日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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81. 井上 薫 律令体制の変化(桓武朝の新政他)|摂関政治と武士(藤原氏の独裁他)|院政と
平氏政権
(院政の成立他)
刊行年:1964/05
データ:『入門日本史』 上 吉川弘文館
82. 羽下 徳彦 中世総論|
平氏政権
|鎌倉幕府の成立|地頭|承久の乱|御恩と奉公|惣領と庶子|建武新政
刊行年:1974/12
データ:『日本史の基礎知識-鋭い歴史感覚を養うために』 有斐閣
83. 田中 文英 浅香年木『治承・寿永の内乱論序説』法政大学出版局,1981|田中文英『
平氏政権
の研究』思文閣出版,1994
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
84. 上杉 和彦 平安時代の東国における戦乱|院政期の清和源氏と桓武平氏|内乱の勃発と頼朝の挙兵|内乱の展開-
平氏政権
の滅亡から奥州合戦まで|鎌倉幕府支配体制の確立|頼朝没後の鎌倉幕府-北条政子の政治|鎌倉幕府間はどう変化したか
刊行年:2003/05
データ:『源頼朝と鎌倉幕府』 新日本出版社
85. 川尻 秋生 大化の改新と房総(房総の国造と部民|大化の改新と房総)∥古代の交通路(海上交通|内海交通)∥古代房総の荘園(摂関・院政期の経済)|平将門の乱(群盗の蜂起|平将門の乱|将門の乱の影響)|院政と房総(院政期の房総の国司|
平氏政権
と房総)∥文学にみる古代の房総(和歌に歌われた房総)
刊行年:2001/03
データ:『千葉県の歴史』 通史編 千葉県 古代国家の形成と房総∥律令制下の房総-奈良時代の房総∥荘園と武士の成立-平安時代の房総∥古代房総の文学と美術
86. 竹内 理三 はじめに|東国の叛乱|前九年の役・後三年の役|武者の家|農村の変貌|荘園の経営|後三条天皇の新政|院政はじまる|東の源氏|西の平氏|完成する荘園体制|法皇と僧兵|保元の乱|平治の乱|平清盛と
平氏政権
|奥州藤原氏|孤立する平家|内乱から源平合戦へ
刊行年:1965/07
データ:『日本の歴史』 6 中央公論社
87. 野口 実 序|坂東における地方軍事貴族の成立と展開(秀郷流藤原氏の基礎的考察|平忠常の乱の経過について-追討の私戦的側面)|十二世紀における坂東武士団の存在形態(「武士身分」の中世的展開(覚書)|秀郷流小山氏・足利氏|上総氏と千葉氏|相模国の武士団-とくに波多野氏と山内首藤氏について)|
平氏政権
下における坂東武士団(平氏知行・受領国|非平氏知行・受領国|総括)|院・平氏両政権下における相模国-源氏政権成立の諸前提(源氏と相模国の関係の定着とその背景|白河・鳥羽院政の展開と源氏支配の弛緩化|源義朝による相模国武士団の統合|平治の乱後における相模国|総括)|総括|あとがき
刊行年:1982/12
データ:『坂東武士団の成立と展開』 弘生書林
88. 小林 洋介 倭の五王論争 五王を結ぶ関係とは|大和国家論争 国家はいかにして形成されたか|任那日本府論争 日本府は実在したか|継体王朝論争 内乱は実在したのか|磐井の乱論争 磐井の乱異視点考察|仏教伝来論争 伝来の年次はいつか|大化の改新論争 改新は本当にあったのか|天皇論争 古代の王権と天皇|壬申の乱論争 乱の直接の原因とは|神仏習合論争 神宮寺と富豪層|古代の遷都論争 平安京までの遷都の理由は|律令国家体制論争 国家の性質とは|富豪層論争 律令国家の変革者|平安京論争 