日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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381. 工藤 雅樹 はじめに|国府多賀城|胆沢鎮守府|防御性集落の時代|前九年の合戦|延久の合戦|後三年の合戦|清衡・基衡の時代|秀衡の時代|文治五年奥州合戦|平泉藤原氏政権のなりたち|『
義経
記』と『奥の細道』
刊行年:2005/12
データ:『平泉への道-国府多賀城・胆沢鎮守府・平泉藤原氏-』 雄山閣
382. 菊池 敬一 岩手人の祖先はアイヌか|岩手の古名は日高見国だった|平泉文化はなぜ誕生したか|毛越寺は日本最古の庭園|マルコ・ポーロは平泉と関係がある?|
義経
は本当に平泉で死んだのか
刊行年:1987/07
データ:『岩手の不思議 なぜ?どうして?』 岩手日報社 歴史編
383. 野口 実 頼朝の配流先が、海の孤島でなく「陸」の蛭ケ小島だったのは?|黄瀬川の対面で、頼朝が
義経
を「弟」と確認できたのは?|宇治川の先陣争いで、佐々木高綱が「卑怯」とされないのは?
刊行年:1986/11
データ:歴史読本 31-21 新人物往来社 武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか
384. 進士 慶幹 風土記|日本霊異記|土佐日記|今昔物語|宇治拾遺物語|梁塵秘抄|吾妻鏡|愚管抄|貞永式目|八幡愚童訓|沙石集|太平記|
義経
記|申楽談儀
刊行年:1965/11
データ:『歴史書入門』 人物往来社
385. 永井 晋
義経
、八艘飛びの真相-時を経るごとに増える跳んだ船の数|安徳天皇の入水と落ち延びた平氏-壇浦の戦いの後、平氏はどうなったのか|三種の神器とその行方-皇位継承に必携の玉・剣・鏡
刊行年:2005/01
データ:別冊歴史読本 30-1 新人物往来社 源平合戦の謎
386. 豊田 武 英雄の伝説化|坂上田村麻呂伝|道真と天神信仰|将門と秀郷|勃興期の源氏諸将-源頼光・義家・為朝|
義経
伝説の展開|北条時頼と廻国伝説|楠木正成の活躍|信長と秀吉|巴御前の物語|あとがき
刊行年:1976/12
データ:『英雄と伝説』 塙書房 豊田武著作集7中世の政治と社会
387. 大森 金五郎 奥州藤原氏三代の事業及び其文化(安倍氏の事蹟|清原氏の事蹟|藤原氏の事蹟)|平氏の興亡と其事業(平氏の事蹟に関する資料|平氏の世系と伊勢平氏の由来|清盛の栄達及び其事業|平氏の衰運及び同氏に対する反抗運動|平氏の覆滅)|源平両氏の交戦(源頼朝挙兵の意義|第一期の交戦|第二期の交戦|第三期の交戦)|源頼朝の奥羽征伐(奥羽征伐の名義|藤原秀衡と
義経
との関係(
義経
の末路)|頼朝の出征及び地理上の考察|平定後の処分)|鬼界ヶ島の征服|朝鮮征伐の伝説
刊行年:1929/03
データ:『武家時代之研究』 2 冨山房 源平時代(二) 安藤系図
388. 福家 清司 細川氏の時代-細川成之と丈六寺|河川水運の一拠点集落-中島田遺跡復原|活発化する武士団の活動|源平合戦と阿波|種野山の支配と人びとのくらし||中島田遺跡にみる流通の発展|『太平記』の時代と阿波の武士|細川成之と丈六寺|三好氏の栄枯盛衰|躍動する民衆世界|
義経
伝説と阿波
刊行年:1994/11
データ:『図説徳島県の歴史』 河出書房新社書房
389. 谷口 研語 鎌倉時代 武将(平清盛|源頼朝|源
義経
