日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
検索式
検索
クリア
表示件数
10
20
30
50
100
ソート
執筆者 (昇順)
執筆者 (降順)
刊行年 (古い順)
刊行年 (新しい順)
検索結果
39件中[21-39]
0
20
21. 名児耶
明
伝
藤原
行成筆「古今集切」と「不
明
歌集断簡」について
刊行年:2000/11
データ:国学院雑誌 101-11 国学院大学広報課
22. 小石 房子 歴代天皇生母総覧 蘇我堅塩媛(第31代用
明
天皇)~
藤原
順子(第55代文徳天皇)
刊行年:1988/09
データ:別冊歴史読本 13-16 新人物往来社
23.
藤原
明
中世の偽書と近代の偽書をつなぐもの.-中世の古今註にみる人間臭い神の登場
刊行年:2013/03
データ:アジア遊学 161 勉誠出版 コラム
24. 高橋 裕次 和歌懐紙「盧橘薫風・夏月易
明
・山家客来」|法蓮華|京極関白集切(
藤原
師実家集断簡)
刊行年:2008/01
データ:『宮廷のみやび-近衛家一〇〇〇年の名宝』 NHK|NHKプロモーション 作品解説(家凞の世界Ⅰ)
25. 小峯 和
明
|佐藤 道生|本間 洋一|三木 雅博|渡辺 秀夫∥
藤原
克己(司会) 平安朝漢文学の展開.-菅原道真から大江匡房へ
刊行年:2003/12
データ:リポート笠間 44 笠間書院 座談会
26.
藤原
明
〈中世日本紀〉と〝古史古伝〟-〝古史古伝〟の源流を考察する|〝現代の神話〟『東日流外三郡誌』の起源-すべては所蔵者の創作だったのか?
刊行年:2004/03
データ:別冊歴史読本 29-9 新人物往来社 本名:出光 泰生
27. 春山 武松 海風鈔(三).-
藤原
氏蔵『加茂競馬図屏風』 園城寺蔵『新羅
明
神像』 森氏蔵『厨子扉絵』
刊行年:1931/05
データ:東洋美術 10 飛鳥園
28. 安田 政彦 平安京(長岡京|平安京|
藤原
種継暗殺事件|伊予親王事件|氷上川継事件|徳政相論|桓武天皇|早良親王|
藤原
緒嗣|菅野真道)|政変(薬子の変|承和の変|善愷訴訟事件|応天門の変|
明
法勘文|
藤原
仲成|
藤原
冬嗣|
藤原
良房|橘逸勢|伴健岑|恒貞親王|源信|源融|佐伯今毛人|伴善男|平城天皇|嵯峨天皇|淳和天皇|仁
明
天皇|紀夏井)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 平安初期の政治
29. 浅井 和春 興福寺-
藤原
氏の勃興とともに|八部衆立像|西金堂のほとけたち-『金光
明
最勝王経』に基づく造像|十大弟子立像|八部衆・十大弟子の造像-天平期の彩色と技法を探る
刊行年:1998/03/15
データ:『週刊朝日百科』 1161 朝日新聞社 造仏所作物帳
30. 野尻 忠 法華経 薬師如来像納入品 八巻│仏説普法義経 粟野寺経 一巻│仏説胞胎経
藤原
継縄周忌一切経 一巻│大般若経 巻第四百十二 大坂真長等願経 一帖│金光
明
最勝王経註釈 巻第二・巻第四断簡 飯室切 一巻│註維摩詰経 巻第八 一巻│大方など大集経菩薩念仏三昧分 巻第九 神護寺根本御経 一巻│金光
明
最勝王経 残巻 醍醐寺文書聖教146函24号 一巻│仁王護国盤若波羅蜜多経 二巻
刊行年:2015/04
データ:『まぼろしの久能寺経に出会う 平安古経展』 奈良国立博物館 展示品解説 第一章 九~十世紀の墨書経
31. 田中 塊堂 南円堂銅燈台銘と神護寺鐘銘|瑜伽師地論|第十六会般若波羅蜜多分序|菩薩地持論|金光
