日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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1321. 志田 延義 まえがき|魂と神|みたまふり|記紀結集の先蹤と律令制と古事記|初発三神を立てた古事記上巻の構造|天つ神・天つ神の御子といざなきの神・いざなみの神の国生み|天照らす大御神と建速須佐の男の命|天照らす大御神の石屋戸こもりとまつり|建速須佐の男の命から大国主の神へ|天にきし国にきし天つ日高日子番のににぎの命と神
倭
伊波礼びこの命|初国知らしし御真木の天皇と息長帯日めの命|むすび 古事記の統治哲学理念とその伝流|そえがき
刊行年:1993/06
データ:『古事記の統治哲学の構想』 至文堂
1322. 佐原 眞 魏志
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人伝の考古学-兵は矛・楯・木弓を用う|-木弓短下長上竹箭或鉄鏃或骨鏃|-居処宮室楼観城柵厳設|
倭
地温暖冬夏食生菜|南至邪馬台国|食飲用豆手食|好捕魚鰒水無深浅皆沈没取之|男子無大小皆黥面文身…諸国文身各異或左或右或大或小尊卑有差|男子皆露以木緜招頭其衣横幅但結束相連略無縫婦人…作衣如単被穿其中央貫頭衣之種…|蚕桑緝績|徒跌、灼骨その他
刊行年:1995/06-1997/03
データ:歴博 71~81 国立歴史民俗博物館 連載 真の部屋〔第1回〕~〔第11回〕 魏志
倭
人伝の考古学
1323. 小林 行雄 凸面鏡と凹面鏡-はじめ日本人は鏡をどううけとったか|漢の鏡-弥生時代には中国鏡をどう手にいれたか|魏の鏡-卑弥呼がもらったのはどのような鏡か|大和政権と鏡-古代の権力者は鏡をどうとりあつかったか|製鏡-日本ではどのような鏡をつくったか|
倭
の五王と鏡-5世紀には鏡はどう変化したか|正倉院の鏡-唐の文化は鏡をどうかえたか|唐鏡から和鏡へ-8世紀以後の日本人は鏡をどう見なおしたか|鏡の製作-鏡の製作法はどうかわってきたか|鏡の幾何学-幾何学は鏡の製作にどう役だったか
刊行年:1965/11
データ:『古鏡-その謎と源をさぐる-』 学生社
1324. 加藤 和俊 木簡「官宮中大式民治」│木簡「春秋」│木簡「尚書」│墨書土器(猿と文字)(複製)│木簡「柴江五十戸」│木簡「渕評竹田里」│木簡「新井里」│木簡「大領石山」│墨書須恵器(「竹田二百長」│「大主帳」│「布知厨」)│墨書須恵器「竹田成継」│墨書須恵器「若
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部」│墨書須恵器「石足」│墨書須恵器「川辺宗宜部子物」│墨書須恵器「稲万呂」│墨書須恵器「安万」│墨書須恵器「住須」│墨書須恵器「望」ほか│木簡「足」│木簡「殖」│木簡「弥斗」ほか│墨書土器「山田」│墨書灰釉陶器
刊行年:2014/01
データ:『文字のチカラ-古代東海の文字世界』 「文字のチカラ展」実行委員会 作品解説 第3章 文字で記録する 第1節 習い覚えて使う
1325. 井上 秀雄 初期の朝鮮(原始社会〈旧石器時代|新石器時代から鉄器時代へ|原始共同体〉|古朝鮮〈〝古朝鮮〟と〝朝鮮〟|檀君神話|箕氏朝鮮|朝鮮民族の起源|衛氏朝鮮〉|漢人支配と自立への道〈衛氏朝鮮の滅亡|漢の郡県支配|後漢の異民族支配と郡県支配の変質〉|高句麗の発展〈遼東太守公孫氏と初期高句麗|後漢王朝の廃滅と偽の進出〉)|原始国家の形成(小国家群-馬韓・弁韓・辰韓〈『魏志』
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人伝|いくつかの疑問|韓族地方の風土|韓族の社会〉|楽浪・帯方二郡の滅亡〈二郡滅亡の経過|二郡滅亡の影響〉|高句麗の南下と広開土王陵碑〈五胡十六国時代と高句麗|広開土王陵碑〉)|三国の興亡(1)(百済と
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〈伯済国と百済建国神話|中国王朝との冊封関係|『宋書』と百済の〝遼西支配〟|国際関係の中の邪馬台国|大和朝廷と南朝鮮|『百済本記』『百済記』と任那日本府〉|百済の盛衰〈国家的発展と王位継承|王城の陥落と政治・社会構造|百済再興と新たなる発展|東城王と南方への領土拡大|五世紀東アジアの国際秩序体系|官僚制への移行と東城王の殺害|『百済本記』『日本書紀』による百済と任那|大和朝廷と百済|高句麗・百済との抗争〉)|三国の興亡(2)(新羅の台頭〈辰韓の斯盧国と新羅建国神話|斯盧から新羅へ|五世紀の新羅|
