日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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2561. 八木 光則 古代概観-蝦夷の時代|蝦夷成立前夜-四~六世紀にかけて|末期古墳の出現-蝦夷の墓|開かれた社会-蝦夷の交流・交易|律令機構のなかへ-最大級の規模をもった志波
城
|拡大政策の転換-徳丹
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への移転|蝦夷の集落-竪穴住居と掘立柱建物|鉄器を求める人々-鍛冶と鉄|馬と生業-副葬された馬具|安倍氏の奥六郡掌握-厨川を本拠とした安倍貞任|北の集落-山頂と尾根に暮らした人びと|謎を秘める仏教遺跡-古代末期から中世初期にかけて|居館に見る中世の始まり-紫波町比爪館跡∥謎の「奥州五十四郡」-解決されない問題
刊行年:2004/06
データ:『図説盛岡・岩手・紫波の歴史』 郷土出版社 古代∥コラム
2562. 新野 直吉 はしがき|北の風土|出羽の国|秋田
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|古代秋田の文化|秋田清原氏|古代から中世へ|由利と山北の地頭たち|安東氏南下|宗教文化|秋田
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介実季|佐竹入部|久保田築
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|藩政の確立|秋田の寺社|産業の発達|藩政の推移|藩教学の進展|秋田文化と善和の時代|三思想家と真澄|幕末の風雲|戊辰の役|文明開化|地方行政の整備|明治秋田の文化|新しい産業|秋田を出た明治の学者|大正デモクラシー|昭和初期|新生秋田|いま秋田では|年表|あとがき
刊行年:1982/04
データ:『秋田の歴史』 秋田魁新報社 改訂版1989/08
2563. 東北史学会(成田 末五郎) 国名、県名はどうして起つたか|青森県から発掘される土器や石器でどんなことが考えられるか|東北の蝦夷とはどんなものであつたか|青森県にはどんな時代の遺物があるか(高照神社の太刀二振|田名部常念寺の阿弥陀像|船沢村の板碑|長勝寺の鐘|三戸
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址|櫛引八幡の甲冑|八戸根
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址|南部家文書|斗賀神社鰐口|浪岡
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址|大円寺阿弥陀像|深浦圓覚寺の薬師堂|岩木山神社釣燈籠及大堂・三門|弘前
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|長勝寺|弘前八幡宮|最勝院五重塔|誓願寺三門|津軽藩日記)|弘前
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はどうして作られたか
刊行年:1953/07
データ:『青森県の歴史』 東北出版
2564. 工藤 雅樹 はじめに|縄文時代の文化|弥生式文化と続縄文文化|古墳時代の文化と続縄文文化|安倍比羅夫の遠征と出羽国の成立|陸奥国の成立と多賀
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の創建|
城
柵とは何か|軍事対決の時代|古代蝦夷の文化|蝦夷社会と交易|蝦夷社会の構造|東アジア社会と蝦夷|古代蝦夷の終焉
刊行年:1992/02
データ:『古代の蝦夷-北日本縄文人の末裔』 河出書房新社
2565. 菊池 山哉 蝦夷之研究(中の二) 渡島の狄(縄紋土器と古墳(續き))|原住民族の行衛(緒言|奈良時代|平安初期|歌詠から観たエゾ|エゾ退転の時期|北海道の土
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と角逐の理由|諏訪絵詞から観た、渡島の狄|江戸時代のクルミセ族|明治時代の北千島土人|行衛を突き止めて、)|松前とアイヌ|コロボックルの口碑
刊行年:1947/12
データ:多麻史談 15-6 木曾呂之研究(其拾参) 蝦夷と天ノ朝の研究
2566. 菊池 山哉 蝦夷之研究(下ノ貳) 陸奥の蝦夷(エビスに就て|蝦夷尤も強し|景行紀の蝦夷|ヱミシに就て|陸奥蝦夷の掃討|俘囚から百姓へ|平安後期の俘囚|考古学上の陸奥〈古墳と遺跡地|胆沢
城
〉|陸奥のヱゾ|結語)|結論(蝦夷即アイヌの論拠|蝦夷非アイヌの論拠|蝦夷非アイヌの結果|-)
刊行年:1948/03
データ:多麻史談 16-2 木曾呂之研究(其拾五) 蝦夷と天ノ朝の研究
2567. 塩谷 順耳|加藤 民夫|鈴木 登 中世秋田の開幕|北条勢力の浸透|建武新政から動乱へ|沙弥浄光譲状|禅宗の伝播と熊野信仰|真澄の描いた中世の秋田|室町時代と在地領主の成長|戦国社会とその特質|
城
館と村落|秋田杉と手工業の発達
刊行年:1982/10
データ:『中世の秋田』 秋田魁新報社
2568. 齋藤 愼一 齋藤慎一『中世東国の領域と
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館』吉川弘文館,2002|山上八郎『日本甲冑の新研究』上・下,倭文社,1928(訂正版:飯倉書店,1934;歴史図書社,1982)|山岸素夫『日本甲冑論集』つくばね舎,1991|山岸素夫『増補 日本甲冑の実証的研究』つくばね舎,1997(初版,1994)
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
2569. 伊藤 博幸 大地に根づく人々(岩手の大地物語|花開く縄文文化|胆沢のクニの物語)|エミシの世界(終末期古墳をつくった人々|エミシの村落と生活|アテルイの世界)|鎮守府と奥六郡の世界(鎮守府胆沢
城
|王朝国家期の辺境|辺境の争乱-平泉藤原氏への道)
