日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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1014件中[1001-1014]
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1001. 艾山江・居
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洪│李 達│牟 新慧│阿迪力・阿布力孜│胡 桂珠│張 元│艾尼瓦尓・艾合買堤│甘 偉 切り紙(複製)│彩絵陶罐│唐永淳二年張歓奥様連の墓誌│角櫛│網│アイマスク│伏義と女図(複製品)│美人囲碁図(複製品)│彩絵武士泥俑(複製品)│彩絵泥人形で高い髻の侍女頭像(複製品)│十二支俑 猪(複製品)│十二支俑 鶏(複製品)│卜骨│海獣紋銅鏡
刊行年:2013/01
データ:『中国西域・シルクロード伝奇』 文物出版社 作品解説 第二ユニット シルクロードに珍奇が集まる ②儒風と漢風俗が西州に至る
1002. 大友 幸男 「三内丸山」とアイヌ語|「巨木遺構」と「鳥居」|発見された「土屋根の家」|「梟神」と「遮光器土偶」|「船型埴輪」と「諸手船」|『倭人伝』とアイヌ語地名|「日本神話」とアイヌ語|「因幡の白兎」の謎|阿倍比羅夫と「渡島の蝦夷」|クマ狩り族と「虜」|古代人と「木」の信仰|「恵比寿」信仰|庶民信仰とアイヌ信仰|「敷居」と「ドギ」|「
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産」と「焼畑農業」|「河童」あれこれ|「ユーカラ」の話
刊行年:1997/10
データ:『日本のアイヌ語地名-東北から沖縄まで』 三一書房 歴史・民俗編
1003. 樋口 清之 どんな船に乗り、どう航海したか∥シャーマニズムとはなにか|日本のアニミズムとはなにか|卑弥呼の鬼神とはなにか∥黥面は、南方系民族のものか|どんな服を着ていたか|どんな住居に住んでいたか|製鉄技術はもっていたか|どう農耕し、なにを食べていたか|
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の役割はなにか|生活水準はどの程度か|照葉樹林文化はどのくらい浸透していたか|倭国にはどんな動物が棲み、どんな植物が生えていたか|当時は暑かったか、寒かったか|壁画の船は実用されていたか
刊行年:1975/10
データ:『邪
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台国99の謎-どこに在り、なぜ消えたのか』 産報 九州か畿内か-邪
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台国の位置を推理する∥神功皇后か女酋か-卑弥呼の正体を推理する∥大陸系か南方系か-どんな言葉を話し、どう生活していたか
1004. 八木 光則 古代概観-蝦夷の時代|蝦夷成立前夜-四~六世紀にかけて|末期古墳の出現-蝦夷の墓|開かれた社会-蝦夷の交流・交易|律令機構のなかへ-最大級の規模をもった志波城|拡大政策の転換-徳丹城への移転|蝦夷の集落-竪穴住居と掘立柱建物|鉄器を求める人々-鍛冶と鉄|
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と生業-副葬された
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具|安倍氏の奥六郡掌握-厨川を本拠とした安倍貞任|北の集落-山頂と尾根に暮らした人びと|謎を秘める仏教遺跡-古代末期から中世初期にかけて|居館に見る中世の始まり-紫波町比爪館跡∥謎の「奥州五十四郡」-解決されない問題
刊行年:2004/06
データ:『図説盛岡・岩手・紫波の歴史』 郷土出版社 古代∥コラム
1005. 西谷 正 九州地方の古代遺跡(海の正倉院=沖の島の信仰-超一級品の祭祀遺物が語る海神信仰の姿|装飾古墳に秘められた謎-その文様・顔料などから朝鮮半島との関係をさぐる|支石墓は誰がつくったのか-その源流・特徴・被葬者・地域分布の理由をさぐる|石人・石
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はなぜつくられたか-岩戸山古墳を中心にその特徴・役割を考える|〝隼人〟と呼ばれた人々-南九州にみる生活基盤と墓制の特徴は何か|神籠石とは何か-いつ、どんな目的でつくられたのか|西国の玄関をめぐる謎-大宰府の果たした役割と大野城・水城の意味|徐福が求めた霊薬の島-種ケ島広田遺跡にみる江南文化の香り)
