日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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721. 川﨑 晃 越中万葉の人名(県犬養宿禰三千代|安努君広島|粟田女王|阿倍朝臣老人|石川朝臣水通|恵行|大嬢|大伴坂上郎女|大伴坂上大嬢|大伴宿禰池主|大伴宿禰書持|大伴宿禰家持|大伴家持が妹|大原真人高安|憶良大夫の男|尾張連少咋|笠朝臣子君|蒲生娘子|河辺朝臣東人|清足姫天皇|久米朝臣継麻呂|久米朝臣広縄|内蔵忌寸縄麻呂|玄勝|元正天皇|
河内
女王|光明皇后|左夫流|清見|高安倉人種麻呂|高市連黒人|多治比真人土作|多治比部北里|橘宿禰諸兄|田辺史福麻呂|能登臣乙美|秦伊美吉石竹|秦忌寸八千島|土師|土師宿禰道良|藤原朝臣清河|藤原朝臣房前|藤原二郎|藤原皇后|藤原太后|藤原朝臣仲麻呂|平栄|平群氏女郎|三形沙弥|三国真人五百国|山上臣|山上臣憶良|山田史君麻呂|留女の女郎)
刊行年:2007/09
データ:『越中万葉百科』 笠間書院
722. 田村 圓澄 盧舎那仏造立と聖武天皇(伝戒師招請(第一次)|聖武天皇の智識寺参拝|旧大和川近傍の寺|七・八世紀の
河内
出身僧|「菩薩」・「善知識})|八幡大神の仏教帰依(神と仏|八幡大神と仏教|天然痘の流行|藤原広嗣の叛乱)|盧舎那仏造立着工(恭仁京遷都|天照大神・天皇・伊勢神宮|紫香楽移遷|盧舎那仏の造立発願|盧舎那仏造立開始|盧舎那仏の造立と僧綱|玄昉と行基)|唐・新羅・日本の華厳教(唐・新羅の華厳教|華厳教の日本伝来|新羅学問僧|大安寺と華厳教|『華厳経』講説|華厳教の学僧)|倭と新羅の関係史(筑紫大宰の設置|「律令国家」の成立と新羅)|「律令国家」と「蕃国」(神功皇后・新羅征討の物語の成立|「蕃国」意識の成立|藤原京・平城京の新羅使)
刊行年:1999/05
データ:『古代日本の国家と仏教-東大寺創建の研究-』 吉川弘文館 盧舎那仏の造立 慈訓|慶俊|寿霊
723. 鳥居 龍蔵
河内
国府の新発掘に就て|現今に於ける吾人祖先有史以前の研究に就て|有史以前アイヌの各部(群)族|京都市白河町発見の土器に就て|近江の琵琶湖中から出た厚手派土器|和歌山市附近に於けるアイヌ有史以前の研究|アイヌ人種|銅鐸使用者と吾人祖先先駆者との接触|朝鮮の有史以前|朝鮮の有史以前に於ける南鮮と北鮮|有史以前の日鮮関係|祝部土器(陶)に就て|三輪山伝説|漢族文明の日本に与へし影響|満州と東蒙古の有史以前|黄河流域(陜西省等)の有史以前|山東省の有史以前の遺跡|チャイニーストルキスタンの有史以前|東部西比利亜の有史以前|エニセイ河上流地方の有史以前|日本古代の遺跡・遺物に就ての概論|古代の日本民族|西比利亜の人種|オロッコに就て|台湾の有史以前|苗と|黒色小身のネグリート族|ニューギニー島のネグリトー
刊行年:1918/11
データ:『有史以前の日本』 磯部甲陽堂 有史以前の日本〔改訂版〕|鳥居龍蔵全集1
