日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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781. - 7~13世紀の政治・社会-東北地方の蝦夷(古代国家にとっての異民族の意味|東北地方北部と古代国家|蝦夷の社会|
鎌倉時代
のエゾ)|1~13世紀の文化(続縄文時代|擦文文化|オホーツク文化|土器文化の終わり)|13~17世紀の政治・社会(元・明とサハリン(樺太)のアイヌの人たち|安藤氏の内乱と鎌倉幕府の滅亡|コシャマインの戦い|松前藩の成立|シャクシャインの戦い)|13~17世紀の文化(擦文文化の終わり|14・15世紀から江戸時代まで)
刊行年:2001/03
データ:『アイヌ民族:歴史と現在-未来を共に生きるために-』 小学生用 アイヌ文化振興・研究推進機構
782. 井上 章一 まえがき|宮崎市定にさそわれて|内藤湖南から脈々と|ソビエトの日本史とマルクス主義|弥生に神殿はあったのか|キリスト教と、仏教と|応仁の乱|
鎌倉時代
はほんとうに鎌倉の時代だったのか|江戸から明治の頼朝像|ゲルマニアになぞらえて|平泉澄と石母田正|東と西の歴史学|京都からの中世史|ライシャワーの封建制|司馬遼太郎よ、お前もか|梅棹忠夫のユーラシア|あとがき
刊行年:2008/07
データ:『日本に古代はあったのか』 角川学芸出版 角川学芸WEBマガジン第1号~第14号連載「日本の歴史とユーラシア」を改題・改稿
783. 石井 喬 源頼朝は、なぜ鎌倉に幕府を開いたのか|鎌倉は鎌倉城といわれたというけれども本当にお城だったの?|和田塚は本当に古墳であったのか|
鎌倉時代
の人々の死体はどのように処理したのか|鎌倉では墓のことをなぜ「やぐら」というのか|円覚寺舎利殿は、本当は室町時代に建てられた尼寺だったの?|今小路西遺跡は何の跡か|鎌倉五山はどのように決められたのか
刊行年:2001/04
データ:『神奈川県の不思議事典』 新人物往来社 中世の鎌倉
784. 石井 進 中世武士団の性格と特色-はじめに|曾我物語の世界|敵討とその周辺|「兵」の館をたずねて|「兵」から鎌倉武士団へ|板碑は語る|武士団とは何か|小早川の流れ(一)-
鎌倉時代
の歩み|l小早川の流れ(二)-南北朝・室町時代の武士団|埋もれていた戦国の城下町-朝倉氏の一乗谷|失われたもの、発見されるもの-おわりに
刊行年:1974/12
データ:『日本の歴史』 12 小学館 日本史の社会集団3中世武士団(文庫化) 石井進の世界2中世武士団
785. 梅宮 茂 古墳と国造の形成(本県の古墳文化|国造と古墳文化|古墳時代の生活)|国郡の設置(奈良時代の文化|農民の生活)|律令支配の転換設置(平安前期の文化)|奥州藤原氏の支配(奥州藤原氏支配の成立〈平泉文化と本県〉|文化と産業|奥州征伐と福島県)|
鎌倉時代
の宗教と文化(仏教界の動き〈日蓮宗のひろがり|禅宗の普及〉|神社信仰|神仏習合と祭礼|美術・工芸)
刊行年:1969/03
データ:『福島県史』 1 福島県 環頭大刀|馬具|双魚佩
786. 平栁 一夫 わが国の相続の歴史(相続はだれの問題であったか|弥生時代|律令、平安時代初期|平安時代後期、
鎌倉時代
|室町・安土桃山時代)|古代天皇家、徳川将軍家、江戸期大名家の相続争い(古代天皇家の家督騒動)|古典文学に見える遺産紛争ー遺産についての考え方(古事記|詞花和歌集(勅撰集)ー源氏物語|棠陰此事ー醒睡笑・塩尻・古事談|十六夜日記|椿葉記|徒然草ー西郷南洲遺訓)
刊行年:2001/10
データ:『古代からの遺産争い』 信山社
787. 新田 英治 治承・寿永の内乱|鎌倉幕府の成立時期について|鎌倉幕府政所の設置|鎌倉幕府の成立|
鎌倉時代
の武家文書|幕府政治の展開Ⅰ|頼朝の征夷大将軍辞任|武家社会の構造と御家人制度|知行論争|承久の乱|五摂家の分立|幕府政治の展開Ⅱ|「御成敗式目」の条文配列|蒙古襲来(文永の役|弘安の役)|文永の役と「神風」|得宗専制政治|両統問題と幕府|皇室領荘園の帰属|鎌倉幕府の倒壊
刊行年:1985/05
データ:『日本歴史大系』 2 山川出版社
