日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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401. 鈴木 拓也 律令国家と蝦夷 プロローグ|奈良時代前半の征夷(律令国家と征夷|和銅二年の征夷と出羽国の成立|養老四年の蝦夷の反乱と鎮守府の成立|神亀元年の征夷と俘囚の移配|天平九年の奥羽連絡路建設)|光仁朝の征夷(三十八年戦争の開始|伊治公呰麻呂の乱)桓武の征夷(延暦三年の征夷計画と長岡
遷都
|延暦八年の征夷と阿弖流為の登場|延暦十三年の征夷と平安
遷都
|延暦二十年の征夷と阿弖流為の降伏)|征夷の終焉と九世紀の蝦夷社会(辺境政策の転換|文室綿麻呂の征夷|移配蝦夷の処遇と闘争|奥郡の騒乱)|征夷の側面観 エピローグ
刊行年:2008/12
データ:『蝦夷と東北戦争』 吉川弘文館
402. 笹山 晴生 日本古代史とその研究|日本の原始社会|農耕社会の形成|国家の起源|大和政権と朝鮮|王権の動揺と政治支配の強化|推古朝の政治と飛鳥文化|大化改新と古代国家の確立|律令制国家の構造とその特質|天平期の政治と文化|平安
遷都
と新仏教の成立|古代社会の転換|摂関政治|藤原文化|院政と古代の終末
刊行年:1977/03
データ:『日本古代史講義』 東京大学出版会
403. 伊佐治 康成 なぜ都を飛鳥に定着させたのか|隋に遣使した多利思比狐とは誰か|法隆寺は怨霊封殺の寺だったか|天智天皇はなぜ近江に
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したのか|天智天皇と大海人はなぜ対立したのか|天武天皇は道教にご執心だったか|天皇号の成立はいつか
刊行年:1998/09
データ:『古代天皇101の謎』 新人物往来社 推古朝・大化改新の謎
404. 及川 和哉 遙かなる胆沢の里|蝦夷とは誰のことか|蝦夷を征服せよ|律令国家づくり|俘囚の怒り爆発|迎え撃つ在地連合軍|将軍は任務を果たせ|阿弖流為の必策|子波遠征、良策に非ず|敗軍の将、紀古佐美辞任|
遷都
と征夷の二大国策|坂上田村麻呂が登場|悪徳役人を左遷|平地の城、胆沢城|阿弖流為の決断
刊行年:1994/09
データ:『えみしとは誰れ-古代東北の歴史』 川口印刷工業
405. 中尾 芳治 『記紀』にみえる難波と水路(丸木船の出土)|大化改新前後の難波(難波と仏教〈四天王寺の発掘調査|上野台地の古代寺院跡〉)|大化改新と難波
遷都
(難波長柄豊碕宮の発掘)|難波宮の再建と政治の動き(後期難波宮の遺構|難波京の復元)|奈良時代の難波(難波と仏教〈八世紀の寺院跡〉)
刊行年:1988/03
データ:『新修大阪市史』 1 大阪市
406. 遠山 美都男 孝謙天皇と〝天皇道鏡〟の深意-天皇家の血筋でない者に皇位がわたろうとした前代未聞の事件|光仁天皇と「国体護持」-皇統は天武天皇系から天智天皇系に転換したのか?|桓武天皇と平城京訣別-長岡京へ、そして平安京へと
遷都
を断行した理由は何か?