なぜ遷都したのか|遣唐使論争 なぜ派遣されたのか|幼帝論争 幼帝とはなにか|延喜・天暦の治論争 本当に「聖代」だったのか|将門の乱論争 将門の「新皇」宣言と独自国家|平安時代の民衆運動論争 志多羅神運動の示す諸様相|藤原氏他氏排斥論争 安和の変は何のために|国司苛政闘争論争 解任された国司と解文|摂関政治論争 摂関家は権力を独占していたのか|土地の私有と譲状論争 平安時代の私有と村落の様相|田楽と民衆論争 永長大田楽の主体諸階層|荘園公領制論争 成立はいつだろうか|院政論争 院政の実態と主体|
平氏政権
論争 平清盛はいかにして政権を握ったか|武士論争 その発生と「武」の意味|武士団の棟梁論争 後三年の役と義家の虚像|鎌倉幕府成立論争 どのように成立したのか
刊行年:1997/04
データ:別冊歴史読本 22-23 新人物往来社
89. 柳 雄太郎|米田 雄介|吉岡 眞之|平林 盛得|宮崎 康充|今江 廣道|飯倉 晴武 延暦四年~延暦十二年(七八五~七九三)長岡京造営と征夷の挫折|延暦十三年~延暦二十四年(七九四~八〇五)造都と征夷の成功-平安遷都|大同元年~弘仁元年(八〇六~八一〇)大同の新政と薬子の変|弘仁二年~弘仁十三年(八一一~八二二)弘仁の治世-唐風文化の興隆|弘仁十四年~天長十年(八二三~八三三)淳和の治世-学芸・文化の時代|承和元年~承和十四年(八三四~八四七)最後の遣唐使と承和の変|嘉祥元年~貞観七年(八四八~八六五)人臣太政大臣の出現|貞観八年~貞観十八年(八六六~八七六)応天門の変-人臣摂政の始まり|元慶元年~寛平二年(八七七~八九〇)陽成廃位と阿衡の紛議|寛平三年~昌泰三年(八九一~九〇〇)寛平の治-菅原道真の登用|延喜元年~延喜十三年(九〇一~九一三)延喜の治-律令制再建の夢|延喜十四年~延長八年(九一四~九三〇)菅公の怨霊-たび重なる不幸|承平元年~天慶八年(九三一~九四五)承平・天慶の大乱起こる|天慶九年~康保三年(九四六~九六六)天暦の治-精彩欠く〝新政〟|康保四年~寛和元年(九六七~九八五)安和の変-藤原一族の内訌|寛和二年~正暦五年(九八六~九九四)兼家の制覇-中関白家の春|長徳元年~寛弘六年(九九五~一〇〇九)道長浮上-皇后定子の悲運|寛弘七年~万寿二年(一〇一〇~一〇二五)望月の世-道長外孫帝の出現|万寿三年~長暦三年(一〇二六~一〇三九)巨星落つ-藤原道長の死|長久元年~天喜三年(一〇四〇~一〇五五)末法の世-相次ぐ騒乱火災|天喜四年~治暦三年(一〇五六~一〇六七)前九年の役-源氏の台頭|治暦四年~延久五年(一〇六八~一〇七三)後三条天皇-延久の善政|承保元年~応徳二年(一〇七四~一〇八五)天皇親政と後三年の役|応徳三年~寛治七年(一〇八六~一〇九三)院政-治天の君の登場|嘉保元年~嘉承二年(一〇九四~一一〇七)聖主堀河と賢臣師通|天仁元年~元永二年(一一〇八~一一一九)白河院政の本格化|保安元年~大治四年(一一二〇~一一二九)〝専制主〟白河法皇|大治五年~久安五年(一一三〇~一一四九)鳥羽院政-美福門院の登場|久安六年~久寿元年(一一五〇~一一五四)悪左府頼長-摂関家の分裂|久寿二年~保元三年(一一五五~一一五八)保元の乱-武者の世の始まり|平治元年~仁安元年(一一五九~一一六六)平治の乱-
平氏政権
への道|仁安二年~承安二年(一一六七~一一七二)平相国-
平氏政権
の確立|承安三年~治承二年(一一七三~一一七八)鹿ヶ谷事件-反平氏運動|治承三年~養和元年(一一七九~一一八一)治承のクーデター|寿永元年~文治元年(一一八二~一一八五)平家滅亡-源平の合戦
刊行年:1982/07
データ:『読める年表』 2 自由国民社