日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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741. 岩見 見司 尾張における壬申の乱前後の寺院
刊行年:1996/03
データ:『尾張古代史セミナー』 1 春日井市教育委員会 考古学からみた壬申の乱 壬申の乱 大海人皇子から天武天皇へ(
森
浩一
|門脇 禎二編)
742. 佐々木 高明|白木原 和美|高島 忠平|中島 直幸|西谷 正|毛 昭晰|
森
浩一
|和佐野 喜久夫∥金関 恕(司会) 唐津.-いま文明の十字路で(第一部)
刊行年:1994/04
データ:東アジアの古代文化 79 大和書房
743. 中根 千枝|上山 春平(司会)∥大野 晋|伊東 俊太郎|
森
浩一
|河合 隼雄|梅原 猛|上田 正昭|福永 光司|上原 和|江上 波夫|西嶋 定生|大石 慎三郎|江原 昭善 多様と重層が形成した列島文化
刊行年:1980/10
データ:『日本人とは何か』 小学館 まとめ討論
744. 石田 松蔵|上田 正昭|金 達寿|直木 孝次郎|櫃本 誠一(司会)|
森
浩一
天日槍をめぐって(上田:「記紀」のなかの天日槍像|直木:「風土記」にみる天日槍の実像|石田:但馬地方における天日槍集団|
森
:天日槍集団の遺跡|金:天日槍族の展開)
刊行年:1976/12
データ:日本のなかの朝鮮文化 32 朝鮮文化社 公開シンポジウム・但馬の古代文化
745. 門脇 禎二|
森
浩一
「青龍三年鏡」は何を語るか|古代の地域国家(王国)とは何か|なぜ継体王朝は成立したか|古代の「氏姓」の意味するものは何か|古代日本の注目すべき人々とは|古代の女性たちの役割とは何か|残された文字と木簡から何がわかるか|古代史の争点と考古学への注文
刊行年:1995/09
データ:『古代史を解く『鍵』』 学生社
746. 上田 正昭|
森
浩一
|山田 宗睦 旧石器時代-日本の黎明|土器・鉄器と農耕|銅鐸をめぐって|邪馬臺(壹)国|三世紀のイメージ|古墳をめぐって|三輪の王権|四世紀の交流|倭の五王|継体王朝と筑紫君磐井|聖徳太子|大化のクーデター|『古事記』・『日本書紀』
刊行年:1980/07
データ:『日本古代史』読書マップ 筑摩書房
747. 中根 千枝(司会)∥江原 昭善|大野 晋|上田 正昭|藤村 久和|宮城 音弥|河合 隼雄|大石 慎三郎|上原 和|梅原 猛|江上 波夫|福永 光司|
森
浩一
|伊東 俊太郎|上山 春平 過ぎ去った巨大な文明.-縄文期
刊行年:1980/10
データ:『日本人とは何か』 小学館 自由討論Ⅰ
748. 井上 光貞(司会)∥上田 正昭|岡崎 敬|貝塚 茂樹|岸 俊男|末永 雅雄|長広 敏雄|西嶋 定生|
森
浩一
∥網干 善教|秋山 日出雄|伊達 宗泰(発掘調査グループ) 発掘のデータ|終末期古墳の年代|大陸装飾墓との比較考察|歴史の視点に立って|古墳様式の追求|壁画の意図したもの|皇陵調査をめぐって|あすの古代史解明のために
刊行年:1972/06
データ:『朝日シンポジウム 高松塚壁画古墳』 朝日新聞社 『高松塚古墳調査中巻報告書』参照 殯
749.
森
浩一
「銅鏡百枚」どこに消えたか|魏王はどんな鏡を、なぜ贈ったか|魏の年号鏡は確実か|三角縁神獣鏡はなぜ重要か|三角縁神獣鏡はどこで作られたか|工人は倭人か渡来人か|神獣鏡の文様はなにを物語るか|北部九州出土の漢鏡は邪馬台国の資料となるか|畿内出土の三国鏡は邪馬台国の資料となるか|鏡の用途はなにか|鏡はどう伝世して、埋葬されたか|鏡にはどんな種類があったか
刊行年:1975/10
データ:『邪馬台国99の謎-どこに在り、なぜ消えたのか』 産報 銅鏡に秘められた謎-魏王の贈った鏡の行方
750.
森
浩一
海道と島々を考える(貝の交易|土地の認識と島々の名称|黒曜石と北東アジア交通網|越と越洲-船で行ける場所)|変貌する河内と摂津-国産み神話の鍵(八十島祭と二つの「生」郡|長屋王木簡と大八洲の祭祀|神武東征と難波碕・河内湖の地形|仁徳紀の河内湖の治水と都市づくり|「堀江」と大川-蘇る古代の都市計画)
刊行年:2007/10
データ:『古代史おさらい帖-考古学・古代学課題ノート』 筑摩書房 土地の見方
751.
森
浩一
河内の古地形と水上交通(政治と商業活動の中心地・大隅島|島流しに『延喜式』をもっていく|天皇支配から自由な水人|なぜ紀州勢力が淀川水系を握ったか)|隼人と倭人の伝統(エジソンの発明と山背の隼人|隼人の軍事力の重視|銅剣の記載のない「倭人伝」|倭人の武器の伝統を残した隼人|古代の龍信仰)|倭人と文字文化(文字文化の上限はどこか|文字文化の存在を明かす「倭人伝」|多文字併用文化がもつ活力|学問の面白さ)
刊行年:1990/07
データ:『古代史は変わる』 河合文化教育研究所
752.
森
浩一
『古事記』の構造(太安万侶とその墓|『古事記』序文の人(神)名と時代区分)|倭人=「呉の太伯」の後裔伝承の重要性(倭人と文身ー「華中の王」始祖伝説|記紀の基本構想としての「神武東遷」|日本神話の骨組みの大切さ|宣教師の「神武天皇=太伯子孫」説)|複数の「倭人」の存在(二つの九州島-華北ルートと華中ルート|二つの九州人-倭人と東人|女王国vs.狗奴国(=後の熊襲))|南九州を考える(熊襲(曽)はどこにいたか-「襲」(曽)の重要性|串間(宮崎県)から出土した玉壁|九州の前方後円墳を考える|球磨の金鏡|熊襲戦争と肥後の俘囚料(鞠智(菊池)城の役割/熊襲に備えた俘囚と肥後の俘囚料)|海を渡る倭人たち(曹操宗族墓で発見された「倭人字磚」|中国側の徐福伝説|日本各地に残る徐福伝説)
刊行年:2007/10
データ:『古代史おさらい帖-考古学・古代学課題ノート』 筑摩書房 「人」の見方