日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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4761. 末永 雅雄 中国の挂甲資料(中国古代の挂甲資料|中国近代挂甲資料その他)|朝鮮の挂甲資料(北部地域の古代挂甲|南部地域の古代・近代挂甲)|日本の挂甲資料(古墳出土の胴丸式挂甲|古墳出土の裲襠式挂甲|型式不詳の挂甲|胴甲以外の装具|儀杖用裲襠式挂甲)|アイヌの挂甲(アイヌ挂甲の調査|観察)|日本甲冑史要(日本挂甲の出自|奈良時代の挂甲|上代甲冑の組成|大鎧の形式完成|中・近世甲冑の推移)|日本甲冑
史料
抄
刊行年:1979/08
データ:『挂甲の系譜』 雄山閣出版
4762. 永村 眞 小倉金之助『日本の数学』岩波新書,1940|勝野隆信『僧兵』至文堂,1955|櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』正・続,山喜房仏書林,1964-79|永村眞『中世東大寺の組織と経営』塙書房,1989|永村眞『中世寺院
史料
論』吉川弘文館,2000|日置昌一『日本僧兵研究』平凡社,1934|堀池春峰『南都仏教史の研究』東大寺篇・諸寺篇,法蔵館,1980-82
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
4763. 吉田 ゆり子│三枝 暁子│金行 信輔 仁木宏監修/和泉市史編さん委員会編集『和泉市史紀要第3集 松尾寺所蔵
史料
調査報告書』 広川禎秀・塚田孝監修/和泉市史編さん委員会編集『和泉市史紀要第5集 松尾寺地域の歴史的総合調査研究』 広川禎秀・塚田孝監修/和泉市史編さん委員会編集『和泉市史紀要第6集 槙尾山施福寺の歴史的総合調査研究』.近世の立場から
刊行年:2003/03
データ:史学雑誌 112-3 山川出版社 書評
4764. 米田 雄介 平安時代史の扉(1平安時代史の
史料
集と参考文献|2長岡京と平安京-遷都をめぐって|3・4成立期の摂関制(一)(二)|5貴族制成立の前提-藤原氏を中心に|6藤原氏の経済的基盤|7執政の家-政権担当者の自覚|8日記-儀式と故実の手鑑|9外戚-もう一つの権力|10平安京-都と鄙|11地方政治と国司|貴族制と摂関政治-平安時代史の扉を閉じるにあたって)
刊行年:1980/01-12
データ:歴史研究 228~239 新人物往来社
4765. 荒川 正晴 唐朝の交通システム
刊行年:2000/03
データ:大阪大学大学院文学研究科紀要 40 大阪大学大学院文学研究科 ユーラシアの交通・交易と唐帝国
4766. 岡藤 良敬 造石山寺所関係文書の復原研究〔一〕~〔三〕|同〔四〕-B、№16雑材并桧皮和炭用帳(材用帳)|同〔五〕-甲賀山作所告朔解(再考)|同〔六〕-造石山寺所告朔解案(春季告朔)<再考>
刊行年:1979/11-1981/06
データ:福岡大学人文論叢 11-2|12-1~4|13-1 福岡大学研究所 日本古代造営
史料
の復原研究-造石山寺所関係文書
4767. 吉田 正高 金剛院所蔵資料整理・保存
刊行年:2004/03
データ:『東アジアにおける水田形成および水稲文化の研究(日本を中心として)』 (海老澤 衷(早稲田大学文学部)) 東アジア村落における水稲文化と景観-対馬豆酘地区の調査(調査報告) 海のクロスロード対馬-21世紀COEプログラム研究集成ー
4768. 米谷 均 1479年に来日した朝鮮通信使による対馬紀行詩文集
刊行年:2004/03
データ:『東アジアにおける水田形成および水稲文化の研究(日本を中心として)』 (海老澤 衷(早稲田大学文学部)) 東アジア村落における水稲文化の歴史と儀礼(水稲文化の儀礼) 海のクロスロード対馬-21世紀COEプログラム研究集成ー
4769. 板橋 源 中尊寺の魅力-序にかえて|平泉文化研究史の概要-参考文献の紹介をかねて(啓蒙的初期集大成、相原友奈緒の三部作|近代史学的研究|仏教美術、仏教考古学的研究|社会経済史的研究|自然科学的調査研究|発掘調査研究|ハンディな案内書|研究
