北方史統合検索データベース
検索式
検索
クリア
表示件数
10
20
30
50
100
ソート
執筆者 (昇順)
執筆者 (降順)
刊行年 (古い順)
刊行年 (新しい順)
古代北方史関係研究文献目録データベース
中世津軽安藤氏関係研究文献目録データベース
近世アイヌ史関係研究文献目録データベース
検索結果
163件中[141-160]
40
60
80
100
120
140
160
141. 伊東 信雄|
板橋
源
緒言|発掘調査の経過|五条丸古墳群の現状|古墳の構造と出土遺物|考察
刊行年:1963/03
データ:『五条丸古墳群-和賀郡江釣子村所在』 岩手県教育委員会 岩手
142. 伊東 信雄|
板橋
源
|佐々木 博康|伊藤 玄三 岩手県五条丸古墳群調査概報
刊行年:1963/04
データ:日本考古学協会総会研究発表要旨 第29回 日本考古学協会 直刀|蕨手刀|刀子|鉄鏃|ガラス小玉|練玉|轡|鋤 岩手
143.
板橋
源
|伊東 信雄 遺跡の位置|遺跡に関する従来の説|調査の経過|調査の成果|考察
刊行年:1965/01
データ:『明後沢古瓦出土遺蹟』 岩手県教育委員会 岩手
144.
板橋
源
金沢柵跡の調査 第三次金沢柵跡発掘略報(一)|文献史料にみえる金沢柵の立地条件と義家、家衡(二)
刊行年:1966/10
データ:出羽路 31 秋田県文化財保護協会 秋田
145.
板橋
源
岩手県岩手郡虚空蔵遺跡|岩手県盛岡市厨川道新遺跡|岩手県紫波郡善知鳥館遺跡|岩手県北上市内門岡廃寺跡
刊行年:1968/03
データ:日本考古学年報 16 誠文堂新光社 発掘および調査(歴史時代) 岩手
146.
板橋
源
前九年の役-交替する奥羽の覇者|後三年の役-奥羽の戦乱と義家の介入
刊行年:1970/05
データ:『日本と世界の歴史』 8 学習研究社 岩手|秋田
147.
板橋
源
古代中世における地域構造(征夷開拓以前の地域状況|征夷開拓期の地域状況|中世における地域の性格)
刊行年:1971/11
データ:『鹿妻穴堰開発史』 鹿妻穴堰土地改良区 本編の一 古代・中世(諸篇) 東北
148.
板橋
源
わが朝無双|平泉の世紀|造営者基衡|毛越寺の善美|義経最後の地、高館|平泉落日
刊行年:1973/07
データ:『わが朝無双毛越寺』 毛越寺 岩手
149.
板橋
源
古代胆沢の開拓(みちのくの胆沢の地|胆沢城建置|古代辺境在地豪族の成立)
刊行年:1974/11
データ:『水沢市史』 1 水沢市史刊行会 安倍氏|平泉藤原氏 岩手
150.
板橋
源
はじめに|志波城の歴史的背景|地理的・歴史的環境|志波城発掘調査の成果|志波城の意味するもの
刊行年:1984/01
データ:『志波城』 盛岡市教育委員会 岩手
151.
板橋
源
いわれなき国解|阿久利河事件|黄海の戦い|
源
氏・清原氏が連合軍を編成|鳥海の柵の役割|厨川の柵の炎上|安倍氏の存在意義
刊行年:1991/11
データ:『陸奥話記-前九年の役-平泉藤原氏の祖・安倍氏の戦い』 盛岡ひ・ストリー 岩手
152. 斎藤 忠|田中 喜多美|
板橋
源
鎮守府胆沢城の歴史的考察|鎮守府胆沢城の位置|調査の経過|調査の成果|総括
刊行年:1957/03
データ:『胆沢城跡-水沢市所在-』 岩手県教育委員会(発行)|吉川弘文館(発売) 内題は「膽澤城跡調査報告」、表紙は「文化財調査報告 第四集 膽澤城跡-水澤市所在- 岩手県教育委員会」、背表紙は「膽澤城跡」 『日本古代遺跡の研究』論考編 岩手
153.
板橋
源
岩手県和賀郡新平遺跡|岩手県水沢市高山掃守長者伝説焼米出土地|岩手県水沢市胆沢城跡|岩手県胆沢郡長者ガ原廃寺址|岩手県遠野市東禅寺址
刊行年:1962/03
データ:日本考古学年報 11 誠文堂新光社 発掘および調査(歴史時代) 岩手
154.
板橋
源
|佐々木 博康 調査にいたるまでの経過|調査の結果(安倍舘の現況地形|半地下式掘立建物跡|出土品)|考察
刊行年:1968/12
データ:『盛岡市安倍舘古代末期城柵遺跡』 (盛岡市教育委員会) 奥付無|復刻版:盛岡市文化財調査報告第三集(1978/04) 岩手
155.
板橋
源
岩手県北上市十三菩提塚|岩手県北上市極楽寺跡|岩手県前沢町明後沢古瓦出土遺跡|岩手県平泉町高館(判官館)遺跡
刊行年:1969/03
データ:日本考古学年報 17 誠文堂新光社 発掘および調査(歴史時代) 菩提塚は年代未詳 岩手
156.
板橋
源
平泉の世紀|平泉藤原氏のなりたち|奥の御館藤原氏の出自|初代清衡|二代基衡|「北方の王者」秀衡|悲劇の泰衡|文化遺産
刊行年:1970/12
データ:『北方の王者-平泉藤原氏三代栄耀夢の跡』歴史図書館 秀英出版 岩手
157.
板橋
源
古代陸奥における極楽寺の所在|偵岳と偵岳寺|福田地|定額寺規模の類例|定額寺の概要-研究史的に|定額寺諸説の要約|むすび
刊行年:1972/08
データ:『北上市極楽寺跡』 北上市教育委員会 考察∥復刊:1999/03 現遺跡名は「国見山廃寺」 岩手
158.
板橋
源
序説|陸奥の性格(古代陸奥|辺要陸奥)|征夷の推進(桓武朝における征夷開拓|胆沢城建置|志波城建置|鎮守府の胆沢城進駐)|県央の開拓(徳丹城建置|太田方八丁遺跡|開拓の進展)
刊行年:1957/06
データ:『盛岡市史』 第一分冊2 盛岡市 陸奥国の名義 『志波城跡-太田方八丁遺跡範囲確認調査報告書』Ⅰ 東北
159.
板橋
源
岩手県江釣子村新平塚群遺跡|岩手県紫波郡徳丹城跡(第五次発掘調査)|岩手県花巻市宮野目方八丁古代遺跡|岩手県北上市内門岡廃寺跡|秋田県羽後町足田遺跡(第四次調査)
刊行年:1971/04
データ:日本考古学年報 19 誠文堂新光社 発掘および調査(歴史時代) 岩手|秋田
160.
板橋
源
徳丹城建置までの経過(辺要「古代陸奥国」|桓武朝の征夷開拓|胆沢城建置|志波城建置|鎮守府の北進)|徳丹城の成立(築営者文室綿麻呂|徳丹城建置年代の考証|弘仁6年廃城説に対する疑義|徳丹城の機構|要約)|擬定地に関する従来の諸説|調査の経過|おわりに
刊行年:1972/03
データ:『陸奥国徳丹城-岩手県紫波郡矢幅町所在-』 岩手県教育委員会 岩手