日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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292件中[281-292]
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281. 平川 南 はじめに∥最古の戸籍木簡-福岡県太宰府市国分松本遺跡第一三次調査出土第一号木簡|七道の結節国-
甲斐
・飛騨・美作国|東山道の呼称-奈良県西大寺旧境内出土木簡
刊行年:2014/05
データ:『律令国郡里制の実像』 上 吉川弘文館 -∥第一章 道制
282. 松尾 光 壬申の乱を疑う|隅田八幡宮人物画像銘の「斯麻=武寧王」説について-韓国馬山市・趙氏への手紙|額田姫王と十市皇女|大伴家持をめぐる四題|
甲斐
国の防人歌はあるか-山梨県・中村良一氏への手紙
刊行年:1999/03
データ:『古代史の異説と懐疑』 笠間書院
283. 芦田 狭依子 古事記神名考-神代七代の件|同-船戸神以下、邊津
甲斐
辨羅神以前の十二神、身に着ける物を脱くに因りて生れる神の件|同-「八十禍津日神よりしも、速須佐之男命よりさきの十四柱の神、御身を滌ぐに因りて生れるかみ」のくだり〔上〕|同〔上ノ二〕
刊行年:1978/05-1982/12
データ:古代文化を考える 1|2|7|8 東アジアの古代文化を考える会同人誌分科会
284. 平野 卓治 〈壬申の乱〉人物事典(廬井鯨|石川王|朴井雄君|大分恵尺|大分稚見|大伴馬来田・吹負|多品治|
甲斐
勇者|栗隈王|持統天皇|高坂王|高田新家|民大火|天智天皇|羽田矢国|三宅石床|村国男依|守大石|和珥部君手)
刊行年:1990/06
データ:別冊歴史読本 15-14 新人物往来社
285. 黒済 和彦 資料検討篇-畿内求心東西地域における蕨手刀(信濃国(長野県)|下野国(栃木県)|陸奥国南部(福島県および宮城県南部)|
甲斐
国・駿河国(山梨県・静岡県)|武蔵国(東京都・埼玉県)|上総国(千葉県)|蕨手刀と俘囚-菊池山哉の「別所=俘囚移配地」説の考古学的検証|山国から峠を越え、もたらされた蕨手刀)
刊行年:2018/12
データ:『蕨手刀の考古学』 同成社 俘囚料
286. 平野 卓治 飛鳥皇女|廬井鯨|伊吉博徳|石川王|朴井雄君|王辰爾|大分恵尺|大分稚見|大伴馬来田・吹負|多品治|大派皇子|忍熊皇子|
甲斐
勇者|郭務|坂皇子|春日皇子|河内王|木梨軽皇子|紀麻利耆|翹岐|薬師恵日|久麻伎|栗隈王|金春秋|沙宅紹明|高坂王|高田新家|高向玄理|当麻皇子|手白香皇女|民大火|曇徴
刊行年:2007/11
データ:歴蔵 5 新人物往来社 『歴史読本』11月号別冊付録
287. 末柄 豊 義満に仕える公卿たち|鬮引き将軍|結城合戦の悲劇|将軍犬死|徳政一揆をうかがう人びと|朝鮮使節のみた日本|混血児楠葉西忍|湖北の惣村の争い|寛正の大飢饉|徳政令と幕府の財政|西阿弥陀仏の三昧廻り|戦国の幕開け|山城の国一揆|「百姓ノ持タル国」|和泉の惣村の合戦と農民|伊豆にくだった伊勢新九郎|
甲斐
国の撰銭と物価|五島に漂着した朝鮮人|西欧人のみた堺
刊行年:1993/06
データ:『日本史史話』 1 山川出版社
288. 鈴木 靖民(編)∥平野 卓治 古代《大化改新・壬申の乱》人物事典(安曇比羅夫|安倍倉梯麻呂|安倍引田比羅夫|廬井鯨|石川王|大分恵尺|大伯皇女|多品治|
甲斐
勇者|郭務|上毛野稚子|紀大人|紀麻利耆|久麻伎|巨勢徳太|巨勢人|蘇我果安|当麻広島|高田新家|高市県主許梅|民大火|小子部鈎|中臣金|中臣鎌足|土師馬手|羽田矢国|穂積咋|三宅石床|三輪高市麻呂|村国男依)
刊行年:1983/12