明
最勝王経註釈 飯室切|金剛般若経讃述|大菩薩蔵経|金光
明
最勝王経疏|大般若波羅蜜多経 池上内親王願経|大般若波羅蜜多経 安倍小水麻呂願経|不空羂索神咒心経
藤原
高子願経
刊行年:1955/11
データ:『書道全集』 11 平凡社
32. 上杉 和彦 荘園整理と摂関家|東国武士の武勇|院の近臣と武士|大江匡房と『江談抄』|回想の白河法皇|
明
法博士をやりこめる
藤原
頼長|ある荘園絵図の成立|大衆の強訴でゆれる朝廷|以仁王と八条院|富士川合戦の情報|木曽義仲の失態|壇の浦合戦|頼朝の扇の下文|熊谷直実の意地|後鳥羽上皇の挙兵|尼将軍政子の演説
刊行年:1993/06
データ:『日本史史話』 1 山川出版社
33. 前之園 亮一 推古元年~推古一四年(五九三~六〇六)飛鳥の女帝と皇太子|推古三一年~皇極三年(六二三~六四四)改新前夜-上宮王家の滅亡|大化元年~大化五年(六四五~六四九)大化改新の幕あがる|白雉元年~斉
明
五年(六五〇~六五九)白雉改元-改新政治の一段落|天智六年~天智一〇年(六六七~六七一)近江遷都-唐侵攻の危機感|天武元年~天武九年(六七二~六八〇)壬申の乱-古代最大の内乱|天武一〇年~朱鳥元年(六八一~六八六)古代天皇制の黄金時代|朱鳥二年~持統八年(六八七~六九四)持統女帝と
藤原
京遷都
刊行年:1982/12
データ:『読める年表』 1 自由国民社
34. 松本 公一 淡海公伝|公家伝文|儒伝|
藤原
南家氏人口伝|清岡家伝|日本名僧伝|石川年足伝|吉備大臣伝|廉記|信大臣伝|清公卿伝|忠貞王伝|広相卿伝|右兵衛督敏行伝|延暦僧録|真如親王伝|頭親王入唐略記|護
明
(命)僧正伝|音石山大僧都伝|静観僧正伝|増利僧都伝|尊意贈僧正伝|大僧都禅喜伝|慈慧(恵)大僧正伝|性空伝|池上阿闍梨伝|大御室御伝|神仙記|亀兆伝
刊行年:1995/02
データ:『新訂増補国書逸文』 国書刊行会 人々伝
35. 高橋 暁樹 奥羽の山波を越えた人々(一)狄夷、和我君計安塁と清原一族、そして西行法師の跡をたどる (二)狩猟民・マタギたち、マタギ村の生いたち、そしてブナ林の深層文化を見る|奥羽の山波を越えた人々 三-颪江、柏峠越した切支丹伝導アンジュリス、寿庵らの布教を視る|同(四)鉱山を求めて移動した山の民(杣人)-そして金元、山元の経営を視る|同(五)縄文時代の産業、焼畑農耕文化、その伝播の跡をさぐる|同(六)
明
永・
明
保長者伝承と平泉
藤原
氏の跡を探る
刊行年:1989/06-1992/05
データ:北方風土 18~20||22|24 秋田文化出版社∥イズミ印刷出版
36. 鬼頭 清
明
聖徳太子 法華経義疏|金剛場陀羅尼経|大般若経 巻第二十三 長屋王願経・和銅経|大般若経 巻第二百六十七 長屋王願経・神亀経|老母六英経 光
明
皇后五月一日願経|金光
明
最勝王経 聖武天皇勅願経・国分寺経(紫紙金字経)|千手千眼陀羅尼経 玄昉願経|放光般若経 巻第九 光
明
皇后五月十一日願経|瑜伽師地論 巻第六十五 舎人国足願経|大方広仏華厳経 二月堂焼経(紺紙銀字経)|瑜伽師地論 巻第十八 藤南家知識経|賢愚経 大聖武|伝空海 般若心経 隅寺心経|過去現在因果経 絵因果経|中阿含経 巻第三十四 善光朱印経|大盧遮那成仏神変加持経 巻第七 吉備由利願経|十誦律 巻第十七 称徳天皇勅願経・神護景雲経|伝朝野魚養 大般若経 巻第六百 薬師寺大般若経・魚養経|梵網経(紺紙金字経)|金光
明