刊行年:2010/07
データ:『歴史群像シリーズ』 特別編集 学研パブリッシング 奈良時代の天皇と五十代桓武天皇
407. 鶴見 泰寿 聖武天皇(誕生から即位まで|長屋王の変|光明立后|度重なる
遷都
)|大仏開眼(知識寺行幸|行基|大仏鋳造|大仏開眼)|東大寺の伽藍と組織(創建の経緯|東大寺山堺四至図|造東大寺司の活動|東大寺の伽藍と発掘調査)|東大寺献物帳の世界(東大寺献物帳|正倉院宝物)
刊行年:2000/10
データ:『大仏開眼-東大寺の考古学-』 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館
408. 渡辺 晃宏 平城京に旅立つ前に|平城京への道、伝統と革新の弁証法|長屋王家木簡の発見、貴族たちの知られざる日常|官僚社会の発展、聖武即位前夜の宮城の姿|二条大路木簡の発見、聖武と光明の精神世界の入り口|
遷都
の日々、衆生救済へのみはてぬ夢|奈良の都の終焉、あるいは律令国家完成への道
刊行年:2010/04
データ:『平城京一三〇〇年「全検証」-奈良の都を木簡からよみ解く』 柏書房
409. 喜田 貞吉 平城京の四至を論ず(一)~(七)(完結)
刊行年:1906/02-05|07-09
データ:歴史地理 8-2~5|7~9 日本歴史地理研究会 8-7には数字無。最終回(七)(完結)とあり。8-11に補論有 奈良の地名の古今の相異|平城
遷都
|藤原京・平城京・平安京の制度の比較|平城京址に関する世俗の従来の見解と北浦定政の研究|関野貞君の新研究|関野君の新研究を駁す|西大寺の古境内によりて北辺坊の有無を論ず|宮城の敷地によりて北京極の位置を考定す|都城の制を論じて北京極の位置に及ぶ|東辺における平城京の拡張
410. 川口 勝康∥(稲岡 耕二|笹山 晴生編) 万葉集歴史事典(七世紀における朝鮮と日本|大王から天皇へ|改新詔の信憑性と改新の意義|国号日本の成立|有間皇子事件|天智天皇と近江
遷都
|近江令と浄御原令|庚午年籍と庚寅年籍|壬申の乱と天武朝の政治|『風土記』の撰述|『古事記』『日本書紀』の成立|安積親王と大伴家持)
刊行年:1978/04
データ:国文学 解釈と教材の研究 23-5 学燈社 別冊国文学3(万葉集必携)(稲岡耕二編)
411. 梅原 猛|杉山 二郎|田辺 昭三 序論|渡来者の定着|古代氏族の系譜|蘇我氏を中心に|中臣氏-その出自|六韜三略-入鹿打倒|改新政治をめぐって|白村江始末記|定慧変死|鎌足像と大織冠の謎|壬申の乱余聞|藤原宮|不比等登場-平城
遷都
|異説・法隆寺論|和同開珎-鋳銭のことはじめ|律令政治の表裏|古事記成立を推理する|日本書紀撰修-正史の秘密|忘却の不比等像|不比等以後|エピローグ
刊行年:1972/02
データ:『批評日本史 政治的人間の系譜』 1 思索社
412. 星山 晋也 七世紀の政治、文化の中心地・飛鳥とその周辺|高松塚古墳壁画|古墳壁画の多彩な技法-高松塚古墳と壁画|談山神社-妙楽寺の名残を伝える社殿|飛鳥の寺々と仏像-
遷都
後にも生れた優品|法華経二十八・観音普賢経一・無量義経三・阿弥陀経一・般若心経一|飛鳥に残る石造物-用途が忘れられた造形
刊行年:1997/04/20
データ:『週刊朝日百科』 1115 朝日新聞社
413. 山田 邦和 都の象徴-朝堂院と大極殿|都市の条件-都城|巨大都市平安京-人口|舟の浮ばない池-高陽院|平安京の繁華街-東西市|平安京の化物屋敷-鬼殿|平安京のシンボルタワー-白河|なぞの被葬者-法住寺殿の武将墓|南郊の水閣-鳥羽殿|
遷都
はなかった-福原|清きもの、それは流れ-トイレと泉|京のはずれ-人形|人生の終り方-淳和天皇|帝王失格-花山天皇
刊行年:1994/11
データ:『平安の都』 朝日新聞社
414. 松尾 光 継体王朝は非血縁者による新王朝だったのか|磐井の乱は大王への反乱か対等な戦争か|「安閑・宣化」と「欽明」はニ朝で対立していたか|大王はなぜ
遷都
を繰り返すのか|渡来人は大王を慕って「帰化」してきたのか|大王が授けた「氏」は血縁集団なのか|庶民にとって「氏」と「名」は何を意味したか|大王家の軍事基盤はどこにあったか|政争のだしに使われた仏教受容・非受容論争
刊行年:1998/09
データ:『古代天皇101の謎』 新人物往来社 王家の分裂と抗争の謎
415. 田中 文英 平清盛の政権(保元の乱|保元の新制|平治の乱|伊勢平氏|清盛政権の性格|日宋貿易|六波羅|鹿ヶ谷事件|福原
遷都
