日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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3441. 木本 雅康 古代の官道
刊行年:2004/10
データ:『行橋市史』 上 行橋市史編纂委員会 古代官道の歴史地理(同成社古代史選書9)
3442. 小川 治 刀剣の地理的研究(二)(三)
刊行年:1925/03|04
データ:地球 3-3|4
京都
帝国大学理学部地質学教室内地球學團 平泉 かたな293(1925/10)|294(1925/11)
3443. 新野 直吉 東北地方における『国造』の問題|同(承前)
刊行年:1960/03|04
データ:古代文化 4-3|4 古代学協会
京都
事務所 日本古代地方制度の研究
3444. 福山 敏男 平安浄土教の美術(前史(八世紀まで)|恵心僧都の時代とその前後)|藤原摂関家の寺-法成寺と平等院(法成寺|平等院)|院政期
京都
の寺-白河・鳥羽と法住寺殿(白河・鳥羽の寺|法住寺殿の寺)|平泉の寺-地方への浸透 一(中尊寺|毛越寺|平泉文化圏)|山陰と九州-地方への浸透 二(山陰の寺|九州の寺)|解説(曼荼羅の世界|平安時代の阿弥陀来迎図|鎌倉時代の阿弥陀来迎図|木彫の阿弥陀来迎図|迎講とその面|九、十世紀の藤原氏の造寺|十一、十二世紀の定朝系統の仏師|頼通以後の平等院|六勝寺以外の白河の御願寺|
京都
法金剛院|十一、十二世紀の寺院建築の遺作|平泉の遺跡と建築と仏像|平泉文化圏の寺|国東半島の寺と仏)
刊行年:1964/07
データ:『日本の美術』 9 平凡社
3445. 小山 靖憲 差図
刊行年:1997/05
データ:『中世荘園絵図大成』 第二部 河出書房新社
3446. 倉石 武四郎∥大島 晃|河野 貴美子|佐藤 進|佐藤 保|清水 信子|戸川 芳郎|長尾 直茂|町 泉寿郎(整理・校注) 大陸文化の受容|平安期の中国学藝の受容|博士家の学問と訓法の発達|遣唐使廃止後・鎌倉と日宋交流|宋学新注と五山文学、書物の印刷|惺窩新注学、羅山点と闇斎点|仁斎と徂徠|七経孟子攷文・園学派、唐話学と長崎通事|江戸期学藝のひろがり、白話小説・戯曲|幕末明治の漢詩文と学藝|漢学・東洋史学|
京都
支那学|諸帝大の支那学・東洋史学・支那語学
刊行年:2006/03
データ:『本邦における支那学の発達』 二松学舎大学21世紀COEプログラム
3447. 林 幹彌 はじめに|飛鳥・奈良時代の太子観(太子は往生人|太子はボサツ)|平安時代の太子信仰(太子は救世観音|太子信仰のメッカ|藤原道長と藤原頼長|太子信仰の普及)|鎌倉時代の太子信仰(末法と太子|南都の太子信仰|法隆寺の太子信仰|平安仏教と太子|新仏教の太子信仰|鎌倉の武家の太子信仰|庶民の太子信仰)|南北朝・室町の太子信仰(南朝と未来記|東山の太子堂と
京都
のひとびと|禅宗と聖徳太子|知識人と太子伝|室町将軍の太子信仰|太子信仰の普及|乱世の太子信仰)
刊行年:1972/06
データ:『太子信仰-その発生と発展-』 評論社
3448. 髙橋 昌明 石母田正「鎌倉幕府一国地頭職の成立」『中世の法と国家』東京大学出版会,1960|大森金五郎『武家時代之研究』全3巻,冨山房,1923-37|黒田紘一郎『中世都市
京都
の研究』校倉書房,1996|黒田俊雄『日本中世の国家と宗教』岩波書店,1975|髙橋昌明『清盛以前』平凡社,1984|髙橋昌明『酒呑童子の誕生』中公新書,1992|髙橋昌明『中世史の理論と方法』校倉書房,1997|髙橋昌明『武士の成立 武士像の創出』|棚橋光男『中世成立期の法と国家』塙書房,1983|棚橋光男『後白河法皇』講談社,1995|棚橋光男『古代と中世のはざまで』北國新聞社,1997|戸田芳實「平安初期の国衙と富豪層」『史林』42-2,1959