史料
)|平泉藤原氏辺境在地勢力のなりたち(安倍氏在地勢力のなりたち|安倍氏勢力の構造|清原氏権力構造の変質|清原氏の没落|藤原清衡の出現)|平泉三代(奥御館の出自|初代清衡|二代基衡|三代秀衡|平泉三代の経済基盤)|平泉文化(平泉文化のひろがり|中尊寺|金色堂|経蔵|中尊寺の有形文化財)
刊行年:1959/11
データ:『中尊寺と藤原三代』 東北出版
4770. 飯沼 賢司 環境の世紀|新しい歴史学としての環境歴史学(20世紀末の歴史学の変貌と環境歴史学の登場|環境歴史学の基礎となる現地調査|環境歴史学の方法論)|環境歴史学による新しい歴史像(水利灌漑
史料
から歴史を読む|環境歴史学から絵図を読む-「陸奥国骨寺村絵図」の世界|ホタルからみた里山の成立|環境歴史学からみた大分の磨崖仏|環境歴史学からみた出雲大社|里海の成立)|文化財学としての環境歴史学(圃場整備事業と荘園村落遺跡調査の登場|荘園村落遺跡調査から環境歴史学へ|文化財学としての環境歴史学)|環境歴史学の原点
刊行年:2004/09
データ:『環境歴史学とはなにか』 山川出版社
4771. 高橋 典幸 石井進『日本中世国家史の研究』岩波書店,1970|石井進『中世武士団』小学館,1974(文庫版,1990)|石井進『鎌倉武士の実像』平凡社,1987(文庫版,2002)|石井進『中世を読み解く』東京大学出版会,1990|石井進『中世史を考える』校倉書房,1991|田中稔『鎌倉幕府御家人制度の研究』吉川弘文館,1991|田中稔『中世
史料
論考』吉川弘文館,1993|平山行三『和与の研究』吉川弘文館,1964|牧健二『日本封建制度成立史』弘文堂書房,1935(改訂版:清水弘文堂書房,1969)|牧野信之助『武家時代社会の研究』刀江書院,1928(新版,1943)
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
4772. 中村 裕一 唐代の勅旨と勅牒に関する
史料
|建中元年(七八〇)・鐘紹京勅授告身|唐格に関する文書的考察-『通典』刑法典所載の「開元格」を中心に|『唐会要』にみえる「常式」「常例」等の語について|唐初の「制」について|『会昌一品制集』にみえる「奉勅撰」と「奉宣撰」|唐代の尚書祠部牒の文書様式再論-敦煌発見唐「公式令」牒式の再検討|『会昌一品制集』にみえる「詔意」「書意」「勅旨」について
刊行年:1996/12
データ:『唐代公文書研究』 汲古書院
4773. 山野井 功夫 義経をとりまく兄弟-頼朝をはじめ、なんと九男二女が…|常盤御前が産んだ子供たち-今若は常陸へ配流、乙若は墨俣で敗死|常盤が再嫁した一条長成-義経の「異父」兄弟たち|黄瀬川の陣中で兄頼朝と対面-父頼朝の怨みをはらすことをともに誓うが…|正室は河越重頼の女-妻子もともに衣川館で自害|義経の義父となったために狂った運命-正室の父河越重頼|諸説ある義経の四天王?-多い山賊出身に僧兵上がりなどの無法者|弁慶は実在の人物か?-本当に出会ったのは、五条天神だった|
史料
には出てこない「金売り吉次」の名-平泉までの旅の案内者|義経の四天王?鎌田兄弟-父正清は源義朝とともに成長し、一の郎党に
刊行年:2005/01
データ:別冊歴史読本 30-1 新人物往来社 義経をめぐる人々の謎
4774. 井上 和人 序説|最近の所説について(『大和国条里復原図 解説』の所説|岩本次郎氏の所説|木全敬蔵氏の所説|『平城京及び大内裏考』にみる大和条里)|条里地割平安時代施行説について(石野博信氏の所説|中井一夫氏の所説|寺沢薫氏の所説|小結)|
史料
からみた大和統一条里(『興福寺大和国雑役免坪付帳』|『大和国弘福寺牒』|8世紀から10世紀の大和条里
史料