|平正盛|平忠盛|平清盛|平重盛|平時忠|建礼門院|源為義|源為朝|源義親|源義朝|源頼朝|藤原頼長|藤原信西|藤原信頼|藤原基実|藤原基通|藤原師家|藤原兼実|文覚|慈円|後白河天皇)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 院政と平氏政権
416. 米田 雄介 平安時代史の扉(1平安時代史の史料集と参考文献|2長岡京と平安京-
遷都
をめぐって|3・4成立期の摂関制(一)(二)|5貴族制成立の前提-藤原氏を中心に|6藤原氏の経済的基盤|7執政の家-政権担当者の自覚|8日記-儀式と故実の手鑑|9外戚-もう一つの権力|10平安京-都と鄙|11地方政治と国司|貴族制と摂関政治-平安時代史の扉を閉じるにあたって)
刊行年:1980/01-12
データ:歴史研究 228~239 新人物往来社
417. 坂本 太郎 聖徳太子と飛鳥時代の文化(五・六世紀の政治情勢|推古天皇の即位と聖徳太子の摂政|聖徳太子の事業|推古天皇の晩年と舒明朝|飛鳥時代の文化)|大化改新と壬申の乱(大化改新の原因|大化改新の経過|新政の停滞と百済救援の役|天智天皇の立場|壬申の乱)|律令制定と白鳳文化(天武天皇と飛鳥浄御原律令|持統・文武両天皇の政治|大宝律令の制定|白鳳文化)|律令政治の発展(平城
遷都
|貨幣鋳造|地方制度の改定|農民の動揺と政府の対策|学問奨励と歴史地誌の編集)|天平の政治と文化(政治勢力の推移|仏教政治の発展|
遷都
の迷い|仏教政治の完成|財政と民政|外交の新事態|学問の隆昌|芸術の盛況)|仏教政治と儒教政治(仲麻呂政権と儒教政治|道鏡政権の推移|仏教政治の爛熱|律令政治の復活)
刊行年:1960/02
データ:『日本全史』 2 東京大学出版会 坂本太郎著作集1古代の日本
418. 小林 洋介 倭の五王論争 五王を結ぶ関係とは|大和国家論争 国家はいかにして形成されたか|任那日本府論争 日本府は実在したか|継体王朝論争 内乱は実在したのか|磐井の乱論争 磐井の乱異視点考察|仏教伝来論争 伝来の年次はいつか|大化の改新論争 改新は本当にあったのか|天皇論争 古代の王権と天皇|壬申の乱論争 乱の直接の原因とは|神仏習合論争 神宮寺と富豪層|古代の
遷都
論争 平安京までの
遷都
の理由は|律令国家体制論争 国家の性質とは|富豪層論争 律令国家の変革者|平安京論争 なぜ
遷都
したのか|遣唐使論争 なぜ派遣されたのか|幼帝論争 幼帝とはなにか|延喜・天暦の治論争 本当に「聖代」だったのか|将門の乱論争 将門の「新皇」宣言と独自国家|平安時代の民衆運動論争 志多羅神運動の示す諸様相|藤原氏他氏排斥論争 安和の変は何のために|国司苛政闘争論争 解任された国司と解文|摂関政治論争 摂関家は権力を独占していたのか|土地の私有と譲状論争 平安時代の私有と村落の様相|田楽と民衆論争 永長大田楽の主体諸階層|荘園公領制論争 成立はいつだろうか|院政論争 院政の実態と主体|平氏政権論争 平清盛はいかにして政権を握ったか|武士論争 その発生と「武」の意味|武士団の棟梁論争 後三年の役と義家の虚像|鎌倉幕府成立論争 どのように成立したのか
刊行年:1997/04
データ:別冊歴史読本 22-23 新人物往来社
419. 近藤 喬一 序章-京にいたる道|平安前期の瓦の語るもの[平安
遷都
|造瓦技法の新展開]|平安中期瓦の発展[元慶の朝堂院の再建|仁和寺円堂院|修理職と修理職瓦屋|承平・天慶の乱|天徳の内裏焼亡]|道長・頼通の時代[不安と窮乏の世相|道長の法成寺造営]|平安後期瓦の新工夫[延久の大極殿の造営|院政の開始と六勝寺の造営|鳥羽院の造営|尊勝寺の造営]|平氏の興亡[保元の乱と信西の大内裏修造|平治の乱と平氏の台頭|平氏の滅亡と東大寺の焼亡|法住寺殿の焼き打ち|文治の地震と頼朝の内裏修造]
刊行年:1985/09
データ:『瓦からみた平安京』 教育社
420. 伊佐治 康成 持統女帝はなぜ三一回も吉野に行幸したか|大津皇子に謀反計画はあったか|平城京の
遷都
はなぜ必要だったのか|古事記・日本書紀はどうちがうのか|氷高内親王はなぜ即位できたのか|長屋王はなぜ「大夫人」尊称奉呈に反対したか|光明皇后の狙いは何か|聖武天皇はなぜ五年間も放浪したか|遣唐使は国書をもっていったか|遣唐使・大伴古麻呂の事件はなかったか|安積親王は暗殺されたのか|舎人親王はなぜ鑑真を招いたのか|正倉院宝物はなぜ献納されたか|藤原氏はなぜ宮廷を支配し得たのか|称徳女帝は道鏡を天皇にするつもりだったか
刊行年:1998/09
データ:『古代天皇101の謎』 新人物往来社 女帝の世紀をめぐる謎