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について|智證麻立干の時代|法興王の時代|仏教の伝来|征服王朝の全盛期-真興王と国史の編纂|異斯夫と山城の築城|于老伝説|
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・高句麗との関係|真興王の四碑〉|新羅と百済の文化を訪ねて〈新羅の文化|百済の文化〉)|統一戦争(隋の統一と朝鮮三国〈隋への朝貢と抵抗|仏教の興隆と国史編纂|隋煬帝の高句麗出兵〉|唐と七世紀前半の三国対立〈唐太宗の対外強硬策|泉蓋蘇文のクーデターと高句麗の軍国化|唐の新羅救援と高句麗出兵|新羅の内乱と政治改革〉|新羅の統一戦争と律令体制の成立〈百済・高句麗討滅戦|対唐戦争|地方豪族・下級貴族と律令体制|〝
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〟から〝日本〟へ-国号改正記事について〉)|統一新羅(律令時代〈新羅の統一と兵制の変遷|律令制と官制|地方行政と九州・五京制|律令田制の沿革|恵恭王代の内乱〉|骨品制度の形成〈骨制の成立|元聖王時代|金憲昌の乱|頭品制の成立〉|後三国と新羅の滅亡〈王権の争奪|弓福の活躍と藤原政権の新羅政策|後三国の興亡|古代朝鮮〉)|古代朝鮮史年表|あとがき
刊行年:1972/11
データ:『古代朝鮮』 日本放送出版協会 現代のエスプリ107
1326. 松尾 光 はじめに│日本古代史と『魏志
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人伝』(入門『魏志
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人伝』①)│『魏志
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人伝』を読む(『魏志』烏丸鮮卑東夷
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人条の全文を読む)│中国正史を読む(中国正史のなかの「
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国」と「日本」∥『漢書』地理志│『後漢書』東夷列伝
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条│『宋書』夷蛮伝
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国条│『隋書』東夷伝
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国条│『旧唐書』東夷伝
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国日本国条│『新唐書』東夷伝日本条)∥参考資料(「高句麗広開土王碑文」│「祢軍墓誌」│「井真成墓誌」)│Q&A「中国正史」と
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国の謎(入門『魏志
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人伝』②)│『魏志
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人伝』関係資料|あとがき
刊行年:2014/06
データ:『現代語訳 魏志
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人伝』 KADOKAWA 卑弥呼は固有名詞か|タリシヒコは聖徳太子か
1327. 義江 明子 はじめに-卑弥呼の実像をもとめて|風土記の〝女〟を読む(「土蜘蛛」の戦い|女神と男神の物語|古墳に眠る女性首長|隼人の男女)|『魏志』
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人伝の〝女〟を読む(会同する男女|一夫多妻の真実|見えない王と戦う王|卑弥呼の〝夫〟)|飯豊王の物語を読む(「与夫初交」(マグワイ)した女王|飯豊の青|ヤマトの王と土蜘蛛|「タケル」は〝男〟か?)|ジェンダー記号としての「ヒメ」を読む(「ヒメ」のはじまり|画期としての額田部王|