|『額田寺伽藍并条里図』|小結)|海竜王寺の地割-平城宮周辺地域における先行地割の検証(岩本次郎氏の所説|田村吉永氏の所説|検証-海竜王寺の地割)|斑鳩地域の偏向地割(田村吉永氏の所説|落合重信氏の所説|服部昌之氏の所説|千田稔氏の所説|岩本次郎氏の所説|小結)|代制地割について(岸俊男氏の代制地割説|代制地割説の実証上の問題点|代制地割説批判)|条里重層説について(第一層の検証-播磨国揖保川流域の条里地割|第二層の検証-小林昌二氏の「超一町坪」論をめぐって|摂津国河辺郡南条一・二条について|「超一町坪」の規模をめぐって|大和統一条里の規格|坪区画の規模について|小結)|京東条里の施行時期について|京北条里の施行時期について(平城京右京北辺坊について|修理司について|京北条里と北辺坊|京北条里の施行時期について|小結)|条里地割の施行年代について(岸俊男氏の『大和の古道』|中ツ道と条里地割|古道と条里地割)|結語
刊行年:1994/11
データ:『条里制研究の一視点-奈良盆地における条里地割の施行年代についての再検討-』 静邨詩社(私家版) 古代都城制条里制の実証的研究
4775. 坂本 賞三 免除領田制(免除領田制の内容|免除領田制の具体例-元興寺近江国愛智荘における免除領田制|免除領田制成立の歴史的背景(一)-官省符荘不輸租田の範囲の変化|免除領田制成立の歴史的背景(二)-国司免判の形成|免除領田制の成立時期について)|前期王朝国家体制の支配構造(律令国家支配体制の崩壊と前期王朝国家体制の成立|中央政府と国司との関係|国司支配下の「名」体制と収取方式の特質)|前期王朝国家体制に対する人民の抵抗(国司の国内支配に対する人民の抵抗|国司苛政上訴と中央貴族の地方政治観)|公田官物率法の成立|郡郷制の改編と別名制の創設(郡郷・別名制研究
史料
としての大田文と倭名抄郷の性格|中世的所領の四類型|郡郷制の変遷)|中世的所領の形成と国政的対応|都宇・竹原荘の成立(竹原荘の成立と寛治寄進賀茂社領荘園|竹原荘と都宇荘との関係)
刊行年:1972/03
データ:『日本王朝国家体制論』 東京大学出版会
4776. 黛 弘道 古代史の争点(①稲荷山古墳出土の鉄剣銘|②獲加多支大王は欽明天皇か|③鉄剣銘に見える「斯鬼宮」について|④太安万侶の勲五等について|⑤太安万侶の没年月日について|⑥太安万侶の墓誌と続紀の日付|⑦官位と勲位について-林陸朗氏の批判に答えて|⑧高皇産霊尊と藤原不比等|⑨「マヘツキミ」について|⑩獲加多支大王は欽明天皇か|⑪鉄剣銘に見える「杖刀人」について|⑫武烈天皇は雄略天皇の子・孫か|⑬大津皇子の謀反について|⑭大田田根子の名義について|⑮「古事記序文」の署名について|⑯内臣の訓みについて|⑰大仏造立事業の主導者は誰か|⑱天武紀(下)の
史料
批判|⑲仏教公伝の年時について|⑳同(2)|21大内陵の位置について|22周防国の郷名について|23石門別神社について|24邪馬台国の位置について
刊行年:1979/01-1980/12
データ:歴史手帖 7-1~8-12 名著出版
4777. 伊藤 直純 綱要|緒言(所謂前九年の役|所謂後三年の役|往昔の奥羽|合戦絵並に絵詞|静賢法師は明実に合戦絵を描かしむ|土御門帝奥州十二年合戦絵叡覧|玄慧は惟久に合戦絵を描かしむ|後花園帝後三年絵巻叡覧 康富陪覧|静賢玄慧並に惟久|約言|
史料
を閲する覚悟)|戦争の発端(清原真衡|成衡の結婚|吉彦秀武|清衡家衡は秀武に応ず|藤原清衡と其母|清衡と家衡と胆沢城を襲ふ|清衡と家衡は再び胆沢城を襲ふ|真衡征戦の途に病死す|家衡は清衡の館を襲ひ出羽の沼柵に走る|義家獵に出でゝ要撃せられんとし遂に兵を起して家衡を討ちて克たず|金沢柵の地形並に沿革|家衡は武衡の勧誘に拠り金沢柵に拠る|要旨)|源軍の通路(古への畋獵|秋期に兵を起すは糧食徴収の関係|源軍の通路|吉彦秀武の居所並に通路)|攻防の推定(両軍の兵数|両軍の陣地|当時の武装|武器の種類|源義光の来援|義光吹笙の虚説|義家機略縦横並に攻防両軍の美談|義家京師に入らず二衡の首を棄てゝ大和の壺井に帰へる)|柵軍の敗因(二衡大勢を知らず|二衡の背反|戦の捷敗は危機一髪)|敗後の虚理(清衡は好運児なり|平泉藤原氏百年栄華の基を建つ|平師妙等の乱義親之を夷く)
刊行年:1917/07
データ:『我観後三年役』 保古会 筆名:伊藤 耕餘