刊行年:1999/08
データ:『岩手県の歴史』 山川出版社
2570. 阿部 好臣|石井 正己|伊藤 一男|井上 真弓|猪股 ときわ|河添 房江|神田 龍身|神野藤 昭夫|北川 真理|倉田 実|小嶋 菜温子|小林 正明|塩田 公子|住谷 智|原岡 文子|日向 一雅|室
城
秀之|吉海 直人 王朝物語20選.-平安物語・鎌倉物語
刊行年:1987/09
データ:別冊国文学 32 学燈社
2571. 阿部 正己 緒言|出羽夷征前の夷征|大山の出羽柵|平形の国府国分寺と遺址|記録上より見たる
城
輪の出羽柵 附 雄勝柵、由利柵、秋田
城
|国府の移転|
城
輪の出羽柵址並に国分寺址|
城
輪神社|瓦及び陶器窯址∥出羽柵址発掘調査日誌∥補遺
刊行年:1932/09
データ:『郷土研究叢書』 2 山形県郷土研究会 復刻:山形郷土研究叢書5(国書刊行会,1982/11)
2572. 阿部 義平 官衙研究への出発|官衙研究の発達|官衙の分離まで|京と大宮と官衙|朝堂院と太政官院|中央官衙の実態|邸宅と官衙|都
城
と地方官衙|大宰府・斎宮など|鎮守府と
城
柵|国府|郡衙|多様な地方官衙|邸宅・寺院・庄田と官衙|官衙の変遷
刊行年:1989/05
データ:『官衙』 ニュー・サイエンス社
2573. 阿部 義平 はじめに|蝦夷と倭人の登場する舞台|倭人と蝦夷の登場|基層文化とその上部構造|弥生文化の波及と文化変容|北大文化の成立-蝦夷文化の形成期|古墳と
城
柵の展開-蝦夷文化発展期|オホーツク文化の興隆とその変貌|分断と統合-俘囚文化期|蝦夷・粛慎と倭人の差異|日本列島古代文化の内と外
刊行年:1999/02
データ:『蝦夷と倭人』 青木書店
2574. 折口 信夫 日本紀巻第四[神淳名河耳天皇~稚日本根子彦大日日天皇]|日本紀巻第五[御間
城
入彦五十瓊殖天皇]|日本紀巻第六[活目入彦五十狭茅天皇]|祝詞[概説・祝詞(延喜式巻第八神祇八)・祈年祭・龍田神風祭・大殿祭]|万葉集巻四口訳
刊行年:1971/12
データ:『折口信夫全集ノート編』 9 中央公論社
2575. 延暦八年の会 エミシ英雄時代(古代国家とエミシ|巣伏の戦い|胆沢
城
の造営-アテルイ降伏|アテルイの生涯-彼の年齢は?)|エミシの世界(エミシ-その米づくりの歴史|エミシの社会-政治的社会の形成|角塚古墳の造営|歴史上の八九年をひろうと……)|アテルイ・エミシ関係年表
刊行年:1989/11
データ:『アテルイとエミシ』 岩手出版
2576. 宇田川 洋 入江貝塚|浦幌|江ノ浦貝塚|江別|大曲洞窟|置戸|春日町|神威古潭|樺太|クラスキノ土
城
|サイベ沢|擦文文化|下田ノ沢|祝梅三角山|シユンクシタカラ|白滝|住吉町|前北式土器・後北式土器|宗仁|続縄文文化|樽岸|千島列島|十勝太若月|トビニタイ|内耳土器|東釧路貝塚|東多来加貝塚|北海道
刊行年:1979/02
データ:『世界考古学事典』 上 平凡社
2577. 秋田県教育庁払田柵跡調査事務所編 沿革(事務所設立の由来と経過)|調査(払田柵跡の現状|事務所設立前の研究|調査成果|
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柵の役割|払田柵に関する学説)|保存と活用(調査開始前の保存|仙北町による史跡の整備|調査成果の普及)|払田柵跡研究史年表|調査一覧
刊行年:1995/03
データ:『払田柵を掘る』 秋田県教育庁払田柵跡調査事務所編
2578. 藤井 貞和編∥石井 正己|伊藤 一男|猪股 ときわ|河添 房江|神田 龍身|北川 真理|倉田 実|小嶋 菜温子|小林 正明|島内 景二|住谷 智|土方 洋一|藤井 貞和|室
城
秀之 王朝物語術語・話型事典(術語の部 話型の部)
刊行年:1987/09
データ:別冊国文学 32 学燈社
2579. 野口 実 八幡太郎は恐ろしや|
城
外の乱逆|武者の世になりにけるなり|源氏、平氏相並びて|日本国第一の大天狗|歎きて二十年の春秋を送り|骨肉同胞の儀すでに空しきに似たり|武芸は廃るるに似たり|在京の武士ことごとく似て馳せ下りおわんぬ∥付論 武家の棟梁の都
刊行年:1998/12
データ:『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』 新人物往来社
2580. 八木 光則 志波
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跡をめぐる諸問題(志波
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跡の構造と特質〈国府跡と郡衙跡|
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柵跡|太田方八丁遺跡=志波
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跡|志波
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跡と胆沢
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跡・徳丹
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跡〉|志波
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跡と周辺遺跡の土器様相〈はじめに|志波
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跡の土器様相|胆沢
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跡の土器様相|志波
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跡周辺の土器様相|盛岡周辺の平安時代土器の変遷|おわりに〉)
刊行年:1981/03
データ:『志波
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跡-太田方八丁遺跡範囲確認調査報告』 Ⅰ 盛岡市教育委員会