日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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1001. 平野 卓治 プロローグ-律令制下の人々の負担∥西へ(税を運ぶ〈都へ運ぶもの|郡家と国府《都筑郡家|武蔵国府|相模国府》|都への道《曲金北遺跡》|
平城京
と市・調邸《奈良の都の姿|相模国調邸と東市》|都から〉)|大宰府の様相∥東へ(蝦夷戦争を支える〈東北経営と東国の負担|国衙工房の様相《鹿の子C遺跡》〉|東北の城柵と東国社会〈郡山遺跡と東国社会|多賀城と東国|移民たちの足跡《名生館遺跡|三輪田遺跡|一里塚遺跡|御駒堂遺跡|色麻古墳群》|胆沢城と東国|秋田城と東国地域)∥エピローグ-兵の時代への系譜
刊行年:2002/02
データ:『東へ西へ-律令国家を支えた古代東国の人々』 横浜市歴史博物館
1002. 村井 康彦 平安建都千二百年-はしがきにかえて|「山背」遷都-さらば
平城京
|種嗣暗殺-長岡京造都責任者の死|平安遷都-長岡棄都の真相|軍事と造作-桓武天皇の蝦夷経営|平安楽土 万年春-平安京の造都事業|飛騨匠の物語-造都事業の中心的存在|徳政相論-桓武天皇の死|薬子の変-基盤がかたまる平安京|動かざる遷都-宮内遷宮の故実|もう一つの表玄関-平安京の交通体系|神泉苑今昔-平安京の命の水|砂金の里をたずねて-砂金の効用|諸司厨町-地方課役民のための宿所|宇治の別業-非政治的・非日常的世界|内野物語-大内裏の崩壊
刊行年:1994/07
データ:『平安京物語』 小学館 京都新聞夕刊紙上連載(1993秋~),NHK京都文化センターでの講義を基礎
1003. 杉本 一樹 宮廷文化の開花│
平城京
跡出土石製容器│月池(雁鴨池)出土匙│虎巖山城出土「仍伐内」銘匙│月池(雁鴨池)出土「調露二年」銘磚│月池(雁鴨池)出土「十石入瓮」銘甕│月池(雁鴨池)出土「四斗五刀」銘梅瓶形土器│平城宮跡遺高麗使叙位木簡│藤原京右京七条一坊西北坪「召志良木人」木簡│畝田・寺中遺跡出土「語-語」墨書土器│長屋王邸跡籤引札木簡│正倉院古文書正集第四二巻(複製)│買新羅物解文書(尊経閣古文書纂 編年文書五)│続修正倉院古文書後集第四三巻(複製) 買新羅物解文書
刊行年:2014/10
データ:『文字がつなぐ-古代の日本列島と朝鮮半島』 国立歴史民俗博物館 解説文(Ⅲ 文字と生活文化)
1004. 犬飼 隆 漢字を学ぶ│小治田安万侶墓誌│続修正倉院古文書別集第四八巻(複製)│薬師寺「天地玄黄」千字文木簡│月池(雁鴨池)「韓舎」習書木簡│伏岩里「道」「徳」「率」習書木簡(複製)│飛鳥池遺跡北地区「熊 吾」字書木簡(複製)│北大津遺跡「賛 田須久」音義木簡│漢字で表す│月池(雁鴨池)木簡│龍角寺五斗蒔瓦窯跡出土文字瓦│城山遺跡出土「赤弥田寺」 墨書土師器杯│法隆寺金堂広目天像・多聞天像光背裏面造像記拓本│飛鳥池遺跡北地区音訓交用木簡(複製)│
平城京
長屋王邸跡和化漢文文書木簡(複製)│西河原森ノ内遺跡手紙木簡(複製)│広町遺跡B地区6号窯状遺構出土須恵器底裏在銘壺│月池(雁鴨池)出土「東宮衙鎰」銘鉄錠│月池(雁鴨池)「金」木簡│飛鳥池遺跡北地区キーホルダー木簡│