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
3449. 高橋 富雄 講座日本史学思想史 前篇(古典篇)伝統史学の展開 第一講 歴史的世界の成立|第二講 古事記と日本書紀|第三講 古代正史|第四講 世継物語の構造|第五講 愚管抄における歴史哲学|第六講 神皇正統記|第七講 戦記物と吾妻鏡|第八講 本朝通鑑と大日本史|第九講 白石史学とその周辺∥後篇(近代篇)近代史学の系譜 第一講 文明史-歴史をつくる人の歴史|第二講 修史史学|第三講 近代史学の古典主義-
京都
学派の意義|第四講 思想史学-自由主義の季節|第五講 資本主義論争|第六講 民族の歴史学
刊行年:1958/01-1959/03
データ:日本歴史 115~123,124~9 吉川弘文館
3450. 関 幸彦 序 史実の義経・伝説の義経(義経論をめぐって)|伝説は語る(鞍馬山の遮那王|平泉での義経|武の系譜)|源九郎義経・頼朝・鎌倉(黄瀬川の対面|頼朝のけじめ|もう一人の義経、義仲・行家|義経の試金石|東国武士団)|判官義経・後白河院・
京都
(一ノ谷の合戦|戦さの作法|後白河法皇と義経|屋島の合戦|壇ノ浦の決戦|腰越の悲嘆|義経の謀叛)|義顕・秀衡・平泉(その後の義経・静|再び奥州へ|鎌倉と平泉|頼朝の夢|義経の最期)|再び伝説は語る(海を渡る義経|未完の英雄)
刊行年:1990/07
データ:『源義経-伝説に生きる英雄』 清水書院
3451. 錦 昭江 実朝は本当に歌詠みの名手であったのか|公暁は、銀杏の陰に隠れて実朝を襲ったのか|御家人の罰として、鎌倉の道路建設がおこなわれたのは本当か|鎌倉の人々は道路にも家を建てたの?|大仏が二つあったって本当?|阿仏尼は、なぜ鎌倉に滞在したの?|護良親王は、なぜ土牢の中で憤死しなければならなかったのか?|足利尊氏はなぜ
京都
に幕府を開いたのか|足利直義は、なぜ兄尊氏によって殺害されたのか|鶴岡八幡宮で血で書かれた願文があるって本当?|鎌倉にも祇園祭が行われたって本当?
刊行年:2001/04
データ:『神奈川県の不思議事典』 新人物往来社 中世の鎌倉
3452. 木村 茂光 問題の所在と時代の概観(なぜ「国風文化」なのか?|「国風文化」の時代とは)|中世的在地社会の形成(富豪層の台頭|王朝国家への転換|中世村落への移行|開発の進展と中世村落の形成)|都市平安京の形成(平安京の成立と構造|都市
京都
へ|都市住民の様相|触穢と怨霊|保刀禰から「町内名士」へ)|9・10世紀の外交と拝外意識の形成(伝統的対外意識の動揺|拝外意識の強化と神国思想|遣唐使の中止と10世紀の対外関係)|「日本」的儀式の形成と文人貴族(文章経国思想の衰退|「日本」的儀式の形成|藤原氏と文人貴族|藤原流儀式の成立)|「国風文化」の特質(文人の学問と本朝意識の形成|日本的知識の集成|仮名文学の特徴)|「国風文化」から院政期の文化へ
刊行年:1997/02
データ:『「国風文化」の時代』 青木書店
3453. 鳥居 龍蔵 河内国府の新発掘に就て|現今に於ける吾人祖先有史以前の研究に就て|有史以前アイヌの各部(群)族|
京都
市白河町発見の土器に就て|近江の琵琶湖中から出た厚手派土器|和歌山市附近に於けるアイヌ有史以前の研究|アイヌ人種|銅鐸使用者と吾人祖先先駆者との接触|朝鮮の有史以前|朝鮮の有史以前に於ける南鮮と北鮮|有史以前の日鮮関係|祝部土器(陶)に就て|三輪山伝説|漢族文明の日本に与へし影響|満州と東蒙古の有史以前|黄河流域(陜西省等)の有史以前|山東省の有史以前の遺跡|チャイニーストルキスタンの有史以前|東部西比利亜の有史以前|エニセイ河上流地方の有史以前|日本古代の遺跡・遺物に就ての概論|古代の日本民族|西比利亜の人種|オロッコに就て|台湾の有史以前|苗と|黒色小身のネグリート族|ニューギニー島のネグリトー
