の征服|衣河の夷族阿部氏と出羽の狄族清原氏|
平泉
の夷族藤原氏|異人種の同化|奥羽の植民史|異人種同化の経過|日本人種に関する一説|異種族の言語|日夷同語の實例|蝦夷語と日本の地名|付録
刊行年:1916/11
データ:『日本先住民族史』 仁友社 復刻版:五月書房(1981/05) 人種
1227. 梅宮 茂 古墳と国造の形成(本県の古墳文化|国造と古墳文化|古墳時代の生活)|国郡の設置(奈良時代の文化|農民の生活)|律令支配の転換設置(平安前期の文化)|奥州藤原氏の支配(奥州藤原氏支配の成立〈
平泉
文化と本県〉|文化と産業|奥州征伐と福島県)
刊行年:1969/03
データ:『福島県史』 1 福島県 環頭大刀|馬具|双魚佩 福島
1228. 新野 直吉 遠く遙かな人々|阿倍比羅夫と齶田の恩荷|大野東人と和我計安塁|称徳天皇と道嶋嶋足|紀広純と伊治呰麻呂|安倍家麻呂と狄志良|坂上田村麻呂と大墓阿弖流為|文室綿麻呂と伊加古|藤原保則と深江弥加止|源頼義と安倍貞任|源義家と清原家衡¥
平泉
をめぐる人々
刊行年:1978/06
データ:『古代東北史の人々』 吉川弘文館 岩手
1229. 新野 直吉 原始の東北|氏姓古代の東北|令制確立期の東北|鎮守政策の展開|開拓の進展と東北の充実|蝦夷の第二次抵抗|延暦・弘仁の征夷|平安前期の推移|延喜式の東北|律令制の衰退|前九年・後三年の役|
平泉
の興亡
刊行年:1986/07
データ:『古代東北史の基本的研究』 角川書店 岩手|秋田
1230. 鈴木 啓 信夫郡家の跡-「郡」字土器を出土した五十辺遺跡|一木造の大作-大蔵寺千寿観音と仏像群|盆地の守護神信夫五社-延喜式の神々|
平泉
藤原氏の忠臣-信夫郡司・庄司の佐藤氏|忠死した義経の四天王-佐藤継信・忠信と妻たち|佐藤一族の奮戦-石那坂の戦い
刊行年:1999/06
データ:『図説福島市の歴史』 郷土出版社 古代 福島
1231. 伊藤 博幸 大地に根づく人々(岩手の大地物語|花開く縄文文化|胆沢のクニの物語)|エミシの世界(終末期古墳をつくった人々|エミシの村落と生活|アテルイの世界)|鎮守府と奥六郡の世界(鎮守府胆沢城|王朝国家期の辺境|辺境の争乱-
平泉
藤原氏への道)
刊行年:1999/08
データ:『岩手県の歴史』 山川出版社 岩手
1232. 高井 ふみや 金色堂の謎|源頼朝による〝
平泉
侵略戦争〟と藤原泰衡|〝前九年の役〟と藤原経清|平安京・西獄門|京都みちのく伝説回廊|〝後三年の役〟と藤原清衡|御遺体学術調査報告|首級の刀傷|頼朝と勝長寿院|六地蔵尊と「中尊寺供養願文」|あとがき
刊行年:2004/06
データ:『金色堂はなぜ建てられたか-金色堂に眠る首級の謎を解く』 勉誠出版 岩手|秋田
1233. 栗村 知弘|中里 進 埋もれた八戸-縄文文化時代から古墳時代までの八戸(考古学の成果と人間の起源|縄文文化時代と八戸|弥生古墳文化時代と八戸)|糠部の建郡-大化の改新から藤原時代までの八戸(弘仁二年の戦いと俘囚宇漢迷公一族|建郡期の文化財|華夷雑居地帯としての建郡|
平泉
中尊寺供養願文の世界)|東国武士の大移動と八戸-鎌倉時代の八戸(四門九戸の牧場制と鎌倉の御家人たち|糠部の村落構造とその経済)
刊行年:1960/11
データ:『概説八戸の歴史』 上 北方春秋社 岩手
1234. 新野 直吉 原始東北の黎明期|縄文文化の進展と北方性|斑状の稲作文化|蝦夷と出会った将軍たち|東北の古墳文化|律令体制の推進と東北|阿倍水軍北航の謎|中核城柵陸奥多賀城|北方の玄関出羽秋田城|渤海来航と古代東北|渤海使東北から西に|黄金花咲くみちのくと嶋足|伊治呰麻呂の乱は語る|歌人将軍の悲哀|神秘の坂将軍と巨星阿弖流為|地異と兵変|前九年の役の全貌|後三年の役の全貌|
平泉
文化|古代東北の終焉
刊行年:1996/01
データ:『新古代東北史-やさしい謎解き』 歴史春秋出版 東北
1235. 新野 直吉 亀ヶ岡式文化と海みち|多様な弥生文化|古墳文化の時代|大和国家と東北|大化改新と東北|陸奥国多賀城と将軍東人|出羽国秋田城と北の海みち|黄金花咲くみちのく|伊治呰麻呂の乱|征夷軍と阿弖流為|田村麻呂と阿弖流為|綿麻呂征夷の実態|災異と兵変|安倍氏と頼義|清原氏と義家|