平城京
左京二条二坊五坪二条大路濠状遺構「東門鎰」木簡(複製)│続々修正倉院古文書第五帙第二巻 裏 (複製) 韓藍花歌切│正倉院古文書正集第四四巻(複製) 天平勝宝九歳瑞字宣命│万葉集 巻七、二│万葉集巻第二│飛鳥池遺跡北地区「天皇」木簡(複製)│漢字を創る│陵山里寺址「籾」木簡(複製)│伏岩里「高」木簡(複製)│月池(雁鴨池)「」木簡│月池(雁鴨池)「蚫」木簡│月池(雁鴨池)「瓠」木簡
刊行年:2014/10
データ:『文字がつなぐ-古代の日本列島と朝鮮半島』 国立歴史民俗博物館 解説文(Ⅳ 文字を使いこなす)
1005. 小山 靖憲 差図
刊行年:1997/05
データ:『中世荘園絵図大成』 第二部 河出書房新社
1006. 井上 和人 序説|最近の所説について(『大和国条里復原図 解説』の所説|岩本次郎氏の所説|木全敬蔵氏の所説|『
平城京
及び大内裏考』にみる大和条里)|条里地割平安時代施行説について(石野博信氏の所説|中井一夫氏の所説|寺沢薫氏の所説|小結)|史料からみた大和統一条里(『興福寺大和国雑役免坪付帳』|『大和国弘福寺牒』|8世紀から10世紀の大和条里史料|『額田寺伽藍并条里図』|小結)|海竜王寺の地割-平城宮周辺地域における先行地割の検証(岩本次郎氏の所説|田村吉永氏の所説|検証-海竜王寺の地割)|斑鳩地域の偏向地割(田村吉永氏の所説|落合重信氏の所説|服部昌之氏の所説|千田稔氏の所説|岩本次郎氏の所説|小結)|代制地割について(岸俊男氏の代制地割説|代制地割説の実証上の問題点|代制地割説批判)|条里重層説について(第一層の検証-播磨国揖保川流域の条里地割|第二層の検証-小林昌二氏の「超一町坪」論をめぐって|摂津国河辺郡南条一・二条について|「超一町坪」の規模をめぐって|大和統一条里の規格|坪区画の規模について|小結)|京東条里の施行時期について|京北条里の施行時期について(
平城京
右京北辺坊について|修理司について|京北条里と北辺坊|京北条里の施行時期について|小結)|条里地割の施行年代について(岸俊男氏の『大和の古道』|中ツ道と条里地割|古道と条里地割)|結語
刊行年:1994/11
データ:『条里制研究の一視点-奈良盆地における条里地割の施行年代についての再検討-』 静邨詩社(私家版) 古代都城制条里制の実証的研究
1007. 浅井 和春 はじめに|奈良時代美術の底流(三つの品|天武系皇統の「呪縛」)|奈良時代前期(七一〇-七三五)(
平城京
の造営と大寺の移転|法隆寺五重塔と中門の塑像|元明天皇から元正天皇へ|薬師寺金堂薬師三尊像と東院堂聖観音像|興福寺の造営|聖武天皇の即位と光明子の立后|興福寺西金堂の造像|十大弟子・八部衆像)|奈良時代中期Ⅰ(七三五-七五三)(三千代・光明子と法隆寺|藤原四子政権から橘諸兄政権へ|藤原広嗣の乱、行幸、そして大仏造立宣言|大養徳国金光明寺と法華堂本尊不空羂索観音像)|奈良時代中期Ⅱ(七五四-七六四)(鑑真和上の来日と仲麻呂の唐風政治|唐招提寺の成立とその造像|法華寺阿弥陀浄土院の造像その他)|奈良時代後期(七六五-七八四)(称徳天皇と道鏡|称徳・道鏡と西大寺|光仁・桓武朝の新政策と造像)∥仏像と近代 仏像、博物館にならぶ
