日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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521. 梅村 恵子 掘りだされた金印|五十鈴川の皇女|長屋王と違勅罪|鬼と語る
遣唐使
|ある私度僧の祈り-金鷲行者寺と東大寺|天平人の食生活|奈良時代の商業活動|歌垣につどう恋人たち|哀しき防人|広虫と清麻呂|宣耀殿の女御
刊行年:1993/06
データ:『日本史史話』 1 山川出版社
522. 澤木 智子(吉村 武彦編) 万葉集歴史事典(後宮|皇太子|大宰府|東国|国司と郡司|駅伝制|防人|行幸|
遣唐使
|新羅と渤海|渡来人と帰化|皇親政治|斎宮|聖武天皇|藤原広嗣の乱と東国行幸|大仏建立と仏教)
刊行年:1993/08
データ:別冊国文学 46 学燈社
523. 武光 誠 卑弥呼金印を賜る|聖徳太子の神秘と実像|東大寺大仏開眼|弓削道鏡神託事件|平安京遷都|菅原道真の左遷|磐井の反乱|壬申の乱|平将門の乱|蘇我入鹿暗殺|安倍仲麻呂と
遣唐使
刊行年:1997/02
データ:歴史読本 42-2 新人物往来社
524. 東野 治之 正倉院と万葉集-ふたつのタイムカプセル|
遣唐使
-その使命と実態|唐経由の世界性-正倉院の宝物1|香料と薬の道-正倉院の宝物2|万葉の歌-庶民の心情・貴族の感性|新羅使と渤海使
刊行年:1987/04/19
データ:『週刊朝日百科』 581 朝日新聞社 朝日百科日本の歴史〈新訂増補〉2古代
525. 伊佐治 康成 持統女帝はなぜ三一回も吉野に行幸したか|大津皇子に謀反計画はあったか|平城京の遷都はなぜ必要だったのか|古事記・日本書紀はどうちがうのか|氷高内親王はなぜ即位できたのか|長屋王はなぜ「大夫人」尊称奉呈に反対したか|光明皇后の狙いは何か|聖武天皇はなぜ五年間も放浪したか|
遣唐使
は国書をもっていったか|
遣唐使
・大伴古麻呂の事件はなかったか|安積親王は暗殺されたのか|舎人親王はなぜ鑑真を招いたのか|正倉院宝物はなぜ献納されたか|藤原氏はなぜ宮廷を支配し得たのか|称徳女帝は道鏡を天皇にするつもりだったか
刊行年:1998/09
データ:『古代天皇101の謎』 新人物往来社 女帝の世紀をめぐる謎
526. 森 克己
遣唐使
の航路はなぜ変わったのか 当時の航海術はどのていどであったか|唐に渡った人々はどのように待遇され、どのように活動したか|阿倍仲麻呂|藤原清河|
遣唐使
の廃止は内外のどのような事情によるか|刀伊の入寇|王朝時代の対外交渉(序)|平安貴族の発展意欲はどうであったか|日宋貿易によって宋からはどんなものが輸入されたか|交易唐物使|中国仏跡巡礼に渡航した人々はどんな人だったか|僧の入宋|日本文化の逆輸出|鎌倉時代の対外交渉(序)
刊行年:1975/10
データ:『海外交渉史の視点』 1 日本書籍
527. 佐伯 有清 広開土王碑はなぜ建てられたのか|騎馬民族は本当に日本に渡来したのか|倭の五王の使者は裸足で中国に行ったか|「任那」は朝鮮に実在したのか|
遣唐使
は何を持参し何を持ち帰ったか|渤海と日本はどんな交流をしたのか
刊行年:1992/11
データ:『100問100答日本の歴史』 2 河出書房新社
528. 森田 悌 平安時代(東宮争い|伴善男|時康親王|藤原時平|最後の
遣唐使
|平将門|朱雀天皇|花山天皇|花山天皇|藤原兼通・兼家|藤原頼通|藤原道隆|藤原元命|菅原道真|主婦|山春永|耕地|経済官僚|平均身長|平均死亡年齢|綿種|橘嘉智子|芳子|「子子子……」|紫式部|紀貫之|清少納言|藤原清廉|能因法師|藤原実資|藤原家忠|郎等)
刊行年:1998/03
データ:別冊歴史読本 23-12 新人物往来社
529. 茂在 寅男 まえがきにかえて|古代航海の伝説|黒潮文化の流入|マナシカタマ小舟論|軽野論と古代の造船地|語源について|黒潮文化の流入と沖縄|古代人の海上移動|日本をとりまく海況と海流|日本近海の気象状況|古代日本の航路|古代の造船事情|島伝いの海上の道|航海術的倭人伝の解釈|古代航海計器|古代人と潮汐|遣隋使・
遣唐使
|航海技術のあけぼの|朝鮮半島や唐以外との交流|船にまつわる祭事|古代航海術|結びにかえて