788. 関野 克 原始住宅(日本住居の原始形|竪穴住居|平地住居|高床住居)|農家住宅(日本住宅建築の母胎|奈良時代の農家住宅|中世・近世の農家住宅)|公家住宅(奈良時代に於ける公家住宅の発祥|奈良時代公家住宅建築の構造|平安内裏と公家住宅|寝殿造としての公家住宅|盛期の寝殿造|
鎌倉時代
以後の公家住宅)|町家住宅(平安京に於ける宅地割と町屋住宅)|釈家住宅(釈家住宅の独立|鎌倉・室町時代に於ける釈家住宅)
刊行年:1942/03
データ:『日本住宅小史』 相模書房
789. - 7~13世紀の政治・社会-東北地方の蝦夷(古代国家にとっての異民族の意味|東北地方北部と古代国家|蝦夷の社会|
鎌倉時代
のエゾ|まとめ)|1~13世紀の文化(続縄文文化|擦文文化|オホーツク文化|土器文化の終わり)|13~17世紀の政治・社会(元・明とサハリン(樺太)のアイヌの人たち|安藤氏の内乱と鎌倉幕府の滅亡|コシャマインの戦い|松前藩の成立|シャクシャインの戦い)|13~17世紀の文化(擦文文化の終わり|14・15世紀から江戸時代まで)|アイヌ語(アイヌ語とは|アイヌ語の話されていた地域、話されている地域|アイヌ語地名|アイヌ語はどんな言葉か)|北海道のヒト-骨の特徴から考える
刊行年:2001/03
データ:『アイヌ民族:歴史と現在-未来を共に生きるために-』 中学生用 アイヌ文化振興・研究推進機構
790. 栗村 知弘|中里 進 埋もれた八戸-縄文文化時代から古墳時代までの八戸(考古学の成果と人間の起源|縄文文化時代と八戸|弥生古墳文化時代と八戸)|糠部の建郡-大化の改新から藤原時代までの八戸(弘仁二年の戦いと俘囚宇漢迷公一族|建郡期の文化財|華夷雑居地帯としての建郡|平泉中尊寺供養願文の世界)|東国武士の大移動と八戸-
鎌倉時代
の八戸(四門九戸の牧場制と鎌倉の御家人たち|糠部の村落構造とその経済)|奥羽蕩平の根の城-建武改革と八戸(南部氏の得宗被官|惣領制と根城南部氏の台頭|根城南部氏武士団の展開|根城南部氏八戸に移住す)|根城城下町の誕生-室町時代の八戸(馬淵川デルタに築かれた城下町|郷村制の成立と農村の生活)
刊行年:1960/11
データ:『概説八戸の歴史』 上 北方春秋社
791. 近藤 成一 相田二郎『中世の関所』畝傍書房,1943|相田二郎『日本の古文書』上・下,岩波書店,1949-54|相田二郎『蒙古襲来の研究』吉川弘文館,1958(増補版,1982)|朝川貫一『入来文書』エール大学出版会,1929|朝川貫一『荘園研究』日本学術振興会,1965|佐藤進一「室町幕府開創期の官制体系」石母田正・佐藤進一編『中世の法と国家』東京大学出版会,1960(佐藤進一『日本中世史論集』岩波書店,1990)|鈴木茂男『古代文書の機能論的研究』吉川弘文館,1997|水戸部正男『公家新制の研究』創文社,1961|八代国治『吾妻鏡の研究』吉川弘文館,1913(芸林社,1976)|龍粛『
鎌倉時代
』春秋社,1957
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
792. 尾崎 竹四郎 まだ日本でなかった頃-古代から平安末期まで(青森県の古い呼び名|蝦夷のむかし|文化は北から|東北征服に二五〇年|平泉藤原と青森県)|戦乱と荒廃の明け暮れ-
鎌倉時代
から戦国へ(大河兼任の乱|善知鳥物語|関東武士の進出|津軽平野は語る|武士も本来は功利的なもの|曾我、安東の滅亡|下北の蠣崎蔵人|南部氏、津軽も支配|領主も家臣も同じ)|戦国の縮図・信直と為信の抗争-戦国から統一へ(津軽氏の身元|南部のお家騒動|目ざめゆく土民の姿|為信、津軽を征服|武士も戦争はきらい|朱印状争い|秀吉の天下統一と青森県|戦国武士にみる世相|関ヶ原の戦いと家督争い|乱世のしめくくり)|むすび
刊行年:1959/12
データ:『新釈青森県史』 前篇 東奥日報社
793. 福尾 猛市郎 はしがき|原始時代(原始時代の家族形態|日本原始家族)|古代前期(氏姓制度時代)(家族と部落|氏姓層|部民層|家における男女の地位|相続法)|古代後期(律令制時代)(大化改新期と氏姓|里(郷)と戸と家|女性の形式的地位と婚姻に関する法制|女性の実際的地位と婚姻の諸相|親子関係|養子制度|相続法|平安末期の族的結合)|中世前期(
鎌倉時代
)(総説|一族、惣領と庶子|家長権と親権、親子関係|女性の地位|養子|家督相続|財産相続)|中世後期(室町・安土桃山時代)|近世(江戸時代)|近代
刊行年:1972/02