刊行年:2004/05
データ:『日本の美術』 456 至文堂 -∥付論
1008. 田村 圓澄 盧舎那仏造立と聖武天皇(伝戒師招請(第一次)|聖武天皇の智識寺参拝|旧大和川近傍の寺|七・八世紀の河内出身僧|「菩薩」・「善知識})|八幡大神の仏教帰依(神と仏|八幡大神と仏教|天然痘の流行|藤原広嗣の叛乱)|盧舎那仏造立着工(恭仁京遷都|天照大神・天皇・伊勢神宮|紫香楽移遷|盧舎那仏の造立発願|盧舎那仏造立開始|盧舎那仏の造立と僧綱|玄昉と行基)|唐・新羅・日本の華厳教(唐・新羅の華厳教|華厳教の日本伝来|新羅学問僧|大安寺と華厳教|『華厳経』講説|華厳教の学僧)|倭と新羅の関係史(筑紫大宰の設置|「律令国家」の成立と新羅)|「律令国家」と「蕃国」(神功皇后・新羅征討の物語の成立|「蕃国」意識の成立|藤原京・
平城京
の新羅使)
刊行年:1999/05
データ:『古代日本の国家と仏教-東大寺創建の研究-』 吉川弘文館 盧舎那仏の造立 慈訓|慶俊|寿霊
1009. 堤 紫海 東方への志向(東国平定|陸奥への関門|越の柵|蝦夷征伐|東方への希求|壬申の乱|白鳳時代開く|炎と花)|国生の苦しみ(山河無情|苦患の国土|陸奥開発始まる|黄金出土|宮廷乱脈|家持擾乱|天平の嵐|天平の破局|陸奥の反乱|輪奐の美|
平城京
離脱)|謎深い異境の国(平安京遷都|田村麻呂征夷|鎮守府北進|波乱の平安京|征夷中断|多賀城碑の謎|幻の壺碑|辺境の異国情緒)|楽土建設の夢(「つはもの」時代|東西の異端児|戦雲渦巻く|一族の戦乱|武蔵国への志向|関八州を制圧|将門の最期|天慶の顛末)|悲劇の武将たち(栄華の陰に|幻の美女|源平の地盤交代|黄金の酋長|前九年の役|頼義の開運|安倍一族の最期|不遇の将軍|後三年の役|戦火出羽へ|清原氏滅ぶ|源氏武士の発祥)|黄金文化の跡(清衡の奥羽経略|中尊寺の謎|壮麗な伽藍建設|藤原三代の軌跡|奥州平定|終章 民族の悲願・東北開発)
刊行年:1979/04
データ:『陸奥への道-歴史散歩』 文化総合出版
1010. 澤田 吾一 人口 全国人口の概勢(天平十九年官奏の課口|出雲国大税賑給歴名帳|
平城京
と金沢市との比較|弘仁主税式の出挙稲)|人口と出挙稲の関係|陸奥国(課丁|課丁数の変遷)|諸国の課丁及び人口(計算|批評〈弘仁稲と延喜稲|奥羽の人口|諸国人口表の作成に於て陸奥の地位、其一・其二|究極の辨證〉)|駿河国(正税帳の租穀|田租減免の程度|人口の計算|封戸の郷別人口計算の一法|収穫と田租)|遠江国|坂東八国(人口計算|宝亀五年の勅|押勝の征韓軍(東国))|山陽道、南海道(押勝の征韓軍(中国)|阿波国の戸数)|九州|畿内(課丁及び人口の計算|二種人口の優劣〈前節高年者表の(1)(2)(3)(4)に付て|畿内の調と外国の調|攝津の調|郷別人口〉)|対馬、多、志摩、左右京|人口結論|人口余論、其一(諸国の郷別人口|諸国人口表、郷数表、田積表|批評)|人口余論、其二(菅公の讃岐国人口|太子伝の人口及び所謂聖武天皇時代の人口)
刊行年:1927/09
データ:『奈良朝時代民政経済の数的研究 附・諸国人口・斗量・衣食住』 冨山房 復刻版:柏書房,1972/08