刊行年:1985/04
データ:『日本古代史と遺跡の謎・総解説』 自由国民社 古代遺跡の謎∥1~7版
1006. 新野 直吉 五角の札-渤海を訪ねて|まえがき|初めての渤海使が来るまで(古代東北の位置|第一回渤海使の来航)|歴史を彩る人と
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と犬と(第二回渤海使と日本|天平十八年の渤海・鉄利来航)|東北に来着しなかった使者の謎(東北に来なかった船持たぬ渤海使|恵美押勝外交と東北)|大集団使節と東北の兵乱(第七回使の東北来航とその周辺|第十一回使・第十二回使東北に来航)|渤海使東北を去る、それから(第十三回使夷地志里波村に来着|渤海使にとっての東北)
刊行年:2003/01
データ:『古代東北と渤海使』 歴史春秋出版
1007. 伊藤 直純 金沢の地位並に名称|鉄道下車駅並に金沢|後三年の戦役|大鳥山の墟|御所野|陣ヶ森|蛭藻沼並に陣所峰|二ツ石|永徳の碑|山神堂|鞍石|三光園|立
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郊並に西沼|古鴻園|紫明園|湯森並に朧の桜|犠牲塚|斥候山並に岩清水|耕余園|格知小学校|敵ヶ沢並に晴耕園|景政功名塚並に公園|妖怪石|陣館|厨川|腰掛石並に弓立岡|安本館|兜八幡社並に二の丸|八幡神社|北の丸|焦粮|本丸|洗金渓|祇園寺|盾石|本町|桂徳寺|殿小路並に何求園|下館|菊水橋|専光寺|七刈岡|長岡森|金沢家館址|老銀杏|墓堂並に金沢七騎|武南方館址|黒瀧山|唐櫃石|天下森
刊行年:1917/07
データ:『後三年戦蹟誌』 保古会 日本戦史研究録2附録(栗原 勇著)
1008. 阿部 猛 漢音と呉音|やせっぽち|「ころしてやる」|
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のくつ|「防犯カメラ」と「監視カメラ」|幼稚園|ふみちゃん|菊枝ちゃん|メリーさん|騎兵隊の中尉さん|室戸台風|百軒店の映画館|二・二六事件|自転車の練習|ソリ遊び|行人坂|碑文谷公園の亀|少年野球|食パンの予約|油面の道場|銭湯|学芸会|修学旅行|夏休み|仮校舎|高橋正人先生|校庭のイチョウの木|ジェーン海軍年鑑|ニュース映画館|昭和十七年四月十八日|千々和實先生|厚木飛行場|初めての家庭教師|小川まつさん|八幡一郎先生|伊東多三郎先生|梅根 悟先生|大和資雄先生|豊田武先生|竹内理三先生|『日本社会史論集』|井出孫六さん|宇都宮徳
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さん|山下正子さん|ご進講|ダンフェル・ロシュローのライオン|パリでスリ|シクラメン|バイエル練習曲
刊行年:2005/06
データ:『歴史を彷徨う-歴史掌篇集(2)-』 日本社会史研究会 雑学 ことばの日本史
1009. 阿部 猛 政務(官司請負制|笏紙|貴族の政治思想)|権力者と実務官人(藤原忠平|藤原実頼|藤原兼家|藤原師尹|源高明|藤原伊周|藤原隆家|藤原道長|藤原実資|藤原公任|藤原行成|藤原頼通|藤原朝成|藤原元方|藤原兼通|藤原頼忠|藤原道隆|藤原通兼|藤原公季|藤原顕光|源雅信|源経頼|藤原資房|上達部|日記の家|貞信公記|御堂関白記|小右記|権記|左経記|春記|水左記)|地方政治(国司交替の制|国司の赴任|目代|留守所|在庁官人|国例|三日厨|坂迎え|受領|任用国司|家司受領|国雑掌|任符|刀禰|諸国申請雑事|郡老|勘合|勘出|国充|国司苛政上訴|尾張国郡司百姓等解|
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の党|親王任国|大介|時範記|藤原元命|藤原陣忠|藤原保昌|中原師遠|小野五倫)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 摂関政治
1010. 和田 秀寿 明如上人絵像|印度撮影帖|上原芳太郎『印度紀行稿』|上原芳太郎『外遊記稿』|井上弘円日記|清水黙爾日記|本多恵隆『中亜旅行記』|本多恵隆日記|藤井宣正『印度霊穴探見日記』|毛皮服・帽子・晴雨計(堀賢雄関連資料)|堀賢雄日記|渡辺哲信日記|地図・民族衣装スケッチ(野村栄三郎関連資料)|光瑞とヘディンの集合写真|旅行教範|探検指図書|トランシット・高度計・懐中時計|