刊行年:1979/06
データ:『古代日本の航海術』 小学館
530. 丸山 裕美子 青木和夫「浄御原令と古代官僚制」『古代学』3-2,1954(『日本律令国家論攷』岩波書店,1992に収録)|青木和夫『奈良の都』中央公論社,1965|青木和夫『日本律令国家論攷』岩波書店,1992|東野治之『
遣唐使
と正倉院』岩波書店,1992|東野治之『書の古代史』岩波書店,1994|丸山裕美子『日本古代の医療制度』名著刊行会,1998|吉岡眞之『古代文献の基礎的研究』吉川弘文館,1994
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
531. 中野 高行 序章 問題の所在(明治維新と「国際的契機」|律令国家成立と「国際的契機」|『日本書紀』に対する考え方|「王権」および「専制主義」)|日本国号の成立|加耶諸国滅亡と上毛野・東北|榛名山二ツ岳と浅間山天明三年の噴火|舒明朝-
遣唐使
・百済大宮・八角形墳|皇極朝~孝徳朝-百済大乱・中華的王権・阿倍氏・「大化改新」|斉明朝-百済滅亡・「興事」・蝦夷|天武・持統朝|終章 総括
刊行年:2017/07
データ:『古代国家成立と国際的契機』 同成社
532. 倉石 武四郎∥大島 晃|河野 貴美子|佐藤 進|佐藤 保|清水 信子|戸川 芳郎|長尾 直茂|町 泉寿郎(整理・校注) 大陸文化の受容|平安期の中国学藝の受容|博士家の学問と訓法の発達|
遣唐使
廃止後・鎌倉と日宋交流|宋学新注と五山文学、書物の印刷|惺窩新注学、羅山点と闇斎点|仁斎と徂徠|七経孟子攷文・園学派、唐話学と長崎通事|江戸期学藝のひろがり、白話小説・戯曲|幕末明治の漢詩文と学藝|漢学・東洋史学|京都支那学|諸帝大の支那学・東洋史学・支那語学
刊行年:2006/03
データ:『本邦における支那学の発達』 二松学舎大学21世紀COEプログラム
533. 倉住 靖彦 概観(大宰府成立以前の国際環境|大宰府史跡)|筑紫大宰の登場(磐井の反乱|那津官家|筑紫大宰の出現)|大宰府の成立(白村江の戦い|水城と大野城|大宰府の成立)|大君の遠の朝廷(大宰府の官人構造|大宰府の機能|筑紫歌壇|少弐藤原広嗣の乱)|天下の一都会(観世音寺の創建|府学校|天下の一都会|防人)|大宰府の変質(帥と権帥|大宰大弐小野岑守|
遣唐使
)|都府楼の甍(菅原道真|純友の乱|安楽寺の発展|鴻臚館)|大宰府の終焉(刀伊の入寇|学校院東小路東地二段|平氏と大宰府|大宰府の終焉)
刊行年:1979/11
データ:『大宰府』 教育社
534. 坂本 太郎 代々の学者の家(菅原氏のおこり|土師氏|三代の父祖)|充実した若い日の生活(少年のころ|文章生から対策まで)|少壮の官吏として(少内記|民部少輔|式部少輔・文章博士)|讃岐守の四年間(地方に転出の事情|国守としての責任感|阿衡問題への関与)|顕栄の座へ(宇多天皇の知遇|
遣唐使
の停止|官位の昇進|宇多天皇の譲位|顕栄のきわみ)|破局と終焉(大宰権帥|筑紫下向|大宰府の生活)|道真の家族・子孫・邸宅|道真の学問|死後の道真(贈官位と神格化|天神信仰のいろいろ)|略年図|略年譜|参考文献
刊行年:1962/11
データ:『菅原道真』 吉川弘文館 坂本太郎著作集9聖徳太子と菅原道真
535. 是光 吉基 中国・四国地方の古代遺跡(四隅突出型方墳を築いた人々は誰か-出雲族の文化はどんな特徴をもっているか|オロチ伝説は何を意味するか-金蔵山古墳などにみる鉄製品について|古代人の航路はどこを通ったか-遣隋使・
遣唐使
にみる瀬戸内海の重要性|吉備の王者とはどんな勢力か-大型墳をつくった理由や経済基盤をさぐる|積石塚の出現をめぐる謎-誰が、いつ頃、何のためにつくったものか|中国地方の巨石群は何を意味するか-亀石、石人・石馬、石堂、石の宝殿を中心にして)
刊行年:1985/04
データ:『日本古代史と遺跡の謎・総解説』 自由国民社 古代遺跡の謎∥1~7版
536. 阿部 猛 概観-日本史上の九世紀|菅原氏[揺れる政界|藤原緒嗣の死|実務官僚僧の対立と抗争|応天門の変]|貞観年間[新制の挫折と社会不安|法典の整備|徳治主義政治]|国司菅原道真[学者道真|地方官への転出|国司と郡司・百姓]|天皇と藤原氏[太政大臣|阿衡事件|摂政と大臣]|寛平期の政治[宇多天皇と道真|