最勝王経(細字経)|伝小野道風 無量義経(装飾経)|妙法蓮華経 巻第一・巻第八|妙法蓮華経 巻第八(色紙経)|妙法蓮華経法師功徳品 久能寺経(装色経)|妙法蓮華経如来神力品(一字蓮台経)|
藤原
定信 妙法蓮華経 巻第二 戸隠切(一字宝塔経)|平忠盛 阿弥陀経(紺紙金字経)|大般若経 巻第百七十四・巻第四百八十一
藤原
秀衡発願経・中尊寺経(紺紙金字経)
刊行年:1988/10
データ:『日本書学大系』 法書篇4 同朋舎出版 釈文・読み下し・現代語訳
37. 田中 塊堂 写経所と写経生の書風|法華義蔬|金剛場陀羅尼経|大般若波羅蜜多経 和銅五年長屋王願経|大般若波羅蜜多経 神亀五年長屋王願経|根本説一切有部百一羯磨|大智度論 既多寺知識経|仏説七知経 聖武天皇願経|観世音菩薩受記経 聖武天皇願経|般若波羅蜜小品経 光
明
皇后五月一日願経|瑜伽師地論 光
明
皇后五月一日願経|仏説阿難四事経
藤原
夫人願経|千手千眼陀羅尼経 玄昉願経|金光
明
最勝王経 国分寺経|大方広仏華厳経 二月堂焼経|賢愚経 大聖武|般若波羅蜜多心経 隅寺心経|中阿含経|増一阿含経|十誦律 称徳天皇願経|解深密経|四分律|写経生試字|境部石積・長屋王・建部広足・一難宝郎・科野虫麻呂・岡日佐大津・丈部浜足(書人小伝)
刊行年:1954/10
データ:『書道全集』 9 平凡社
38. 遠山 美都男 王を奴に、奴を王に……|待たされた即位(岡宮御宇天皇-祖父、草壁皇子|御狩立たしし時は来向かふ-父、文武天皇|年歯幼稚にして-元
明
から元正へ|乗輿を指斥す-皇太子の奏上)|天下の富と勢いと(恐るらくは違勅とならむ-皇太夫人の称号|左道を学ぶ-左大臣の犯罪|災異、頻りに臻る-
藤原
四子と橘諸兄と|女子の継には在れども-阿倍内親王の立太子|天地の災異を陳ぶ-広嗣、反乱|その時に非ずと雖も-関東への行幸|一枝の草、一把の土-紫香楽宮の幻想|いずれを都と為さむ-恭仁か?難波か?)|太上天皇、沙弥勝満(一万五千七百の灯火-金鐘寺行幸|朕は三宝の奴-出家、そして譲位へ|紫微中台-聖武「院政」の開幕|天神地祇を率いて-八幡大神、入京す|道祖王を皇太子に-遺詔)|再び、宇佐八幡神託事件
刊行年:1999/03
データ:『彷徨の王権 聖武天皇』 角川書店
39. 伊藤 直純 綱要|緒言(所謂前九年の役|所謂後三年の役|往昔の奥羽|合戦絵並に絵詞|静賢法師は
明
実に合戦絵を描かしむ|土御門帝奥州十二年合戦絵叡覧|玄慧は惟久に合戦絵を描かしむ|後花園帝後三年絵巻叡覧 康富陪覧|静賢玄慧並に惟久|約言|史料を閲する覚悟)|戦争の発端(清原真衡|成衡の結婚|吉彦秀武|清衡家衡は秀武に応ず|
藤原
清衡と其母|清衡と家衡と胆沢城を襲ふ|清衡と家衡は再び胆沢城を襲ふ|真衡征戦の途に病死す|家衡は清衡の館を襲ひ出羽の沼柵に走る|義家獵に出でゝ要撃せられんとし遂に兵を起して家衡を討ちて克たず|金沢柵の地形並に沿革|家衡は武衡の勧誘に拠り金沢柵に拠る|要旨)|源軍の通路(古への畋獵|秋期に兵を起すは糧食徴収の関係|源軍の通路|吉彦秀武の居所並に通路)|攻防の推定(両軍の兵数|両軍の陣地|当時の武装|武器の種類|源義光の来援|義光吹笙の虚説|義家機略縦横並に攻防両軍の美談|義家京師に入らず二衡の首を棄てゝ大和の壺井に帰へる)|柵軍の敗因(二衡大勢を知らず|二衡の背反|戦の捷敗は危機一髪)|敗後の虚理(清衡は好運児なり|平泉
藤原
氏百年栄華の基を建つ|平師妙等の乱義親之を夷く)
刊行年:1917/07
データ:『我観後三年役』 保古会 筆名:伊藤 耕餘