1011. 池田 三枝子 山部赤人の「田子の浦ゆうち出て見れば」の歌は『百人一首』の歌とどう違うのか|「咲く花の薫ふがごとく」の歌は
平城京
讃歌か|「麻手刈り干し布さらす東女を忘れたまふな」と詠んだ常陸娘子は農民の娘か|大伴家持はなぜ女性からの恋歌に返事しなかったのか|貧窮問答歌は古代農民の姿の実写か|志貴皇子の懽びの歌には何か別の意味が隠されているのか|「夕されば小倉の山に」の歌の作者はだれか|高橋虫麻呂の浦島伝説を詠む歌にはなぜ亀が出てこないのか|万葉の相聞歌にはなぜ序詞が多いのか|万葉の相聞歌にうわたわれる恋のマジックにはどのようなものがあるか|『万葉集』にはなぜたくさんの七夕歌が残されているのか|万葉の相聞歌はなぜ「人自・人言」を歌うものが多いのか|日本は「言霊の助くる国」だったのか|巻十四の東歌は東国の民謡か|巻十五の遣新羅使人たちは帰路になぜ寡黙になったのか|巻十五の中臣宅守と狭野弟上娘子との恋は虚構か|安積山の歌はほんとうに采女が作ったのか|穂積皇子の歌は恋の苦しさを歌うものか|複数の男性に求婚された伝説の処女たちはなぜ自殺しなければならなかったのか
刊行年:2000/10
データ:『万葉集101の謎』 新人物往来社 万葉の歌をめぐる謎
1012. 奥野 中彦 京都油小路屋敷図|近江国木津荘寺領注進帳|越前国河口・坪江荘近傍図|山城国佐賀荘咋岡全図|信濃国原山古図|駿河国井川郷上田村絵図|備前国安国寺寺域絵図|筑前国宗像郡六十二村古図|紀伊国安楽河荘脇谷四至絵図|伊勢国鹿海村絵図|陸奥国平泉古図|陸奥国毛越寺古図|周防国山口町古地図|飛騨国中図|近江国小田村高畠屋舗図|
平城京
図(原題市図)|大和国葛木東所地肆坊図|大和国東喜殿荘坪付図|丹波国出雲神社社領示絵図|讃岐国善通曼荼羅両寺領絵図|京中焼亡図|出雲国出雲大社及近郷絵図|大和国東喜殿荘近傍図|京都東市町図|武蔵国鶴見寺尾荘図|山城国上久世荘図|山城国今宮社別当宗秀敷地指図|陸奥国骨寺古図(その二)|京都遍照心院敷地絵図|京都妙見寺地子法住寺押妨図|相模国円覚寺塔頭法珠院敷地図|京都神泉苑祈雨道場絵図|若狭国丹生浦浦山沽却注文|京都左京御所前・乾町下地指図|京都故土御門中将有通朝臣敷地指図|京都十楽院跡屋敷差図|京都東寺寺内敷地差図|大和国羽津里井荘図|京都左京八条在家田地差図|丹波国吉富荘絵図|山城国松尾大社及近郷絵図|山城国上野荘指図|京都某寺庵敷地指図|祇園社領川成注文指図|大和国西大寺辺四陵所在条里図|京都左京土御門敷地指図|大和国中山荘土帳|大和国古木本・新両荘土帳(断簡)(その二)|大和国郡名略地図|大和国岩井河南岸諸荘園図|大和国池田荘と并井殿荘境溝相論指図|大和国佐保新免土帳(その二)(その三)|山城国西谷藪地指図|大和国楊本荘条里図|山城国京上道之次第図 文明十七年十月古市・誉田等陣取図|四郎三郎作下地指図|伊勢国稲生村三社絵図|相模国善宝寺寺地絵図|京都今小路以北石井美作入道以南畠地図|山城国大副里三坪西縄本所在図|京都土御門正親町万里小路富小路四丁町指図|京都大工三郎右衛門抱分指図|摂津国広徳寺門前図|山城国五智院南地差図|山城国如意庵下地相博差図|大和国忌部荘図
刊行年:1977/05
データ:『日本荘園絵図集成』 下 東京堂出版