日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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61. 岩井 浩介 中世の川湊-境関館遺跡|津軽支配の拠点-石川城跡|為信が南部氏からの独立を図った城-
大浦
城跡
刊行年:2006/11
データ:『図説弘前・黒石・中南津軽の歴史』 郷土出版社 中世
62. - 華厳経論帙|天平勝宝八歳七月二十六日献物帳(献物目録)|東大寺開田地図(越前国足羽郡糞置村田図)|白布|豊前国戸籍(豊前国の戸籍)|右京計帳(右京の徴税簿)|尾張国正税帳(尾張国の財政報告書など)|大津
大浦
啓(大津
大浦
の手紙など)|経師等請暇解(写経生の休暇届など)|皇后宮職移(皇后宮職の報告書など)|越前国桑原庄券(荘園関係文書)
刊行年:1979/10
データ:『正倉院展目録』 (第三十二回) 奈良国立博物館 裏は新羅民政文書|屏風花氈帳
63. 土田 直鎮 上局|内|空勘文|永昌記|永宣旨|延喜儀式|延喜式裏文書|王朝時代|大春日真野麻呂|大宣旨|大津
大浦
|大津首|大間書|大政所|送内侍|下名
刊行年:1982/07
データ:『国史大辞典』 2 吉川弘文館 日本史文献解題辞典
64. 工藤 大輔 北条得宗領の展開と曾我氏-津軽地域と鎌倉幕府|「嘉元の鐘」から見る鎌倉武士-県内最古の銅鐘銘文|南北朝の内乱-内乱期の津軽地域|藤崎城と安藤氏-藤崎城跡|
大浦
為信の勢力拡大-戦国時代の幕開け|津軽為信と豊臣政権-「日本之つき合」|中世津軽の交通-宿河原∥唐糸御前の伝説-北条時頼の廻国伝説
刊行年:2006/11
データ:『図説弘前・黒石・中南津軽の歴史』 郷土出版社 中世∥コラム
65. 関 俊彦 関東地方の古代遺跡(騎馬民族の終着点はどこか-三昧塚古墳・虎塚古墳の副葬品の語る意味|火山灰に埋もれたムラ-水田址の発掘と関東ロームが実証した旧石器の存在|埴輪はいつ頃なぜ作られたか-保渡田八幡塚古墳を頂点とするその世界|毛野王国はどこにあったのか-大型古墳と副葬品から復元した王国の姿|上野三碑には何が記されたか-建立者、その時期、目的をさぐる|大貝塚の出現とその衰退理由-加曾利貝塚からみる当時の食物と生活様式|変わった習俗をもつ縄文人-大森貝塚が語るカニバリズムの存在|卜占に託した古代人の願い-毘沙門・
大浦
山洞穴から海人集団の生活をみる)
刊行年:1985/04
データ:『日本古代史と遺跡の謎・総解説』 自由国民社 古代遺跡の謎∥1~7版
66. 林 陸朗 序説-『続日本紀』の薨卒伝について|道昭和尚-三蔵法師の弟子|道首名-地方政治家の模範|道慈法師-仏教の巨星|僧玄昉-怨霊に狙われた高僧|行基和尚-菩薩と崇められた高僧|多治比広足-橘奈良麻呂の変に連座した|光明皇后-天平のファーストレディ|巨勢関麻呂-伯父の家を継ぎ公卿になった|紀飯麻呂-参議で病没した仲麻呂派官人|石川年足-墓誌銘が違った高級官人|鑑真和上-苦難を超えて戒律の法を伝えた|藤原弟貞-実は長屋王の子|藤原仲麻呂(恵美押勝)-専制権力とその末路|坂上犬養-武人の家系を誇る|和気王-皇位をうかがったとされる|藤原豊成-藤原南家の総帥|藤原真楯-仲麻呂の乱に功績をあげた高官|百済敬福-百済国王の末裔|上道正道-密告で出世した元舎人|山村王-鈴印の争奪に功績があった|高丘比良麻呂-仲麻呂の陰謀を訴えた大外記|大和長岡-祠官出身の法律家|文屋浄三-二世王の賜姓、篤信の仏徒|藤原永手-光仁天皇を推戴した宰相|僧道鏡-果たして皇位を狙ったか|国中公麻呂-東大寺の大仏師|大津
大浦
-陰陽師の世渡り|藤原蔵下麻呂-仲麻呂追討に適時打を放つ|吉備真備-当代第一の学者・大臣|飯高諸高-清廉貞節な女官と評価される|大伴古慈斐-権力者に嫌われた大伴氏の長老|藤原良継-権力に反抗した人が権力を握った|藤原百川-奈良朝きっての策士という評判|藤原縄麻呂-高野天皇側近の顕官|文屋邑珍-僧形で身の安全をはかった皇孫|石上宅嗣-図書館を創始した文人政治家|大伴伯麻呂-宴飲して談論風発の人|藤原百能-後宮女官の頂点にたった|道嶋嶋足-蝦夷出身の政府高官|藤原田麻呂-恭謙の公卿と称された|藤原魚名-晩年に暗転、配流された大臣|淡海三船-僧俗兼ね備えた文人政治家|大伴家持-万葉の大歌人、後半生の足跡|藤原種継-長岡京造営の犠牲となった寵臣|坂上苅田麻呂-武門の誉れを輝かせた|藤原旅子-早逝した淳和天皇の生母|石川名足-剛直な官人として怖れられた|大中臣清麻呂-国の古老といわれた祠官出身で大臣|藤原是公-桓武の外舅として信任が篤かった|高倉福信-高句麗系渡来人の出世頭|高野新笠-桓武天皇の生母・百済系渡来人|藤原乙牟漏-藤原氏からでた二人めの皇后|佐伯今毛人-東大寺建立の功労者
刊行年:2010/05
データ:『奈良朝人物列伝-『続日本紀』薨卒伝の検討』 思文閣出版
67. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈河内国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|
大浦
荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士