日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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461. 浅井 和春 はじめに|奈良時代美術の底流(三つの品|天武系皇統の「呪縛」)|奈良時代前期(七一〇-七三五)(平城京の造営と大寺の移転|法隆寺五重塔と中門の塑像|元明天皇から元正天皇へ|薬師寺金堂薬師三尊像と東院堂聖観音像|興福寺の造営|聖武天皇の即位と光明子の立后|興福寺西金堂の造像|十大弟子・八部衆像)|奈良時代中期Ⅰ(七三五-七五三)(三千代・光明子と法隆寺|藤原四子政権から橘諸兄政権へ|藤原広嗣の乱、行幸、そして
大仏
造立宣言|大養徳国金光明寺と法華堂本尊不空羂索観音像)|奈良時代中期Ⅱ(七五四-七六四)(鑑真和上の来日と仲麻呂の唐風政治|唐招提寺の成立とその造像|法華寺阿弥陀浄土院の造像その他)|奈良時代後期(七六五-七八四)(称徳天皇と道鏡|称徳・道鏡と西大寺|光仁・桓武朝の新政策と造像)∥仏像と近代 仏像、博物館にならぶ
刊行年:2004/05
データ:『日本の美術』 456 至文堂 -∥付論
462. 黛 弘道 古代史の争点(①稲荷山古墳出土の鉄剣銘|②獲加多支大王は欽明天皇か|③鉄剣銘に見える「斯鬼宮」について|④太安万侶の勲五等について|⑤太安万侶の没年月日について|⑥太安万侶の墓誌と続紀の日付|⑦官位と勲位について-林陸朗氏の批判に答えて|⑧高皇産霊尊と藤原不比等|⑨「マヘツキミ」について|⑩獲加多支大王は欽明天皇か|⑪鉄剣銘に見える「杖刀人」について|⑫武烈天皇は雄略天皇の子・孫か|⑬大津皇子の謀反について|⑭大田田根子の名義について|⑮「古事記序文」の署名について|⑯内臣の訓みについて|⑰
大仏
造立事業の主導者は誰か|⑱天武紀(下)の史料批判|⑲仏教公伝の年時について|⑳同(2)|21大内陵の位置について|22周防国の郷名について|23石門別神社について|24邪馬台国の位置について
刊行年:1979/01-1980/12
データ:歴史手帖 7-1~8-12 名著出版
463. 松嶋 順正 正倉院はどこですか|正倉と正倉院|正倉院の住職殿|甲倉と校倉|雙倉と三倉|正倉院宝庫|宝物の名前|
大仏
開眼会の日付|正倉院のらく書|正倉院にある法隆寺献納宝物|明治初期の正倉院御物公開|正倉院宝庫より見た奈良時代の度量衡|笏の上下|衲御礼履とは|用途不明の紫檀小架|異様な七絃楽器|鉄挟子は箸か|全浅香と黄熟香|蘭奢待と織田信長|材と村|唐大刀と唐様大刀|大刀の扼|玉虫の翅で飾られた宝物|牙床脚の読み方|沙金桂心請文の「宜」は誰の書か|写経紙の染料、黄蘗と橡|投壺|紅龍雨を降らす|正倉院裂の由緒|正倉院裂の種類|絹と|羅と紗|无文綾と有文綾|いわゆる纐纈について|奈良帝室博物館長久保田鼎先生を思う|正倉院と森鴎外
刊行年:1989/06
データ:『正倉院よもやま話』 学生社 大大論|日名子文書
464. 辻 秀人 福島県(堂の森古墳|本屋敷1号墳|桜井古墳|玉山1号墳|二子塚古墳|正直35号墳|仲ノ平6号墳|早稲田7号墳|
大仏
前15号墳|塚畑古墳|笊内2号墳|麦塚古墳|原山1号墳|下総塚古墳|舟森山古墳|深沢古墳|十九壇3号墳|会津大塚山古墳|堂ヶ作山古墳|飯盛山古墳|喜多方八幡塚古墳|灰塚山古墳簿上虚空蔵森古墳|亀ヶ森古墳(大亀甲古墳)|鎮守森古墳(小亀甲古墳)|男壇2号墳(男壇2号前方後方形方形周溝墓)|男壇3号墳(男壇3号前方後方形方形周溝墓)|男壇4号墳(男壇4号前方後方形方形周溝墓)|宮東1号墳(宮東1号前方後円形方形周溝墓)|宮東2号墳(宮東2号前方後円形方形周溝墓)|鍛冶山4号墳|出崎山1号墳|出崎山2号墳|出崎山3号墳|出崎山7号墳|雷神山1号墳|森北1号墳|稲荷塚2号墳(稲荷塚2号前方後方形方形周溝墓)|稲荷塚3号墳(稲荷塚3号前方後方形方形周溝墓)|杵ガ森古墳|田村山古墳)
刊行年:1994/02
データ:『前方後円墳集成』 東北・関東編 山川出版社 前方後円墳集成
465. 松嶋 順正(口述)|松本 楢重(編著) 東大寺