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迹迹日百襲姫の真実)|卑弥呼像の創出|あとがき
刊行年:2005/04
データ:『つくられた卑弥呼-〈女〉の創出と国家』 筑摩書房
1328. 利光 三津夫 まえがき|日本政治史の意義|上代(国家成立以前|氏族国家の起源|氏族国家の政治方式|氏族国家の統合|統合の進展|
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の五王|五世紀大和政権の政治組織|内廷と外廷|地方の反抗|推古朝の政治)|中古(一)(大化改新|日唐戦争|壬申の乱|天武持統朝の政治|律令政治|藤原氏の台頭|諸兄から道鏡政権へ|民衆の動静)|中古(二)(親政時代|前期摂関時代|摂関中停時代|後期摂関政治(その成立期)|後期摂関政治(盛行期)|前期院政時代|農民の動静)
刊行年:1977/10
データ:『日本古代政治史』 慶應通信
1329. 倉本 一宏 あたらしい「壬申の乱」像|開戦まで(白村江以後の戦時体制)(東アジア国際情勢と壬申の乱)(天智の大王位継承プランとその破綻)(大海人の吉野入り)|乱の勃発(「挙兵の決意」-五月)(美濃への使者-六月二十二日)(吉野脱出-六月二十四日)(高市の合流-六月二十五日)(近江朝廷の対応-六月二十六日)(美濃進出-六月二十七日~二十九日)(吉備・筑紫での徴兵-六月末~七月上旬)|戦闘開始と展開(飛鳥京での開戦-六月二十九日)(大
倭
・河内国境攻防戦-七月一日)(三方面軍の進発-七月二・三日)(近江朝廷軍の全貌-七月四日)(伊賀路の戦い-七月五・六日)(息長横河の戦い-七月七日)(大
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における最終戦-七月八日)(近江路の戦い-七月九日~十七日)|戦闘の終結と戦後処理(瀬田川の最終戦-七月二十二日)(大友の自害-七月二十三日)(大友の首実検-七月二十六日)(近江朝廷重臣の処断-八月)(飛鳥京への凱旋-九月)|壬申の乱の特質と結果(軍の構成について)(支持勢力の問題)(「皇親政治」と国家の成立)(「壬申年功臣」たちのその後)(天武の皇位継承プランと天皇制の成立)(壬申の乱をめぐる説話群)(近代史の中の壬申の乱)|戦乱を終えて
刊行年:2007/02
データ:『壬申の乱』 吉川弘文館
1330. 橋本 増吉 支那の史料に現はれたる我が上代(一)~(十一)
刊行年:1927/06-1931/09
データ:史学 6-2~10-3 三田史学会 東洋史上より観たる日本上古史研究一(邪馬台国論考)|東洋史上より見たる日本上古史研究(再編後)
1331. 斎川 真 天皇という称号(「天皇」とはそもそも法律用語である|「天皇」とは「北極星」のことである|君主の称号とは、臣下が献上するものである|日本の天皇号は臣下が献上した|天皇は、「
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の五王」の子孫である|天皇の統治は、高天原の神の委任である|天皇の「姓」は、宮号である)|中国と日本(「冊封体制」とは何か|冊封体制とは、中華帝国の世界秩序のことである|天命思想とは、王朝交替の思想である|日本は、中華帝国に朝貢して、世界史に登場した|遣隋使・遣唐使は、中華帝国の官職・爵号はいらないと伝えた|日本という国名は、律令体制に伴ってあらわれる)|日本律令国家(日本は、中華帝国のような国家になりたかった|日本は、律令を作るために、中国から律令の写本を運んできた|日本の血統原理の正当性は王朝交替思想を排除して成立した|律令国家は、行政指導・官僚統制型の国家である|結論 そして、国家の枠だけが残った)|おわりに-律令がわかれば日本がわかる|あとがき
刊行年:1999/10
データ:『天皇がわかれば日本がわかる』 筑摩書房
1332. 白石 太一郎 考古学と古代史の間をさまよう(考古学との出会い|歴史を学ぶ意味|古代史への関心|古代史をやるか、考古学をやるか|歴史を掘り出す|考古学と古代史の協業)|『魏志』
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人伝と考古学(邪馬台国はどこか|
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国はどうして成立したのか|
