日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
検索式
検索
クリア
表示件数
10
20
30
50
100
ソート
執筆者 (昇順)
執筆者 (降順)
刊行年 (古い順)
刊行年 (新しい順)
検索結果
330件中[321-330]
220
240
260
280
300
320
321. 野村 忠夫 概観 律令制下の後宮と宮人(女官)|壬申の乱前後|大宝令の後宮と宮人制|文武朝の後宮と藤原朝臣不比等-夫人藤原朝臣宮子と石川・紀嬪|光明皇后の立后と太夫人三千代-聖武朝の後宮と宮人たち|和気朝臣広虫と吉備朝臣由利-孝謙・称徳朝の宮人たち|宮人から女官へ-
天武
朝系朝廷の終焉と光仁朝の成立|桓武朝の後宮と女官-平安時代への展望|むすび 七~八世紀の後宮と宮人(女官)
刊行年:1978/07
データ:『後宮と女官』 教育社
322. 中野 高行 序章 問題の所在(明治維新と「国際的契機」|律令国家成立と「国際的契機」|『日本書紀』に対する考え方|「王権」および「専制主義」)|日本国号の成立|加耶諸国滅亡と上毛野・東北|榛名山二ツ岳と浅間山天明三年の噴火|舒明朝-遣唐使・百済大宮・八角形墳|皇極朝~孝徳朝-百済大乱・中華的王権・阿倍氏・「大化改新」|斉明朝-百済滅亡・「興事」・蝦夷|
天武
・持統朝|終章 総括
刊行年:2017/07
データ:『古代国家成立と国際的契機』 同成社
323. 直木 孝次郎 河内政権の成立|『記紀』にみえる難波と水路(難波の語源と範囲|丸木船の出土|難波の津|難波の堀江|住吉の津)|難波・住吉の氏族|大化以前の難波|大化改新と難波遷都(大化改新と難波宮|大化改新の意義と展開)|天智・
天武
朝の難波|難波宮の再建と政治の動き(難波宮の再建|天平十六年の難波遷都|聖武朝末年以後の難波宮)|難波の「御津」と交通・外交(防人と難波)
刊行年:1988/03
データ:『新修大阪市史』 1 大阪市
324. 倉本 一宏 古代史ゼミナール(長槍事件に見る天智天皇と大海人皇子の確執の信憑性|大海人皇子に挙兵を決意させた近江朝の新人事|壬申の乱勃発を予言した古代風刺歌の童謡|大友皇子即位・非即位論争に見る万世一系の破綻|美濃王に見る乱世における地方豪族の出世の方法|勝敗を決した大豪族息長氏の寝がえり|大海人皇子は大化改新の不満勢力をどう利用したか|出自で差がつく壬申功臣の昇進率|
天武
系VS天智系に見る乱集結後の皇位継承のゆくえ|『日本書紀』以外に語られた壬申の乱)
刊行年:1983/12
データ:歴史読本 28-19 新人物往来社
325. 倉本 一宏 「陰謀」について-プロローグ|六世紀以降の大王位継承(継体・欽明王権の成立|推古の大王位継承構想とその破綻|乙巳の変と大王位継承)|壬申の乱と大王位継承(大海人と大田・野|天智の大王位継承構想とその破綻|壬申の乱と野王女)|
天武
・持統天皇の皇位継承構想(
天武
天皇の皇位継承構想と天皇制の成立|大津皇子・草壁皇子の死と野皇后の即位|持統天皇の皇位継承構想)|持統太上天皇の「王朝」(持統「王朝」の成立|最後の旅)|「奈良朝の政変劇」への道-エピローグ
刊行年:2009/03
データ:『持統女帝と皇位継承』 吉川弘文館
326. 堀 一郎 上代文化と仏教受容(仏教公伝の意義|氏族制度の構造と氏族祭祀-地盤的事情|仏教公伝に到る国史的事情(一)-史的展開の序曲|同(二)-史的展開の終曲)|上代仏教の展開とその地方伝播(仏教の新機能と聖徳太子の法華観|私事の崇仏より国家的仏教への移行|
天武
天皇紀を中心とする国家仏教の確立|仏教の地方伝播)|初期民間仏教の機能と形態(東大寺建立の理念と民間仏教の抬頭|民間仏教の伝統と行基の地位|民間仏教の原始形態|行基伝説に現はれる民間仏教の諸機能)
刊行年:1955/09