724. 倉本 一宏 あたらしい「壬申の乱」像|開戦まで(白村江以後の戦時体制)(東アジア国際情勢と壬申の乱)(天智の大王位継承プランとその破綻)(大海人の吉野入り)|乱の勃発(「挙兵の決意」-五月)(美濃への使者-六月二十二日)(吉野脱出-六月二十四日)(高市の合流-六月二十五日)(近江朝廷の対応-六月二十六日)(美濃進出-六月二十七日~二十九日)(吉備・筑紫での徴兵-六月末~七月上旬)|戦闘開始と展開(飛鳥京での開戦-六月二十九日)(大倭・
河内
国境攻防戦-七月一日)(三方面軍の進発-七月二・三日)(近江朝廷軍の全貌-七月四日)(伊賀路の戦い-七月五・六日)(息長横河の戦い-七月七日)(大倭における最終戦-七月八日)(近江路の戦い-七月九日~十七日)|戦闘の終結と戦後処理(瀬田川の最終戦-七月二十二日)(大友の自害-七月二十三日)(大友の首実検-七月二十六日)(近江朝廷重臣の処断-八月)(飛鳥京への凱旋-九月)|壬申の乱の特質と結果(軍の構成について)(支持勢力の問題)(「皇親政治」と国家の成立)(「壬申年功臣」たちのその後)(天武の皇位継承プランと天皇制の成立)(壬申の乱をめぐる説話群)(近代史の中の壬申の乱)|戦乱を終えて
刊行年:2007/02
データ:『壬申の乱』 吉川弘文館
725. 森 浩一 時間をどう記述したか(『常陸国風土記』の時間記述|天皇の名か、宮の名か?|「元号」の使用はいつからか|『日本書紀』における元号記述)|銅鏡の「年代」をめぐって(「年号」鏡は年代の定点にできるか|「景初三年」銘銅鏡は〝卑弥呼の鏡〟か|銅鏡の銘文に対する心がまえ|神原神社古墳の「景初三年」銘鏡|「景初四年」銘鏡-完全な銘文-の発見|「青龍三年」銘の方格規矩鏡ー舶載か製か|伊都国の方格規矩鏡|「方格規矩鏡」を考える|「青龍三年」の国際情勢)|諸所に刻まれた年号(刀剣に刻まれた年号〈東大寺山古墳の刀の「中平□年」銘/埼玉稲荷山古墳の剣の銘文/江田船山古墳の刀の銘文〉|関東の文字文化-上野三碑の年号と銘文〈那須国造碑の銘文/上野三碑の銘文〉|石上神宮の七支刀の銘文|隅田八幡宮の「癸未年」銘の人物画像鏡〈百済の斯麻王大墓をめぐって/
河内
での青銅器の製作/銘文は現物に即して読む〉)|「暦」はどのように使われたか(干支の使用|漆紙文書と暦|干支六角柱と菅江真澄〈秋田の埋没建物/記憶のメモ用の干支六角柱〉|「大化」は最初の元号か〈宇治橋建造と「大化二年」/舟橋と山崎橋/上毛野の佐野の舟橋/道登と高句麗の大同江の大橋/再び宇治橋と大化の元号〉)
刊行年:2007/10
データ:『古代史おさらい帖-考古学・古代学課題ノート』 筑摩書房 年代の見方
726. 阿部 猛 農業経営(名田経営論|苗代|門田|便宜要門田|田植|棚田|焼畑|池|井料|畠|屋敷地|林|早稲・中稲・晩稲|片荒|散所|塩浜|水争い|噴火災害|女堀|荘園と村落)|古代の荘園(〈山城国〉石垣荘|石原荘|大住荘|岡屋荘|巨倉荘|小野荘|鶏冠井荘|笠置荘|笠取荘|上桂荘|賀茂荘|木津荘|芹河荘|曾束荘|薪荘|橘園|玉井荘|富坂荘|真幡木荘|前瀧荘|物集荘|山田荘|山田牧|〈大和国〉安堵荘|池田荘|生馬荘|石名荘|出雲荘|櫟北荘|櫟本荘|井上荘|今井荘|今木荘|宇野荘|笠間荘|春日荘|河上荘|喜殿荘|清澄荘|小東荘|簀川荘|高殿荘|長瀬荘|長屋荘|飛騨荘|檜牧荘|広瀬荘|藤井荘|水間杣|山口荘|〈