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国の成立はいつか|『魏志』
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人伝の風俗記事)|ヤマト政権成立(邪馬台国と狗奴国|邪馬台国連合から初期ヤマト政権へ|初期ヤマト王権の基盤とその原領域|王と巫女)|記・紀の王統譜は信じられるか(王墓の移動|盟主権移動の背景|古代の王墓と天皇陵|ヤマト王権と地域政権)|稲荷山鉄剣と江田船山大刀(稲荷山古墳と稲荷山鉄剣|江田船山古墳と江田船山大刀|王から大王へ)|
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国の文明化と古代国家の形成(騎馬民族はやってきたのか|
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国の文明化をもたらしたもの|古代国家への道)
刊行年:2004/02
データ:『考古学と古代史の間』 筑摩書房
1333. 高橋 富雄 はしがき|序説-古代蝦夷を考えるために|あずまの諸定義|あづま天端説の創唱|「あずま」と「ひな」|吾妻はやと東国|東国とあずま|毛野祖王物語 ヤマトタケル物語|毛野国と毛人|毛国・毛人の語源学的考証|日高見国の解釈|常陸国の古伝承|景行紀と『常陸国風土記』|常陸日高見 陸奥日高見|二つの陸奥日高見国|日高見国と日高見水神|日高見国から日の本へ|大
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日高見之国|ヤマトの国とエビスの国|日高見日本国 ヤマト日本国|陸奥国 越国 出羽国|渡嶋津軽津司|斉明紀 景行紀
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王武上表文|ツガルとナガレ|アラエビス ニギエビス|エビスからエゾへ|伊治公呰麻呂|伊治公と遠田公|夷語と蝦夷訳語人|狄馬の問題提起|歴史民族としてのエビス|元慶の乱-歴史の分かれ|エゾとアイヌ
刊行年:1991/12
データ:『古代蝦夷を考える』 吉川弘文館
1334. 鈴木 英夫 井上秀雄『古代朝鮮』日本放送出版会,1972|今西龍『新羅史研究』近沢書店,1933(国書刊行会,1970)|今西龍『百済史研究』近沢書店,1934(国書刊行会,1970)|大石良材『日本王権の成立』塙書房,1975|木宮泰彦『日支交通史』上・下,金刺芳流堂,1926-27|末松保和『任那興亡史』大八洲出版,1949(吉川弘文館,1956)|末松保和『日本上代史管見』笠井出版印刷社,1963|鈴木英夫『古代の
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国と朝鮮諸国』青木書店,1996|鈴木靖民『古代国家史研究の歩み』新人物往来社,1980(増補版,1983)|鈴木靖民『古代対外関係史の研究』吉川弘文館,1985|藤間生大『日本民族の形成』岩波書店,1951|藤間生大『東アジア世界の形成』春秋社,1966|藤間生大『
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の五王』岩波新書,1968|増村宏『遣唐使の研究』同朋舎,1989|三品彰英『日本書紀朝鮮関係記事考証』上・下,吉川弘文館,1962-2002|三品彰英『三品彰英著作集』全6巻,平凡社,1970-74
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
1335. 田村 圓澄 盧舎那仏造立と聖武天皇(伝戒師招請(第一次)|聖武天皇の智識寺参拝|旧大和川近傍の寺|七・八世紀の河内出身僧|「菩薩」・「善知識})|八幡大神の仏教帰依(神と仏|八幡大神と仏教|天然痘の流行|藤原広嗣の叛乱)|盧舎那仏造立着工(恭仁京遷都|天照大神・天皇・伊勢神宮|紫香楽移遷|盧舎那仏の造立発願|盧舎那仏造立開始|盧舎那仏の造立と僧綱|玄昉と行基)|唐・新羅・日本の華厳教(唐・新羅の華厳教|華厳教の日本伝来|新羅学問僧|大安寺と華厳教|『華厳経』講説|華厳教の学僧)|
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と新羅の関係史(筑紫大宰の設置|「律令国家」の成立と新羅)|「律令国家」と「蕃国」(神功皇后・新羅征討の物語の成立|「蕃国」意識の成立|藤原京・平城京の新羅使)