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票|
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蹄銀|組立暗箱式カメラ一式|ガラス乾板|探検用写真乾板・フィルム関係書簡(稿)|素描模写画|木製旅行鞄(和氣善巧使用)|青木文教関連資料|印度留学辞令・写真帖(藤谷晃道関連資料)|橘瑞超『新疆探険記』|香川黙識編『西域考古図譜』|橘瑞超編『二楽叢書』|吉川小一郎『中亜旅行記』|上原芳太郎編『新西域記』|植物標本
刊行年:2012/04
データ:『仏教の来た道-シルクロード探検の旅』 龍谷大学龍谷ミュージアム|読売新聞社 作品解説(大谷探検隊と仏教伝播の道)
1011. 阿部 猛 律令官司(律と令|神祇官|太政官|太政大臣|太政官厨家|参議|辨官|中務省|中宮職|職御曹司|大舎人寮|図書寮|紙屋院|内蔵寮|縫殿寮|糸所|陰陽寮|画工司|内薬司|内礼司|式部省|大学寮|散位寮|治部省|雅楽寮|玄蕃寮|諸陵司|喪儀司|民部省|主計寮|主税寮|兵部省|兵
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司|造兵司|鼓吹司|主船司|主鷹司|刑部省|贓贖司|囚獄司|左獄・右獄|大蔵省|典鋳司|掃部司|漆部司|縫部司|織部司|宮内省|大膳職|木工寮|大炊寮|供御院|主殿寮|典薬寮|正親司|内膳司|造酒司|鍛冶司|官奴司|園池司|土工司|采女司|主水司|氷室|主油司|内掃部司|筥陶司|内染司|五衛府|衛門府|衛士府|兵衛府|隼人司|
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寮|兵庫|内兵庫|彈正台|京職|市司|摂津職|大宰府|警固所|国―郡―里制|諸国|国府|郡家|国司|里長|郷長|国師|講師|読師|斎宮寮|斎院司|後宮|後宮十二司|女蔵人|女房|傅|学士|春宮坊|舎人監|主膳監|主蔵監|主殿署|主書署|主漿署|主工署|主兵署|主
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署|蔵人所|帯刀舎人)|官人制(四等官制|位階|官位相当制|官人の出身方式|官人の給与|官人の任期|官人の休暇|官人の勤務評定|交替政|貴・通貴・非通貴|公家と公卿)|身分・刑罰(官人の刑法上の特権)|軍団(軍団|衛士|防人|部領使|三関)|田制と租税(班田収授法|戸籍|儀籍|計帳|手実|職写田|余戸|課戸|寄口|租|調|庸|雑徭|出挙|借貸|正税|正税帳|公廨稲|郡稲|義倉|中男作物|贄|仕丁|采女|雇役|九等戸|穎稲と籾穀|国斗|布||返抄|不三得七法|綱丁|公田|乗田|易田|荒廃田|山川藪沢|空閑地|輸租田と不輸租田|公田と私田|公水公有主義|功田|均田制と班田収授の比較|四度使|四度使公文・同枝文|運脚)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 律令制度
1012. 小原 与三郎編 安倍氏統治対策|前九年役の発端|安倍氏の実力|衣川柵 九月六日|鳥海の柵 九月十一日|黒沢尻柵|厨川柵 九月十四日|前線基地鶴脛柵|比与島館|北上市、一夜舘|黒岩嬢、岩崎城|浮田車舘|倉沢舘(大しだ舘)|毒沢虫丸舘と尼寺|砂子舘と道目木尼寺|砂子の由来|花舘(塙舘)|花舘忘憂の里|まぼろし尼寺|迎え山と時森|コータの舘|田瀬の道地舘|野金山と安倍舘|弓折り舘|鹿込の城舘の山|鱒沢高舘|小友舘山と鷹鳥谷舘|長野舘|いろは滝|小友村の荒谷|綾織胡四王|谷地舘|上野舘|フン舘|上綾織、弓折|土淵三舘|青笹塙舘、臼舘|上郷の舘|土淵村の安倍氏|早池峯安倍ヶ城の伝説|松崎の史跡|達曾部高舘|水境不審場、岩脇舘|松原舘、源三舘|小空蔵舘|桂舘、八木巻舘、八木巻
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舘|旭の又舘|内川目の舘跡|亀ヶ森舘、八幡舘、杉舘、羽黒堂舘|今日明日森、上舘、中舘、下舘|舘山大巻舘機織舘|御堂という部落|下北半島と津軽半島の歴史|衣川古戦場、厨川柵の最後|前九年の役の経過|後三年の役|平泉藤原氏|平泉藤原三代|源頼朝、泰衡の戦畧|義経弁慶の伝説|秀衡の御用商人と牛若丸|達窟について再度調査に行く
刊行年:1977/12