刊行年:1918/11
データ:『有史以前の日本』 磯部甲陽堂 有史以前の日本〔改訂版〕|鳥居龍蔵全集1
3454. 百瀬 明治 治承四年~寿永元年(一一八〇~一一八二)蜂起する各地の源氏|寿永二年~文治元年(一一八三~一一八五)平氏、西海に滅ぶ|文治二年~建久元年(一一八六~一一九〇)奥州藤原氏の滅亡|建久二年~建久五年(一一九一~一一九四)鎌倉幕府の確立|建久六年~正治二年(一一九五~一二〇〇)建久七年の政変と頼朝の死|建仁元年~元久二年(一二〇一~一二〇五)将軍家をめぐる暗闘|建永元年~建暦二年(一二〇六~一二一二)広まる念仏宗|建保元年~承久二年(一二一三~一二二〇)源氏の正系断絶|承久三年~嘉禄元年(一二二二~一二二五)承久の乱とその余波|嘉禄二年~寛喜三年(一二二六~一二三一)闘う僧徒たち|貞永元年~仁治元年(一二三二~一二四〇)道元と禅の興隆|仁治二年~宝治二年(一二四一~一二四八)名執権の死と鎌倉の動揺|建長元年~文応元年(一二四九~一二六〇)摂家将軍から親王将軍へ|弘長元年~文永九年(一二六一~一二七二)日蓮の苦闘と他国侵逼難|文永十年~建治三年(一二七三~一二七七)蒙古軍大挙来襲す|弘安元年~弘安七年(一二七八~一二八四)国難ふたたび-弘安の役|弘安八年~永仁元年(一二八五~一二九三)霜月騒動と恐怖政治|永仁二年~正安二年(一二九四~一三〇〇)窮乏する御家人|正安三年~延慶三年(一三〇一~一三一〇)得宗専制体制のもとで|応長元年~元応二年(一三一一~一三二〇)文保の和談と後醍醐天皇|元亨元年~元徳元年(一三二一~一三二九)後醍醐親政と正中の変|元徳二年~正慶元年 元弘二年(一三三〇~一三三二)主上御謀反-元弘の乱|正慶二年 元弘三年~建武二年(一三三三~一三三五)公武一統-建武の新政|建武三年 延元元年~暦応二年 延元四年(一三三六~一三三九)南北朝時代の幕開け|暦応三年 興国元年~康永三年 興国五年(一三四〇~一三四四)豪壮・華麗-婆娑羅の時代|貞和四年 興国六年~貞和四年 正平三年(一三四五~一三四八)炎上する吉野行宮|貞和五年 正平四年~文和元年 正平七年(一三四九~一三五二)二つに割れた幕府|文和二年 正平八年~延文二年 正平一二年(一三五三~一三五七)
京都
をめぐる攻防|延文三年 正平一三年~貞治三年 正平一九年(一三五八~一三六四)尊氏の死と南朝の残映|貞治四年 正平二〇年~応安元年 正平二三年(一三六五~一三六八)幼将軍と名執事|応安二年 正平二四年~康暦元年 天授五年(一三六九~一三七九)康暦の政変-名執事去る|康暦二年 天授六年~至徳元年 元中元年(一三八〇~一三八四)花の御所と相国寺|至徳二年 元中二年~応永四年(一三八五~一三九七)南北朝合一への道|応永五年~応永一二年(一三九八~一四〇五)応永の乱と勘合貿易|応永一三年~応永一七年(一四〇六~一四一〇)野望目前〝日本国王〟の死|応永一八年~応永二四年(一四一一~一四一七)関東の争乱と鎌倉公方|応永二五年~応永三二年(一四一八~一四二五)泰平謳歌-芸能の興隆|応永三三年~永享三年(一四二六~一四三一)蜂起する土一揆の嵐|永享四年~永享一一年(一四三二~一四三九)足利氏内訌-永享の乱|永享一二年~文安五年(一四四〇~一四四八)恐怖政治のツケ-将軍暗殺|宝徳元年~寛正二年(一四四九~一四六一)満城の紅緑誰がために肥ゆる|寛正三年~応仁元年(一四六二~一四六七)天下大乱の前夜
刊行年:1982/01
データ:『読める年表』 3 自由国民社