データ:『日本家族制度史概説』 吉川弘文館
794. 林 幹彌 はじめに|飛鳥・奈良時代の太子観(太子は往生人|太子はボサツ)|平安時代の太子信仰(太子は救世観音|太子信仰のメッカ|藤原道長と藤原頼長|太子信仰の普及)|
鎌倉時代
の太子信仰(末法と太子|南都の太子信仰|法隆寺の太子信仰|平安仏教と太子|新仏教の太子信仰|鎌倉の武家の太子信仰|庶民の太子信仰)|南北朝・室町の太子信仰(南朝と未来記|東山の太子堂と京都のひとびと|禅宗と聖徳太子|知識人と太子伝|室町将軍の太子信仰|太子信仰の普及|乱世の太子信仰)
刊行年:1972/06
データ:『太子信仰-その発生と発展-』 評論社
795. 森 克己 遣唐使の航路はなぜ変わったのか 当時の航海術はどのていどであったか|唐に渡った人々はどのように待遇され、どのように活動したか|阿倍仲麻呂|藤原清河|遣唐使の廃止は内外のどのような事情によるか|刀伊の入寇|王朝時代の対外交渉(序)|平安貴族の発展意欲はどうであったか|日宋貿易によって宋からはどんなものが輸入されたか|交易唐物使|中国仏跡巡礼に渡航した人々はどんな人だったか|僧の入宋|日本文化の逆輸出|
鎌倉時代
の対外交渉(序)
刊行年:1975/10
データ:『海外交渉史の視点』 1 日本書籍
796. 小林 芳規 はじめに|弥生人の絵画と記号-日本列島における弥生時代の絵画と記号|漢字の伝来と伝播-仏教と漢籍の受容に伴う下級官人・郷・里への浸透|漢字で日本語を書き表わす工夫-日本語表記の展開と新しい文体の創造|平安時代の漢字文の種々相-漢字による日本語文の開花|漢文訓読の跡をたどる-訓点のくふうと片仮名の歴史|漢字からの脱皮-平安時代の平仮名の誕生と形成|漢字片仮名まじり文の成立-新しい日本語文体の成立と展開|
鎌倉時代
の文章表現とその後-文字文化における漢字・漢文の位置|日本における印刷の始まりと普及-文字文化の大衆化に対応した漢字文の量的な生産|漢字文と訓との収集・整理-日本の古辞書の歴史|漢字の字体と書体-日本における使用の実情|文字を書く道具の歴史-昔の筆記具とその移り変わり|あとがき
刊行年:1998/11
データ:『図説日本の漢字』 大修館書店
797. 福山 敏男 平安浄土教の美術(前史(八世紀まで)|恵心僧都の時代とその前後)|藤原摂関家の寺-法成寺と平等院(法成寺|平等院)|院政期京都の寺-白河・鳥羽と法住寺殿(白河・鳥羽の寺|法住寺殿の寺)|平泉の寺-地方への浸透 一(中尊寺|毛越寺|平泉文化圏)|山陰と九州-地方への浸透 二(山陰の寺|九州の寺)|解説(曼荼羅の世界|平安時代の阿弥陀来迎図|
鎌倉時代
の阿弥陀来迎図|木彫の阿弥陀来迎図|迎講とその面|九、十世紀の藤原氏の造寺|十一、十二世紀の定朝系統の仏師|頼通以後の平等院|六勝寺以外の白河の御願寺|京都法金剛院|十一、十二世紀の寺院建築の遺作|平泉の遺跡と建築と仏像|平泉文化圏の寺|国東半島の寺と仏)
刊行年:1964/07
データ:『日本の美術』 9 平凡社
798. 梅村 喬 「安堵」研究の前提|「安堵」研究の課題|「所領」成立の意義について|租帳勘会と国司検田-荘園整理令をめぐって|「所職」について-刀祢論から見る|「職」の拡散-郡司をめぐって|所職の形成-「所司」の広がりから|国衙公権と現地所司-別名の形成|郷司・保司・条司について|園司・庄司・杣司について|「領主」の成立と国衙|黒田庄の証判に見る現地所司|「安堵」をめぐる研究の進展と課題|「安堵」研究の現状と課題(承前)|「職」の成立について|使者の派遣と「職」|土地公証と「職」の形成|家司の官制について|家司の展開と「職」-前提的考察|改めて官制補任の構造について|補任史料の分析と分類-「免」について|補任史料の分析と分類(再論)|官と職、および「職」史料の検討|地方行政組織の変容と「職」|在地所司と「職」・安堵|「職」拡大の条件について|「職」成立における下司職について|所領寄進と「職の秩序」成立の契機|再度、官職補任の構造について|全体のまとめに代えて|【付論Ⅰ】土地公証制の変容-三浦家所蔵法隆寺文書を素材として|【付論Ⅱ】平安時代から
鎌倉時代
初期における国務運営-文書形態分析を中心として|《資料》調査文書一覧
刊行年:2009/03
データ:『平安時代における土地公証文書と所領安堵の前提的研究』 (梅村 喬(大阪大学大学院文学研究科))