|北条時宗|平重盛|北条時頼|源頼政|源範頼|源頼家|源実朝|平知盛|平敦盛|北条時政|北条高時|藤原秀衡|千葉常胤|武蔵坊弁慶|和田義盛|梶原景時|竹崎季長)|鎌倉時代 公家(九条兼実|九条頼経)
刊行年:2006/12
データ:歴史読本 51-15 新人物往来社 日本の英雄 肖像が語る生涯 鎌倉・室町時代編
390. 鈴木 啓 信夫郡家の跡-「郡」字土器を出土した五十辺遺跡|一木造の大作-大蔵寺千寿観音と仏像群|盆地の守護神信夫五社-延喜式の神々|平泉藤原氏の忠臣-信夫郡司・庄司の佐藤氏|忠死した
義経
の四天王-佐藤継信・忠信と妻たち|佐藤一族の奮戦-石那坂の戦い
刊行年:1999/06
データ:『図説福島市の歴史』 郷土出版社 古代
391. 永岡 慶之助 群雄列伝-奥州に名を馳せた兵たちの光と陰(安倍頼時|安倍貞任・宗任|清原武則|清原真衡|清原家衡|吉彦秀武|源頼義|源義家|藤原経清|藤原清衡|藤原基衡|藤原秀衡|藤原泰衡|藤原国衡・忠衡|源
義経
|弁慶|九条兼実|西行|藤原基成|由利八郎)
刊行年:1993/07
データ:『歴史群像シリーズ』 34 学習研究社
392. 岡本 文良|柳川 正実 平安~鎌倉時代のあらまし|平清盛|平清盛の人物資料館|源頼朝|源頼朝の人物資料館|源
義経
|源
義経
の人物資料館|北条時宗|北条時宗の人物資料館|鎌倉時代の文化|鎌倉時代に活やくした人びと|室町時代のあらまし|足利義満|足利義満の人物資料館|足利義政|足利義政の人物資料館|室町時代の文化|雪舟|雪舟の人物資料館|室町時代に活やくした人々
刊行年:1990/03
データ:『新教科書に出てくる42人の人物と日本の歴史』 3 学習研究社
393. 星山 晋也 七世紀の政治、文化の中心地・飛鳥とその周辺|高松塚古墳壁画|古墳壁画の多彩な技法-高松塚古墳と壁画|談山神社-妙楽寺の名残を伝える社殿|飛鳥の寺々と仏像-遷都後にも生れた優品|法華経二十八・観音普賢経一・無量
義経
三・阿弥陀経一・般若心経一|飛鳥に残る石造物-用途が忘れられた造形
刊行年:1997/04/20
データ:『週刊朝日百科』 1115 朝日新聞社
394. 藤原 相之助 柳の宿の一夜|奥州杉薬師|束稲山の桜|兄弟の恋争ひ|白拍子の牙鑿|前民部省輔の配所|流人父子の対面|鎮守府将軍|鬼一法眼が事|吉次の行商|吉次の鞍馬詣|四條堀川の討入|宇都宮の活劇|衣川の庵室|女の胸|信夫の使ひ|巣立ちの隼|夏草の香|浅い巧み|その移り香|七夕の夜|大望を前に|紅の涙|中秋の月|懐剣の錆|猫間が淵|青貝の彌藤治|沈み行く身|靺鞨の大酋長|異類との誓約|恋から弓矢|夷軍來る|援軍來る|靺鞨の老巫女|奥の院|田名部の舘|風雲動く|令旨下る|女の髪|懺悔の涙|栗駒の地仙|
義経
の出陣|平泉評定|宮廷の秘事|内宣下る|平泉の宝引|不慮の内乱|赤稚児の里|風雲益々急|義仲と秀衡|秀衡の意見|
義経
の静動|逆艪の争ひ|西海の血の浪|月影の明石の浦|腰越の嘆き|堀川の夜討|
義経
の都落ち|吉野の雪|奥州下り|目に見えぬ暗闘|高舘入り|杜鵑の塚|銀の猫兒|二人の孤児|西行法師|院の下文|秀衡入道卒去|鎌倉の使者|苦肉の経略|宣旨下る|毒計の犠牲|刺客入る|伽羅舘の大激論|頼朝の鬱憤|長部山の狩|田名部落ち|高館攻め|
義経
の首級|泉の城攻め|頼朝の腹|奥州両州の防禦|大木戸の戦ひ|海道口と出羽口|泰衡の敗退|出羽軍の敗北|平泉の兵火|最後の恋|泰衡の最期|河田と由利|秘密の姫宮|残党の蜂起|宇曾利の奥の院|八郎潟の戦|夢の跡