遣唐使
の廃止|地方財政の問題|問民苦使|官田の設置と分割]|道真の死と神格化[道真失脚|道真失脚後の政界|信仰の広がり]|参考文献|菅原道真年表
刊行年:1979/03
データ:『菅原道真』 教育社
537. 上野 誠 万葉びとの聖地観はどのようなものだったか|なぜ、額田王は三輪山の歌を詠んだのか|天武天皇は、どのような人物だったのか|吉野の六皇子の盟約では、どんな盟約をしたのか|大津皇子はなぜ謀反を起こしたのか|古代の歌語りとは、どのようなものであったか|大津皇子の物語は、どのように語り伝えられたか|有間皇子は、なぜ謀反を起こしたのか|有間皇子は、なぜ松を結んだのか|天智天皇の挽歌は、なぜ女性だけなのか|古墳文化と万葉挽歌は、どのように関係するか|万葉びとは、「死」をどのように受けとめていたか|
遣唐使
の渡航安全祈願は、どのようにおこなわれたのか
刊行年:2000/10
データ:『万葉集101の謎』 新人物往来社 万葉の歌をめぐる謎
538. 木村 茂光 問題の所在と時代の概観(なぜ「国風文化」なのか?|「国風文化」の時代とは)|中世的在地社会の形成(富豪層の台頭|王朝国家への転換|中世村落への移行|開発の進展と中世村落の形成)|都市平安京の形成(平安京の成立と構造|都市京都へ|都市住民の様相|触穢と怨霊|保刀禰から「町内名士」へ)|9・10世紀の外交と拝外意識の形成(伝統的対外意識の動揺|拝外意識の強化と神国思想|
遣唐使
の中止と10世紀の対外関係)|「日本」的儀式の形成と文人貴族(文章経国思想の衰退|「日本」的儀式の形成|藤原氏と文人貴族|藤原流儀式の成立)|「国風文化」の特質(文人の学問と本朝意識の形成|日本的知識の集成|仮名文学の特徴)|「国風文化」から院政期の文化へ
刊行年:1997/02
データ:『「国風文化」の時代』 青木書店
539. 斎川 真 天皇という称号(「天皇」とはそもそも法律用語である|「天皇」とは「北極星」のことである|君主の称号とは、臣下が献上するものである|日本の天皇号は臣下が献上した|天皇は、「倭の五王」の子孫である|天皇の統治は、高天原の神の委任である|天皇の「姓」は、宮号である)|中国と日本(「冊封体制」とは何か|冊封体制とは、中華帝国の世界秩序のことである|天命思想とは、王朝交替の思想である|日本は、中華帝国に朝貢して、世界史に登場した|遣隋使・
遣唐使
は、中華帝国の官職・爵号はいらないと伝えた|日本という国名は、律令体制に伴ってあらわれる)|日本律令国家(日本は、中華帝国のような国家になりたかった|日本は、律令を作るために、中国から律令の写本を運んできた|日本の血統原理の正当性は王朝交替思想を排除して成立した|律令国家は、行政指導・官僚統制型の国家である|結論 そして、国家の枠だけが残った)|おわりに-律令がわかれば日本がわかる|あとがき
刊行年:1999/10
データ:『天皇がわかれば日本がわかる』 筑摩書房
540. 鈴木 英夫 井上秀雄『古代朝鮮』日本放送出版会,1972|今西龍『新羅史研究』近沢書店,1933(国書刊行会,1970)|今西龍『百済史研究』近沢書店,1934(国書刊行会,1970)|大石良材『日本王権の成立』塙書房,1975|木宮泰彦『日支交通史』上・下,金刺芳流堂,1926-27|末松保和『任那興亡史』大八洲出版,1949(吉川弘文館,1956)|末松保和『日本上代史管見』笠井出版印刷社,1963|鈴木英夫『古代の倭国と朝鮮諸国』青木書店,1996|鈴木靖民『古代国家史研究の歩み』新人物往来社,1980(増補版,1983)|鈴木靖民『古代対外関係史の研究』吉川弘文館,1985|藤間生大『日本民族の形成』岩波書店,1951|藤間生大『東アジア世界の形成』春秋社,1966|藤間生大『倭の五王』岩波新書,1968|増村宏『
遣唐使
の研究』同朋舎,1989|三品彰英『日本書紀朝鮮関係記事考証』上・下,吉川弘文館,1962-2002|三品彰英『三品彰英著作集』全6巻,平凡社,1970-74
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部