河内
国〉石川荘|会賀牧|大江御厨|楠葉牧|郡荘|玉串荘|古市荘|星田荘|〈和泉国〉網曳御厨|地黄御園|信達荘|春木荘|日根荘|〈摂津国〉猪名荘|榎並荘|倉橋荘|宿久荘|新羅江荘|多田荘|垂水荘|垂水牧|長洲御厨|水成瀬荘|輪田荘|〈伊賀国〉伊賀神戸|板蠅杣|柏野荘|国見杣|黒田荘|薦生荘|玉瀧荘|柘植荘|鞆田荘|中村荘|山田荘|湯船荘|〈伊勢国〉大国荘|川合荘|曾禰荘|益田荘|寛御厨|〈志摩国〉木本御厨|〈尾張国〉安食荘|一楊御厨|小弓荘|長岡荘|〈参河国〉吉良荘|志貴荘|吉田御園|〈遠江国〉池田荘|蒲御厨|質侶荘|初倉荘|〈駿河国〉益頭荘|〈甲斐国〉甘利荘|大井荘|八代荘|〈相模国〉大庭御厨|糟屋荘|成田荘|波多野荘|早川牧|〈武蔵国〉稲毛荘|船木田荘|〈安房国〉群房荘|丸御厨|〈上総国〉二宮荘|藻原荘|〈下総国〉印東荘|大戸荘|葛西御厨|神崎荘|下河辺荘|相馬御厨|〈常陸国〉信太荘|下妻荘|吉田荘|〈近江国〉伊香立荘|愛智荘|大浦荘|香荘|勢多荘|土田荘|覇流荘|水沼荘|野洲荘|〈美濃国〉茜部荘|明智荘|大井荘|平野荘|〈飛騨国〉白川荘|〈信濃国〉塩田荘|〈上野国〉薗田御厨|高山御厨|新田荘|淵名荘|〈下野国〉足利荘|佐野荘|梁田御厨|〈陸奥国〉安達荘|信夫荘|高鞍荘|〈出羽国〉大曽禰荘|成島荘|屋代荘|遊佐荘|〈若狭国〉国富荘|太良荘|宮川荘|宮川保|〈越前国〉足羽荘|牛原荘|大蔵荘|方上荘|河口坪江荘|糞置荘|栗川荘|桑原荘|鯖田国富荘|曾万布荘|高串荘|道守荘|鎧荘|〈加賀国〉高羽荘|得蔵荘|額田荘|幡生荘|横江荘|〈能登国〉菅原荘|土田荘|若山荘|〈越中国〉石粟荘|石黒荘|井山荘|大荊荘|鹿田荘|狩城荘|須加荘|鳴戸荘|丈部荘|〈越後国〉石井荘|白河荘|豊田荘|〈丹波国〉大山荘|雀部荘|後川荘|多紀荘|波々伯部保|宮田荘|山国荘|〈但馬国〉温泉荘|〈因幡国〉高庭荘|〈伯耆国〉宇多河荘|〈出雲国〉揖屋荘|母里荘|〈播磨国〉赤穂荘|有年荘|大部荘|小犬丸保|椙原荘|田原荘|矢野荘|〈備前国〉香登荘|鹿田荘|〈備中国〉足守荘|〈備後〉太田荘|小童保|〈安芸国〉安摩荘|可部荘|志道原荘|竹原荘|三田荘|壬生荘|吉田荘|〈周防国〉伊保荘|竃戸御厨|多仁荘|椹野荘|〈長門国〉厚狭荘|向津具荘|〈紀伊国〉阿河荘|荒川荘|石手荘|相賀荘|田荘|賀太荘|官省符荘|神野眞国荘|木本荘|栗栖荘|粉河荘|山東荘|志富田荘|隅田荘|野上荘|湯浅荘|吉仲荘|〈阿波国〉篠原荘|富田荘|名東荘|新島荘|〈讃岐国〉多度荘|富田荘|〈伊予国〉大島荘|新居荘|吉岡荘|〈筑前国〉安志岐荘|植木荘|碓井荘|釜生荘|博太荘|把岐荘|山鹿荘|津隈荘|長野荘|貫荘|〈豊後国〉玖珠荘|〈肥前国〉宇野御厨|太田荘|川副荘|神埼荘|佐嘉荘|藤津荘|〈肥後国〉阿蘇社|鹿子木荘|山鹿荘|〈日向・大隅・薩摩国〉島津荘)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士