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開眼と御物|聖武天皇御忌法要と御物|甲斐なき徒労の計算|明治初頭のお倉|元禄御開封のこと|元禄開封勅使の行列|御開封絵図|御物の称呼|正倉院草創年代|献物帳の天皇御璽 附 にせ文書のこと|特殊な文字|宝庫内の陳列棚|聖語蔵の事ども|宝庫の中はこんなもの|院内の諸建物|動物|売られて行った御物|御物整理修覆|むつかしい名づけ方|数へ方の単位|古代楽器一堂に会す|古文書一覧|正倉院文書の内容|反古の戸籍帳と大家族|むぐらもちの光栄|天平貴人の遊び 附 軽業師のこと|香|黄金もお倉にあった|面の話題|信長名香を賜ふ記|銘|銘に現はれる年代|楽毅論|夫婦の相性|万葉集への関連|古裂のかづかづ|古裂整理の大事業|「大日本古文書」校正|日名子文書|天寿国曼荼羅断片発見|古裂整理中の発見|古裂から発見の調庸絹布|宝物泥棒記|平忠盛亡息を供養す|魚形|御物汽船に乗る|玉虫の飾|屏風を語る|御床|著名人の筆蹟|待遇改善要求書草案|お灸を忌む日|春雨のあわれ|石の御物|職を楽しむ心|官と位|仲麻呂の勢威|刀子雑態|二つの過状|腰かけの茣座|古鏡五十六面|碁|缺勤者呼出し|固有名詞の読み方|御物のいれもの|頒布分譲された古裂|鋏|御物の摸造|食器|金銀の箸一膳|作者を明かにする|御物にみる年中行事|則天文字|絵具皿|美しい蓮池|貂の糞と柿の種|工匠具|古裂展観濫觴|これが大袈裟|小塔磁塔|瑞典皇太子の御勉強|官行御物図録の始め|御物東京で展観|始めて電灯照明下に|拝観者名簿から|空襲下の宝庫|正倉院門前に立ちて 跋に替へる|正倉院略年表
刊行年:1948/10
データ:『正倉院雑談』 奈良観光事業株式会社出版部
466. 林 陸朗 序説-『続日本紀』の薨卒伝について|道昭和尚-三蔵法師の弟子|道首名-地方政治家の模範|道慈法師-仏教の巨星|僧玄昉-怨霊に狙われた高僧|行基和尚-菩薩と崇められた高僧|多治比広足-橘奈良麻呂の変に連座した|光明皇后-天平のファーストレディ|巨勢関麻呂-伯父の家を継ぎ公卿になった|紀飯麻呂-参議で病没した仲麻呂派官人|石川年足-墓誌銘が違った高級官人|鑑真和上-苦難を超えて戒律の法を伝えた|藤原弟貞-実は長屋王の子|藤原仲麻呂(恵美押勝)-専制権力とその末路|坂上犬養-武人の家系を誇る|和気王-皇位をうかがったとされる|藤原豊成-藤原南家の総帥|藤原真楯-仲麻呂の乱に功績をあげた高官|百済敬福-百済国王の末裔|上道正道-密告で出世した元舎人|山村王-鈴印の争奪に功績があった|高丘比良麻呂-仲麻呂の陰謀を訴えた大外記|大和長岡-祠官出身の法律家|文屋浄三-二世王の賜姓、篤信の仏徒|藤原永手-光仁天皇を推戴した宰相|僧道鏡-果たして皇位を狙ったか|国中公麻呂-東大寺の
大仏
師|大津大浦-陰陽師の世渡り|藤原蔵下麻呂-仲麻呂追討に適時打を放つ|吉備真備-当代第一の学者・大臣|飯高諸高-清廉貞節な女官と評価される|大伴古慈斐-権力者に嫌われた大伴氏の長老|藤原良継-権力に反抗した人が権力を握った|藤原百川-奈良朝きっての策士という評判|藤原縄麻呂-高野天皇側近の顕官|文屋邑珍-僧形で身の安全をはかった皇孫|石上宅嗣-図書館を創始した文人政治家|大伴伯麻呂-宴飲して談論風発の人|藤原百能-後宮女官の頂点にたった|道嶋嶋足-蝦夷出身の政府高官|藤原田麻呂-恭謙の公卿と称された|藤原魚名-晩年に暗転、配流された大臣|淡海三船-僧俗兼ね備えた文人政治家|大伴家持-万葉の大歌人、後半生の足跡|藤原種継-長岡京造営の犠牲となった寵臣|坂上苅田麻呂-武門の誉れを輝かせた|藤原旅子-早逝した淳和天皇の生母|石川名足-剛直な官人として怖れられた|大中臣清麻呂-国の古老といわれた祠官出身で大臣|藤原是公-桓武の外舅として信任が篤かった|高倉福信-高句麗系渡来人の出世頭|高野新笠-桓武天皇の生母・百済系渡来人|藤原乙牟漏-藤原氏からでた二人めの皇后|佐伯今毛人-東大寺建立の功労者
刊行年:2010/05
データ:『奈良朝人物列伝-『続日本紀』薨卒伝の検討』 思文閣出版