日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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41. 渡瀬 昌忠 人麻呂歌集略体歌の
七夕
歌.-使者を求めて
刊行年:1990/04
データ:『万葉学論攷』 美夫君志会|続群書類従完成会
42. 渡瀬 昌忠 万葉時代の
七夕
詩歌とその場.-養老・神亀・天平のころ
刊行年:1991/03
データ:儀礼文化 15 儀礼文化学会
43. 於 国瑛 『源氏物語』の終焉とトポロジー.-「長恨歌」・
七夕
・浦島伝説との関わりから
刊行年:2006/03
データ:アジア遊学 別冊3 勉誠出版
44. 福永 光司 唐の玄宗と楊貴妃と
七夕
伝説.-昆劇「長生殿」の日本公演に寄せて
刊行年:1988/
データ:『昆劇・長生殿』 日本文化財団 「馬」の文化と「船」の文化-古代日本と中国文化
45. 村田 右富実 木簡に残る文字列の韻文認定について.-「送寒衣」、「
七夕
四」など
刊行年:2010/11
データ:上代文学 105 上代文学会
46. 河野 健三 日本古代の暦と時|紫微垣の星と
七夕
伝説|ベツレムの星|日食と月食|彗星|星、月に入る|高松塚古墳の星
刊行年:1986/07-1988/04
データ:明日香風 19~23|25|26 飛鳥保存財団 星の話(1)~(6)(最終回)
47. 皆川 完一 高屋赤麻呂|古神徳|志斐麻呂|他田水主|善珠|後家川麻呂|恵雲|
七夕
詩并序|平城京東市図|写経試字|写経生楽書
刊行年:1975/07
データ:『書の日本史』 1 平凡社 正倉院文書と古代中世史料の研究
48. 林屋 辰三郎 古代の新年|渡来人と初午|王朝の雛まつり|花と大念仏|「弓矢」の季節|水無月ばらい|
七夕
と祇園祭|大文字と花火|月見る月|時代祭の周辺|商家のまつり|師走と顔見せ|京の着倒れ|京と田舎美物|うなぎの寝床
刊行年:1972/01-1973/03
データ:コミュニティ 京都信用金庫 京都文化の座標
49. 新谷 秀夫 家持の
七夕
歌はなぜ織女が川を渡ると詠んだのか|家持はどのような思いで聖武天皇の彷徨五年に従ったのか|家持は越中の風土を愛したのか|越中の家持はおとめの幻を見たのか|家持は和歌史における先駆者か(1)-雪月花を詠む場合|同(2)-舟歌を詠む場合|家持の代表作は「春愁三首」か|『万葉集』最後の家持の歌は元旦の歌としてふさわしいか
刊行年:2000/10
データ:『万葉集101の謎』 新人物往来社 万葉の歌をめぐる謎
50. 飯島 春敬 上古より白鳳までの概観|法隆寺金堂釈迦像光背銘|法隆寺金堂薬師像光背銘|聖徳太子筆 法華経義疏|長屋王発願大般若経(和銅五年)(神亀経)|瑜伽師地論・僧賢證願経(天平二年)|石川年足発願・仏説弥勒上生経|玄昉発願千手千眼陀羅尼経(天平十二年)|阿達磨倶舎論(天平勝宝四年)|増一阿含経科野虫麿写(天平宝字二年)|註妙法蓮華経|過去現在因果経|聖武天皇 封戸勅旨|装手実紙背 韓藍花の短歌|千字文断簡|王羲之書模写|仮名専用文|座右銘及び詩|国造豊足解紙背漢文|食口帳紙背詩文|
七夕
詩二韻及び詩|古文尚書及び草字彙|孝謙天皇 砂金奉請文|僧正美状(天平宝字六年閏十二月二日)|孝謙天皇詔(天平宝字二年八月一日)|写経生試字|日本国学生護勝書|秦家主啓|市原王書状|校生手実紙面文字弁嫌(天平十八年三月二十三日)|弓削道鏡書状|王勃詩序|鳥毛書屏風銘|玉集