データ:『我が国民間信仰史の研究』 1 東京創元社 昭和24年学位請求論文
327. 利光 三津夫 まえがき|日本政治史の意義|上代(国家成立以前|氏族国家の起源|氏族国家の政治方式|氏族国家の統合|統合の進展|倭の五王|五世紀大和政権の政治組織|内廷と外廷|地方の反抗|推古朝の政治)|中古(一)(大化改新|日唐戦争|壬申の乱|
天武
持統朝の政治|律令政治|藤原氏の台頭|諸兄から道鏡政権へ|民衆の動静)|中古(二)(親政時代|前期摂関時代|摂関中停時代|後期摂関政治(その成立期)|後期摂関政治(盛行期)|前期院政時代|農民の動静)
刊行年:1977/10
データ:『日本古代政治史』 慶應通信
328. 浅井 和春 はじめに|奈良時代美術の底流(三つの品|
天武
系皇統の「呪縛」)|奈良時代前期(七一〇-七三五)(平城京の造営と大寺の移転|法隆寺五重塔と中門の塑像|元明天皇から元正天皇へ|薬師寺金堂薬師三尊像と東院堂聖観音像|興福寺の造営|聖武天皇の即位と光明子の立后|興福寺西金堂の造像|十大弟子・八部衆像)|奈良時代中期Ⅰ(七三五-七五三)(三千代・光明子と法隆寺|藤原四子政権から橘諸兄政権へ|藤原広嗣の乱、行幸、そして大仏造立宣言|大養徳国金光明寺と法華堂本尊不空羂索観音像)|奈良時代中期Ⅱ(七五四-七六四)(鑑真和上の来日と仲麻呂の唐風政治|唐招提寺の成立とその造像|法華寺阿弥陀浄土院の造像その他)|奈良時代後期(七六五-七八四)(称徳天皇と道鏡|称徳・道鏡と西大寺|光仁・桓武朝の新政策と造像)∥仏像と近代 仏像、博物館にならぶ
刊行年:2004/05
データ:『日本の美術』 456 至文堂 -∥付論
329. 黛 弘道 古代史の争点(①稲荷山古墳出土の鉄剣銘|②獲加多支大王は欽明天皇か|③鉄剣銘に見える「斯鬼宮」について|④太安万侶の勲五等について|⑤太安万侶の没年月日について|⑥太安万侶の墓誌と続紀の日付|⑦官位と勲位について-林陸朗氏の批判に答えて|⑧高皇産霊尊と藤原不比等|⑨「マヘツキミ」について|⑩獲加多支大王は欽明天皇か|⑪鉄剣銘に見える「杖刀人」について|⑫武烈天皇は雄略天皇の子・孫か|⑬大津皇子の謀反について|⑭大田田根子の名義について|⑮「古事記序文」の署名について|⑯内臣の訓みについて|⑰大仏造立事業の主導者は誰か|⑱
天武
紀(下)の史料批判|⑲仏教公伝の年時について|⑳同(2)|21大内陵の位置について|22周防国の郷名について|23石門別神社について|24邪馬台国の位置について
刊行年:1979/01-1980/12
データ:歴史手帖 7-1~8-12 名著出版
330. 倉本 一宏 あたらしい「壬申の乱」像|開戦まで(白村江以後の戦時体制)(東アジア国際情勢と壬申の乱)(天智の大王位継承プランとその破綻)(大海人の吉野入り)|乱の勃発(「挙兵の決意」-五月)(美濃への使者-六月二十二日)(吉野脱出-六月二十四日)(高市の合流-六月二十五日)(近江朝廷の対応-六月二十六日)(美濃進出-六月二十七日~二十九日)(吉備・筑紫での徴兵-六月末~七月上旬)|戦闘開始と展開(飛鳥京での開戦-六月二十九日)(大倭・河内国境攻防戦-七月一日)(三方面軍の進発-七月二・三日)(近江朝廷軍の全貌-七月四日)(伊賀路の戦い-七月五・六日)(息長横河の戦い-七月七日)(大倭における最終戦-七月八日)(近江路の戦い-七月九日~十七日)|戦闘の終結と戦後処理(瀬田川の最終戦-七月二十二日)(大友の自害-七月二十三日)(大友の首実検-七月二十六日)(近江朝廷重臣の処断-八月)(飛鳥京への凱旋-九月)|壬申の乱の特質と結果(軍の構成について)(支持勢力の問題)(「皇親政治」と国家の成立)(「壬申年功臣」たちのその後)(
天武
の皇位継承プランと天皇制の成立)(壬申の乱をめぐる説話群)(近代史の中の壬申の乱)|戦乱を終えて
刊行年:2007/02
データ:『壬申の乱』 吉川弘文館