北方史統合検索データベース
検索式
検索
クリア
表示件数
10
20
30
50
100
ソート
執筆者 (昇順)
執筆者 (降順)
刊行年 (古い順)
刊行年 (新しい順)
古代北方史関係研究文献目録データベース
中世津軽安藤氏関係研究文献目録データベース
近世アイヌ史関係研究文献目録データベース
検索結果
16件中[1-16]
0
1. 大矢 邦宣
真衡
の評価.-肩並ぶ者なし
真衡
あとつなぐ
刊行年:2000/03/19
データ:産経新聞(東北版) 産業経済新聞社 奥州藤原氏四代-みちのくが一つになった時代(20) 『奥州藤原氏五代-みちのくが一つになった時代』 岩手
2. 高橋 富雄 清原の貞衡と
真衡
刊行年:1964/04
データ:寧楽遺文平安遺文月報 11 東京堂出版 岩手
3. 入間田 宣夫 延久二年北奥合戦と清原
真衡
刊行年:2006/07
データ:『十和田湖が語る古代北奥の謎』 校倉書房 東北
4. 野口 実 十一~十二世紀、奥羽の政治権力をめぐる諸問題
刊行年:1990/03
データ:『後期摂関時代史の研究』 吉川弘文館 清原貞衡か
真衡
か 『中世東国武士団の研究』 東北
5. 入間田 宣夫 鎮守府将軍清原
真衡
と「戸」「門」の設置
刊行年:1997/03
データ:『北辺の中世史-戸のまちの起源を探る』 名著出版 青森
6. 入間田 宣夫 鎮守府将軍清原
真衡
の政権構想|同(補遺)
刊行年:1998/03|10
データ:弘前大学国史研究 104|105 弘前大学国史研究会 『北日本中世社会史論』 東北
7. 大矢 邦宣 3人の兄弟.-
真衡
の頓死で清衡おどり出る
刊行年:2000/03/26
データ:産経新聞(東北版) 産業経済新聞社 奥州藤原氏四代-みちのくが一つになった時代(21) 『奥州藤原氏五代-みちのくが一つになった時代』 岩手
8. 金野 静一 老武士.-一瞥もくれぬ
真衡
の無礼
刊行年:2002/02/01
データ:朝日新聞(岩手版) 朝日新聞社 奥州藤原氏の興亡12 海道小太郎成衡|吉彦秀武 『平泉物語-藤原氏四代の盛衰』 岩手|秋田
9. 金野 静一 清衡の申し入れ.-「
真衡
の独裁」義家認める
刊行年:2002/02/15
データ:朝日新聞(岩手版) 朝日新聞社 奥州藤原氏の興亡14 重光 『平泉物語-藤原氏四代の盛衰』 岩手
10. 遠藤 祐太郎 延久蝦夷合戦と清原
真衡
・貞衡
刊行年:2007/03
データ:『アイヌ文化の成立と変容-交易と交流を中心として-』 法政大学国際日本学研究所 エミシ・エゾ・アイヌ(エミシ・エゾ・擦文をめぐって) 東北
11. 金野 静一 「三日厨」の歓待.-
真衡
、国守・義家と友好結ぶ
刊行年:2002/02/08
データ:朝日新聞(岩手版) 朝日新聞社 奥州藤原氏の興亡13 『平泉物語-藤原氏四代の盛衰』 岩手|秋田
12. 野村 哲郎 不審な死
刊行年:1990/03/15
データ:河北新報 河北新報社 日高見の時代-古代東北のエミシたち28第二部 野望渦巻く道
真衡
『日高見の時代-古代東北のエミシたち』 東北
13. 金野 静一 3人の兄弟.-複雑な血縁が心情に反映
刊行年:2002/01/25
データ:朝日新聞(岩手版) 朝日新聞社 奥州藤原氏の興亡11 清原
真衡
|清原清衡|清原家衡 『平泉物語-藤原氏四代の盛衰』 岩手|秋田
14. 水澤 龍樹 源頼義|源義光|藤原光貞|安倍貞任|安倍頼時|清原清衡|藤原経清|清原
真衡
刊行年:2006/04/04
データ:『週刊ビジュアル日本の合戦』 2-12 講談社 奥羽兵乱武将列伝 岩手
15. 永岡 慶之助 群雄列伝-奥州に名を馳せた兵たちの光と陰(安倍頼時|安倍貞任・宗任|清原武則|清原
真衡
|清原家衡|吉彦秀武|源頼義|源義家|藤原経清|藤原清衡|藤原基衡|藤原秀衡|藤原泰衡|藤原国衡・忠衡|源義経|弁慶|九条兼実|西行|藤原基成|由利八郎)
刊行年:1993/07
データ:『歴史群像シリーズ』 34 学習研究社 岩手|秋田
16. 伊藤 直純 綱要|緒言(所謂前九年の役|所謂後三年の役|往昔の奥羽|合戦絵並に絵詞|静賢法師は明実に合戦絵を描かしむ|土御門帝奥州十二年合戦絵叡覧|玄慧は惟久に合戦絵を描かしむ|後花園帝後三年絵巻叡覧 康富陪覧|静賢玄慧並に惟久|約言|史料を閲する覚悟)|戦争の発端(清原
真衡
|成衡の結婚|吉彦秀武|清衡家衡は秀武に応ず|藤原清衡と其母|清衡と家衡と胆沢城を襲ふ|清衡と家衡は再び胆沢城を襲ふ|
真衡
征戦の途に病死す|家衡は清衡の館を襲ひ出羽の沼柵に走る|義家獵に出でゝ要撃せられんとし遂に兵を起して家衡を討ちて克たず|金沢柵の地形並に沿革|家衡は武衡の勧誘に拠り金沢柵に拠る|要旨)|源軍の通路(古への畋獵|秋期に兵を起すは糧食徴収の関係|源軍の通路|吉彦秀武の居所並に通路)|攻防の推定(両軍の兵数|両軍の陣地|当時の武装|武器の種類|源義光の来援|義光吹笙の虚説|義家機略縦横並に攻防両軍の美談|義家京師に入らず二衡の首を棄てゝ大和の壺井に帰へる)|柵軍の敗因(二衡大勢を知らず|二衡の背反|戦の捷敗は危機一髪)|敗後の虚理(清衡は好運児なり|平泉藤原氏百年栄華の基を建つ|平師妙等の乱義親之を夷く)
刊行年:1917/07
データ:『我観後三年役』 保古会 筆名:伊藤 耕餘 岩手|秋田