刊行年:1999/05
データ:『古代日本の国家と仏教-東大寺創建の研究-』 吉川弘文館 盧舎那仏の造立 慈訓|慶俊|寿霊
1336. 田村 圓澄 東大寺の建立(平城遷都|東大寺の立地|天神・地祇と盧舎那仏造立|造東大寺司)|盧舎那仏の造立(盧舎那仏の鋳造|黄金産出|聖武天皇と仏教|『華厳経』為本|八幡大神の東大寺参向)|東大寺盧舎那仏開眼供養会(東大寺の僧|天平勝宝四年の遣新羅使|開眼供養会の準備|開眼供養会興行)|新羅王子金泰廉の東大寺参拝(新羅王子金泰廉とその一行の来日|新羅王子金泰廉の東大寺礼仏|新羅使と「交易」|新羅王子金泰廉帰国後の日本と新羅の外交関係)|東大寺の成立(大仏殿の諸尊像|東大寺の伽藍|六宗厨子|東大寺別当|聖武太上天皇の死去|『梵網経』と『華厳経』)|東大寺の財政(馬飼・雑戸の解放と再編成|封戸|奴婢|荘園|近江と難波)|伝戒師鑑真の来日(
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の出家・日本=律令制下の出家|受戒と戒壇|東大寺の完成)
刊行年:1999/05
データ:『古代日本の国家と仏教-東大寺創建の研究-』 吉川弘文館 東大寺の創建 良弁|宣教|寿霊
1337. 工藤 雅樹 はじめに∥大化の改新以前(「エミシ」「エゾ」の諸段階〈蝦夷の歴史〉|第一段階〈『古事記』『日本書紀』の物語|ヤマトタケルの物語|
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王武の上表文〉)|第二段階〈国造制の時代|国造制の成立|国造軍の外征|国造の「クニ」|上毛野氏の物語|阿倍氏・大伴氏・中臣氏|福島県の装飾横穴|蝦夷との交渉〉)∥大化の改新と陸奥国(大化の改新と「東国国司」〈大化の改新|東国国司|国造の「クニ」の解体〉|『常陸国風土記』を読む〈常陸国の成立と「コホリ」の設定|陸奥国の成立と福島県内に置かれた「コホリ」〉|国司制の成立と国府〈国司制|国府|陸奥国府|石城国・岩背国の建置と廃止〉|郡司と郡衙(「コホリ」|郡衙|神火|福島県内の郡|郡衙の遺跡|白河郡|磐瀬(石背)郡|安積郡と安積の采女|安達郡|信夫郡|伊達郡|菊多郡|磐(石)城郡|標葉郡|行方郡|宇多郡|宇多・行方の鉄|会津郡と会津国設置計画〉|里(郷)〈里(郷)|陸奥国戸籍|郷里制の時代|『
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名抄』の郡・郷〉|白河関・菊多関〈白河関|白河関・菊多関の遺跡|歌枕|関()|白河関・菊多関の起源〉)∥城柵・軍団(城柵の造営と移民の導入〈城柵|城柵の性格|城柵の構造|城柵の造営|移民〉|軍団制〈軍団制のあらまし|陸奥国の軍団|征討軍〉)∥あとがき
刊行年:2001/09
データ:『律令国家とふくしま』 歴史春秋出版
1338. 小林 洋介
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の五王論争 五王を結ぶ関係とは|大和国家論争 国家はいかにして形成されたか|任那日本府論争 日本府は実在したか|継体王朝論争 内乱は実在したのか|磐井の乱論争 磐井の乱異視点考察|仏教伝来論争 伝来の年次はいつか|大化の改新論争 改新は本当にあったのか|天皇論争 古代の王権と天皇|壬申の乱論争 乱の直接の原因とは|神仏習合論争 神宮寺と富豪層|古代の遷都論争 平安京までの遷都の理由は|律令国家体制論争 国家の性質とは|富豪層論争 律令国家の変革者|平安京論争 なぜ遷都したのか|遣唐使論争 なぜ派遣されたのか|幼帝論争 幼帝とはなにか|延喜・天暦の治論争 本当に「聖代」だったのか|将門の乱論争 将門の「新皇」宣言と独自国家|平安時代の民衆運動論争 志多羅神運動の示す諸様相|藤原氏他氏排斥論争 安和の変は何のために|国司苛政闘争論争 解任された国司と解文|摂関政治論争 摂関家は権力を独占していたのか|土地の私有と譲状論争 平安時代の私有と村落の様相|田楽と民衆論争 永長大田楽の主体諸階層|荘園公領制論争 成立はいつだろうか|院政論争 院政の実態と主体|平氏政権論争 平清盛はいかにして政権を握ったか|武士論争 その発生と「武」の意味|武士団の棟梁論争 後三年の役と義家の虚像|鎌倉幕府成立論争 どのように成立したのか
刊行年:1997/04
データ:別冊歴史読本 22-23 新人物往来社