刊行年:1956/02
データ:『定本書道全集』 8 河出書房
51. - 続修正倉院古文書第三十二巻(造仏所作物帳・
七夕
詩習書)|沙金桂心請文|東大寺封戸処分勅書|沢栗木箱(東大寺封戸処分勅書の箱)|東南院古文書第三櫃第二十八巻(東大寺越中国諸群庄園惣券第一)|越中国射水郡須加野地図|杉小櫃(文書の箱)|正倉院古文書正集第十巻(大倭国正税帳)|正倉院古文書正集第二十六巻(御野国戸籍・陸奥国戸口損益帳)|正倉院古文書正集第十六巻(遠江国浜名郡輸租帳)|続修正倉院古文書別集第七巻(僧綱牒ほか)|続々修正倉院古文書第三十四帙第一巻(写疏所符ほか)|成唯識論巻第四(唐経)|増壹阿含経巻第九(光明皇后御願経)|金光明経巻第一
刊行年:2001/10
データ:『正倉院展目録』 第五十三回 奈良国立博物館 図版 解説
52. 池田 三枝子 山部赤人の「田子の浦ゆうち出て見れば」の歌は『百人一首』の歌とどう違うのか|「咲く花の薫ふがごとく」の歌は平城京讃歌か|「麻手刈り干し布さらす東女を忘れたまふな」と詠んだ常陸娘子は農民の娘か|大伴家持はなぜ女性からの恋歌に返事しなかったのか|貧窮問答歌は古代農民の姿の実写か|志貴皇子の懽びの歌には何か別の意味が隠されているのか|「夕されば小倉の山に」の歌の作者はだれか|高橋虫麻呂の浦島伝説を詠む歌にはなぜ亀が出てこないのか|万葉の相聞歌にはなぜ序詞が多いのか|万葉の相聞歌にうわたわれる恋のマジックにはどのようなものがあるか|『万葉集』にはなぜたくさんの
七夕
歌が残されているのか|万葉の相聞歌はなぜ「人自・人言」を歌うものが多いのか|日本は「言霊の助くる国」だったのか|巻十四の東歌は東国の民謡か|巻十五の遣新羅使人たちは帰路になぜ寡黙になったのか|巻十五の中臣宅守と狭野弟上娘子との恋は虚構か|安積山の歌はほんとうに采女が作ったのか|穂積皇子の歌は恋の苦しさを歌うものか|複数の男性に求婚された伝説の処女たちはなぜ自殺しなければならなかったのか
刊行年:2000/10
データ:『万葉集101の謎』 新人物往来社 万葉の歌をめぐる謎
53. 藤原 相之助 柳の宿の一夜|奥州杉薬師|束稲山の桜|兄弟の恋争ひ|白拍子の牙鑿|前民部省輔の配所|流人父子の対面|鎮守府将軍|鬼一法眼が事|吉次の行商|吉次の鞍馬詣|四條堀川の討入|宇都宮の活劇|衣川の庵室|女の胸|信夫の使ひ|巣立ちの隼|夏草の香|浅い巧み|その移り香|
七夕
の夜|大望を前に|紅の涙|中秋の月|懐剣の錆|猫間が淵|青貝の彌藤治|沈み行く身|靺鞨の大酋長|異類との誓約|恋から弓矢|夷軍來る|援軍來る|靺鞨の老巫女|奥の院|田名部の舘|風雲動く|令旨下る|女の髪|懺悔の涙|栗駒の地仙|義経の出陣|平泉評定|宮廷の秘事|内宣下る|平泉の宝引|不慮の内乱|赤稚児の里|風雲益々急|義仲と秀衡|秀衡の意見|義経の静動|逆艪の争ひ|西海の血の浪|月影の明石の浦|腰越の嘆き|堀川の夜討|義経の都落ち|吉野の雪|奥州下り|目に見えぬ暗闘|高舘入り|杜鵑の塚|銀の猫兒|二人の孤児|西行法師|院の下文|秀衡入道卒去|鎌倉の使者|苦肉の経略|宣旨下る|毒計の犠牲|刺客入る|伽羅舘の大激論|頼朝の鬱憤|長部山の狩|田名部落ち|高館攻め|義経の首級|泉の城攻め|頼朝の腹|奥州両州の防禦|大木戸の戦ひ|海道口と出羽口|泰衡の敗退|出羽軍の敗北|平泉の兵火|最後の恋|泰衡の最期|河田と由利|秘密の姫宮|残党の蜂起|宇曾利の奥の院|八郎潟の戦|夢の跡
刊行年:1917/09
データ:『平泉情史 藤原秀衡』 仁友社 初出は新聞連載。新聞名未調査