平泉
三代と仏教文化|泰衡の滅亡と東北
刊行年:1998/03
データ:『ジュニア版古代東北史』 文献出版 東北
1236. 関 幸彦 「懸想」と「征夷」プロローグ|前九年合戦(前九年合戦以前|『陸奥話記』の世界|前九年合戦後の諸相)|後三年合戦(前九年から後三年へ|『奥州後三年記』の世界|後三年合戦の諸相)奥州合戦|「奥州」の時代|鎌倉と
平泉
|奥州合戦の諸相)|「征夷」の記憶 日本国の成立
刊行年:2006/11
データ:『東北の争乱と奥州合戦-「日本国」の成立』 吉川弘文館 岩手|秋田
1237. 高橋 暁樹 奥羽の山波を越えた人々(一)狄夷、和我君計安塁と清原一族、そして西行法師の跡をたどる (二)狩猟民・マタギたち、マタギ村の生いたち、そしてブナ林の深層文化を見る|奥羽の山波を越えた人々 三-颪江、柏峠越した切支丹伝導アンジュリス、寿庵らの布教を視る|同(四)鉱山を求めて移動した山の民(杣人)-そして金元、山元の経営を視る|同(五)縄文時代の産業、焼畑農耕文化、その伝播の跡をさぐる|同(六)明永・明保長者伝承と
平泉
藤原氏の跡を探る
刊行年:1989/06-1992/05
データ:北方風土 18~20||22|24 秋田文化出版社∥イズミ印刷出版 岩手
1238. 小口 雅史 青森県の黎明(本州の最北端|津軽海峡の形成)|弥生文化と稲作の始まり(南郷村の弥生土器|日本海を北上した稲作文化|最北の弥生水田|垂柳遺跡の弥生水田|垂柳小区画水田の謎)|古代蝦夷の時代(空白の古墳文化|大和政権の北進と「津軽」の登場|阿倍比羅夫の北征|斉明五年の北征|粛慎との戦い|粛慎とは何か|蝦夷と呼ばれた人びと|蝦夷の族長たち-八戸・上北の古墳群|律令時代の青森|元慶の乱と津軽|奈良・平安時代の村落|
平泉
からの道)
刊行年:1991/07
データ:『図説青森県の歴史』 河出書房新社 原始・古代 青森
1239. 高橋 富雄 最初の統一日本カメガオカ-原始日本と元始日本の境界(かかる日本ありとは|南は南、北は北|縄文的原型風土論)|日本の中の騎馬民族-コメつくり以外の生産様式(北のウマ 南のコメ|ヒタカミ日本 ヤマト日本)|仏教と縄文の融合-いま一つの安息の聖所 (北からの仏像事始め|一七文字の律令証言|北轅 南柯|北門施無畏与願)|武門三国時代-異質・自治国家「津軽太平記」(
平泉
-京都と鎌倉の間|津軽大乱 主上御謀叛|鎮守大将軍政都|中世奥州探題王国論)|ディオニュソス的縄文文化圏-意匠を競わぬ実存の文化(塔寺八幡長帳|文学レアル=イデアル)
刊行年:1991/09
データ:『もう一つの日本史-ベールをぬいだ縄文の国』 徳間書店 馬 岩手
1240. 伊藤 直純 綱要|緒言(所謂前九年の役|所謂後三年の役|往昔の奥羽|合戦絵並に絵詞|静賢法師は明実に合戦絵を描かしむ|土御門帝奥州十二年合戦絵叡覧|玄慧は惟久に合戦絵を描かしむ|後花園帝後三年絵巻叡覧 康富陪覧|静賢玄慧並に惟久|約言|史料を閲する覚悟)|戦争の発端(清原真衡|成衡の結婚|吉彦秀武|清衡家衡は秀武に応ず|藤原清衡と其母|清衡と家衡と胆沢城を襲ふ|清衡と家衡は再び胆沢城を襲ふ|真衡征戦の途に病死す|家衡は清衡の館を襲ひ出羽の沼柵に走る|義家獵に出でゝ要撃せられんとし遂に兵を起して家衡を討ちて克たず|金沢柵の地形並に沿革|家衡は武衡の勧誘に拠り金沢柵に拠る|要旨)|源軍の通路(古への畋獵|秋期に兵を起すは糧食徴収の関係|源軍の通路|吉彦秀武の居所並に通路)|攻防の推定(両軍の兵数|両軍の陣地|当時の武装|武器の種類|源義光の来援|義光吹笙の虚説|義家機略縦横並に攻防両軍の美談|義家京師に入らず二衡の首を棄てゝ大和の壺井に帰へる)|柵軍の敗因(二衡大勢を知らず|二衡の背反|戦の捷敗は危機一髪)|敗後の虚理(清衡は好運児なり|
平泉
藤原氏百年栄華の基を建つ|平師妙等の乱義親之を夷く)
刊行年:1917/07
データ:『我観後三年役』 保古会 筆名:伊藤 耕餘 岩手|秋田