データ:『陸奥の伝説-前九年の役、後三年の役、平泉藤原氏』 私家版
1013. 千徳 太郎治 樺太島南北土人の呼称|アイヌ呼称に就て|オロツコ人の風俗と其生活状態|アイヌ人の風俗と生活状態|栖原当時北海道より樺太へ漁業経営の実際|刑罰の略式|婦女子の風俗と夏冬の服装|伊達栖原当時のアイヌ人|樺太島―千島の交換|米食の滑稽談一青年|酋長の名及び部落|明治三十二年露人の暴行|アイヌの住家と生活状態|夏の住家と其構造及建築法|樺太アイヌの重要果実|久春内に於て露人の乱暴|海
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は西海岸に多し|東海岸のアザラシ類|一結婚、二離婚、三誕生、四葬儀|ノツトロ(西能登呂)|リアトマリ、ナイチャ(利屋泊と内砂)|エンルモロ(三の澤)|チシナイボ又トマユナイ(二の澤)|ウンラ(一の澤)|ハツカトマリ(現山下町)|トマリオンナイ(楠渓町)|ポロアントマリ(現大泊)|シレトホ(中知床)|アイルフ(愛郎)|トンナイチャ(富内)|オチョポカ(現土人部落の落帆)|オブサキ(南負咲)|ノツサン(現野寒)|ロレー(露礼)|フンベオートマリ(北趾辺)|サカエハマ(現栄浜)|ナイブチ(内淵部落)|アイ(相浜)|シルトル(白浜)|オタサン(小田寒)|マトマナイ(真苦)|ポロナイ(保呂)|シララカ(白浦)|マーヌイ(真縫)|ワーレ(輪礼)|チカポロナイ(近幌内)|ヌブリポフ(登保)|マクンコタン(
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群譚)|モツトマリ(元泊)|カシホ(樫保)|シルトル(知取)|コタンケシ(古丹岸)|ナヨロ(内路)|シシカ(敷香)|タライカ以北チルエサン
刊行年:1929/08
データ:『樺太アイヌ叢話』 市光堂 アイヌ史資料集6樺太編
1014. 井上 秀雄 初期の朝鮮(原始社会〈旧石器時代|新石器時代から鉄器時代へ|原始共同体〉|古朝鮮〈〝古朝鮮〟と〝朝鮮〟|檀君神話|箕氏朝鮮|朝鮮民族の起源|衛氏朝鮮〉|漢人支配と自立への道〈衛氏朝鮮の滅亡|漢の郡県支配|後漢の異民族支配と郡県支配の変質〉|高句麗の発展〈遼東太守公孫氏と初期高句麗|後漢王朝の廃滅と偽の進出〉)|原始国家の形成(小国家群-
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韓・弁韓・辰韓〈『魏志』倭人伝|いくつかの疑問|韓族地方の風土|韓族の社会〉|楽浪・帯方二郡の滅亡〈二郡滅亡の経過|二郡滅亡の影響〉|高句麗の南下と広開土王陵碑〈五胡十六国時代と高句麗|広開土王陵碑〉)|三国の興亡(1)(百済と倭〈伯済国と百済建国神話|中国王朝との冊封関係|『宋書』と百済の〝遼西支配〟|国際関係の中の邪
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台国|大和朝廷と南朝鮮|『百済本記』『百済記』と任那日本府〉|百済の盛衰〈国家的発展と王位継承|王城の陥落と政治・社会構造|百済再興と新たなる発展|東城王と南方への領土拡大|五世紀東アジアの国際秩序体系|官僚制への移行と東城王の殺害|『百済本記』『日本書紀』による百済と任那|大和朝廷と百済|高句麗・百済との抗争〉)|三国の興亡(2)(新羅の台頭〈辰韓の斯盧国と新羅建国神話|斯盧から新羅へ|五世紀の新羅|倭について|智證麻立干の時代|法興王の時代|仏教の伝来|征服王朝の全盛期-真興王と国史の編纂|異斯夫と山城の築城|于老伝説|倭・高句麗との関係|真興王の四碑〉|新羅と百済の文化を訪ねて〈新羅の文化|百済の文化〉)|統一戦争(隋の統一と朝鮮三国〈隋への朝貢と抵抗|仏教の興隆と国史編纂|隋煬帝の高句麗出兵〉|唐と七世紀前半の三国対立〈唐太宗の対外強硬策|泉蓋蘇文のクーデターと高句麗の軍国化|唐の新羅救援と高句麗出兵|新羅の内乱と政治改革〉|新羅の統一戦争と律令体制の成立〈百済・高句麗討滅戦|対唐戦争|地方豪族・下級貴族と律令体制|〝倭〟から〝日本〟へ-国号改正記事について〉)|統一新羅(律令時代〈新羅の統一と兵制の変遷|律令制と官制|地方行政と九州・五京制|律令田制の沿革|恵恭王代の内乱〉|骨品制度の形成〈骨制の成立|元聖王時代|金憲昌の乱|頭品制の成立〉|後三国と新羅の滅亡〈王権の争奪|弓福の活躍と藤原政権の新羅政策|後三国の興亡|古代朝鮮〉)|古代朝鮮史年表|あとがき
刊行年:1972/11
データ:『古代朝鮮』 日本放送出版協会 現代のエスプリ107