刊行年:1917/09
データ:『平泉情史 藤原秀衡』 仁友社 初出は新聞連載。新聞名未調査
395. 野尻 忠 法華経 薬師如来像納入品 八巻│仏説普法
義経
粟野寺経 一巻│仏説胞胎経 藤原継縄周忌一切経 一巻│大般若経 巻第四百十二 大坂真長等願経 一帖│金光明最勝王経註釈 巻第二・巻第四断簡 飯室切 一巻│註維摩詰経 巻第八 一巻│大方など大集経菩薩念仏三昧分 巻第九 神護寺根本御経 一巻│金光明最勝王経 残巻 醍醐寺文書聖教146函24号 一巻│仁王護国盤若波羅蜜多経 二巻
刊行年:2015/04
データ:『まぼろしの久能寺経に出会う 平安古経展』 奈良国立博物館 展示品解説 第一章 九~十世紀の墨書経
396. 野尻 忠 法華経(一品経) 久能寺経 四巻(薬草喩品第五│従地涌出品第十五│随喜功徳品第十八│普賢菩薩勧発品第二十八)│法華経(一品経) 久能寺経 二巻(十九巻のうち)(堤婆達多品第十二│勧持品第十三)│法華経(一品経) 久能寺経 二巻(序品第一│法師功徳品第十九)│法華経(一品経) 久能寺経 二巻(三巻のうち)(無量
義経
│法師品第十)
刊行年:2015/04
データ:『まぼろしの久能寺経に出会う 平安古経展』 奈良国立博物館 展示品解説 第六七章 久能寺経
397. 高平 眞藤 平泉舘|西木戸第|忠衡第|柳御所|猫間淵|無量光院跡|金鶏山|高舘|弁慶宅地跡|同基跡|鈴木宅地跡|亀井塚|兼房碑|束稲山|北上川|櫻川|葛西宅地趾|佐藤庄司宅地趾|諸士小路並市井跡|藤原氏|源
義経
|大将軍|瀬原柵|白鳥舘|衣里|衣川|袈娑女|照井舘|陣馬張山|吉次宅地跡|小松舘|衣川柵|琵琶柵|衣関|衣瀧|月山社|安倍氏|清原氏
刊行年:1888/12
データ:『平泉志』 巻之上 鶴揚社
義経
蝦夷渡の説
398. 高橋 富雄 道奥国と呼ばれたのはなぜか|どうして富民が大挙入植したのか|アテルイは、なぜ殺されたのか|どうして志波城が北限の城となったのか|前九年の役は、なぜ起きたか|なぜ後三年の役が起きたのか|平泉文化は、なぜ黄金文化になったのか|
義経
は、なぜ平泉に来たのか|なぜ大河兼任の乱が起きたのか|北畠顕家は、なぜ奥州統治者になったのか
刊行年:1991/07
データ:『岩手の歴史 なぜ?どうして?』 岩手日報社
399. 鈴木 宏美
義経
の祖父、為義-不遇に終わった一生|生まれながらの武士義朝-父為義を抜いて受領になる|数奇な運命を辿った義朝の兄弟たち-父為義は子福者?|崇徳上皇と後白河天皇の対立、保元の乱-武士の政界進出の契機|保元の乱で義朝が動員した七十余名の武士たち-源平争乱を生き抜いた在地領主の苦悩
刊行年:2005/01
データ:別冊歴史読本 30-1 新人物往来社 父義朝と源氏一族の謎
400. 奥富 敬之 源平時代(石橋山で敗れた源頼朝の麾下に参集した東国武士|平氏を恐れて高麗まで逃げた源親光|腹を切る郎等を前に、なお女に未練を残した木曽義仲|
義経
に〝八艘飛び〟させた平教経は壇ノ浦にはいなかった|郎等たちの甲冑を売り払って兵粮代を捻出した東国武士|海戦が不得手ではなかった東国武士|とかく他人の顔かたちについて悪口雑言を吐いた源頼朝|なりは小さくても、顔が大きかった鎌倉武士|子孫十代にまで頼朝の〝咎なし〟のお墨つきを賜った天野遠景|生活に困っていた木曽義仲の妹菊姫に所領を与えた源頼朝|頼朝にすぐに着せるため甲冑を逆に着ていた佐々木高綱)
刊行年:1986/05
データ:歴史読本 31-9 新人物往来社