データ:歴史読本 28-19 新人物往来社 別冊歴史読本17-16特別増刊・古代王朝 血の争乱(1992/07)
289. - 東南院古文書 第一櫃 第七巻(大政官牒ほか)|延暦十二年曝凉使解|正倉院古文書正集 第二巻(大粮申請継文)|正倉院古文書正集 第十八巻(駿河国正税帳、
甲斐
国司解)|続修正倉院古文書 第五巻(御野国本簀郡栗栖太里戸籍)|続修正倉院古文書 第二十六巻(東市庄買進珠丁軸解ほか)|続々修正倉院古文書 第二秩 第四巻(後一切経雑按)|続々修正倉院古文書 第一秩 第三巻(一切経校生等手実)|続々修正倉院古文書 第三十五秩 第三巻(紙充帳)|大毘婆沙論 巻第百七十八(唐経)|根本薩婆多部律摂 巻第三(光明皇后御願経)|大方広仏華厳経 巻第六十(称徳天皇勅願経)
刊行年:2005/10
データ:『「正倉院展」目録』 第五十七回 奈良国立博物館 図版 解説
290. 木下 良 山城国府|大和国府|河内国府|和泉国府|摂津国府|伊賀国府|伊勢国府|志摩国府|尾張国府|参河国府|遠江国府|駿河国府|伊豆国府|
甲斐
国府|相模国府|武蔵国府|安房国府|上総国府|下総国府|常陸国府|近江国府|美濃国府|飛騨国府|信濃国府|上野国府|下野国府|陸奥国府|出羽国府|若狭国府|越前国府|加賀国府|能登国府|越中国府|越後国府|佐渡国府|丹波国府|丹後国府|但馬国府|因幡国府|伯耆国府|出雲国府|石見国府|隠岐国府|播磨国府|美作国府|備前国府|備中国府|備後国府|安芸国府|周防国府|長門国府|紀伊国府|淡路国府|阿波国府|讃岐国府|伊予国府|土佐国府|筑前国府|筑後国府|豊前国府|豊後国府|肥前国府|肥後国府|日向国府|大隅国府|多国府|薩摩国府|壱岐国府|対馬国府∥(研究概況)
刊行年:1989/03
データ:国立歴史民俗博物館研究報告 20 国立歴史民俗博物館 国府研究の現状(その二)
291. 松嶋 順正(口述)|松本 楢重(編著) 東大寺大仏開眼と御物|聖武天皇御忌法要と御物|
甲斐
なき徒労の計算|明治初頭のお倉|元禄御開封のこと|元禄開封勅使の行列|御開封絵図|御物の称呼|正倉院草創年代|献物帳の天皇御璽 附 にせ文書のこと|特殊な文字|宝庫内の陳列棚|聖語蔵の事ども|宝庫の中はこんなもの|院内の諸建物|動物|売られて行った御物|御物整理修覆|むつかしい名づけ方|数へ方の単位|古代楽器一堂に会す|古文書一覧|正倉院文書の内容|反古の戸籍帳と大家族|むぐらもちの光栄|天平貴人の遊び 附 軽業師のこと|香|黄金もお倉にあった|面の話題|信長名香を賜ふ記|銘|銘に現はれる年代|楽毅論|夫婦の相性|万葉集への関連|古裂のかづかづ|古裂整理の大事業|「大日本古文書」校正|日名子文書|天寿国曼荼羅断片発見|古裂整理中の発見|古裂から発見の調庸絹布|宝物泥棒記|平忠盛亡息を供養す|魚形|御物汽船に乗る|玉虫の飾|屏風を語る|御床|著名人の筆蹟|待遇改善要求書草案|お灸を忌む日|春雨のあわれ|石の御物|職を楽しむ心|官と位|仲麻呂の勢威|刀子雑態|二つの過状|腰かけの茣座|古鏡五十六面|碁|缺勤者呼出し|固有名詞の読み方|御物のいれもの|頒布分譲された古裂|鋏|御物の摸造|食器|金銀の箸一膳|作者を明かにする|御物にみる年中行事|則天文字|絵具皿|美しい蓮池|貂の糞と柿の種|工匠具|古裂展観濫觴|これが大袈裟|小塔磁塔|瑞典皇太子の御勉強|官行御物図録の始め|御物東京で展観|始めて電灯照明下に|拝観者名簿から|空襲下の宝庫|正倉院門前に立ちて 跋に替へる|正倉院略年表
刊行年:1948/10
データ:『正倉院雑談』 奈良観光事業株式会社出版部
292. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈
甲斐
国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士